R style 10年目の深化

これまでR styleでは、各地のワインディングを走破したり、温泉巡りをしたり、それらひっくるめてツーリングという旅を楽しんできました。
その相棒は長らく1台のホンダスポーツというのが決まったスタイルでした。

今回2号車入れ替えというきっかけを利用して、せっかくなのでこのコンセプトを少し発展しようかと。。
二代目2号車として選ぶクルマには、これまでの単なるアシ車という役割だけではなく、R style的クルマ生活により深く食い込んでもらうことにしました。
エスと共存し、クルマ生活に一層の深みを与えてくれること。もっと具体的に言えば、新2号車はドライブや旅のスタイルによって1号車たるS2000と役割分担できる存在、みたいな。

S2000は素晴らしい相棒で、もはや自分の手足の如き感覚で乗れます(あくまで感覚上のハナシですよ)が、ここ最近のツーリングの傾向として、目的地が定まっていたり、町並み散策がメインでドライブシーンがあまり表に出てこないケースも多くなりつつあり、そんな時にわざわざエスを引っ張り出さなくても、もっとエスがエスらしく走ることができるステージで走らせたいという思いがありました。(そういうツーリングは、あまり表に出していないんですが)

2号車には一歩踏み込んで、ツーリングの楽しみを補完してくれる存在であってほしい。
つまりは2号車も、ただのゲタ代わりでなく、走る楽しみ、旅する楽しみを感じ、クルマ生活をもっと豊かにしてくれるクルマがいい。
それにやっぱり一応はクルマ好きを名乗るくらいだから、コダワリのある個性的なキャラクターのクルマであってほしい。
とは言いつつ、エスがいらっしゃるので、あくまでコストパフォーマンス重視で(笑

・・・と常々考えてたので、いざ選ぼうって時にあんまり悩まなかったんですが(^ ^;;(ただ車格が車格だけに「本当にコレ2号車にしていいのか」ってのはありましたけど・・・)
これは僕にとっては、ある意味冒険です。

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(つづきは後ほど・・)

HR-V Tribute

2号車HR-Vとお別れする日が迫ってきました。

ゲタ代わりのクルマってことで、わざわざサイトの中で取り上げることもなかったんですが、実際には近所の買い物クルマという性格の他に、冬の長距離移動やトレッキング時のアプローチの足として活躍してくれていました。
写真に収めることもあまりなかったけど、これまでの活躍に感謝して、いくつか載せておきたいと思います。

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納車前、ていうか中古車屋でまだ売り物として置いてある時の写真(^ ^;
プレーンな内装は、結局今もそのまんま。オーディオは最近調子悪くなってきたとこでした。

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2号車活躍の時と言えば、冬山トレッキング時ですね。
仲間と道具を満載して、積雪路をガンガン走りました。一応4WDだし最低地上高の高さも相まって、冬道の安心感は抜群でした。
この冬期の便利さを失うのは、何気に結構イタイかも。

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その冬場の利便性の代償はこれ。年2回のタイヤ交換。
最低地上高の高いクルマのタイヤ交換ってのは、かなり大変でした(- -;;
写真では2tジャッキで上げようとしてますが、こんな小さなのじゃ上がり切りません。結局車載ジャッキで4輪毎に上げるしかない。その上、205/60R16っていう大きなタイヤを、駐車場から3階のベランダまでピストン輸送。。。キツかったです結構。

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トラブルも割と多く。。
バッテリーが上がること2回。その他にもベルト類の交換、CVTの不調と、特に後半はどこかしら調子が悪いという状態が続きました。
致命的に走れなくなるというほどのことではないけれど、運転時の快適さや楽しさが今ひとつ感じられなかった要因ですね。

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ヤマの他にも、帰省の足としても活躍。帰省時の高速移動がエスの走行距離を無意味に伸ばす要因になってたので、その役割を担ってくれたことには大助かりでした。
特に実家のある富山へは何往復したかわかりません。実家の改修をしてたこともあり、2年前の今頃は毎週のように2号車で通ってたんですよね。あれも今は懐かしい想い出です。

写真は西山温泉の慶雲館という温泉宿。冬場の温泉巡りにも活躍してました。

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あと、夏山登山のアプローチにも。基本的に山登りにはエスは使いません。中で着替えや仮眠ができる2号車の出番と相成るわけで。
仮眠って言っても所詮は3枚ドア。足が伸ばせるわけでもないので快適とは言い難いですが、エスで寝るよりは100倍マシです(てかエスじゃ寝れない(^ ^;

写真は八ヶ岳の登山口ですが、ボッコボコの未舗装路でもガンガン突っ込んでいけた(笑)ので凄く便利でした。

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とまぁ今まで露出することはなかったけど、結構便利に働いてくれてました。
いつしかR styleの裏方さんとして欠かせない存在に。まさに影の功労者でした。

必要最小限のメンテしかされず(汗)、洗車もたまに洗車機に通すだけ(結局一度たりともワックスなぞかけなかった(滝汗)という荒い扱いでしたが、健気に走り続けてくれましたね。

オレンジの3ドアHR-Vという個性的なクルマという以外、運転してても全く面白さはなかったので完全に足として割り切ってましたが、こんなクルマでも別れる瞬間が近付くと寂しいもんです。

明日の嫁入り準備は既に済ませました。
さらば初代2号車。君はR styleに欠かせないメンバーだったぜ。

2号車 Last Drive


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昨晩のこと。2号車で行く最後のロングドライブは、地元富山への高速移動。
東京〜富山間の高速道路は、2号車で数え切れないほど通った道。通勤ルートののように、何も考えないでも時間が読める。

CVTは加速レスポンスが最大の弱点。高速燃費も悪く、高速道路には決して向いているとは言えないクルマだった。
それでもエスの身代わりとなって、退屈な高速長距離移動を受け持ってくれた功績は大きい。
感謝を込めて、最後のドライブを楽しむのだ。

2号車のこと


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新年早々こってりと仕事が覆い被さり、眠いであります(笑

年明けの連休はここ最近冬山トレッキングに費やしてましたが、今年はその計画をする余裕もありませんでした。
でも休日自体は確保できたので、3連休。せっかくなので、これから富山までドライブしてきます。冬の北陸なので2号車ですが。


その2号車HR-V、CVTゆえレスポンスが悪く、ブレーキも利かないので、無意識にエス乗ってる気になってると、非常にコワい思いをします(笑

特に微低速で反応無しから急発進するCVT、それに伴って発生する大きなピッチング、奥でしか利かないブレーキ(笑)、つまり渋滞中は超ストレスなクルマです。
エスなんか乗ってたら渋滞大変でしょうと言われることが多いですが、渋滞中のクラッチ&シフトチェンジは半ば無意識なので、渋滞中は微操作が利くエスの方が全然ラク。いやホント。

ブレーキ利かないのはエア噛んでるだけなような気もしますが、エスに最適化してる(エスが基準である)身体が良くないと人には言われ(^ ^;
確かにエスの運動性能を他車に求めても無理なハナシ。乗り方を考えるしかないわけです。

関越渋滞してる(冬の土曜の朝の常)ので、解消方向に向かい出したら出掛けようかな。
今年始めての雪道ドライブ、楽しみです。(雪道は得意>HR-V)

シビック遂に息絶える

遂にというより、ようやくというか。
本日流れた「シビック生産終了」のニュース。
正直この数年は完全に死に体だったような気がするので、まぁ来るときが来たか、ってな具合ですが、、やはり過去2台シビックを乗り継いできた身としては、現実となると少々寂しいものがあります。

シビックはいつも自分にとっては特別でした。
物心ついた時、家のクルマが初代シビックの5ドアでした。このクルマの印象は今でも鮮明に残っています。70年代前半のこの名車は、いま改めて写真で見ても、斬新なフォルムの元気のいいクルマって感じがしますね。
親父が乗る白いシビックが、今の自分のクルマ好きな部分を形成したと言っても過言ではない。そういった意味では、客観的に見て、これまで一番影響を受けたクルマなのかも知れません。

初めて自分で所有したクルマは、初代、スーパー、ワンダー、グランドの次、いわゆるスポーツシビックの3ドアVTiでした。クルマを運転する楽しさを教えてくれたシビックです。
そしてその次に所有したのが、ご存知EK9ことシビックタイプR。走りに特化したクルマでツーリングするという楽しみを教えてくれたクルマ。憧れのサーキット走行も、幾度となく楽しみました。このサイトを作ろうと思わせたのが他ならぬコイツです。

その後シビックのトレードマークのはずだった3ドアハッチバックのボディ形状、元気のいいエンジン、イキのいいデザインを徐々に失い、エントリーカーとしての役割とそれがゆえの魅力を失っていったような気がします。
シビックの役割、何がシビックの使命なのか、ホンダにとってシビックとは何なのか、そういう部分を見失ってしまったのが、今日の結果を生んだのではないかと。
同門のフィットに市場を奪われてしまった形にはなってますが、それだけが原因ではないと思います。
昔のシビックにはアイデンティティがあった。確固たる信念が感じられたし、メーカーも全力でシビックというクルマを世に出していたと思います。いつだってシビックから新しい技術が始まる。そういう部分が少なくともミラクル(EK)の頃まではあったんです。

メーカーが一体何を表現したいのか、どんな価値を提供したいのかがわからないクルマ。シビックは悲劇的にも、そういう晩年を過ごさざるを得なかったような気がします。
デザインと性能に主張がなく、コンセプトも伝わってこない可哀想なクルマ。かつての元気や若々しさはどこへやら。若い人がこぞって欲しいと思う、あの弾けるパッションを手放してしまったことは、シビックというクルマに対するビジョンの無さを晒した結果とも言えるような。
そういった印象から、シビックは親であるホンダに殺されてしまったような気さえしています。

少々過激な話になってしまいましたが、シビックというホンダにとってのビッグネームであり、自分にとっては切っても切り放せないほどの影響を与えてくれたクルマの名前が無くなってしまうことを、わかっていたとはいえ受け入れられないのかも。

ホンダが新しいステージへ移るための一環であることも理解はできますが、シビックを抹消することに引き換えても余り有るほどの元気さと夢を生み出してくれないと困ります。(少なくともそれはハイブリッドではない!)

・・って思いはあるにせよ、シビックというクルマ、少なくとも僕の世代には、何とも魅力的なクルマでした。
海外ではモデルチェンジして残るそうで。しかも生産は鈴鹿。それってメリットあんの?
急遽売るのヤメた的な、中途半端な扱い。ますますカワイソウなシビックである。

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