またしても京都である。

ツーレポにするにはいかがなものか?という葛藤に襲われつつも作成した、昨年正月の京都レポ。自分では結構気に入っているのである。
普段愛車に乗って、様々な景色をバックにワインディングを駆け巡るツーリングを楽しむのとほとんど変わらない視点と好奇心で、古都の風情を存分に楽しんだこと。それが素直に現れているからかな、と思っている。

そんな感覚がまだ心の中に潜んでいるうちに、京都ツーリング第2弾の決行を計画した。
キッカケは、たまたまJAFの優待で格安で宿が取れたこと。
ならば、再度テーマを変えて京都の街を巡っちゃおうというのが今回の旅のコンセプトだ。

前回は「私的趣好寺院図鑑」と副題を打った通り、お寺をメインに構成された旅だった。
それに対して今回は、お寺は控えてそれ以外のポイントに主眼を置くことに。(とは言いつつ、お寺にも足が向いていますが)
ちょっと普通では訪れないような所も、事前に準備して訪れてるので、ふらりと訪れる気軽な京都の旅とはちょっと違ったプランになってるかも。(今回の旅は珍しく用意周到)

               
 
                                                 

あと、前回はほとんど登場しなかったエス君ですが(^_^;)、今回は活躍してます。
前回は正月だったこともあって、街全体が混雑してたから敢えて公共交通機関を利用したけど、今回は特にこれといったシーズンに重ならない日程だったので、中日以外はクルマで移動してます。なので、一応ツーリングレポートの名には偽り無し!?(ワインディングは一切走ってませんが)

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さてさて、時は桜のつぼみもまだ堅い3月のとある週末。早朝の高速道路を一路京都へ。
この日は残念ながら荒天が予想され、新名神に入る亀山JCT辺りからはすっかり雨天になってしまった。
京都南ICで高速を降り、渋滞していた京阪国道を避けて、大宮通から十条通、八条通に折れて更に西に向かう。
桂大橋を渡ったその先に、いきなり今回の言わばメインと期待していた、憧れのスポットがある。

                                                 
                                                 

京の桂川の畔、街からは完全に外れた場所にある元皇族のお屋敷が桂離宮。
あまりガイドブックでも見かけないようなマイナーな観光地だが、建築に携わっている人に限っては、ちょっと特別な場所かもしれない。

江戸時代初期に造営された桂離宮は、日本建築の美しさを世界に知らしめしたとして非常に有名なのである。
本業では建築に携わる自分も、いつかは桂離宮、という思いはずっと昔から持ち続けていた。それが今日この日叶うのだ。

 

そんなに思い続けていたのなら、なぜ今まで来たことがなかったのか。

桂離宮はその名からして、皇族の住まいだった場所。現在は住居として使われていないが、敷地も建物も宮内庁の管轄になっており、自由に出入りすることができないのだ。
これを拝観したいという時は、所定の手続きを事前にとっておく必要があって、これが(相手が宮内庁だけに)なかなか面倒臭い。それに加えて、一度に拝観できる人数に制限がある上に、意外にも人気があって、予定の日時に拝観できるよう仕組むのが結構大変なのである。

   

今回は京都に行くことが決まった直後から桂離宮に行く!という気になってたので、その面倒臭い手続きをクリアして拝観切符を手に入れ、所定の時間に現地に赴いたというわけ。
長らく想い続けた時間と面倒な拝観予約の末なので、やっとここまで来たという感慨が、旅の最初にもかかわらず(笑)沸き上がってくる。

最初の集合場所に行くまでに3度のチェック(厳重)、身分証明書まで提示してようやく敷地内の人に。
見学は、ガイド付きの集団行動。事前に知ってはいたけど、自由に好きな場所を拝観できるワケではないのだ。

           
 

集合した拝観者はざっと30名くらいか。平日の午前だから空いていると思ったら大違いだった。。中には外国人も数名。世界遺産でもなんでもない上、京都市街からこんなに外れているのに、国際的知名度はやっぱりあるらしい。

この大人数を引き連れて、宮内庁のガイドが敷地内を決められたコースに沿って歩いていく。
広大な敷地内は庭園となっていて、その中に建物が散在している。その建物ごとに立ち止まってガイドが説明していくらしい。

こんなカンジ。(右端の人がガイド)→→→

毎日毎日決まった時間ごとに同じ説明をしているから、まったく滞りなくアドリブもなく、きっちり必要な説明だけを行っていく。若いのに、とても雅な口調で。(さすが宮内庁)

事前に桂について少しは勉強しておいたのでガイドさんの話す内容は程々に聞いて、とにかく建築と庭園とを存分に味おうと試みる。
しかしこの人数で、しかも天気は雨。個々の傘に風景も遮られて、今ひとつ風情を感じることができない。

   

ゆっくり写真を撮る余裕もなく、次のポイントへ移動が始まってしまう。居残って人のいない風景を撮影しようにも、集団の最後尾には皇宮警察が目を光らせ、早く進めと無言の圧力をかけてくる。
仕方無しに列の後ろからほいさっさと小走りについていくほかないのだ。

広い敷地内を、たった1時間で見学させようとしているのだから、その辺からして無理がある。
個人的にはもっとじっくり見ないと、本当の味わいなんて滲み出してこないと思うのだが。。
見せてもらうだけマシだと思え、ってことなのかな。

 
         
・・・・などと文句ばかり言ってても仕方無い。せっかく桂離宮に来れたのだから、限られた時間の中で楽しんでみようじゃないか。

この桂離宮、造営は江戸時代初期、後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王が別荘として造営を始めたのが発端。親王が存命の間に完成を見ることはなかったが、二代智忠親王が意思を継ぎ、ほぼ今の離宮の状態になったと言われ、完成まで約40〜50年ほどかかっている。
以後、宮家の別荘となっていたが、明治時代に宮家が絶えた後は宮内庁の管轄となり、桂離宮と称されている。
ちなみに一度も火災にあったことがなく、ほぼ創建時のオリジナルの状態を維持している。

当初は一皇族の住まいに過ぎなかった桂離宮。その建築的な価値が決定的に知れ渡ったきっかけが、ドイツの建築家ブルーノ・タウトによる「再発見」だ。
それまで国内では断片的に価値が認められていたに過ぎない桂だったが、タウトが著書「ニッポン」の中で、「涙が出るほど美しい」と評価したのが国内外に知れ渡り、以降、桂離宮に代表される日本の建築美が、世界中の建築家に影響を与えたと言われている。

外国人によって評価されて、気が付いたようにもてはやすなんて、と思うフシも無くは無いが、案外、第三者から見た評価は公平なもの。
本当に美しいかどうかは、見る人それぞれが実際に体感して決めればいいことなのだ。

それを自分なりに判断する意味でも今回桂を訪れているのだが、何せ状況が悪過ぎた。
雨降りの風情がまた一興、なんて言うけれど、こうもザーザー降ってるとね。。
傘差しながらカメラ構えて撮ってると、じっくり味わう暇もないまま後方から追い立てられ。。

・・・また不満が口を出てしまった。。
気を取り直して。

庭園をぐるっと歩いてきて、辿り着いたのが右の写真の建物「松琴亭」。離宮の母屋とは別に、こういう離れが庭園中央の池を取り囲むように点在しているのだ。

母屋である書院から庭園を散策したり、池で船遊びをしたり、とかいう当時の皇族のお遊びの舞台なわけで。
この松琴亭みたいな離れも、実用とはちょっとかけ離れてて、趣味娯楽的な観点から造られているようだ。

   
 

開放的な室内の上に覆い被さる重量感たっぷりの屋根。
いわゆる茅葺きの入母屋造で、単なる離れでこの屋根の様式は、まさに別格。

←写真の左奥の三畳間は、にじり口もある茶室。手前の一の間、二の間も、まー使うと言えば、目の前の池の景色でも眺めるくらいなもんだろうけど、そんな実益の無さが、結果的にこの小さな建築の価値を形成しているのかもしれない。
建主の趣味趣向が前面に出てくるからね。

この松琴亭で最も驚かされるのが、この床の間と襖の意匠。
大胆にも青と白の市松模様なのだ。
右側の地袋はありふれた水墨調の襖絵だが、それとの対比もまた絶妙である。

松琴亭が建築されたのは江戸時代初期。その時代にこんなモダンな意匠を考案して採用するとは。。。

       

この市松模様は和紙の張り合わせ。くすんだ青と白との組み合わせだが、これはオリジナルの色ではないそうだ。もちろん造営当初からの意匠ではあるが、開放的な造りによって色ハゲしてるらしい。
もちろん時折貼り直ししてるだろうから、その直後に見れば、コレより数倍は凄い衝撃が・・・

なんせオリジナルは、ラピスラズリから取り出したような、目にも鮮やかなblueだったんだから。。。(写真集等で見れます)

 

その他にも様々な部分で数寄屋ワールドが広がる。
お固い皇族の住まいとは思えないほどの趣味的設えのカタマリ。書院崩しの数寄屋は、様式に捕われない自由な発想が持ち味。造り手の感性とセンスがモノを言う。

寺社仏閣では出会うことのない、片意地張らない奔放な空間がここにはある。

 
           

松琴亭を後にし、また庭園内を飛び石伝いに歩いていくと、今度は「賞花亭」という東屋のような小さな建物に辿り着く。

2方の壁に屋根が乗っただけのような簡素な建物は、北に向いて避暑のために使ったらしい。
桂離宮内で最も標高の高い位置に建っていて、眺めが抜群かと思いきや、そうでもない。

桂離宮の庭園は、それだけでも素晴らしい美的感性に溢れたものだったが、その姿を決して一望の元に曝け出すことをしないのだ。
敢えて見え隠れするように造られ、建物もその眺望に従って配置されている。

   
離宮内の広大な庭園と散在する建築群は、ひとつの空間の中で、全てを計算し尽くした状態で計画、造営していることに気が付く。
庭園の木々や石の数々全てに至るまで、しっかりと手を入れることによる徹底した美しさはもちろん素晴らしかったが、桂の庭園の素晴らしさの本質は、まさにそこにあるような気がするのだ。
 
向かい合う書院も、何だかイマイチ見えなかったりする。
全てを曝け出して権威的に見せるのもひとつの形式だが、ちょっとずつチラ見せする思わせぶりな空間展開が繊細で、実に日本人らしい美的感覚だなぁと思うのだ。だから海外でも評価されるんだろうな。
           

持仏堂である園林堂前で、池を跨ぐ。
ここの他にも何ヶ所か橋があるけれど、そのひとつひとつが繊細なこと。。

ちなみに手前にあるような飛び石で、庭園内の周遊路は構成されていて、その数、忘れちゃったけど(汗)、相当な数が存在するとか。。

 
         
                                   

さっきの松琴亭級の存在感を持つ茶屋がまた現れた。池の周りに次々と姿を現す建築。その展開は実に飽きない。

こちらには「笑意軒」ていう名前がついてるらしい。

この角度と距離から見るとよくわかるけど、農家の建物をイメージした茶屋なのだそうな。
茅葺きの屋根の下部に、杮葺きの庇が重なってるのが特徴的。

 
   
縁側上部の壁面には、丸い下地窓が付いている。
よーく見ると、ひとつひとつ意匠が異なってたりする。その他にもちょっとした遊び心が詰まったとても面白い建築。
     
   
                       
   
     
実際に当時の「遊び場」だったわけで。八条宮家の人々は、ここで一体どんな話をしてたのかな。    
 
 

笑意軒を離れると、いよいよ書院へと集団は進んでいく。

桂離宮の母屋に当たり、最も大きな建物がこの書院。これまでの建物が庭園の中の茶屋だったのに対して、こちらは住居だから大きいのも当然。

ただ、一部増築による棟もあって、最初からこの形態だったわけではないようだ。

     

手前から、中書院、楽器の間、新御殿。写真には写っていないけど、更に手前には古書院がある。

桂離宮の書院の形態を味わう上で注目してしまうのが、これら各棟の配置だ。

いわゆる「雁行形」と呼ばれる平面計画の、最も典型的な例なのだ。
「雁行」とは、雁の群れが空を飛ぶ際の編隊のように、棟が少しずつズレながら展開していく様を表している。

 

建物を雁行することによって、各部屋に対して通風や眺望を確保する効果がある。
特に桂離宮は、見事な庭園が書院の目の前に展開しているわけで、どの部屋からも味わうことができるようにするための、プラン上の知恵だったと受け止めることができそうだ。

古書院の正面から折り重なるように配される様は、部屋からの眺望以上に、実に優美な建築美が展開している。
この書院は、間取りを表した平面図ですらも、その構成の美しさに圧倒されてしまう。

 

とにかく残念なのが、この最も期待していた建築である書院の中に入れないことだ。

貴重な遺構で皇族の住まいだったことは理解できるが、何とか外からでも見ることができるように解放してほしかったのだが、障子は閉め切っているし、見学ルートは決まってるし、加えてガイドもあっさりとしたもので、じっくり堪能するにはあまりにも条件が悪過ぎた。

上の写真が庭園に向かって最も突き出した古書院だが、その正面には竹で編まれた「月見台」がある。広縁から池に向かって突き出しているようにも見え、台に座ると(もちろん座れませんが)まるで桟橋にでも腰掛けているような眺望の仕掛けを体感することになる。

この「月見台」はその名の通り、夏の夜に月を眺めながら過ごす為にある、何とも風流な設えなのである。
桂離宮は「月の桂」と称されることもあるが、それはこの月を見るための仕掛けと、庭園を背景に昇る月を眺めた時の素晴らしい風情に由来しているはずだ。

   

そしてもうひとつの月への仕掛けが、書院の脇の池の畔に建つ「月波楼」だ。

書院の月見台同様、あたかも池に浮かんでいるかのような感覚を狙った造りになっている。
この突き出した部屋も、月を眺めて時を過ごすためにあるという。
月見台が夏の月を眺めるためにあるならば、こちらは中秋の名月、つまり秋の月を眺めるのに適しているとか。

さすがは「月の桂」である。

 

月波楼は数寄屋度満点。
座敷から天井を見上げると、あるはずの天井は無く、化粧屋根裏が豪快に広がっている。
この意匠が狭い茶亭の一室を、無限の解放空間にすら感じさせている。

屋根を支える梁に皮付きの材を使ったり、1本だけ自然の曲げ木を配したり。遊び心が詰まった構成が、数寄屋風情を存分に醸し出している。

 
               
 
 

襖には、秋の風情を連想させる柄の唐紙が張ってある。

桂離宮の、特に見ることのできない書院内部の表具には、京唐紙が使用してあるという。
京唐紙は、現在は唯一京都の「唐長」さんが製作しているのみになった貴重な伝統工芸。

桂離宮は昭和50年代から平成初期にかけて大修理を行っているが、その際にはしっかりと京唐紙を使用して復元している。
京唐紙の造り手が途絶えてしまったら、桂離宮の繊細で可憐な内部意匠も継承できなくなってしまう。

そのような意味でも、唐長さんが継ぐ京唐紙の文化を、微力ながらも応援したいと思って、前回も店へ足を運んでいたわけなのだ。

 
               

月波楼の後、御輿寄を通って、園内の見学は終了した。
見学時間は予定通り1時間程度だった。

しかし、庭園内を歩き続けながら建物を見て回ったので、あっという間だった。
てゆーか超駆け足で短過ぎ。個人的には、この倍は時間かけて見ないと、本当の味わいなんてわからないような気がした。。

 

恋い焦がれてようやく辿り着いた桂離宮。
そのファーストインプレッションは、非常に微細な部分までデザインされ手を入れ維持されてきた、宝石箱のような美しい空間といったカンジだ。
現代的な物質要素はほとんど目に入ることがなく、ひたすらに古来からの自然素材を用いて、触れるとすぐに崩れてしまいそうなほど繊細なデザインで地表を敷き詰めている。
庭園と建築で構成される小宇宙は、どちらが欠けても維持することができない絶妙のバランスの上に成り立っているのだ。

ただ、特に美しい住居建築として名高い書院を十分堪能できなかったのは、本当に残念だった。その一点だけで不完全燃焼。心に何か大きなものをつっかえたまま、立ち去らなければならないという結果になったというのが正直なところだ。

比類無き庭園の美しさを堪能するには十分。しかし、建築を堪能するには、書院という重要な存在をほとんどすっ飛ばしてしまわざるをえない見学コースなので、建築を楽しみにしていくと・・・・
しかし、庭園が極上の素晴らしさなので、それだけでも意味があるのも確かである。

日本建築の最高峰と謳われることもある桂離宮。
たった1時間という限られた時間内で、集中力と感性を全開にしてガッツガツに貪るように楽しむ必要がありそうだ(^ ^;;

【桂離宮】
京都市西京区桂御園町
拝観時間:事前申込制、土日曜休(季節によっては土曜日はOPEN)
拝観料:無料
駐車場:有り(無料!)
撮影:OK!(ゆっくり撮れる状況じゃないけど)
※拝観には、宮内庁参観係に事前申込が必要。先着順。競争率高し。熱意で勝ち取れ!(謎

・・・・・・・

 

御菓子司 中村軒

桂離宮の正門側(八条通沿い)に、老舗の菓子屋がある。
中村軒というそのお店は、いかにも古い京町家の商店の面構えで、桂を訪れる旅人を今日も受け入れている。

                                 
       
                                 
こちらの名物はこのお菓子。「麦代餅(むぎてもち)」というもので、柔らかいお餅でアンコを包んだもの。
餅が凄く柔らかくてメチャメチャ美味しい(^ ^)

持ち帰りが普通だが、その餅の柔らかさが故に、賞味期限がごく短い。ので、店内ですぐさま味わうことができるよう茶屋形式になっている。

年代物の町家の座敷で頂く麦代餅、ただ1個(笑
一緒に出された煎茶が、これまたすげー美味しいのだ。(湯呑みはなぜか高山寺の名入りで鳥獣戯画の挿絵)

麦代餅1個で至福の時を過ごしてしまった。

店の裏手にそこそこ広い駐車場もあるので、桂離宮を訪れた際は、休憩がてらに是非訪れたい店だ。
 
次はいきなり東山方面へ
 
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