またしても京都である。 ツーレポにするにはいかがなものか?という葛藤に襲われつつも作成した、昨年正月の京都レポ。自分では結構気に入っているのである。 そんな感覚がまだ心の中に潜んでいるうちに、京都ツーリング第2弾の決行を計画した。 前回は「私的趣好寺院図鑑」と副題を打った通り、お寺をメインに構成された旅だった。 |
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あと、前回はほとんど登場しなかったエス君ですが(^_^;)、今回は活躍してます。 ・・・・・・・・ さてさて、時は桜のつぼみもまだ堅い3月のとある週末。早朝の高速道路を一路京都へ。 |
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京の桂川の畔、街からは完全に外れた場所にある元皇族のお屋敷が桂離宮。 江戸時代初期に造営された桂離宮は、日本建築の美しさを世界に知らしめしたとして非常に有名なのである。 |
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そんなに思い続けていたのなら、なぜ今まで来たことがなかったのか。 桂離宮はその名からして、皇族の住まいだった場所。現在は住居として使われていないが、敷地も建物も宮内庁の管轄になっており、自由に出入りすることができないのだ。 |
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今回は京都に行くことが決まった直後から桂離宮に行く!という気になってたので、その面倒臭い手続きをクリアして拝観切符を手に入れ、所定の時間に現地に赴いたというわけ。 最初の集合場所に行くまでに3度のチェック(厳重)、身分証明書まで提示してようやく敷地内の人に。 |
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集合した拝観者はざっと30名くらいか。平日の午前だから空いていると思ったら大違いだった。。中には外国人も数名。世界遺産でもなんでもない上、京都市街からこんなに外れているのに、国際的知名度はやっぱりあるらしい。 この大人数を引き連れて、宮内庁のガイドが敷地内を決められたコースに沿って歩いていく。 |
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こんなカンジ。(右端の人がガイド)→→→ 毎日毎日決まった時間ごとに同じ説明をしているから、まったく滞りなくアドリブもなく、きっちり必要な説明だけを行っていく。若いのに、とても雅な口調で。(さすが宮内庁) 事前に桂について少しは勉強しておいたのでガイドさんの話す内容は程々に聞いて、とにかく建築と庭園とを存分に味おうと試みる。 |
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ゆっくり写真を撮る余裕もなく、次のポイントへ移動が始まってしまう。居残って人のいない風景を撮影しようにも、集団の最後尾には皇宮警察が目を光らせ、早く進めと無言の圧力をかけてくる。 広い敷地内を、たった1時間で見学させようとしているのだから、その辺からして無理がある。 |
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・・・・などと文句ばかり言ってても仕方無い。せっかく桂離宮に来れたのだから、限られた時間の中で楽しんでみようじゃないか。 | ||||||||||||||||||||||||
この桂離宮、造営は江戸時代初期、後陽成天皇の弟、八条宮智仁親王が別荘として造営を始めたのが発端。親王が存命の間に完成を見ることはなかったが、二代智忠親王が意思を継ぎ、ほぼ今の離宮の状態になったと言われ、完成まで約40〜50年ほどかかっている。 当初は一皇族の住まいに過ぎなかった桂離宮。その建築的な価値が決定的に知れ渡ったきっかけが、ドイツの建築家ブルーノ・タウトによる「再発見」だ。 |
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外国人によって評価されて、気が付いたようにもてはやすなんて、と思うフシも無くは無いが、案外、第三者から見た評価は公平なもの。 それを自分なりに判断する意味でも今回桂を訪れているのだが、何せ状況が悪過ぎた。 |
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・・・また不満が口を出てしまった。。 庭園をぐるっと歩いてきて、辿り着いたのが右の写真の建物「松琴亭」。離宮の母屋とは別に、こういう離れが庭園中央の池を取り囲むように点在しているのだ。 母屋である書院から庭園を散策したり、池で船遊びをしたり、とかいう当時の皇族のお遊びの舞台なわけで。 |
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開放的な室内の上に覆い被さる重量感たっぷりの屋根。 ←写真の左奥の三畳間は、にじり口もある茶室。手前の一の間、二の間も、まー使うと言えば、目の前の池の景色でも眺めるくらいなもんだろうけど、そんな実益の無さが、結果的にこの小さな建築の価値を形成しているのかもしれない。 |
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この松琴亭で最も驚かされるのが、この床の間と襖の意匠。 松琴亭が建築されたのは江戸時代初期。その時代にこんなモダンな意匠を考案して採用するとは。。。 |
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この市松模様は和紙の張り合わせ。くすんだ青と白との組み合わせだが、これはオリジナルの色ではないそうだ。もちろん造営当初からの意匠ではあるが、開放的な造りによって色ハゲしてるらしい。 なんせオリジナルは、ラピスラズリから取り出したような、目にも鮮やかなblueだったんだから。。。(写真集等で見れます) |
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その他にも様々な部分で数寄屋ワールドが広がる。 寺社仏閣では出会うことのない、片意地張らない奔放な空間がここにはある。 |
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松琴亭を後にし、また庭園内を飛び石伝いに歩いていくと、今度は「賞花亭」という東屋のような小さな建物に辿り着く。 2方の壁に屋根が乗っただけのような簡素な建物は、北に向いて避暑のために使ったらしい。 桂離宮の庭園は、それだけでも素晴らしい美的感性に溢れたものだったが、その姿を決して一望の元に曝け出すことをしないのだ。 |
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離宮内の広大な庭園と散在する建築群は、ひとつの空間の中で、全てを計算し尽くした状態で計画、造営していることに気が付く。 庭園の木々や石の数々全てに至るまで、しっかりと手を入れることによる徹底した美しさはもちろん素晴らしかったが、桂の庭園の素晴らしさの本質は、まさにそこにあるような気がするのだ。 |
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向かい合う書院も、何だかイマイチ見えなかったりする。 全てを曝け出して権威的に見せるのもひとつの形式だが、ちょっとずつチラ見せする思わせぶりな空間展開が繊細で、実に日本人らしい美的感覚だなぁと思うのだ。だから海外でも評価されるんだろうな。 |
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持仏堂である園林堂前で、池を跨ぐ。 ちなみに手前にあるような飛び石で、庭園内の周遊路は構成されていて、その数、忘れちゃったけど(汗)、相当な数が存在するとか。。 |
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さっきの松琴亭級の存在感を持つ茶屋がまた現れた。池の周りに次々と姿を現す建築。その展開は実に飽きない。 こちらには「笑意軒」ていう名前がついてるらしい。 この角度と距離から見るとよくわかるけど、農家の建物をイメージした茶屋なのだそうな。 |
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縁側上部の壁面には、丸い下地窓が付いている。 よーく見ると、ひとつひとつ意匠が異なってたりする。その他にもちょっとした遊び心が詰まったとても面白い建築。 |
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実際に当時の「遊び場」だったわけで。八条宮家の人々は、ここで一体どんな話をしてたのかな。 | ||||||||||||||||||||||||
笑意軒を離れると、いよいよ書院へと集団は進んでいく。 桂離宮の母屋に当たり、最も大きな建物がこの書院。これまでの建物が庭園の中の茶屋だったのに対して、こちらは住居だから大きいのも当然。 ただ、一部増築による棟もあって、最初からこの形態だったわけではないようだ。 |
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手前から、中書院、楽器の間、新御殿。写真には写っていないけど、更に手前には古書院がある。 桂離宮の書院の形態を味わう上で注目してしまうのが、これら各棟の配置だ。 いわゆる「雁行形」と呼ばれる平面計画の、最も典型的な例なのだ。 |
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建物を雁行することによって、各部屋に対して通風や眺望を確保する効果がある。 古書院の正面から折り重なるように配される様は、部屋からの眺望以上に、実に優美な建築美が展開している。 |
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とにかく残念なのが、この最も期待していた建築である書院の中に入れないことだ。 貴重な遺構で皇族の住まいだったことは理解できるが、何とか外からでも見ることができるように解放してほしかったのだが、障子は閉め切っているし、見学ルートは決まってるし、加えてガイドもあっさりとしたもので、じっくり堪能するにはあまりにも条件が悪過ぎた。 |
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上の写真が庭園に向かって最も突き出した古書院だが、その正面には竹で編まれた「月見台」がある。広縁から池に向かって突き出しているようにも見え、台に座ると(もちろん座れませんが)まるで桟橋にでも腰掛けているような眺望の仕掛けを体感することになる。 この「月見台」はその名の通り、夏の夜に月を眺めながら過ごす為にある、何とも風流な設えなのである。 |
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そしてもうひとつの月への仕掛けが、書院の脇の池の畔に建つ「月波楼」だ。 書院の月見台同様、あたかも池に浮かんでいるかのような感覚を狙った造りになっている。 さすがは「月の桂」である。 |
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月波楼は数寄屋度満点。 屋根を支える梁に皮付きの材を使ったり、1本だけ自然の曲げ木を配したり。遊び心が詰まった構成が、数寄屋風情を存分に醸し出している。 |
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襖には、秋の風情を連想させる柄の唐紙が張ってある。 桂離宮の、特に見ることのできない書院内部の表具には、京唐紙が使用してあるという。 桂離宮は昭和50年代から平成初期にかけて大修理を行っているが、その際にはしっかりと京唐紙を使用して復元している。 そのような意味でも、唐長さんが継ぐ京唐紙の文化を、微力ながらも応援したいと思って、前回も店へ足を運んでいたわけなのだ。 |
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月波楼の後、御輿寄を通って、園内の見学は終了した。 しかし、庭園内を歩き続けながら建物を見て回ったので、あっという間だった。 |
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恋い焦がれてようやく辿り着いた桂離宮。 ただ、特に美しい住居建築として名高い書院を十分堪能できなかったのは、本当に残念だった。その一点だけで不完全燃焼。心に何か大きなものをつっかえたまま、立ち去らなければならないという結果になったというのが正直なところだ。 比類無き庭園の美しさを堪能するには十分。しかし、建築を堪能するには、書院という重要な存在をほとんどすっ飛ばしてしまわざるをえない見学コースなので、建築を楽しみにしていくと・・・・ 日本建築の最高峰と謳われることもある桂離宮。 【桂離宮】 ・・・・・・・ |
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御菓子司 中村軒 桂離宮の正門側(八条通沿い)に、老舗の菓子屋がある。 |
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こちらの名物はこのお菓子。「麦代餅(むぎてもち)」というもので、柔らかいお餅でアンコを包んだもの。 餅が凄く柔らかくてメチャメチャ美味しい(^ ^) |
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持ち帰りが普通だが、その餅の柔らかさが故に、賞味期限がごく短い。ので、店内ですぐさま味わうことができるよう茶屋形式になっている。 年代物の町家の座敷で頂く麦代餅、ただ1個(笑 麦代餅1個で至福の時を過ごしてしまった。 |
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店の裏手にそこそこ広い駐車場もあるので、桂離宮を訪れた際は、休憩がてらに是非訪れたい店だ。 | ||||||||||||||||||||||||
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