四国2009 〜四国西部・山河海街を走り尽くす旅
 
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6日目 sixth day

翌朝、ペンションの窓から瀬戸内海を眺める。
昨夜も雨が降ったようだ。そして今朝も、雨こそ落ちていないものの分厚い雲が、牛窓の海の上を覆っている。

日本のエーゲ海などと模される牛窓。
瀬戸内海を地中海に見立てた景観からくるイメージで、ちょっとしたリゾート的雰囲気を持つエリアのようだ。

   

宿をチェックアウトし、とりあえず牛窓ヨットハーバーに来てみた。

地中海的景観が自慢ていうくらいの牛窓のヨットハーバーだから、感動的なヨットと海の風景と、我が相棒S2000とのコラボレーションショットをゲットできると思ったんだけど・・・

 

天気がイマイチ過ぎて、さっぱりな絵にしかならなかった。。(- -;

しかもヨット整備中により部外者立ち入り禁止とのことで、クルマはおろか自身も近寄れずで、ただ単に指くわえて見てるだけのスポットだったのには、ちとがっかり。。

 
         

ヨットの形したビジターセンターのような建物のデッキから眺めることくらいしかできず。

停泊中のヨットは、どれも帆を張っていないので、何だかよくわからない。
まぁ停泊中だから当然なんだろうけど。

   

でも見ようによっちゃ結構カッコいいですね。
流線型のボディがどこか未来の乗り物的だし、お尻がスパッと切れてるとこなんか、コルベットや昔のアルファみたいなスポーツカーを連想させるし。

天気が良けりゃ、ペンションのレクリエーションで、クルージングできたりするプログラムもあるみたい。

 
       
               

ヨットハーバを離れて、フェリー乗り場周辺に来てみた。
この辺りが牛窓の中心的エリアのようで、割と観光地然としている。

しかし、一本内陸側の道に入り込むと、そこにはちょっとした古い町並みがあるようだ。

一昨日から町並み探索のオンパレードになってる今回のツーリング。もう結構お腹いっぱいなんだけど(^ ^;;

 
                 

幸い笑)割と小粒だった。

言われてみると、結構情緒ありますね、っていうくらい。まぁ大洲、内子、鞆って見てきた後だからってのはありますが。。。

それでも、「エーゲ海」的なイメージのすぐ裏手に、純日本風の町並みが残ってるのは、ギャップがあって面白いかも。

           

あと牛窓で気になるスポットと言えば、オリーブロードなる展望道路。
牛窓では随一のドライブスポットとして紹介されていて、高台に登るルートはそれなりのワインディングを連想させる。

向かってみたら、ワインディングと言うにはかなり微妙で、、わざわざ走りに行くとこなのか?と思うほど距離も短かった。。

 
                             

展望は確かになかなかのものだった。
先程訪れたヨットハーバー方面を眺めると、その頭上には大きなリゾートホテルが海を見下ろしていた。泊まったペンションはその向こうの半島の先端にあった。

さて、天気も好転しそうにないので、牛窓を後にすることにする。
本日は旅の最終日、いいとこで切り上げて、東京に帰らなければならない。

 
           
県道39号を走って、邑久ICから岡山ブルーラインへ。
最近まで有料道路だった観光道路なので、信号のない快走路。
途中道の駅に寄って土産品を物色したりしつつ、備前ICで国道250号へ。
R250を走ったのは一瞬で、すぐに県道361号にスイッチし、真っ直ぐ北の方向に向かう。
国道2号を横断し、山陽自動車道を潜ると、今回最後の目的地として考えていた、ある歴史的スポットに着く。
       

旧閑谷学校

1670年、岡山藩主池田光政が設置した藩校。庶民を対象にした学校建築としては、現存する中では世界最古とも言われる。

静かな備前の国の山間に、ひっそりとして時を刻み続ける校舎と校庭の空間を楽しみにしていた。

国道2号からほとんど目印も無く、また周囲に目立った観光地があるわけでもない。
強いて言えば、ここから更に山奥へと入っていくと、F1も開催されたことがある岡山国際サーキット(TI)があるので、知ってる人は知っている!?
 
入場料300円を払って「校庭」に入ると、「校舎」は敷地内に点在していた。手前から順番に行くと、まずは閑谷神社。学校の創始者池田光政が祀られている。

閑谷学校の瓦は全て備前焼でできている。
赤紫色の金属質な質感が独特。焼き物なので、ひとつひとつ焼き色も形状も微妙に異なっている。

 
 

神社の隣には、塀を隔てて聖廟がある。
閑谷学校は儒学を教える所だったので、聖廟内部には孔子像が祀られている。

 
 

しかし閑谷学校で中心になるのは何と言っても「講堂」である。
閑谷神社と聖廟の全面の広大な芝生の広場に、備前焼の瓦が敷き詰められた入母屋造の大屋根を被った流麗な木造建築が映える。

特別大きな建築ではないが、その端正なフォルムに心奪われる。
手前の広場と背景の森の木々の色合いと、一粒ごとに個性豊かな色彩を見せる備前焼の瓦とのコントラストもまた美しい。

お寺のお堂のようにも見える外観。
実際内部は、四方縁側状の廊下に囲まれた広間があるだけの単純な建築だが、教室のために造られた列記とした学校建築。

閑谷学校の建築群の中では、唯一この講堂が国宝指定を受けている。(学校建築としては全国唯一)

学校だけに、装飾も無く質素な構成だが、それが却って日本的な美意識を強く感じる所以でもあるような気がする。

閑谷学校は藩直営の学校として、藩主池田光政が重臣の津田永忠に命じて創設。着手から32年もの歳月を要して、学校全体がようやく完成。以後、武士の子弟のみならず、庶民や他藩の子弟の学びの場として歴史を重ねてきた。
「学びたい者誰もが学べる学校」というコンセプトは、非常に画期的だったのではないだろうか。

板の間の講堂には凛とした雰囲気が漂う。

教師が座る位置には、教本を乗せる台が置かれ、その目の前には柱の無い大広間。ここに当時の学生が整然と並んで正座し、講釈に耳を傾けたのだろう。

講堂の床も柱も、これでもかというほど艶やかに磨き込まれている。特に床はまるで鏡のごとく照り輝いていて、窓から漏れる外の景色を写し出している。閑谷学校は紅葉の名所でもあるが、その時期には聖廟前のカイの木が美しく紅葉した姿が講堂の床に写し出されるそうだ。

ここまで美しく手を入れ続けたのは他ならぬ生徒たちであり、江戸時代から現在に至るまで、その精神を吹き込んだ結晶がこの床であり柱なのである。モノを大切にしようとか、そういった今では当たり前のことを教え実践してきた結果が、ここに現出しているとも言える。

その開学の精神、学びの尊さを伝える空間性の他にも、閑谷学校には技術的文化的に非常に興味深い建造物がもうひとつある。

それが敷地内を走るこの石塀だ。

塀の上端部の角を丸く落とした外観は、一目見て特異なものと気が付く。角の丸い石塀が一直線に続く景観は、ここ閑谷学校でしか見られない景観であると言っても過言ではない。

切り込み接ぎ式と呼ばれる石積みはとにかく精巧で、目を凝らしてその直線性を疑ってみても、気になるズレは一切無し。石の割れ目から雑草すら生えていない。

 
 
敷地周囲に巡らされた石塀の総延長は、約765m。1701年にようやく完成とか。。あまりに精巧な石積みと加工技術に度肝を抜かれる。自然の形態が残る素材を、ここまで幾何学的に処理してしまうセンスと技術に敬服する。

講堂の西側には、学舎跡がある。学舎とは寮のこと。閑谷学校は全寮制だった。
その学舎と講堂の間には、火除山という築山がある。これは一種の防火壁で、生活の場として火の元となる学舎と学びの場である講堂とを、意図的に防災上隔離しているのだ。

創始者の池田光政が津田永忠に学校造営を命じる際、後世までも廃れさす事の無いようにしろ、と付け加えたことから、木造建築の最大の的である火災に対して相当の配慮を行ったとされる。火除山はその顕著な例なのだ。

   

その学舎跡には、明治期のレトロな建築物(旧私立閑谷中学校)があって、閑谷学校の資料館になっている。
当然ながら覗いてみたが、かなり盛りだくさんの内容だったが、必見、というほどでもないかな。。

閑谷学校はやっぱり、現物見て何を感じるか、だね。

学校の敷地から少し離れた所に、「黄葉亭」という小さな茶室のような建築が遺されている。

閑谷側に張り出すこの風流な建築は、来客の接待や、教職員や生徒の憩いのために1813年に建築されたという。

学校からは結構離れているので、ここまで見学に来る人は誰もいなかった。

閑谷学校を訪れ、心に深く残ったのはやはり講堂の建築である。
周囲の景観に溶け込んだ存在である上、それ自体を構成するエレメントによって地域性豊かな表情を形成していること、内部に潜む精神性など、見て感じる部分は非常に多かった。

石塀のデザインと技術の調和も素晴らしい。総じて、閑谷学校にはここにしかない独特の空間を感じることができる。
ここに訪れなければ感じることのできないものがある。旅することで得られる貴重な何かが潜んでいた、素晴らしいスポットだった。

   

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閑谷学校が今回のツーリングラストってことにしてたので、あとは東京向けて帰るだけ。国道2号に戻ってちょっと走るとすぐに山陽道備前IC。・・・の入口で給油済ましてから高速上へ。
福石PAで昼飯を済まし、あとはひたすら東進。

15:30頃、中国道宝塚IC付近でいつもの渋滞。
それを抜けて名神、京滋バイパス経由で新名神へ。

 
新名神に入ったら土砂降りになった。
この先の土山SAで休憩&最後の給油。
 

新名神から東名阪、伊勢湾岸道。
豊田JCTで東名に合流する所でも、いつもの渋滞。まぁいつでも混んでるとこなので仕方ない。連休最終日だし。

東名はいつもの混みっぷりだったけど、そこはロングツーリングの充実感と、最後までしっかり走ってまとめあげて、良いツーリングになるという(小学生の遠足みたいな)コンセプトのもと、しっかりステアリングをさばいて東京に帰還した。

   

そんな感じで、2009年GWの四国ツーリングは終了。
思い返してみると、かなり天気に恵まれないロングツーリングだった(^ ^;

前半は要所で晴れてて気持ちヨカッタし、絵も印象良く写ってるけど、中盤から後半にかけてはほとんど晴れ間無しの状態だったので、絵はドス暗くなってしまってちょっと印象悪いかもしれない。
まぁ天気だけはどうしようもないわけで。。

天気もさることながら、ツーリングの内容も前半と後半で、かなり雰囲気が異なるツーリングになった。
なんとなくルート設定した時点でその傾向はわかってたはずなのだが、実際こうやって思い返してみるとより鮮明に。。
前半は積極的に(!?)狭路に攻め込むなど、アグレッシブなワインディングツーリングになったけど、後半は町並み散策連発で、走るシーンは相対的に少なくなっている。

これ、天気が悪いから意図的にそうしたんじゃなく、ルート上勝手にそうなっただけ。
前半天気良く=ワインディング、後半天気悪く=歩きメイン、っていう図式は、ホントたまたまです(^ ^;;

でも結果的には良かったんじゃないかなぁ。
ロングツーリングだし、いろんな体験できた方が旅の奥行きも広がって、後に残るしね。

今回の総走行距離は2607.8km。平均燃費は11.96km/l
まぁそんなもんでしょう。

 

四国は自分の中では九州への通過点的な位置付けが長く続いたが、再度見つめ直して訪れて、本当に良かった気がした。
ある程度年数が経っていれば、感じることも違うし趣向も異なっていて当たり前である。6年前にこのルートを辿ったとしても、全く同じ感じ方をしたとは思えない。

行ったことがあるからもういい、という感覚は、僕のツールングライフの中ではあり得ないことなのである。
そこが魅力的だったという一端の感情が湧いたという事実がある限り、またいつか訪れることは約束されたようなもの。
そんな旅ができる自分はハッピーだと、心底思うのである。

 

おしまい

   
5日目 / Touring S2000