
前述の「繭の塔」には、そのまんま「コクーンタワー」という呼び名が付いている。
見るからに複雑な造形の印象があるけれど、これが実はすごくシンプルな発想に基づいている。
まず目を引く表皮の絹糸が絡み付くような無数の白い帯だが、近くから見るとわかるように、実は規則的な格子状の網目があって、そこにランダムに帯が張り付いている。
この規則的な格子は、このビルの骨格の一部を為している構造体。ランダムの帯は、ガラス面に貼られたグラフィックだ。
そしてこのビルの奇妙な形状だが、真上から見ると、実にシンプルなカタチをしている。
センターコアの構造体に、先程の格子状のフレームが3方から頂上で寄り添い合い、フレームとフレームの隙間は、ガラスのカーテンウォールで埋められている。
単純に言えばそれだけで説明がついてしまうほどの簡潔さなのだ。
それでいてこれだけの造形が創れてしまっていることが、とにかく素晴らしい。建物を平面に解くと、その凄さがよくわかる。
その理路整然としたシンプルな造形により、都市のシンボルとしての魅力的な形態を生み出す。シンプルな形態は、常に美的感覚の琴線に触れる。
生み出された時代は違えど、西新宿の主である東京都庁舎と同様の魅力が備わっていた。
一見まったく異なる雰囲気の両建築だが、シンプルな構成要素によるシンボリックな造形っていう面での完成度と魅力は、どちらの建築も群を抜いている。
ちなみに両建築とも実は同じ丹下事務所の設計によるもの。
ただ、都庁舎が巨匠丹下健三晩年の代表作なのに対し、コクーンタワーは息子丹下憲孝率いる第二世代丹下事務所の作品。
その事実抜きにしても似たような評価になったと思うが、何となく受け継がれたDNA的なものを感じざるにはいられないのだ。

白銀台から外苑西通りを端まで走破して、靖国通りで新宿へ。
セレブな街並から一転、都会の象徴とも言える高層ビル群の風景に惹かれるように、西新宿の街区へと寄り道。
都庁前のパーキングにエスを停めて、超高層ビルという巨木の森に繰り出した。
強烈なビル風に身をさらしながら歩いていくと、一際目を引く1本のビルが。。
新宿の高層ビル群に出現した「繭(まゆ)」=コクーン。
比較的古参の超高層が多い西新宿の中にあって抜群の存在感。
見たこともない形態と強烈な表皮のビジュアルが感性を刺激する・・


庭園美術館のお隣は白金台。
目黒通から分岐する外苑西通の白金台周辺は、通称「プラチナ通り」と呼ぶとか。
その響きからして、ワタクシのような人間にはまったく縁のない街であろうことは容易に想像できるのであるが・・・(- -;
興味本位でクルマを停めてみる。日曜日の通りは路上駐車帯も休止中らしい。空いていればラッキー。
オサレ〜なカフェやらショップが行儀良く立ち並ぶ様は、さすがセレブな街。

不思議なのは真昼間にも関わらず、たいして人通りもなく、店の中も閑散としていることだ。
セレブとは、わざわざ休日にランチには出掛けないものらしい。。

土曜日は爆弾低気圧によってさながら冬の嵐でしたが、日曜日は雨雲も消え去って、雲ひとつない快晴に見舞われました。
そんな冬の休日にエスで訪れたのは、目黒にある庭園美術館です。近所に用事があったので、その足でついでに来てみた次第。
元々は皇族の邸宅(朝香宮邸)だった建物を、美術館として利用しているのが庭園美術館。
一見素っ気ない外観ですが、中は当時のフランス人デザイナーによるアール・デコ様式の内装が色濃く残されているのが特徴。当時の宮内省の設計部隊による洋館建築とのコラボレートが魅力的。内部を彩る装飾には、機械的で幾何学的な線とリズムを感じます。
服飾芸術の企画展が催されていましたが、内装ばっかり見てました(^ ^;
たまにある建物公開の時(純粋に建築だけを見学することができる)に行った方がいいかも。

庭園美術館というからには、広大な庭園が建物にくっついている、というのは事実でしたが、、思ったより素晴らしくはなかったなー・・・
言うほど広くないし、首都高や目黒通の騒音が気になって。。
せめてもう少し暖かい時期に来た方がいいかもしれないっすね。
2009年1月27日、ホンダから正式にS2000生産終了のアナウンスがありました。
モデル末期だと誰もが噂していただけに、今ここで生産を終えることについては、正直全く驚きませんでした。まぁ、来るべきときが遂に来たか、というくらいでしょうか。
正確には6月末で生産終了とのことで、結構猶予があるので、新車で欲しい人はすぐさま購入計画を具体化してほしいですね。
普通のモデルだと、こういう時には「モデルチェンジ予定」と出るはず。「生産終了」ということはつまり、後継車種が無いことを意味してます。
つまりS2000はこれで最後。同名でいつか復活する可能性は無いことは無いけど、このコンセプトを維持できる可能性は非常に低いと思います。
このパッケージングと性能こそがS2000だ!と思える僕みたいな人には、ぜひとも急いでもらいたいですね。
元を正せばS2000というクルマは、ホンダの創立50周年記念車でした。
SSMというコンセプトモデルから端を発していますが、1998年、創立50年という節目に、ホンダが初めて販売した四輪車S500やその後継のS600、S800といったオープンスポーツの現代版、そして50周年記念に相応しいモデルとして、もてぎで行われた50周年感謝祭で正式に発表されたという華々しい経歴を持つクルマがS2000でした。
翌年4月に販売開始。ワングレード、6MTのみで338万円という価格は2リッターのスポーツカーとしては当時非常に高価でしたが、その異常な回転域を常用として許容したエンジンと、満を持してホンダが送り出したFR駆動の車体性能、加えて爽快なオープンドライブが共存している世界観は、価格云々の世界ではないことをすぐに理解させてくれました。
それでも当時の僕にとっては完全に高嶺の花で、NSXと同類の高級スポーツカーであり、乗れるわけがないと思い込んでいた夢の中のクルマでしたね。
今でも覚えてますが、学生当時、中国道を広島に向かっている時にぶち抜かれた時が、最初にS2000を目の当たりにした時です。あの時の甲高い排気音は、しばらく耳について離れませんでした。
熱狂的な歓迎を受けつつも、販売台数がそれに繋がらなかったのは、今やスポーツカーの宿命ですから仕方無いですね。それ以上にS2000は、ホンダのイメージに大きく貢献してたと思います。それだけで存在価値があった。
忘れてならないのは、S2000は常に進化し続けていたということ。これは、初めからかなりしっかりした基本骨格を持たせていたからこそ可能だったことです。
最初のビッグマイナーは02モデルで、ライトの意匠変更とガラス幌への変更。ジオーレというジェントルなお洒落モデルもありました。
次の04モデルでは、ガラッと外観の雰囲気が変わりました。そっちに目がいきがちですが、実は運動性能に関わる部分もかなり手が入れられていて、まさに熟成という過程が明確になった時でしたね。僕のエスは、この04Mの末期モデルになります。
05年秋にエンジンが変わりました、2.2リッターのF22Cとギヤレシオの変更、ドライブバイワイヤの採用で実用性を補ってきましたが、当時は賛否両論が熱く飛び交いましたね。性能的には正常進化なんでしょうけど、古典的スポーツカーの魂みたいな部分で、マイナー前モデルが逆に見直された時期でもありました。
そして07年にはタイプSが追加。事実上これが最後のスペシャルモデル、ということになりました。
S2000発売から今年でちょうど10年が経過します。
10年前に憧れ、夢の中のクルマだと思ってたS2000が、今は自分の愛車になっている。わからないもんですが、それが故に、10年という時間の重みを感じます。
最近、ホンダには批判的な感情が多いのが事実(頑張ってほしいからですよ)ですが、こと今回の決定に関しては、「よく10年も作り続けてくれた」と拍手を送りたい気分です。
この時代に極端に趣味性が高いクルマが10年も姿を大きく変えないまま生きながらえたことは奇跡、とまでは言わないにしろ、相当すごいことだったのではないかと。。(20世紀のクルマが今だに新車で売られていたわけで・・)
専用エンジン、専用ミッション、専用シャシーと、あらゆるものがこのクルマだけに開発されたという国産では類を見ないほど性能本位のスポーツカーだったS2000。コンセプトはそれだけでは語れませんが、同じようなコンセプトを引っさげた後継を出すことは、今のご時世ではムリでしょう。
だから安易にS2000を名乗る後継車種は出てきてほしくありません。似たようなオープンスポーツがホンダから出てきたとしても、それはS2000には非ず。S2000は世紀を跨いで市販された、運動性能求めんがために突き詰めて開発されつつも、僕らのような単なるクルマ好きにも身近な存在になり得た類稀なるクルマ。そのイメージは簡単に崩れそうにはないので、このままメーカー生産を静かに終えて、ゆっくりと伝説となる道を歩んでいってほしい。そう思っています。
生産は終わりますが、終わってからもユーザーの手元にはまだまだ元気なS2000が残ります。手に入れたければ、中古市場を覗けばまだ程度のいい一台が見つかる状況にあります。大事に乗れば、いつまでもそのドライビングを楽しめると思います。
S2000の10年の軌跡、いつかそれは「奇跡」として語り継がれていく。そんな気がするし、そうなってほしいな。
ひとりのオーナーとしてその「奇跡」に関わり、今まで、そしてここからの伝説に携わっていくことを楽しみにしています。