中国山地横断Touring


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2日目

湯の瀬温泉郷キャンプ場は、シンプルながらも居心地のいい野営場だった。夏になると、蛍の乱舞が同時に楽しめるらしい。
今時期はまだ、朝は冷え込む。フライシートには盛大に朝露が張り付き、早朝出発を旨とするためにテントの乾燥を待てないロングツアラーにはつらいところである。

キャンプ場出発はやや遅めの7時過ぎ。この後、備中高梁にて町歩きを楽しもうと考えていたので、その辺りを考慮しての時間操作だ。

昨日ここまで来るために走った県道とR429を戻り、さらに広域農道まで舞い戻る。
昨日の農道の続きを走り、有漢を経由して県道49号、国道313号へと抜けるルートを選択している。

相変わらずこの広域農道は、地形に忠実にアップダウンを繰り返すダイナミックなワインディングだ。農道という位置付けとは裏腹に、ドライビングがすこぶる楽しい。

朝の準備運動がてらエンジンを回して、大胆にかつ小気味良くリアルオープンスポーツS2000を駆る。
マシンは嬉々としてコーナーに飛び込み、有り余った力をここぞとばかりに放出するかのように、次のストレートに向かって加速していく。

どこを走っても楽しく、どこから眺めて惚れ惚れする(^ ^;)のがエスの美点だが、ロングツーリング中にこういうステージで思い切りドライビングを楽しむというシチュエーションも、もちろん例外ではない。多少荷物でリアが重かろうと、基本的な運動性能は変わらないし、何と言っても遠くへ来ているという単純な旅情が、ヨロコビを増幅させてくれるのである。

                         
                         

有漢で岡山自動車道の下をくぐり、県道にスイッチ。

道路脇には、やたらと「瓦」の存在が目立った。確か道端に「大崎瓦」とか書いてあったような記憶があるが。。。
誰? >>>

R313に入ると間もなく、備中高梁の町に入る。
今回の旅を企画するまで、その存在はほとんど知らないに等しかった町だ。

                       

高梁は岡山県下の小京都として有名な城下町で、備中松山城は日本で一番標高の高い場所にある天守閣だかなんだかなのだそうである。

お城より町並みや古い建物に興味のある自分なので、町の中心辺りで国道沿いに見付けた観光駐車場にエスを停め、しばしの町並み探索と洒落込むことにした。

                       
                       

備中高梁

正直何があるのかほとんど知らずに訪れた高梁。唯一、頼久寺というお寺は拝観すべしと考えていた。

その他については、駐車場の管理人から丁寧な説明を受けたおかげで、見て歩きたいルートが瞬間的に理解できた。

 
 

まずは町の中心を流れる紺屋川に訪れる。

適度に修景された、町中の小さな清流。

その両側に細い道路が通っていてクルマも通るので、落ち着いて散策できる雰囲気とは言い難い。
川の雰囲気がとてもいい感じだけに惜しい。
       
小さな商店でパンを買って、川沿の切り株に腰掛けて食べた。まだ道歩く観光客の姿はない。
平日の朝の、生活感のある素の風景が心地いい。
       

頼久寺

紺屋川を上った先、JRの線路が走る目の前に、頼久寺の石段はあった。

城下町の由緒ある寺院であるとはいえ、山中の小さな地方都市にあるお寺である。それほど有名だとは思えないが、この寺に深く関わったある人物に興味があり、その存在が以前より気になっていたのだ。

 
             
石段を上っても、正面に山門はない。
一度クランクした位置に山門があるので、山門の下に立つと小高い丘から高梁の町並みと川の流れを一望できる。
この眺めを効果的に取り入れた配置なのだろう。爽やかに晴れた朝の空は、この上なく気持ち良く頭上に広がっていた。
山門から中に入ると、左手に薬師堂、正面に本堂、右手に庫裡。意外に狭い敷地内にキュッと詰まって並んでいる。
       

境内の雰囲気をひとしきり堪能した後、庫裡から建物の中に入った。

ここまで全然人の気配がなかったので、ホントに拝観受け付けてるのかなと心配になるとこだったが、中にはたまたま住職らしきお坊さんがいて、中へと導いてくれた。

       

頼久寺に訪れた目的は、ズバリ庭園である。

頼久寺は禅寺であり、枯山水の庭園が設えてあるのだが、この庭園は江戸初期の大名である小堀遠州の設計によるものとされている。

小堀遠州は建築造園関係では、半ば伝説的な歴史上の人物で、多くの文化的功績を遺していると言われるにもかかわらず、直接手がけたという確証のある遺構は少ない。
そんな状況で、頼久寺庭園はかなりの高確率で小堀遠州が手がけたとされる庭園なのだ。

というのも、この高梁という町は小堀遠州が治めた時代があって、城(備中松山城)が戦乱で荒廃し住まいとして使用できない時期に、ここ頼久寺に住んでいたと言われる。

 
非常に縁の深い場所ゆえ、ちょうどその頃造られた庭園に関わったと考えるのが自然、ということなのだ。
       
       
それはそうと、庭園である。
枯山水にしてはダイナミックで、かなり具象的な印象だ。ちょうどサツキが咲く季節だったこともあって、質素ながらも華やかさを持ち合わせている。

中央の石、背後の巨石、手前の斜面のサツキの植え込み、すべてに意味があり、何かを表している。

極めつけは、背後に借景として取り入れられている愛宕山。
禅の精神と造園デザインが高度に結びついた枯山水庭園のエッセンスが、すべて散りばめられているかのよう。。。

静かに時間だけが流れている。

最初の数分だけ案内テープが流れていたが、それが終わった後は、ただ静寂だけが訪れた。

縁側に腰掛け、何も考えずにただ庭園に見入っていた。

日差しが差すと白砂利が目映いばかりの輝きを放ったが、陽が隠れるとまるで別物の景色を見ているかのように暗く陰の落ちた印象に変化した。

     
   

特にそのダイナミックさで目を引いたのが、サツキの大刈り込みだ。

大海の大波を表現するボリューム豊かな植え込みには、静的な枯山水庭園に躍動感を与えている。
茶人であり作庭家であり建築家でもあった小堀遠州が、時代の波に乗じて自由奔放に築庭したことが伺える。

   
 
       
   
 
       

旅が始まったばかりでいきなり歴史探訪の様相になってしまったが、、昨日の浄土寺といい、心に刻まれる空間に出会うことができて充実感を感じた。

ここ最近の京都ツーリング?の影響か、ロングツーリングでも無意識的に歴史的風景が織り込んでしまう。
でもそれは今や自分のスタイルの一部だし、旅を情緒的なものにするひとつのエッセンスなのだ。

エスというタイムマシンで、全国津々浦々の歴史と風情を垣間見る、それもツーリングの醍醐味のひとつだと思うのである。

                       
 
                       
       
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石火矢町ふるさと村

頼久寺を出て観光地図を頼りに歩いていく。線路沿いには、漆喰塗りの塀が連なる町並みが残っていた。

通りには見学できる武家屋敷もいくつか残っているようである。目を引いたのは、卵色の漆喰の家々。新築の家も真壁の外壁に卵色の漆喰が塗られ、町並みに上質感を付加している。

 

見学できるお屋敷に訪れてみた。
まずは旧埴原家と呼ばれる武家屋敷。やっぱり卵色の漆喰の外壁。
しかし中に入ると一転して、ベンガラの土壁が空間を支配していた。

                 

実はこの組み合わせ、昨年のちょうど今頃奮闘していた、1059デザインの民家改修でも用いた色調の組み合わせでもある。

いや別にこの家をモチーフにしたわけではない(ここに訪れるまでまったく知らなかったわけだし)のだが、その色調にこんなにも遠い町で再会したわけで、何とも言えない嬉しさがこみ上げてきた(^ ^;

障子で切り取られる庭の景色も美しい。

縁側から見ると別に大したことない庭なのだが、こうやって座敷の上座から眺めると、不思議と魅力的な空間に見える。もちろんこれは意図的なもの。全部見ちゃうのではなく、切り取られた部分だけを垣間見る、どこか禁欲的な世界観を美徳とするのが、日本独特の空間文化だと感じるのだ。

           
もうひとつ、旧折井家という武家屋敷も訪れたが、こっちはなんとなく貧乏武家みたいな(笑
きっと質素なだけだと思うが、まぁ少なくとも、江戸時代の武家が決して裕福ではなかったのがわかる。
部屋にはリアルな蝋人形が配置されていて、中にはセンサーで反応して動くのまであって、正直恐ろしい(笑
                           
武家屋敷通りを後にして散策を続ける。
 
       
 

武家屋敷通りを後にして散策を続ける。

今度は商家の町並みっぽい通りに出た。
この通りには、醤油の蔵元っぽい看板を掲げた古い建物をたくさん見かけた。

       
               
                                       
           

そんな通りでちょっとティータイム。

商家資料館の向かいにあった、ちょっとファンタジックな雰囲気のカフェで一休み。

   
                     

てことをしていたら、あっという間に昼前になってしまった。頼久寺でずいぶん長居してしまったからなぁ。

高梁にはもうひとつ、日本一高い所にある天守閣とやらで有名な備中松山城がある。
クルマで山をぐんぐん登っていってみることにしたが、途中の駐車場で止められて、この先はバスでしか行けません、とりあえず駐車料金払ってくださいと言われたので、時間もないことだし(なぜかお城にはあまり興味がないし)そのまま引き返すことにした。

町中にはあまり観光する人はいなかったにも関わらず、城の駐車場は既に満杯の様子だった。歴史ブームはお城に限るのだろうか。。

     
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高梁を出発し、国道180号を新見方面へと向かった。

そのまま行けば、井倉峡という景勝地を通るようだったが、交通量が多く、ダンプの後ろになることもしばしばだったので予定変更。県道85号に入って吹屋の集落を目指すことにした。

最初は快走2車線で気持ち良くコーナリングを繰り返していたが、深入りしていくと、いかにも山中の県道っぽく雰囲気は変化していった。
新緑を楽しみながらドライビング。吹屋ふるさと村まで○kmとか看板がマメに出てくる。
次なる目的地として選んだ吹屋は、高梁以上に町並みが楽しみなスポットなのである。
     
   

新緑の路をとことこ走っていると、突如として赤い外壁と屋根の集落が現れた。

明らかにそれまでとは違う風景の、突然の出現に驚いてしまった。
吹屋と言えば、い集落。それがいかほどのものか想像できずにいたのだが、あまりに突然の出現だったので鮮烈な印象を覚えた。(ふるさと村まで○kmより全然手前だったもんだから、不意打ちを食らってしまった)

 
     
     
    もう少し山の上の方へ走ると視界が開けて駐車スペースが現れたので、そこにエスを停めた。
道の先には赤い町並みが続いている。
 
     

吹屋

これが吹屋の集落か。
本当にい。ひたすらい家が連なっている。こんな町並み見たことないぞ。
赤い集落は山中に突如として現れる。町から遠く離れていて、宿場があるような街道沿いでもないのに、この町並みの連続は凄い。

吹屋は、かつてベンガラの産地として全国に名を馳せた鉱山町だった。
ベンガラとは、酸化第二鉄(Fe2O3)を主成分とした赤色顔料の一種。彩度が低いので錆色、褐色っぽい顔料として認知されている場合もあるけれど、赤い町並みの印象が鮮烈なので、敢えてベンガラ=という図式で伝えていこうと思う(^_^)

 
 

これほどの町並みが、何でもない山間に忽然と存在しているというのがまず驚きに値する。
ツーリングとしていつものように山中の集落を繋ぐ県道を走ってたら、いきなりこの赤い世界が待ち受けているのである。

吹屋は、吹屋銅山から産出された銅鉱の副産物であるローハを原料としたベンガラの、日本唯一の産地だった。
幕末から明治時代にかけて隆盛を極めて、ベンガラを使用した重厚な商家による現在のような町並みが形成されたのだ。
現在はさすがに鉱山は閉山してるし、ベンガラも天然モノでなくとも合成できるので、町自体はひっそりとしている。

産業都市としての役目を終えた町並みは荒廃していくものだが、かなり自然な雰囲気で往時の町並みを残している。

それどころか稀に建っている新しい家も、これでもかってほど赤い。それほど肩の力入れずに町並みを継承していこうっていう、わざとらしさのない感じがいい。

 
町並み散策を一旦外れて、吹屋小学校へとやってきた。
映画の中に出てきそうなレトロな木造校舎。何と現役の校舎だそうである。
教室は隣の新しい建物に入っているようだが、実際に学校の一部として使われている木造校舎としては、全国最古だとか。
 
校舎を見ていると、ついさっきまで晴れていたにもかかわらず、突然雨が落ちてきた。
空は雲がかかってはきていたけど、雨が降るような雰囲気じゃないにもかかわらず。
風に飛ばされてパラパラと落ちてくる程度の雨粒だったが、町並み散策に雨は厳しい。ちょうど小学校に行く途中にあった食堂で昼飯がてら雨宿りすることにした。
観光客向けとは言いがたいほどローカルな雰囲気満載の食堂には、ほとんど選べるメニューはなく(笑)、田舎そばとおにぎりを注文。しかしこれが美味かった!
 
近所のおばさんが何人かで切り盛りしてる感じだったが、手作り感抜群でサイコー。
素朴な味を堪能して外に出てみると、すっかり雨は上がって、元の日差しが戻っていた。
 

引き続き真っ赤っかな町並みを散策。
大きな商家があり、そこは見学ができるようになっていた。
ベンガラで財を成した商家は、こんな山間にあるのが不思議なくらい都会的で、驚きに値する。

中でも旧片山家住宅は、ベンガラ商家の最たるものとして重要文化財指定も受けていて、その巨大さ(広さ)は飽きれるほどだった。

   
200年近くもベンガラの生産販売を手がけた老舗には、ベンガラ蔵やら道具蔵やらを併せ持ち、何棟も奥深く連なっている。
仕事場は特に、ベンガラの粉で赤く(ピンク色っぽく)染まって美しい。
 
吹屋の町並みが赤いのは、漆喰にベンガラを混ぜているからだろう。
本来真っ白の漆喰にベンガラを混ぜると、美しいピンク色の漆喰になる。ムラができやすいけれど、それもまた味である。
       
赤い屋根は石州瓦によるもの。これはベンガラにはあんまり関係がない(と思う)。石州瓦は山陰の石見地方で生産される日本三大瓦のひとつで、この辺りの風景の特徴になる重要なエレメントである。
今回の旅の風景は、この石州瓦がひとつのキーワードとなるのだ。
                                   
 
町並み以外にも、吹屋には見所があった。
町並みから少し離れた場所にあるベンガラ館。ベンガラの生成工場を残した施設で、その生成過程が事細かに説明されている。
 
 
                         

それよりも、ベンガラ色の壁に囲まれた内部空間がやたらと美しい。

柔らかな光に照らし出された淡い赤の空間は、幻想的って表現してもいいくらい。

 
                                                   
 

もう1カ所。
吹屋の町から結構山道をウネウネ走ったところにある、広兼邸っていうお屋敷。

一目見て、なんだこれ、お城じゃん!っていうくらい、家の土台の石垣が物々しい。

中は入れず外回りを見るだけの見学ルートが残念だったが、これもベンガラで栄えた家の名残である。
 
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高梁に続いて吹屋も充分に堪能し、山間の幻想都市を後にする。
今日は2ヶ所も町並み散策してしまったので、それだけで時間が過ぎてしまった。この時点でほぼ15時。距離的にはほとんど進んでないこともあって、多少は移動しとこうと思った。
 

一旦県道33号に出て、次に県道50号を西へ進むことにした。それが吹屋から西に向かう一番適した道なような気がしたからだ。

吹屋周辺は、地図を見る限りではどこを走っても山道っぽい。それだけに、あんなとこにあれだけの町並みがあるっていうのが、まさに幻想的だ。あんなとこにあるからこそ、今も残ってるんだろうけど。

           

県道50号は、そのまま辿ると山を迂回していくので遠回りっぽかったので、途中で県道409号に折れた。

折れたって言っても、明確な表示があったわけではないので、ほとんど勘。県道50号の時点でかなり道は怪しかったので、3桁県道に入る案内なんて望むべくもなかったのだが。。

 
                         
 

さて、この県道409号ってのが曲者だった。

ツーリングマップルにはでっかく「東城街道」って書かれてるので、それなりにしっかりしたルートかと思いきや、ほとんど廃道なんじゃないかって荒れっぷり。
かろうじて舗装はしてあるものの、道幅はギリギリですれ違いはほとんど無理。路面には落ち葉やら木の枝が降り積もっていてワダチ状になっている。近年のツーリングでも稀に見る酷道、イヤ、険道である。

 
さすがにやっちまったか(一応S2000なので、オフロード?はあんまり走りたくないので・・)と思ったが、舗装はされてるし、どことなく道は通じてそう(この時点で県道を走ってるという自信は無し。完全に勘頼り)だったのでゆっくりと走行。
 
 
途中、結構大きな木の枝が床下に引っかかり、ズルズル引きずっても取れないので、一瞬道が広くなったところで停車して取り除く。
それでも荒れた道路は変化を見せず、それはようやく別の3桁県道313号にぶち当たるまで変わらなかった。

地図で確認すると、ここまで走った線形や交差点の形状からしても、一応予定のルートからは外れていなかったようである。勘は外れてはいなかったわけだ。ちょっと酷過ぎるぞ東城街道。
今回も結構いろんな道を走ったツーリングだったが、後から思えば、この道が最狂だったのは間違いない。

県道313号、県道50号を経て国道182号へ。この間、超平和。吹屋から東城に出るまで1時間近くかかってしまった。

 

岡山県から広島県に入って最初の町、東城では、東城温泉のリフレッシュプラザで入浴。何てことない日帰り入浴施設。

風呂上がりにコーヒー牛乳飲んで出発。
東城の町中にスーパーを発見したので、晩飯の調達をすることに。

本日のメニューはミネストローネ(の素による手抜きスープ)。缶ビールはモルツにした。今回のツーリングは毎回違う銘柄の缶ビールを飲むことが目標(笑

     
 

東城からは県道25号を快走。帝釈峡スコラ高原というリゾートにやってきた。
ここでキャンプ場の受付。「寒いですよ~」と釘を刺されたが、前日もキャンプしてるので想定内で問題ナシ、と高をくくってキャンプサイトへ。

受付からどえらい離れたサイトには、1組の家族がオートキャンプをしていただけで静かそのもの。クルマの乗り入れ可能な芝生の半フリーサイトはなかなか快適そうだ。

                                 
     

さすが高原だけに夕食中はちょいと冷えたが、暖かいスープとご飯で満足。

澄んだ夜空を眺めながら2日目の夜は更けていく。

 
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