京都 〜私的趣好寺院図鑑〜


                                       

僕にとって京都は、金沢と共に最も思い入れのある町だ。
規模は違えど両都市の組み合わせが示している通り、歴史風情が漂う街に、僕は惹かれて止まない。
長い長い年月を経て培われた文化が生み出す都市空間と、科学技術に裏付けされた現代の都市景観が混在している空間に魅力を感じるのだ。

そんな京都に恋焦がれ、10代の頃から訪れては街の雰囲気を楽しんできた(僕は古風な人間なのだ・・・)ものだったが、本格的にツーリングを始めてからはじっくり訪れる機会が無かった。

古都であり日本一の観光都市でもあるという性格上、クルマで、ツーリングで楽しむというわけにはなかなかいかないからだ。クルマで訪れても、街中をクルマで散策するというスタイルでは、楽しくても無駄が多過ぎるような気がする。

であれば割り切って、今回はフツーの観光客として、自分の足で京都を楽しんじゃえということにして、久しぶりの訪問が実現することになった。(ま、それが一般的なスタイルなんですが)

 

なので今回のこの旅は、正確に言えばツーリングではない。
ツーリングではないので、ハナからツーレポを作る気などなく、目に焼きつき心に染み入った光景を胸に秘め、それで終わろうと考えていた。
けれど実際訪れてみると、いろいろ写真も撮ったし、面白い場所にも巡り会えたりしたし、冬場はツーレポ書けなくてネタに困るし(笑)、場違いでもいいからひとつ作ってみようかなという気になった。

それが今回の、この「京都〜私的趣好寺院図鑑〜」だ。

もう一度断っておくけど、ツーレポではないので、いつものようにクルマも道路も出てこない。
ただ僕が今回訪れた中で、心に残った場所を描き連ねているだけ(しかもお寺ばっかり)のレポートだ。
いつもツーリングやクルマを楽しみにして読んでくれている方々には退屈かもしれない。
けれど、僕的にはこれもツーリングの延長であり派生形というカンジがしないでもない(と、帰ってきてから気付いたのだが)ので、クルマで訪れたちょっと魅力的な街(歴史的建造物)、という仮想感覚で読んでもらえると嬉しいかな。

前置きが長くなり過ぎだな。
とにかく京都、何はともあれ旅を始めよう。

 

                                       
京都の玄関口と言えば、京都駅!京都タワー!東本願寺!とベタに観光客気取りでイクところだが、ヘソマガリな僕は京都南インターを降りていきなり京都市街を縦断。あらゆる見所を無視し、国道162号を高雄に向かって走った。
目指すは栂尾にある高山寺。山間の目立たない小さなお寺。国宝石水院がお目当てなのだ。
                                       
                                       
 

R162を走ってると雨がパラパラと。。
このくらいならとルーフを閉じずに栂尾まで。高山寺に着いた頃には雨は上がっていた。

裏参道入り口に大きな駐車スペースがある。無料。
裏参道から最初は石水院を素通りしてもっとも奥まった場所にある金堂へ参拝に向かう。

正直朽ち果ててるんじゃないかと思っちゃうような野性味溢れるお堂で、今回の旅の道中安全を願う。

         

石水院とは、鎌倉時代の僧である明恵上人が後鳥羽院から賜わった学問所。境内の建物の多くは再建されたものだが、この石水院だけは明恵上人当時の建物そのものなのだ。
鎌倉時代の建築様式を今に伝える貴重な遺構。

元々はさっきの金堂の隣辺りにあったのを、明治期に境内の一番下の眺めのいいところに移築されている。

 
         
 

               

元々は学問所だったものを、一部住宅風に改造されているらしい。
それにしたって、この簡素で機能的な空間美と言ったらこの上ない。最小限のマテリアルによるシンプルで簡素な美。

           
 

部屋から縁側を通して眺める景色は開放感抜群。
日本の建築は、こういった外との繋がりを表現することに非常に長けているのが特徴だ。内部領域に外部空間を取り込み、一体化させる。建築が額縁となって、四季折々に変化する周囲の自然を視覚的に意識し楽しむという趣向も、古来からの日本人の住まい方に溶け込んだ思想なのだ。

真冬の京都のしかも山間という立地で、本来なら寒さが身にしみるところだろうが、さんさんと陽が降り注ぐ縁側はことのほか暖かい。
縁側の床の木は、何百年もの歳月を経て独特の風合いを出しているが、歴史を重ねてきたホンモノの材は、今もなお温もりを与えてくれるのだ。

ちなみに高山寺は、あの「鳥獣人物戯画」を蔵する寺でもある。
本物は博物館に出張しているとのことで見られないけど、複製が石水院には展示されている。

           
高山寺石水院で日向ぼっこを存分に楽しんだ後、再び裏参道を駐車場に戻ってエスに乗り込んだ。
来た道を少しばかり戻って、有料道路「嵐山・高雄パークウェイ」に入る。
 
高雄から保津峡を眺めつつ嵐山の裏手くらいに至る観光道路で、路面は良くワインディングとしても楽しい。
真冬で路面が湿っていたこともあって、凍結に気を付けながらソロソロと走る。
途中、釣堀があったりラジコンコースがあったりするして、山道というより名前の通り公園の中の道、っていう感じがしないでもない雰囲気。
京都市街や保津峡を眺められるポイントもあって、なかなか楽しめる。新緑や紅葉の時期に来たら、きっと凄くイイんだろうな。
 
           

パークウェイを走破後、嵐山にやってきた。嵐山は案の定、とんでもない人混み。嵐山を背景にする渡月橋は、時期を選べば確かに素晴らしい景観だろうけど、この時期に来ても・・・

ただのネームバリューによる観光地、京都に来たらとりあえず嵐山、という固定概念だけが一人歩きしている気がしてならない。

僕の目的は天龍寺。
桂川を挟んで嵐山の対岸に位置する巨大寺院。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔う為に、夢窓疎石を開祖として建立した室町期の寺だ。

 

参道を進んでいくと、本堂の参拝受付にもなっている、威風堂々とした庫裏という建物がある。

天龍寺と言えば、まずは庭園だ。
作庭の名人だった夢窓疎石の代表的な庭園・曹源池。

天龍寺と同じ臨済宗で、苔寺の通称で有名な西芳寺の庭園も夢窓疎石の作(もっともあの苔は、洪水とかで後から生えてきたものだが)

そんな中世の名人によるしっとりとした庭園の空間美を味わうことができる。

     

池と緑を組合わせた枯山水の庭園。
正面奥の岩の集まりは、滝を表しているそうな。

むむむ・・・見えない(笑

実際は本当に滝が流れていて、今は枯れてこんなふうになっているみたい。もっと言えば、滝は3段あって、鯉がそれを登り切ると龍になって天に舞い上がっていくという中国の伝説を表しているのだが・・・
実は鯉を表す岩も2段目付近にあるそうなんだが、、僕の眼力ではわかりませぬ。。

 
                                   
庭園は方丈という建物の広縁から眺めることができる。
方丈とは、元々はその寺の住職の住居にあたる建物だったが、寺の中心ともなることから、そのうちメインホール的な役割に転じていったという経緯のある建物。天龍寺のようにメインの庭園は、方丈の広縁からの眺めを意識されて作られているケースが多いようだ。
 

庭園の側面には書院があって、ココからも庭園の眺めを堪能することができる。

石水院もそうだったけど、建物によって切り取られる風景が素晴らしい。日本特有の美意識を感じる瞬間だ。

ほのかな障子の薄明かりといい、整然とした各所の構成部材といい、スケール感といい・・・
こういった空間で心安らぐという感覚は、やはり日本人の遺伝子なのだろうか。。

 

この他にも天龍寺には多数の建物や庭があり、見られる限り拝観した。
嵐山という立地性格上、今回訪れた寺院の中でもかなり人が多い方だったが、なかなか見応えがあった。

寺を出た後、せっかくだから嵐山を歩いてみたが、やはり人が多過ぎで辟易して次へと向かうことに。
とは言え、昼過ぎに京都入りしていたものだから、既にいい時間になってしまっている。
ビジホに向かう前に、短い時間でさくっと楽しめそうな所に寄ってみようということで、同じく庭園で有名なこの寺に訪れることにした。

 
 
 

枯山水庭園ではおそらく最も有名な龍安寺。拝観終了時刻間際だというのに、多数の拝観者で方丈の広縁は埋め尽くされていた。

油土塀に囲まれた方丈庭園には白砂が敷き詰められ、その中に15個の石が配されているだけのシンプルな構成。この簡素さが、却って庭園の抽象性を押し出し、見る者の想像性を喚起させるように思える。
15個の石は、見る方向によって必ず目に入らない石があるために、一度に15個確認する術は無いとか。そんなわかりやすいトリックから、遠近法や黄金分割に至るまで、様々な分析や解釈が飛び交っているところが奥の深さを感じさせる庭園だ。

ちなみに作庭者は不明で、尚更ミステリアス。静寂の中でじっくり味わいたいところだが、ちょっと人気あり過ぎて楽しむことができなかったのが残念。
以前早朝に訪れたことがあって、その時はまさに静寂の中、その深遠なる宇宙を楽しむことができたのだが。

 
    方丈の側面にも縁が続き、そこには方丈庭園とは趣の全く異なった苔むした庭が広がる。
方丈の軒と渡り廊下と苔の庭園が作り出す空間構成も実に魅力的。こっちは打って変わって全然人がいないのだが。
 
方丈庭園と方丈の建物を挟んで反対側の縁の下にある、銭形の「つくばい」。
中心の穴の部分の四方には、それぞれ漢字が刻まれているようだが、それだけではよくわからない文字もある。
     

そのココロはというと、真ん中の四角い穴を「口」と見立て、それぞれの文字と組み合わせると、「吾唯足知」となる。つまり「我ただ足るを知る」。禅の格言である。

・・・・すげぇ。何だかわからないけど、とにかく凄い。。。

拝観できるエリアこそ狭いけど、龍安寺には味わい深い空間や要素が数多くある。

渋みのある土塀もそのひとつ。その存在感に立ち止まらずにはいられなかった。
そう言えば以前訪れた時、台風の後で土塀の一部が崩れていたのを思い出したが、どうやって直したのか、全くその部分は判別できなくなっていた。

 
                             
     

寺の前庭である鏡容池にある塔頭「西源院」は湯豆腐処として知られる所。(「○天下一」の暖簾が目印)
老舗「森嘉」の嵯峨豆腐を用いた七草湯豆腐はぜひとも賞味してみたい!と思ってたけど、惜しくもタイムアウト。かなり心残りだった。今一度龍安寺には訪れなければ。。

   
  この日は半日しか散策に使えなかったので、これにて終了。
ビジホにエスを置いて、四条烏丸へと繰り出して夕食をとる。京都に来て初日からなぜかイタリアン。
 

知らないうちに四条烏丸に新しいショッピングビルができていた・・・ と思ったら、丸紅かなんかのビルをリノベーションした複合ビルだった。

「古今烏丸」。
中のお店が実にオシャレ〜なカンジなのだ。

 

内部空間も非常にセンスがいい。華美ではなく、かといって古臭くもなく。

京都という都市にマッチした上質な文化スポットとして定着していってほしいものだ。

 
                         
この古今烏丸、たまたま入った時にはほとんどの店が閉店してしまった後だった。
その中でどうしても見てみたいお店を発見して、明日再度訪れることを決心し、堀川五条まで歩いて帰宿。楽しみにしていたNHKのイチロー特集を見てから就寝した。
                           
                           
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