その晩は、雨に降られた。シングルウォールのテント幕を叩く雨脚に、幾度か目を覚ましたのだ。 空が白んで外に顔を出してみると、昨日の明るいうちはあんなにクッキリと全景が見て取れた立山の山塊が、すっかり雲の中に埋まっていた。 |
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日が昇れば、ガスも晴れ、昨日のような晴天には及ばないにしろ、ある程度視界も効くようになるのではないか、と淡い期待を抱いてテントの中で時間を潰すことにする。 ところが待てど待てど状況は変わらず。それどころか雨も止んでる時間より降ってる時間の方が長くなってきた。 こんな天候状況じゃ、登ったところで何にも見えないし意味あるんだろうか、というところではあるが、僕の山登りは日常の運動不足解消のトレーニングも兼ねているし、何より立山に登ったという事実が欲しいという気持ちがあって、明らかに苦行となることが予感される状況での稜線散歩を決意したのだ。 |
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雷鳥平から昨日室堂から来た散策路を戻る形で、室堂ターミナルまで歩く。テントは野営場に立てっ放しなので、シュラフなどの荷物が減って背中は軽い。ただ降りしきる雨の中を歩くことで、雨具を来たスタイルの山行は決して快適なものではない。 玉殿の湧水を補給し、室堂山荘前から立山登山のメインルートである一ノ越へと向かう登山道から浄土山方面へと逸れる。 |
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浄土山への登山道は、積雪に埋もれていたので、最初の歩き出しはコンパスと地図を頼りにルートを外れないよう注意を払う。 山登りで一番キツいのは、何と言っても歩き始めである。 そんなわけで浄土山までの登りが、今回の山行では一番キツかった。 |
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頂上から平坦な道を少し歩くと、富山大学の施設があった。2度目の小休憩とともに、写真を撮る。 ご覧の通り終始ガスってる状態なので、写真を写しても仕方ないので、ここまで1枚も撮らなかった。雨が降っているとカメラ出すのも気が引けるわけで。。 この日こそ立山のハイライトだったのだが、天気に阻まれてほとんど写真は撮らずじまい。 |
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浄土山から一ノ越までは、結構あっという間だった。 一ノ越までは数えるほどしか人に会わなかったのに、山小屋の前は多くの人で賑わっていた。 ここからはいよいよ立山本体の山腹に張り付いて、そのピークを目指すのだ。 |
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一ノ越でトイレを済ませ、気合いを入れ直して立山(雄山)への登頂路へと張り付く。 それまでとは比べ物にならないほど、登っていく人の数が多い。特に子供が。。 引率の先生?が「5年生〜6年生〜」とか言って指示している。 |
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目の前にいる子供たちの姿から20年以上・・・タイムスリップして僕はここにいる。複雑になり過ぎた環境の中、いろんなものを抱え込んで・・・ 今、立山に登ろうとする自分は、いつもの単なる好奇心以上に、子供から大人になる過程でやり残したことをやり遂げるため、パズルの一片のピースを埋めるかの如く歩みを進めているような気がする。 |
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身体が温まって本調子になってきたお陰で、雄山へのガレ場はペース良く登れた。いくつものグループを追い抜き、後ろを振り向いたら今登ってきたばかりのガレ場が雲の中に吸い込まれていた。一ノ越はとっくの昔に見えなくなっていた。 ・・・ふと空を見上げた。標高3000mに限りなく近くなっているので、見上げたと言っても、真横に空を見た、と言うのが正しいかもしれない。 |
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分厚い雲に空いた突破口のようなその「水色」の部分はみるみるうちに勢力を広げていく。。 状況は一変しつつあった。 |
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今日はムリかもしれないと諦めかけていた明るい日差しと突き抜ける視界が同時に訪れた。 |
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一瞬の出来事だった。 間もなく周囲にもその異変が知れ渡り、至る所で歓声が上がる。 |
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やがて視界を覆っていた一面の雲が消え、遥か遠くまで見渡す限りの雲海が眼前に現れた。 同時に眼下の世界も徐々に露になってくる。 |
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そして室堂が現れた。 立山の岩斜面、残雪豊かな室堂、無限の奥行きで広がる雲海と、濁りの無い透き通った青い空。 夢中でシャッターを切った。 いつしかファインダーがぼやけ始めた。何度目を見開いても、眼前で展開するスペクタクルを、ハッキリと目に焼き付けることが困難になってくる。 自分が涙を流していることに気付くのに、多少時間がかかってしまった。 ファインダーから目を離し、涙を拭った。 |
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今登ってきたばかりの浄土山と、眼下に一ノ越の山小屋 |
ただ単に景色に感動するくらいなら、ツーリングに行く度に涙していることになる。 今、この場で感動して涙したのは、やはり自分の中での立山は特別な存在という意識があったからのように感じる。 立山は特別な山だ。 自分が生まれた土地を象徴し、その恩恵を少なからず受けて生きてきたこと、その事実を認識しているからこそ、今敢えて登っているのである。 |
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そういう特別な感情が、感極まらせた要因かもしれない。 ずっと自分のルーツにかかわるものとして特別視し、いつか相見えたいと感じていた立山。 いざ登る日になるとこの天候。 生まれた頃から目にしたものの背景に常にあった立山連峰。 |
雷鳥平を眼下に見下ろす |
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よく戻ってきた。
この絶景スペクタクルは立山からの最高のプレゼントであり、そんな立山からのメッセージが、どこからともなく直接僕の心に響いていた。 |
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どれだけ佇んでいたかわからないが、とにかく立山のピークをに向かって歩き続けることにした。 ガスの晴れた斜面を見上げると、いつの間にか雄山の頂上の小屋が眼前に迫っていることが確認できた。 |
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そして遂に、頂上に到達した。 まずは立山一等三角点に近寄る。写真中央の御影石の立方体がそれだ。標高2992mの基準点である。 三角点は山の絶頂に設けるものではなく、見通しが優れている場所に設けるのが基本なので、正確には雄山の頂上にあるわけではないが、立山の主峰のピークを端的に象徴する存在として、それに触れたいという思いがあった。 三角点に手を触れて、しばらく登頂の余韻に浸った。 |
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小屋は休憩所を兼ねた雄山神社の社務所だった。 頂上に来た頃には再び周囲はガスに包まれ、ピークからの景色を拝むことは叶わなかった。 |
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雄山山頂には神社がある。昔から立山参拝は有名で、大して信仰心がなくとも、山の霊気にあやかりたいと、今でも多くの人が参拝をしている。 遂に念願の立山に登ったのだから、その報告と感謝の念を込めて、神社でお祓いを受けることにした。 |
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雄山の山頂から、更に絶頂へと登ると、小さな社殿が見えてくる。この絶頂が雄山最高地点3003mだ。 絶頂の小さな小さなスペースに小さな社殿が設けられ、一歩踏み外せば真っ逆さまに落ち行く崖っぷちで何人かまとめて座って神主様のお祓いを受けた。 この後社務所でお札とお守りを買い、下界の両親と友達にメールで登頂の報告をした。 |
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計画ではここで昼食をとる予定だったが、スタートが遅過ぎたために、全体の行程がかなり押している。 何としてでも明るいうちに余裕を持って稜線から下りなければならないので、停滞しての食事はパスすることにした。 幸い行動食は豊富にあった。ナッツを頬張り、ほとんど休むこともなく雄山を後にした。 |
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ここからはペースが速い(笑 雄山を出てすぐに大汝山。立山は雄山、大汝山、富士ノ折立の3つのピークの総称とは最初に書いた通りだが、この大汝山が標高が最も高い(3015m)。 だけど立山の主峰と言えば、それより12m低い雄山なのだ。 |
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もうひとつの富士ノ折立は、完全にガスの中だった。 周囲には何組かのグループがいて、ここからの登山路を探して右往左往している様子だった。 雄山周辺に限っては人が多かったこともあり、よく道を訪ねられた。 僕は一応地図もコンパスも持って、ルートの特徴も事前に頭に入れておいたので、時々確認する程度。 この富士ノ折立で会った単独行の初老の男性と、この先連れ立って歩くことになった。感じの良い明るい人で、荷物がヤケに少なく身軽過ぎるのが気になったが、山小屋を経由して歩くことを前提としているようである。できれば劔御前小屋まで行きたいと言う。 |
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富士ノ折立から真砂岳に向かう下りは、まさに雲の中の一本道。神々しさすら感じてしまう。 こういう下りの道では、付き添いとなった男性の足取りは軽かった。僕も速い方ではないが、難なくついてくる。 逆に真砂岳への登りに入ると足取りが怪しくなった。頂上で小休憩したが、劔御前までは難しいと感じたようであった。 |
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男性は結局劔御前を諦め、真砂岳を下りたところで内蔵助山荘に向かうと言って別れた。 再び独りとなり、目指すは別山。既に周囲には人っ子一人いない状況。で再び岩場の急斜面に挑む。 浄土山、立山、真砂岳と来て、さすがに別山の急峻な岩場は効いた。立ち止まる回数も徐々に増えたが、自ら気合いを入れ奮い立たせて、何とか頂上に立った。 ガスに巻かれた頂上には、積み石に守られた社が寂しく佇んでいた。 |
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別山は昔から、劔岳に向かって参拝するための山である。 つまり、晴れていればここから劔岳がよく見えたはずなのである。そうでなくとも、立山からのこの稜線ルートは、劔岳を終始眺めながらの山行になって、豪快そのものだったはずなのである。 |
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別山さえ登り切ってしまえば、あとは下る一方のはずである。 別山から西に進路を取り、別山乗越へと向かう。そこにある劔御前小屋には、あっという間に到着した。 あとは雷鳥沢を下りるだけである。下りた所が雷鳥沢キャンプ場。荷物を降ろして横になれるのである。 |
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歩き始めから唐突に雨脚が強くなりだした。足場は決して良くなく、浮き石も多いので慎重に歩を進めた。 坂を下るにつれ、雨は幸い小降りになった。 この雷鳥坂は、室堂から劔岳へと向かう際には、避けては通れない登り坂だ。 坂を70%は下り切った辺りから、登山道に雪が被り出した。昨日キャンプ場から眺めて「あの雪渓歩くのか〜」とビビってた積雪路である。 雪渓を下り切ると、沢の流れる音が一段と大きくなった。 |
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テントに戻るとさすがに動く気になれなかったが、汗だくになった身体が急激に冷えて、このままではカゼをひきそうだったので、一番近くの山小屋の温泉に出掛けた。 テントに戻って、適当に夕飯を作ったが、それほど食欲もなく、疲れに負けていつの間にか眠ってしまった。 |
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