その日の夜は想定以上に冷え、潜り込んだシュラフから出ようという気が起こらなかった。
真夜中に目が覚め、トイレに行きたくなったが、どうしても寒く、なかなか踏ん切りがつかない。
シュラフは秋冬用のモンベル/バロウバッグ#4、その下にフリース、ウィンドブレーカーなど着れるものは全部着ていたのだが、それでも寒さを感じた。おそらく10℃は確実に下回っていただろう。下界は熱帯夜にもかかわらずである。

思い切ってシュラフから這い出て、テントの外に出てみると、真っ暗闇に霧が出て、すぐ近くの管理棟の存在さえ怪しかった。あまり遠くにテントを張っていると、野営場内で遭難しそうなほど霧は濃い。
ある意味、恐ろしさを感じる環境である。

晴れていれば、感動的な星空を楽しめたはずであった。
雷鳥平でのキャンプの楽しみのひとつは満天の星空だったが、それは2日間のテント泊をもってしても叶わなかった。

                         
                         

夜明けは突然訪れる。
最初は霧が残り、徐々にそれが晴れて山々の全貌が視界に現れる。
前日はそこから更に視界が晴れることは無かったが、この日はどんどん雲が流れ、遂には山頂付近に眩い青空が顔を出してきた。

同時に朝日に照らされて光り輝く山肌が、視界を釘付けにする。
テン場での早朝のひと時さえ、極上のスペクタクルが眼前で展開されていた。

                         
 

立山の山頂付近は、最も最初に青空の中に現れ、最後までその頂きにガス状の雲をまとわりつかせていた。

朝日に照らされた雄山は、その稜線をクッキリと青空のキャンパスに刻み込んでいる。

この鋭い稜線に沿って、昨日は歩き続けたのだ。

                         

朝日に輝く雷鳥沢の足下。残雪の雪渓によるゼブラ柄の最下部には、称名川が流れている。

この雪解け水の川が、大日岳の麓に流れ、日本一の落差を誇る称名滝で一気に高度を下げ、やがて常願寺川に合流して富山平野を縦断し、最後には日本海に注ぐ。

 
生まれた時から身近だった川の、自然そのままに流れる姿を、素晴らしい景色の元に見ることができて、とにかく幸せな気分。
 

昨日とは打って変わって、素晴らしい陽気になってきた。
結局一番メインだった立山縦走の昨日だけ天気が悪かったことになる。
残念ではあるけれど、だからこそ雄山の山腹で極上の体験をしたわけだし、良しとしようじゃないか。

テントをたたんで撤収作業をする。水浸し、泥だらけになったテントと雨具は、帰ってすぐに干す必要がありそうだ。

                   

全てをザックに詰め込むと、1日ぶりにズッシリ肩に食い込む重さが帰ってきた。

初日に温泉に行った際と同じ、地獄谷周りで室堂ターミナルに向かって歩き出す。

地獄谷も、地獄を彷彿とさせる暗さは微塵も無い、明るくコントラストに溢れた色彩の晴天だった。

 
                   
                   

みくりが池に至る最後の登り坂には、一昨日同様、豊かな残雪が張り付いていた。
そのためスニーカーでやってくる家族連れの観光客の足下はおぼつかなく、その上交通量が多いので、人が通り過ぎていくまでしばらく麓で待ってやり過ごす。

                   
                   

残雪の散策道を登り切った先のみくりが池。そこには、またしても現実を超越したかのような、透き通った景色が広がっていた。

池越しに立山と浄土山が照り輝く。立山の頂には、いまだ一片の雲が寄り添っている。その姿もまた神々しい。
みくりが池の湖面は、その美しき山塊を容易に照らし出す鏡と化している。
2日前に見たその湖面とは明らかに様相が違う。この数日の陽気で湖面を覆う氷が溶けたことにより、「逆さ立山」が楽しめるようになったのだ。

                   

みくりが池のほとりの丘に建つみくりが池温泉。
一昨日に日帰り入浴を楽しんだこの温泉は、みくりが池の景色とのコラボレートこそ無いものの、素晴らしい泉質だった。

今日は室堂を後にするだけなので、最後にもう一度この温泉を味わうことも可能ではあったが、入浴可能時間にはまだ早過ぎたこともあって、楽しみはまた次の機会にそっととっておくことにした。

                   

大日岳の方を仰ぎ見ても、絶景には変わらない。
1日目かそれ以上の素晴らしい陽気になってきた。

快晴時の室堂高原は、それこそ360°どの方角を見ても凄まじく絶景である。
山の景色を堪能するのに、これほど手軽で美味しいシチュエーションがあるだろうか。

                   

みくりが池温泉の向こう側には、キャンプ場から仰ぎ見ていた雷鳥沢のある別山乗越が見えている。

その別山乗越の更に向こうに半分その姿が見えている山塊。
鋭利な岩肌が一際目立つその山こそ・・・・

劔岳に違いない!

                   
                   

異様な風体を曝け出すその岩峰は、別山乗越の斜面に半分以上隠れていても、その存在感は圧倒的である。
昨日の稜線歩きが快晴であれば、立山から真砂岳、別山に至るまで、この岩峰を常に視界に入れながら歩けたはず。
それが叶わず、針の山の近影は諦めかけていたが、土壇場でその姿を意識して眺められるポイントに立つことができた。

劔岳は、麓の富山平野からもよく見える山で、エスでその登山口のひとつである馬場島にもドライブすることがある。そういった意味では身近だけど、近寄り難いというイメージもまた持ち合わせている。
新田次郎「劔岳 点の記」にあるように、長らく前人未到の孤高の山として人跡を寄せ付けなかった山は、今でも様々な面で一目置かれる存在なのである。

僕にとってもそうで、立山とはまた異なった思い入れのある山だ。
いつも背景に見えるから身近に感じていたにもかかわらず、登れることなど叶わないと無意識に思わせるほどに険しい山。
その山にまつわる様々なドラマを知るにつれ、特別な想いは募っていった。

劔岳。
真に憧れるその岩峰に登るために、僕は山を登り始めたのかもしれない。
いつしか必ずや極めたい。その時、立山で感じた感情とはまた異なったものが、僕を突き動かすだろう。

                   

室堂ターミナルまでの散策路には、今朝富山側からバスで登ってきたと思われる観光客が大挙していた。
玉殿の湧水を、手持ちのボトルいっぱいに詰め込む。ザックの重量は重くなるが、このクリアな味には替えられない。東京へ持ち帰る土産には最高だ。

ターミナルからは、一昨日に利用した交通機関をそのまま逆方向に乗り継ぐことになる。
アルペンルートは富山に抜けているので、高原バスとケーブルカーで富山側に出るのが本来のルートなのかもしれないが、長野側にクルマを置いているのでそうもいかない。(自家用車で来た人のために、反対側の駐車場に車を回送してくれる有料サービスもあることはある)

トロリーバス、ロープウェイ、ケーブルカーと、来た道を戻っていく。
乗り物に乗っている時間は短いし、待ち時間もほとんど無いのだが、乗る度に思いザックを上げ下ろししなければならないのがやはり辛い。

                   

黒部湖は今日もキレイなエメラルドグリーンの水をたたえていた。

一昨日は早朝過ぎて、後立山連峰の影になって暗かった湖だが、今日は陽も昇って素晴らしい色彩を放っている。

 

北アルプスの山中に大渓谷を刻む黒部川も、ダム直下ではこの程度の弱々しい流れでしかない。

           
 
           
 

ダムの観光放水によって虹が出ていた。
空にかかる虹ではない。思い切ってダム直下を眺め下ろした所に見える虹である。

人工的に形成された虹ではあるが、その迫力に優しい自然美が共演している姿を見た気がする。

ダムからの景色の色彩とコントラストがあまりにも素晴らしかったので、つい長居をしてしまった。

そのせいで最後のトロリーバスにタイミング良く乗ることができなかったため、売店でソフトクリームなんぞを買って舐めたりして時間を潰した。

ダム上は大勢の観光客と、記念写真の撮影をセールスする業者で大賑わいだった。

 
   
   

トロリーバスの駅に向かうトンネルに入ってしまうと、立山を拝むことはもうできなくなる。
ダム越しに見る姿が、今回最後の立山の勇姿だ。

後ろ姿ですら神々しい山塊。その姿を眺めていると立ち去り難く、バスの発車に間に合うギリギリの時間まで、この目に焼き付けておかんとずっと見入っていた。
いつかまたその美しい姿に出会える日を夢見て。
名残惜しさとともにバスに乗り込み、最後のトンネルを抜けた。

   
 

扇沢到着。久しぶりに見る自家用車の群れ。所狭しと駐車されるクルマの大群は、道路脇にも溢れていた。

3日前の夜中にこの場に停めた2号車HR-Vに再会し、ずっしり重かったザックを下ろす。
続けてトレッキングシューズを脱ぎ、リラックススタイルに切り替える。

扇沢は暑かった。
いや、下界の中では相当涼しいはずなのだが、立山連邦の懐に比べると、そこは真夏の都会の如き暑さに感じられた。

                   
   
東京までの道のりは長いが、素晴らしかった立山の徒歩旅の余韻に浸りながらゆっくりと帰路に着いた。
中央道では3連休最終日の渋滞が始まっていたが、それもゆっくりこなして自宅に帰還。
ついさっきまで、涼しげな大自然の中にいたのが夢であったかのように、都会の暑さは容赦がなかった。
   

・・・・・・・・

 

初めての立山登山は、結果的に見れば、一番肝心の登山当日のみ天候不良という非常に残念な結果に終わってしまった。しかし、気持ち的には充足感に満ち溢れていた。

室堂でのこれ以上無いほどの絶景の中でのトレッキングが良かったのは言うまでもない。
それに加えて、天気が悪かったハズの2日目、雄山で体験したスペクタクルが衝撃的で、最高の感動体験として記憶に残ったのが大きかった。

山の天気は気まぐれで、雄山での体験も実は珍しくとも何ともないことなのかもしれないが、どう考えても晴れそうにない天気の中で、憧れた立山への登頂寸前にこんな体験ができたことが、何か神がかった事象とさえ思えた。
憧れの立山に、小さな自分の気持ちが通じたようで、そう思えたことで感動が増幅したのだろう。

   

大きな感動体験をして、憧れた峰に登ることもできた。
自ら行程計画を立て、それを自分の力だけを頼りに実行し、目標を完遂した。

その結果、周囲に起こる全てのことが小さく見えた。
下界で普段起こっている身の回りのこと、うまくいかないこと、自分の弱い部分。そういった一連のことで悩んだり足踏みしたりすることがあまりに小さく、他愛無いことのように思えた。

自然純度の高い環境で、自らの能力のみを頼って目標を達成したことによって、不思議な自信と力が生まれたのだろう。
その時、少しだけわかった気がした。なぜヤマに登りたくなるのか。肉体的に辛く、精神的にも折れそうになることを、なぜ敢えてやりたいと思うのか。
美しい自然と出会えるという理由はもちろんだが、その他に何か大きな理由があるのではないだろうか、という疑問に対する回答。

きっとそれは、目標を立ててそれを実行した結果に得られる「達成感」を欲するからなのだ。
小さなことだが、普段の生活でこれほどわかりやすく達成感を得られることは他には無いような気がする。
達成感を得て、自分はまだできる、もっと困難なことでも立ち向かえるという「自信」が得られる。
周囲からはそんなことで、と思われることでも、具体的な行動の後に自信を得ると、人間、意外と強くなれるものである。
次の日からまた始まる日常生活も、その「自信」を背景に、より密度の濃い行動を起こそうとすることができるのだ。

日常の些細なトラブルは、実は小さなことで、ヤマを登った体験に比べれば何てことは無い。自分はもっと大きなことをやり遂げたじゃないか。
そう思えれば、毎日の仕事や生活にも張りが出るというものである。(単純ではありますが)

そういう感覚を無意識のうちに追い求めているからこそ、山に登りたくなるのかもしれない。それを実感したのだ。

   

そんなことに気付くなど、いろいろ収穫のある旅だった。

立山は自分の原風景であり、精神的にどこかで支えになっている存在でもある。
だからこそ、ここまで精神を揺さぶってくれるのだ。
そんな存在を、心の奥底で、これからも大切に想っていきたい。

   
Touring S2000 / 2日目山行
   
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