シルバーウィークなる秋の大型連休初日、の前日の夜。
2号車HR-Vに登山道具を載せ、中央道を一路西へ。昨年7月の海の日連休同様、豊科ICから大町、アルペンラインで扇沢へと向かう。

昨年に引き続き、立山連峰の一角へと踏み込むべく、翌朝の始発のトロリーバスに乗り込み、合計4つもの乗り物を乗り継いで、AM8:30頃、室堂高原に降り立つ。
ここまでの行程は、昨年のトレッキングレポ「立山〜残された空白点」と同様なので、今回は省略。詳しくはコチラにて(^ ^;

今回再び立山連峰の玄関口、室堂に訪れた目的は、北アルプスの中でも異彩を放つ名峰「剱岳」に登ることだ。

急峻極まりない岩山で、一般の登山者が登れる山の中でも、最も危険な山とされる剱岳。あまりの険しさに、国内の山の中では、最後まで未踏として残された山だった。
明治時代末期の初登頂の際の物語が今夏映画化され、その名が山ヤさん以外にも知れ渡ったのも記憶に新しい。

そんな厳しい山に、自己流登山を続ける自分なんかが登れるのか?
もちろん登頂のためにいろいろ情報は集めたし、直前のトレーニングも怠りなく行った。これならイケるだろうという一応の確信が持てた末の今回の登頂計画だ。決して無謀な挑戦ではないことを、一応記しておこう。

さて、室堂に着くと、まず目の前に現れるのが立山。
昨年と同じような時間に降り立っているはずなのだが、逆光で雄山山頂の様子はよくうかがえない。
前回は真夏、夏至から1ヶ月後だったのに対して、今回はほぼ秋分なんだもんな。

山肌は紅葉が始まってるけど、まだピークってわけじゃなかった。
室堂の紅葉は素晴らしいことで有名だが、本当にピークだったら人混みと渋滞で大変なことになっていただろう。

 
 

剱岳に向かう前に、まずは今回の山登りの安全を祈りに、玉殿の岩屋へと向かった。

玉殿の岩屋とは、室堂山荘から崖下へと降りた斜面の途中にある洞穴のことで、無数のお地蔵様が祀られていて祈りを捧げる場所となっている。
新田次郎「剱岳 点の記」で、剱岳登頂の神秘的なお告げを、柴崎と長次郎が受けた場所がここだ。

                     
 

玉殿の岩屋から戻る途中、斜面の頂部の室堂山荘を見上げると、鮮やかな青空が頭上を覆っていた。

微かな雲の切れ端の形状が面白い。

室堂高原の散策路を雷鳥平に向かって歩いていく。

玉殿の湧水を3リッター補給したザックが、ずっしり重く背中にのしかかる。

龍の群れが空を飛んでいるかのように流れる雲を追いかけて、一歩一歩踏みしめて歩いていく。

 

そして見えてきたのが雷鳥平だ。眼下に雷鳥沢キャンプ場が見える。昨年のベースキャンプとなった場所で、昨年の1日目はここでテントを張っておしまいになっている。

ここまでの行程と風景写真は、やはりコチラでどうぞ。季節の違いによる風景の違いが味わえます(^ ^)

今回の相手は剱岳なので、そのベースキャンプまではこの真っ正面の斜面、雷鳥坂を頂部まで登り詰め、越えていく必要があるのだ。
前回は下ってくるだけだったので良かったが、これ登るのホネだなぁ〜なんて感じてたことよく覚えてるもんだから、ちょっと恐れを為してしまう。けど、ここを越えなければ剱と対峙することすらできないのだ。剱に挑戦するなら避けては通れない壁。それが雷鳥坂なのだ。

特別急登でもない、登山ではよくある程度の傾斜の坂なのだが、ベースキャンプ地がこの先にあり、生水は無いと思わなければならないので、重い荷を担いで登らなければならないところが難儀なのだ。

右写真の底部の雷鳥沢から、頂部にちょこっと見える剱御前小屋まで、タイム的には約2時間。ううむ。

 
 
救いは、美しく染まりつつあるカラフルな色絨毯が目を楽しませてくれること。紅葉は急速に進行しているみたい。まだ早いかなーなんて思ってただけに、ちょっと嬉しい誤算。

いよいよ雷鳥坂に突入!

いつもそうではあるが、山登りは登り始めの最初の数十分が一番キツい。身体というエンジンの暖気が完全に済むまでの時間を、とにかく乗り切ることがポイントだと思っている。

最初はキツくても、とにかくちょっとずつ歩を進めていく。ここで休んでしまったら、せっかくのアイドリングがまた冷めてしまう。
暖気が済んだら、不思議と身体が軽くなり、思うように足が上がるようになってくる。それまでとにかく辛抱なのだ。

30分くらい登り続けたところで、最初の小休憩。行動食と水を口にする。身体も温まったところでエネルギー補給で後押し。その後の登坂に勢いを付ける。

登山道を登る人は多く、さすが連休の初日ということを意識させられる。
荷の大きさも様々だが、基本テント泊の人は大荷物なので、すぐにそれとわかる。自分もその仲間だが、割と荷物はコンパクトな方かも。

 

坂を登り詰めていくと、雲海が広がっているのが目に入り始めた。

奥大日岳の向こうの雲海の下は、富山平野のはず。
まさに雲上の別天地という室堂の売り文句通り。だが、既に室堂よりもはるか高い高度まで上がってきているのだ。

そしてようやく剱御前小屋に到着。雷鳥坂を登り切った。タイムにして、雷鳥沢キャンプ場を通過してからちょうど2時間程度が経過していた。

場所としては別山から奥大日岳に繋がる尾根筋で、別山乗越と呼ばれるポイントになる。
室堂から剱岳へとアプローチする際の最短経路の通過点。まだまだ通過点なので、剱岳には取り付いてもいないのだが。

 
                     
室堂からは雷鳥坂が壁となって見えなかった風景が、別山乗越に到達することで露になる。
別山尾根に隠れていたのは、そこから続く谷間の地形と、その最奥に岩壁となってそそり立つ剱岳だった。

昨年、立山縦走後に別山乗越に辿り着いた際は、視界が全く効かなかったので、剱岳の全容に対峙するのはこれが初めての経験だ。

実際この目で見るその存在感に圧倒される。
これはまさに、空を遮る岩壁だ!

別山乗越からは、向かって右側の斜面を横切るように歩いていく。

こっちの山も、ガレた斜面が間近に迫って大迫力だ。

谷間を下りていくようにして進んでいくと、眼下にテント村が見えてきた。あれが今回のベースキャンプとなる剱沢キャンプ場だ。
その真っ正面には、いよいよその偉容の全てを眼前に現した剱岳の岩峰。ド迫力。
 

キャンプ場には既にかなりの数のテントが張られていた。
斜面途中の広めの台地に設けられたテント場ではあるが、岩石ゴロゴロ、しかも微妙に傾斜があるので、テントを張れるスペースは意外と少なそう。
なので、まずは場所を確保。剱岳を真正面に拝める場所を選んだ。
それから管理所で受付。2泊で1000円。登山届も同時提出。

雷鳥沢のテン場もそうだけど、絶品の自然景観の真っ直中である。
一応水場やトイレは完備されているものの、設備は当然ながら最小限で、目に入るものといったら山、山、山。それとおびただしいテントの数。

みるみるうちに増えていくテントは100張りは裕に越えているのではないだろうか。

ベースキャンプ到着が昼過ぎで、剱岳アタックの翌日早朝までは相当時間がある。
景色を眺めたり、テント内で昼寝したり本を読んだりして時間を潰す。

今回持参の漆黒のテント、クローカー2はここ剱沢では注目の的だった(ようだ)。
これだけ無数のテントが咲いていても、他に同じテントが見当たらない。珍しがって話しかけてくる人もいる。
まぁ確かに、山岳テントじゃないツーリングテントなんで、本気モードの人が集う剱沢じゃ見かけないだろうなぁ。

テントの出入口越しに、時間の移り変わりに伴って刻々と変化する剱岳の姿を見つめる。あの剱を、常に視界に入れながらのテント泊。なんて贅沢。

夕方近くになって、海側から斜面伝いに上がってきた雲が、谷筋を流れていく。
奥の最高部が剱岳本峰で、手前のピークが前剱。明日はこの前剱のピークを越えて、更に向こうの最頂部へと至るのだ。

剱御前に日が落ちると、急激に肌寒くなった。
山肌が日が当たらなくなると、暗闇の支配があっという間に進み、山に夜がやってくる。

暗闇に浮かぶ剱岳は、漆黒の影となり、その彫刻的容姿は判別できなくなる。
剱のような厳しい山の夜の姿を間近に直接見られるのは、テント泊山行ならではの醍醐味だ。

夕食後、早々にシュラフに入って眠りについた。
夜半に時折突風が吹き、テントが煽られる音で幾度か目を覚ました。
テントの外に顔を出して天を見上げると、そこには満天の星空が!

まさに「満天」と言おうか。とにかく、こんなにも星降る夜空を見たのは初めての経験だった。
雲ひとつない夜空に数え切れない星が輝き、天の川さえも長大な帯となってはっきりとその存在を見てとることができたのだ。

写真に収めようにも固定する術も無かったので諦めたが、この目にしっかりと焼き付けるまで見入っていた。

 
いよいよ剱岳アタック当日へ
 
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