翌朝は4時起床。辺りはまだ闇の中だが、周囲のテントからは慌ただしい出発準備の音が聞こえてくる。

朝飯にフリーズドライのドライカレーを食べ、着替えを済ませてテントの外へ。

さすがに寒い。剱沢の標高は約2500m。明け方の気温は、氷点下ではないにしろ間違いなく1桁台。フリースの上にアウタージャケットを着込んだ。荷物は雨具と携帯食と水だけのアタック装備だ。

 

 

ヘッドランプの灯りが不要になるくらい明るくなった午前5時15分頃、剱沢キャンプ場を出発。
剱沢の雪渓を横断して、剱岳登山ルートの中でも最もメジャーな別山尾根ルートを辿っていく。

剱沢は谷間の中腹にある感じなので、途中経由する山小屋、剣山荘までは緩やかに下っていく。
登山スタートから下りって拍子抜けするけど、下がった分だけまた登んなきゃなんないんだから、あんまりありがたいもんではない。

剣山荘の間近まで来た。
剣山荘は、剱岳から最も近い山小屋。この連休の前半は、近くのもうひとつ近くの剱沢小屋も含めて予約で一杯で、飛び込みは受け付けていないそうだ。

キャンプ場のおびただしいテントの数といい、この連休中、いったいどれだけの人が剱を目指そうとしているのか。。登山道渋滞が起きなければいいけど。

 

剣山荘では、今にも出発という宿泊者が多数待機していた。この大人数に先に行かれてはマズいと、休まずそのまま歩き続けることに。

いよいよ登りが始まる。「一服剱」と呼ばれる小ピークに向かう登り坂だ。

           
 
                       
  と、ここで東の空の遠い雲から、太陽が昇り始めた。
薄暗い山肌に、突如神々しい赤い光が射す。
                       
 

夜明けの日が射した時、ちょうど一服剱で剱岳本体は隠れて見えなかったので、ご来光に輝く剱を拝むことはできなかった。まぁ自分には山に登るならご来光、っていうシュミはないし。

別山方向を振り返ると、カラフルに色付いた剱御前(写真右側の山)の山肌が、赤い朝日に照らされて、一層美しく鮮やかに輝いていた。
別山乗越から続く長大な剱沢雪渓と別山の北峰(写真左側の山)、その中断に見える剱沢キャンプ場はまだ夜明け前だが、陽の昇るスピードは速く、あっという間に視界の大地を赤く染め上げていく。

     
 

午前6時ジャスト、一服剱登頂。剱岳本峰に辿り着くには、一服剱、前剱と、各サブピークを踏まなければならない。つまりは登っては下っての繰り返しなのだ。

一服剱までは、ほとんど難しい道はない。一部クサリが設けてあるだけで、それも補助的な役割に過ぎない。
あまり疲れることもなく到着したが、身体は温まったので、アウターを脱いでザックに入れる。

     
     

朝日を受ける前剱。一服剱から一度急降下して、再び登り道になっていっているのがわかる。
それもかなりの急登。一服剱の登りとは比べ物にならない。いよいよか、っていう感じだが、本当に厳しい剱岳本体の斜面は、まだまだこの前剱のさらに向こうにあるのである。

一服剱の頂上は狭く、数人が休憩するだけで満員の状態。
写真を撮っていると、女性から撮ってあげましょうかと声をかけられた。
時々そういうことってあるけれど、ほとんど撮ってもらった試しがない。目の前の風景を自分なりの解釈と構図で焼き付けるのは好きだが、記念写真を撮るのには不思議と興味がないのだ。

厚意に感謝しながらも、「まだまだこの先がありますから」と丁重にお断りをして、一服剱を下り始めた。

                   

一服剱と前剱のコルを過ぎると、いよいよハードな登りが始まる。
道はガラガラにガレた道で、浮き石も多く歩きづらい。足に馴染んだトレッキングシューズは、自分の装備の中ではもはや最古参の物のうちのひとつで、信頼感がある代わりに、ソールのグリップの衰えが気になる。

幸い今日はアタック装備で荷が軽く、足やシューズへの負担も軽い。そこまで神経質にならずとも、どんどん歩を進めていける。
身体も温まっているので、足取りは思った以上に軽い。

荷物が軽い、というのは実に楽だ。当たり前だが(^ ^;
最近テント泊や、そうでなくてもトレーニングのためにと、わざと重い荷を背負って山歩きをしていたせいもあり、この日の荷の軽さによって、いつもなら悲鳴を上げる坂道でも、そんなにツライっていう感じがしないのだ。

改めて、軽量であることのメリットを思い知らされた。
必要な装備は当然持ち歩かなければならないが、それも含めて軽量化を推し進めることのメリットを肌で感じる、今回の剱岳アタックである。

     

前剱を登り進めていると、いつの間にかさっきの一服剱は遥か眼下のもの(右写真手前の峰)となっていた。

その向こうには、別山、剱御前に挟まれた剱沢も地形が、より一層はっきりと見てとれる。

 
さて、ここからが実はよく思い出せない(笑
あまりにも調子良く淡々と登り過ぎていたのか、前剱の登り道にほとんど印象が残ってないのだ。
それどころか、いつの間にか前剱のピークも通過してしまっていた(爆
ピーク付近はいくつか頂上っぽい所があったので、この先かな?この先かな?って思ってるうちに通過してしまったらしい。(レポじゃないよなこんなの(笑)
 

それで、どこから撮ったか記憶にない(滝汗)眼下の写真。真っ暗な剱岳の影の向こうに広がる平野は、富山平野だ。その向こうには富山湾。

3000m級の高山なのに、こんなに近くに平野と海があるのが立山連峰なのだ。

もう少し南側に振り仰ぐと、西大谷山(たぶん)。その遥か向こうの山塊は、おそらく加賀の霊峰、白山だ。

この日もとにかく天気が良く、遥か遠くの低い位置には雲は見えるものの、周囲一帯には全く雲がない。
どこもかもが一望の元に見渡せる、そんな絶好の登山日和となった。

 
 

と、平和に天気を喜んでいられるのはいつまでのことやら。
一服剱や前剱に阻まれていた剱岳本峰が視界に現れ、迫りつつある頃になると、本格的なクサリ場が出現するようになる。垂直に近い岩の斜面を、クサリを保持しながら足場を探して進んでいくような、慎重さを求められるポイントが現れる。

ちなみにそういったポイントは登りと下りで別々のルートが設定されていて、すれ違いに難儀することがない。
前剱を過ぎたこの辺りから、岩場は別ルートになっている。
写真中央の岩場は、前剱の門、と呼ばれる辺りで、登山者が岩に張り付いているクサリ場は登りのルートになり、これからあそこに張り付くわけだ。

 

いよいよ近付いてきた剱岳の頂部をクローズアップ。

山というより、もはや刃物、ってな如き鋭く尖った岩の集合体だ。

けれど、最頂部は意外と穏やかな曲線を描いているようにも見える。ここからそう見えるだけで、平べったく切り立った刃物になってるのかもしれないが(^ ^;

でもどっちにしたってそこに至るまでの、尖った岩場が凄い。(比較的)穏やかな頂部を、針の山が取り囲んで、人が寄り付くのを拒絶しているかのようだ。

                       
 
 

左の写真、剱岳の左肩の辺りだが、よーく見ると、岩山に人が張り付いている!

つまりこの尖った岩、登山道の一部らしい

わかってはいたが、ホント岩登りだわ、こりゃ。

                       

いよいよ渋滞発生。
平蔵ノ頭、と呼ばれる尖った岩場を越えるクサリ場で行列ができていた。
まぁ行列と言っても、数人程度だが・・

登山者も様々で、老若男女、荷物もサブザックの人から縦走装備の人まで。
岩場では荷物の量はあんまり関係ないみたい。技量と経験の差で、ひょいひょいと越えていく人、なかなか前に進めない人がいる感じ。

 

待っている間に、眼下の富山平野の眺めていた。

手前の川が早月川で、写真下の先の辺りが馬場島(僕が里帰りしてる時よくドライブしてるとこ)

平野には幾筋もの川が流れ、その形状から、神通川、常願寺川の大河も容易に判別できる。

故郷の町は、とある海沿いの町だが、その町すらも判別できるくらいに明瞭な眺めだ。
昔、あの町から剱を仰ぎ見ていたのだ。その頃は剱岳であることは意識していなかったが、特に真冬の凛とした朝の空に浮かび上がる白く鋭くそして大きな岩壁の光景は、今でも脳裏に焼き付いている。

その剱から今度は、自分を育んだ町を見下ろしているのだ。感慨深いというより、何だか不思議な気分である。

 

平蔵ノ頭のクサリ場は、足のかけ所をキチンと確保さえできれば、さほど難しいものではなかった。

乗り越えて振り返ってみると、本当に刃物のような岩である。

平蔵ノ頭を越えた後も、緊張感のある斜面の歩行が続く。いろんな岩場を次々と越えているが、体力的な疲れはない。
おそらく、両手を使って身体を引き上げたりバランスを取ったりして進んでいるからで、足腰にかかる負担が通常の登攀と比べれば少ないからだと思われる。

ただ、ひたすら緊張感のある道のりが続く。今まで味わったことのない種類の山行だ。

                     
平蔵のコルから、平蔵谷の雪渓を見下ろす。
足元は常にガレている感じなので、落石を起こさないよう注意して歩かなければならない。
   

平蔵のコルの後で再び渋滞。その先に見えたのが、剱岳「登り」の最大の難所と言われる「カニのタテバイ」だ。
ほぼ垂直に近い岩壁を、クサリを伝って登攀するのだ。さっき遠目に見た、岩に人が張り付いていたのは、この岩壁だった。

強固なステンレスのクサリが取付けられているので、ある程度安心感はあるが、足を乗せるくぼみを選んで足をかけ、身体を引き上げていくのは、言うほど簡単で安全なことではない。

クサリで道筋は付いているけど、どこに足をかけ手をかけるかということまでは、ガイドされていないからだ。各人の身体の大きさと技量に合わせて、個々で判断して登っていかなければならないのである。

いよいよ順番が巡ってきて取り付いてみると、前半は割と簡単に進むことができた。
ただ、後半の頂部近くでは、適当な足のかけ場がなく、半ば無理矢理に身体を引き上げてしまった箇所があった。それさえなければ、キレイに完登できたのだが。。(ちょっと慌ててしまった)

 
 

元々ここがヤマ場だとは知っていたので、集中してクリアはできた。

昔、クライミングジムに通ってた時期があって(ホントちょっとだけですが)、その経験がここで生きた。頭で考えなくても、身体が判断して三点支持を取ることができる。小さなくぼみを利用して手足をかけ、身体を引き上げるにはどの程度の力と支点間距離が適切か。
インドアの壁を登るのと、あんまり変わんない感じがした。

 

カニのタテバイまで来ると、剱岳登山もクライマックスに近いようである。
周囲の景観は、まさに「針の山」の如く異様なものになっている。見渡す限り、岩。それが天に突き立っている光景は、昔の人が恐れを為し、登ってはいけない山と信じていたのがわかろうというものである。

事実、剱は登ることができない山として、歴史上長らく登頂の挑戦を阻んだ山だった。
例え別山尾根を伝ってここまできても、カニのタテバイをはじめとする現在のクサリ場が、登路を断ったのではないだろうか。
今でこそ強固なクサリによって導かれているが、これがないととても登れたもんじゃない。今だって万が一手足を滑らせれば・・・・すこぶる危険なのには変わりはないのだ。

 
カニのタテバイの後は、クサリは無いものの両腕を使って乗り越えるような岩場が続く。
視界が開け、広く開けた斜面を登っていくにつれ、頂上が近いことを察知した。
海側から吹き上げる強烈な風を受けながら登り続けると、どんどん視界の空が広がっていく。
折り重なった岩を、高い所へ高い所へと向かっていくと、やがて絶頂に辿り着き、終焉を迎えた。
       

午前8時30分、剱岳山頂到達。
剱沢のベースキャンプを出てから、約3時間15分。クサリ場の待ち時間を除けば、約3時間ってとこだろうか。(そう言われると、いろいろある割にそんなに時間かからないんだよな)

頂上は案外広く、多くの登山者が登頂の余韻に浸っていた。
新しくてしっかりした祠があるが、誰一人拝みもせずに、列をなして記念撮影に興じている。

 
   

岩場の目立たない位置に、三等三角点の石が埋められていた。
つい数年前(2004年)に、剱岳山頂に初めて設けられた三角点。
周囲に遮るもののない絶頂にもかかわらず、剱岳山頂にはつい最近まで三角点が無かったのだ。
その辺の経緯は、小説あるいは映画「劔岳 点の記」に詳しい。

 
               

頂上からの眺めは、360°まったく遮るものの無い超絶景だった。
南側には、出発点となった剱沢を中央に、別山、その奥に一際高い屏風状の立山、右隣に浄土山が見え、更に右手の平原に室堂のホテルと高原道路の曲線が見える。その奥には、果てしなく続く越中の奥山、北アルプスの山岳地帯。立山に隠れるようにして槍ヶ岳、穂高が見えている。

こうやって見ると、立山一帯は非常に迫力ある立体感を伴った地形だ。室堂に立っただけではわからないダイナミックな山岳地形を、剱に登頂した者のみが知り得るのだ。

 
西側には富山平野が広がっているが、いつの間にか雲に覆われ、地上は見えなくなってしまっていた。
それでも、果てしなく続く雲海の光景は非日常的で、宇宙的なスケールで記憶に刻まれる。

北から東側にかけては、後立山連峰との間に、黒部の深い峡谷が刻まれている。

この辺り一帯も、長らく人跡未踏だった地域で、現在も余程の技術と日程が無い限り、入り込むことのできない秘境中の秘境である。

雲は全て眼下にあり、八ヶ岳、南アルプス、富士山までもが一望でき、これ以上無い絶景の風景を楽しむことができた。
頂上の崖の縁で腰を下ろし、携帯食のナッツを頬張りながら、絶景を存分に味わった。眼下の富山平野に住んでいる両親に登頂の報告。驚くだろな。友人にも絶景の写真付きでメールを送る。キャンプ場や山小屋ではまったく電波は届かないのに、山の頂上ってのは結構どこの山でも電波が届くのだ。
 

板アルプスから立山、そして剱沢大雪渓から一気に高度を上げて、剱岳頂上に達する地形。
大量の雪に削られ続ける斜面は十分荒々しいけれど、今立っている剱岳そのものは更に厳しく近寄り難い地形で、辺り一帯の中でも突然変異的な存在感を放っている。

その孤高の存在である剱を征服したという充実感は格別だ。50分近くも頂上で余韻に浸ってしまった。

 

剱の頂きの絶景と満足感に後ろ髪引かれつつも、下山を開始する。
基本的に来た道を戻るわけだが、主なクサリ場は登りと下りでルートが分けられている。

一般の登山者が登れる中では、非常に危険な山のうちに入るので、ルートは非常にしっかりとしている。(しっかりしてるから安全だというわけではないのだが)
クサリはステンレス製で強固だし、行き先表示もステンレス板でちょっとやそっとで朽ちない工夫がされてあるのだ。

剱頭部の岩場をペンキに従って下りていく。まだまだ登ってくる人も多いので、道を譲りながらカニのタテバイ上部まで降りると、そこから道が登りと分かれる。
そこから既に渋滞。この直下には下りの難所「カニのヨコバイ」があるためだ。

タテバイが垂直の岩をよじ上るのであれば、ヨコバイは垂直の岩に沿って水平に移動するというもの。
一枚岩に刻まれた僅かな足場とクサリを頼りに、まさにカニのようにして岩を這う。
手足を滑らせれば、もちろん崖下に真っ逆さまだ。

     

さすがに危険な箇所なので、カメラはサブザックの中にしまい込んだ。なので、カニのヨコバイの写真は無い。
渋滞の間、先に這っていく人たちを観察していたが、取り付いたらもう崖下に隠れて見えなくなってしまうので参考にならない。

事前の調査では、カニのヨコバイが難しいのは最初の一歩目で、一歩目に足をかける岩のくぼみが見えないので、非常に恐怖感がある、ということだった。
ところが実際は、何て言うか、取り付きからクサリに頼って身体を岩に向かい合わせにしないで、大きく回り込んで階段を下りるようにして岩を這うポジションにすれば何てことは無かった。(って言葉で説明したらわかり難いんだけど)

あとはとにかく気を付けて三点支持で這っていけばよく、最後のハシゴも一段一段確実に降りればクリアできた。

 
カニのヨコバイから文蔵の頭(ここも登り下りが別)を越え、前剱に向かって歩いていく。
時折振り返って剱の雄々しい頂きを名残惜しむ。前剱を越えれば、間近にこの頂きを見ることができなくなるからだ。
 
 
前剱手前の休憩ポイント。暑くなってきたのでTシャツ姿にすることにした。ついでに給水。身軽に登ることを優先したため、水は1リッターしか持ってきていない。ギリギリな感じ。
 
稜線から東大谷、早月川の支流、立山川の渓谷を見下ろす。
ここから見れば、ドライブスポットである馬場島なんて目と鼻の先なのに、なんと環境の異なることか。
 
周囲の山とは明らかに異なる剱岳の偉容。
 
 
見上げる頂きもさることながら、それを取り巻く鋭い岩の尖頭群が、まさに地獄の針の山の如きだ。
昔の人が恐れを為し、死者の山として信仰したのも、この景観を見れば頷くことができるというものだ。
 

数多くの急峻な雪渓には、この季節でもこれだけの雪が残る。垂直に限りなく近い雪渓は、剱岳を陥れる際の重要なルートになった。(写真は平蔵谷。初登頂の際ルートとなったのは長次郎谷)

この日も雪渓を登り、岩に取り付きロッククライミングを楽しむクライマーの姿が見られた。
紛い無きエキスパートのみに許されるルートである。

     

前剱を越えると、いよいよ別山と剱御前に挟まれた剱沢が間近に迫ってきた。眼下の一服剱は、意識しないとそれがピークであるかどうかも怪しいくらいに小さく、まさに「一服」するに適する程度のマイナーピークって感じ。

前剱の南側斜面は急峻で、よくこんなとこ登ってきたもんだ、と思うほどの坂を下りていく。
いつもそうなんだけど、下ってる時ってよくこんなトコ登ったなってほど斜面が急に感じることが多い気がする。個人的な感覚なのかな。

さて、ここまで調子良く登って降りてきたけど、剱はそんなに甘いもんじゃなかったってことに、ここに来て思い知らされることになる。

思いもかけないトラブルの発生に、前剱の下りで気が付いた。

                   
 
                           
なんと、左足のシューズのソールが剥がれてしまってたのだ。正確にはソールが一部だけ裂けて剥がれた状態。
あまりに続いた厳しい岩場の登攀に、シューズが悲鳴をあげたようだ。

さすがに既に5年近くも履いてるシューズだし、経年劣化的な寿命もそろそろだった(ソール自体すり減ってグリップは低下してるし、アッパーもボロ)ろうけど、ここでソールが壊れるとは何とも痛い。
しばらくは千切れたソールは辛うじて繋がっていたけど、そのうち千切れ飛んで、剱岳のモクズに消えてしまった。。

こうなると、普通に歩いても、どこか安定性も欠いてしまう。
前剱の斜面の急な下りで、明らかにグリップが不足。足を滑らせ幾度となく転びそうになるが、遂に激しくスリップし、1メートルほど下に滑り落ちた。
着地はしたものの、途中で右足の太ももを飛び出した岩でしこたま打った。
久しぶりに目から火花が出た。(+_+)

                                           

あんな程度のソールの欠落でも、歩き難くなるもんである。
そんな状況ながら、前剱を下り切り、一服剱のピークへの登りで振り返って、前剱の勇姿に見入った。

一服剱で「一服」し、剣山荘に向かって下りていく。
ソールのせいで、元々あまり無かったグリップ力がさらに低下。ペースはガクンと落ちていたが、ここまで来れば何も慌てることはない。

剣山荘には、既に剱を征服した登山者が多数休憩していた。
どの登山者の顔も、充実感に満ちあふれているようだった。そりゃこの天気の中登れれば、誰だって満足に違いない。

自分も小休憩を入れた。一服剱からさほど歩いてはいなかったが。
1リッターしか持参しなかった水はもうほとんど残ってない。けれど、剱沢のベースキャンプまではあと少し。(だけれど、我慢できず生ビール飲んでしまった(^ ^;;)

小屋からキャンプ場までの道のりには、ほとんど登山者の往来がなかった。
写真を撮りながらの歩きなので、ソロの女の子を抜かし抜かされつつ、ゆっくりと進んでいく。

剱沢雪渓へと続く谷間も、穏やかな秋の昼下がり、って光景だが、実際は割と暑いくらいなのだった(^ ^;

 

午後12時40分、剱沢キャンプ場に到着。ベースキャンプ帰還。
頂上で相当ゆっくりしたし、下山時のトラブルもあって、トータル7時間以上の行程となった。

それにしてもおびただしいテントの数だ。。半日のうちにまた増えたんじゃないか。。

 

到着しても、今ひとつ食欲がなかったので昼飯は食べずに、岩に打ちつけた太ももをアイシングしながら余った行動食をつまんだ。

登頂のお祝いは持参した赤ワイン♪
安物をちびちびとやりながら、本を読みつつ静かな時間を過ごす。
ベースキャンプを張る時は、テントにいる時間が長いので、多少荷物が増えてもこの時間を豊かに過ごせるモノは持ってくるようにしているのだ。

時折、目の前の剱岳上空を、ヘリコプターが爆音を轟かせながら旋回していた。
映画の影響もあり、この連休の剱岳登山者は相当に多いはずだ(このテントの数を見れば一目瞭然)。これだけ人がいれば技量に差があって当然。
おそらく救助ヘリだろう。どこで落ちても不思議ではない山である。そういうリスクも肝に命じなければ、剱という山に取り付くことは許されないのである。

昨日と同じように日が暮れ、闇に落ちた剱沢上空は、満天の星空となった。
空の端から端までを繋ぐ銀河の帯、天の川は、何度見ても飽きることがなかった。
いつだってこの光景が見られるわけではない。9月の安定した気象で、たまたま快晴が続いた週末だったからこそ出会えた光景なのだ。今度来た時に見られる保証はどこにもないわけで、そう思うといつまでもずっと見ていたいと思わずにはいられなかった。

 
3日目山行 / 1日目山行
 
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