6日目 sixth day

霧島高原国民休養地キャンプ場の朝。はっきりとしない陽光に黒く浮かぶ霧島連山を見上げる。

心配された降雨は無く、テントの撤収もスムーズに済み、早朝のキャンプ場を後にした。
昨日えびの高原方面に向かった道と同じルートを辿って宮崎県側に向かう。

えびの高原のレストハウス前では、昨日と同じ場所で、シカの親子が道路脇から顔を出していた。

賽の河原を通過すると、えびの高原市営露天風呂。
・・なのだが、バリケードで閉鎖されていた。朝早過ぎてやってないだけだとこの時は思ってたのだが、帰ってから気になって調べてみると、源泉温度が下がったとかで既に営業を取り止めたとのこと。。(言われてみれば新しいツーリングマップルには載ってない)
韓国岳山麓のガス噴出も止まったとかいうハナシも効いたことがある。大地は生き物だからねー。温泉も有限ってことなんだよ。

 

露天風呂を通過すると、そこはえびのスカイライン。山の上は昨晩は雨だったようで、路面は完全にウェットだった。
上の方では垂れ込めた雲によって日差しが遮られていたが、下りてくるに従って朝の日差しが降り注いでくる。それが朝露と濡れた路面に反射して眩しいこと。

停車せずにそのままえびのスカイラインを走り切り、小林市街へと入っていく。ここで継ぎ足し給油。
町のメインストリートの国道221号をちょっとだけ走って、すぐに国道265号へと折れる。
市街地はあっという間に終わって、長閑な田園風景が広がる道に落ち着いた。

                     

国道265号 小林〜西米良

最初はいい。長閑な風景に心が和む。
ただそれも長くは言ってられない。小野湖を過ぎたあたりから孤独感が増してくる。
それだけじゃない。この先に行くなと言わんばかりの不穏な空気がどこか漂ってくる。。。

→の写真の奥に小さく見える白い道路標示に書いてあるのは・・・「国道265号〜この道路は山岳部で未改良のため幅員が狭くカーブが多いので注意して運転して下さい」・・・・・

 
                     

程なくして狭路が現れた。
ここに来るまで、この先難所続きを警告するような看板をいくつか目にした。わざわざ好き好んで走ろうとする以外は通るべきではないことは明白だった。

しかし今日の僕とエスは、その「好き好んで走ろう」とする方なのである。
普通は地図上でそのルートを辿るだけで気持ちが萎えるところだが、その険しさゆえの楽しみを感じることができるのだ。

自然に還ってしまいそうなほど濃度の高い山深いワインディングロードをじっくり楽しむ心の準備はできているのである。

急斜面をえぐり、のたうちまわるように続いていくR265。両脇を閉めてくる山肌とガードレールが、走行ラインの選択肢を一層狭くする。

そのうち山側の斜面がコンクリートで固められている光景が連続するようになる。
斜面の崩落を防ぐための措置であることは明白だが、そのコンクリート壁(もう「斜面」ではない)をびっちりと覆ったコケの絨毯が、何とも美しい。

コンクリートの施工時には全く想定されていなかったであろう光景が、今はこの走行困難な区間において、少なからず目を奪われてしまうほどの色彩美を放っている意外性が面白い。

               

コケ壁画に見とれて走っていても、いつ対向車が飛び出してくるかわからないリスクに対向し続けなければならないことに変わりはない。対向車が現れれば、まずその場ですれ違うことは不可能な狭路R265をひたすら走り続ける。

登っているということがほとんど感じられないまま、ひとつ目の峠である輝嶺峠を通過。
登坂が認識できなくても、峠を通過する瞬間は意外とわかるもの。それまで視界に入らなかったパノラマが、突然目の前に現れたりすることがあるからだ。

         
     
               

下りもいつ終わるかわからないほど延々とした狭路が続く。

こういう道にはある程度免疫があるつもりだが、正直、長いなぁと感じざるを得なかった。
とにかく行く手を阻むブラインドコーナーが休むヒマもなく襲ってくるのだ。足を踏み外すような危険は無いが、見えないコーナーの先を察知してメリハリ良く加減速を繰り返すドライビングの集中力には、ある程度限界というものがある。
その限界を試されているような気がする。

ようやく分岐の青看が現れた時には、その先がどうなっているかも知らないのに、安堵してしまった。

                 

この分岐を過ぎると一気に急降下して、いきなり広い2車線路に道路は変化した。
久しぶりにアクセルを踏み続けるドライブ。どれだけぶりに4速に入れただろう?

道路脇のガードレール下には湖。それがダム湖であり、ダムがあるから道が広くなってることに気付くまでには時間はかからなかった。

久しぶりに道路以外の人工物に出会ったのも束の間、突如として元の景色に戻ってしまった。
再び気合いを入れ直して、挑みかかる酷道、R265の挑戦を迎え撃つ。

     

結論から言うと、ここから先がこのR265アドベンチャードライブ最狂区間、もといハイライトだった(笑

道路が狭いのはもはや当たり前。それよりとにかく路面の汚れっぷりが酷い。落ち葉、枯れ枝、砂利に落石と、よくS2000で通行できるもんだと他人事のように感心してしまうほど、恐ろしく荒れまくった道なのである。

もうここまでくると、ほとんど舗装された獣道。ラフな操作をすると、タイヤのグリップすら怪しい。そのうち道路が舗装されているのかすら判別できないくらいエスカレートしてくる。

                         

尾股峠という2つ目の峠は、1つ目に越えた輝嶺峠と比べるも無く困難で、そして長く感じられた。

このテの酷道で真っ先に思い付くのは、紀伊半島の国道425号である。
あちらも孤独で永遠かとも思われる時間を要する筋金入りの冒険道だが、R265はその上を行ってしまった。
R265は、とにかく路面が悪い(てゆーか汚れ過ぎ)このままだと自然に還ってしまいそう。

走っておいて言うのもなんだが、エスで走るのは自殺行為に近いかも(爆
こういう道で最強なのはワインディングベストなスポーツカーではなく、ジムニーのような気がする。(競争してみたい)

     

この尾股峠を越えてる区間では、後から見るとほとんど写真を撮っていない。それだけコースに集中していた、イヤ、せざるを得なかったと見える。
ただひたすらに長く酷い道を、コンセントレーション保ってステアリングを握っていたのだと思う。

峠を越えた後、下りの区間で追い付いた、切り出した原木を満載したトラックが前走する写真が残っていた。
道路は幾分広さを取り戻しているものの、相変わらずの荒れ具合と曲がり具合である。それをあのデカいトラックで疾走していくのだから、慣れた仕事の上であるとはいえ恐れ入る。(適所で譲ってもらえたが)

                   
                     

小林市街を出て走り続けること約2時間。。
R265が、人吉から西都へと続く山間のハイウェイ(R265に比べたらどんな国道もそう見えた)国道219号に合流した。

九州まで来てまさに冒険的なドライブをやってのけた満足感と、永遠に続くかと思われた山道から無事抜け出ることができた安堵感に満ちていた。

が、まだこのR265アドベンチャードライブは終わってはいない。これでもまだ折り返し地点。てゆーか、距離的にはまだ半分以上残っているのである(爆

R219を走っていると西米良村という村の中心部に入っていった。とんでもない道路を走って辿り着いたもんだから、恐ろしく秘境の村のように思えた。

この村の「川の駅」なる道の駅みたいな所で一休みすることにした。
食堂でおにぎりを買って食べ、直売所では手作りのゆずこしょうを購入した。
おにぎりはお米の味が濃くって美味しかったし、ゆずこしょうも特産とかで、手作り感満載で凄く美味しそうだった。(帰ってきてから食べたが、すんげえ辛かった(笑)でも今回の土産の中で一番のヒット)

       

国道265号 西米良〜椎葉

川の駅から少し戻って、西米良村の中心部から再びR265に入った。
村から抜ける時、またしてもR265から挑戦状(右の写真)を叩き付けられた。

 

挑戦された割には、しばらく快適な道が続いた。

山をいくつも越えたこの先には、九州の秘境と呼ばれる椎葉村がある。西米良でも(ここまで来るのに苦労したので)秘境感満載だったが、更に秘境だというのか
もうその「秘境」という響きだけで、胸が高鳴りっ放しなのである。

と興奮していたら、イキナリ椎葉村に入ってしまった(核爆

・・・まぁ行政界を越えただけで、人が住んでる所はまだずーっと先なのだが。。

             
 
道はいつの間にか狭くなっているが、さっきの小林〜西米良区間に比べたら、赤子の手を捻るようなもんである。
路面は乾いてたりハーフウェットだったりで、忙しく変化する。
椎葉村に入って間もなく、道路沿いに由緒正しそうな(?)滝が一筋流れ落ちているのが目に入った。
R265に入ってずっと山深くの中を走り続けている割には、こんな景色に巡り会うのは初めてに近い。
 
           
   

「野地の大滝」とある。地図にも載っていない程度の規模だが、しっとりとした景色を背景に流れ落ちる様はなかなか気持ちが良く、しばらくの間佇んでいた。

その先もR265を進んでいくが、やはり狭いことは狭いけど、割と路面はしっかりしていて凄く走りにくいってことはなかった。

       

やがてR388と合流。重複区間になる。
一応国道同士の合流なのに、まるでその雰囲気を感じさせない侘しい交差点。

その交差点直後には多少建物があったが、再び谷沿いの道を行くことになる。

ここで1台の軽四に追い付く。R265の狭路区間で初めて現れた前走車。慣れたカンジで(軽の割に)結構なペースで飛ばしていく。

よく見ると、ナンバーが「418」、つまり「しいば」。やるねぇ。

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R388との重複区間はすぐに終わってしまった。さっきの分岐よりももっと寂しい林道の枝分かれのようなY字の分岐を右に逸れて、R265単独区間に再び入る。
椎葉ナンバーの軽は、左のR388に走り去っていった。
 
         
ここから飯干峠への登り区間となるのだが、同じような景色ばかりで写真を撮ることに飽きてしまったのか、この先の写真が1枚も残されていない(汗
あまりの酷道っぷりに感覚がマヒしてしまったのか、険しい峠道にも関わらず特にこれといった印象も残っていないのだ。
           

そんなわけで、いきなり飯干峠である(^ ^;

これまでの峠とは一味違って、とても展望のいい場所だった。ちょっとした駐車スペース(と言ってもただの空き地)もあって、何とかゆっくり景色を眺める気にさせてくれる(笑

ちょうど今向かっている椎葉村中心部の方に展望が開けているが、明確に村の存在が見て取れるわけではなかった。
ただ眼下に広がる緩やかな山裾には、所々民家と畑地のような存在が確認できる。人の営みを目にすることは、この道では珍しいことなのだ。

           
     

飯干峠の下りも写真があまり無い(爆
何時間もこういう道を走り続けて、さすがに飽きが来てるのか。

道路は相変わらずの狭路で、舗装の状態も悪い。ただ、小林〜西米良ほど酷いわけでもなく、荒れを経験してきた身からすればイージーにすら思えるほど。

ターマックラリー的な気分で気持ち良くアクセル、ブレーキ、ステアリングをシンクロさせて、緩やかなダウンヒルステージを攻略していく。

途中、国道をショートカットできる林道との分岐があったが、敢えて遠回りなR265を選択。ここまで来たら、しっかりR265で秘境の村まで行ってみたいのだ。

谷底まで下りてくると、集落が現れる。お、遂に秘境の村に進入か!?、と心躍らせてみるも、町の中心というわけではなく、また山の狭路区間に入っていく。それを幾度と繰り返すことになる。

ダム湖沿岸に入った辺りで、携帯が鳴る。こんなとこで電波入るのか(驚

                           
東京からだった(仕事関係じゃなくてよかった〜)が、よもや椎葉村にいると言っても絶対通じないし、その辺はうやむやにしておくことにした(笑  
     
そして遂に、九州の秘境椎葉村中枢へと足を踏み入れた。

R265はバイパス状になっているらしく、町のメインストリートは1本山側。とりあえずエスに乗ったまま、そのメインストリートを走ってみる。

インターロッキング舗装の←の道が、椎葉村で一番「街」な通り。道は細くて賑やかさとは程遠いけど、旅館や商店が建ち並び、秘境という割には結構フツーだった(^ ^;

村役場もご覧の感じ。このテの規模の村の役場の建物としてはこれもフツーである。

山肌に沿った長細い路に沿って、村のあらゆる機能が集約してる感じだ。
険しい地形を上手く利用して形成された感はあるが、こと秘境というなら愛知県の旧富山村の方が秘境中の秘境、という印象が強いかもしれない。

ただ椎葉村もいわゆる「酷道」を延々走らなければ辿り着くことができないという意味では、村の繁栄具合がどうあれ、外部の者からすれば立派に秘境なのである。

   
                   

その椎葉村の中心街(?)に、「鶴富屋敷」なる観光資源があることを、いくつかの案内板で知った。
何だかお化け屋敷みたい(笑)な呼称だが、実際は古い民家で見学できるらしい。そのテは大好きなので、エスを観光駐車場に停めて行ってみることにした。

メインストリート沿いではあるが、道路よりかなり高い位置に鎮座しているその民家は、豪雪地帯の茅葺き民家のように特段大きいわけでもなく、今でも普通に農家の人が暮らしていてもおかしくないような佇まいだった。

入口の小屋で、入場料200円を払う。それだけかと思ったら、小屋番をしていたおばさんが屋敷を説明を直々に始めた。アドリブもなくすらすらと教科書的に話すので、一日何人来るのかわからない拝観者に対していちいち行っているのだろう。

それだけでなく、説明後はカセットテープを場内に流して、より詳細な説明を加えるという念の入れようだった。

その民家の中身と言えば、居室が縁を向いて一直線に並んでいるという奇妙なプランを描いている。

一般的に日本の伝統的民家と言えば、いわゆる「田」の字型プラン(広い畳の間が襖で仕切られている間取りの家)であるが、椎葉村には平地が少なく、山の斜面に沿って家を建てざるを得なかったことから、長細い居室並列型の家が一般的だったらしい。
その典型的な設えを残しているのが、この鶴富屋敷なんだそうだ。

元々は板の間だったと伝えられる各室には、現在は畳が敷かれている。
目を引くのはケヤキの一枚板を使用しているという壁一面の造り付け戸棚。丹念に磨き上げられているとはいえ、当時の建築技術と由緒ある家系を思わせる。

伝説的には、平家の落人(そもそも椎葉村は平家残党の隠れ家らしい)を追った那須与一の弟が、村の娘である鶴富姫と恋に落ち、その子孫が代々住んでいたのがこの屋敷とは言っても、今あるのは300年程前に建てられたと言われるもの)らしい。
ちなみにその子孫は現在、この屋敷の隣で旅館を営んでいるのだそうな。

             
 
             
               
 

椎葉村を堪能して出発するとすぐに、国道327号との分岐が現れた。
迷わずR265に進路を取って、来るべき狭路に備えるが、どこまで行っても快適2車線が続く。

一部狭くなる区間もあった気がするが、ほぼ快走状態を保ったまま、国見トンネルという長大なトンネルを抜けて五ヶ瀬町に入った。

                     
   
結構最近まで、この国見トンネルというトンネルは存在せず、R265は国見峠を越える難関区間だったらしい。
今やこのトンネルが開通し、椎葉村は少なくとも北側の五ヶ瀬からは、いわゆる「酷道」を通らずともアプローチできるようになったらしいのだ。
それまでは本当に、走ること自体躊躇う強烈な狭路を通らなければ、椎葉村には辿り着けなかった。だから椎葉村は「秘境」なのだ。
それはここまでの道筋を実際走ってみた身としては、痛いほどわかる気がする。
   
                     
 

快走路R265を走り続ける。国道218号に一瞬合流した後、またすぐにR265単独区間を北上し続ける。

雰囲気は完全に高原を行く爽快路。椎葉村までの困難な道のりが、まるで遠い夢のことだったかのような変わりよう。この先阿蘇へと続くR265の二面性がはっきりと現れている。

緑と青が支配する夏真っ直中のような緩やかなワインディングを走り続けると、やがて阿蘇の外輪山を越える。その峠の高森峠はトンネルで越えるが、そのあとカルデラに下りていくダウンヒルは急勾配な上に景色も楽しめる。

カルデラ内の阿蘇の勇姿が目の前にはっきりと拝めるようになったところで、R265とお別れすることにした。

R265はこの後、阿蘇の東側を通って国道57号に出会ったところで終点となり、完走まであとほんの少しだったが、別に国道を完走制覇する旅をしているわけではないので、その辺のコダワリは今んとこあんまり無い。

それよりも久しぶりに阿蘇の登山道路を走ってみたくなったのだ。2日目に阿蘇は通過しているが、ミルクロード走ってそのまま熊本側へ下りていったので、阿蘇山に訪れていたわけではなかった。
改めて阿蘇の懐に飛び込むのだ。

                 
   

阿蘇登山道路

登山道路を走るのは、実は初めての九州ツーリングだった2004年以来なのである。つまりおよそ4年ぶり。年中行事になりつつあった九州ツーリングにあって、一度しか訪れていないというのは自分でも意外な気がした。

南側の吉田線から北に抜ける坊中線をルートに定める。
吉田線の豪快ヒルクライムでどんどん高度を上げていく。

登山道路はあるところまで登ると、劇的に眺望が変化し、走る者の心を奪う。
うっすらと緑の表皮によって覆われているだけのように見える山々は、火の山の畏怖を感じさせる。

ただ残念なのは、麓まではあんなに晴れていた空が、阿蘇に登り始めると同時に分厚い雲に覆われたことだ。
最初は一瞬のことと思い込んでいたのだが、雲はむしろ勢力を増し、空全体を覆うようになって、周囲を暗闇に陥れようかという状態になってきた。

こんな暗闇では、草千里で雄大な草原風景を眺める気にもならなかった。同じく米塚も通過。
同時に雨粒が、一粒、また一粒とフロントガラスを叩き始めた。

雨雲が覆っているのは山だけのようで、下界は晴れているように見える。雨が本格的にならないうちに下りてしまいたかった。ただ運悪いことに前を走るオデッセイがかなりのスローペース。譲ってくれる素振りもなく、結局下まで付き合わされることに。

案の定、下界は雲ってはいるものの幾分明るかった。R57に出てコンビニで小休憩。登山道路は結局一度も停まらず走り抜けただけだったが、この天気では仕方無い。

ここで数ある候補の中から今日の温泉を決めて、やまなみハイウェイへと進路を取った。
一の宮で例のコンビニeveryoneを発見。当然寄ったが、結局今回の旅ではこれが最後のeveryoneとなった。
コンビニから出ると、抵抗虚しくすっかり土砂降りと化していた。。。

 

外輪山を登り切る辺りで、携帯が鳴った。フェリー会社からだった。

実は登山道路を登る直前に、今日のタイムスケジュールのメドがついたことから、今晩博多港を出るフェリーを予約しようと試みていたのだ。
対馬へと向かうカーフェリーは九州郵船のみで、電話した時は今晩の便は既に予約で一杯とのことだった。
しまったもっと早めに抑えておくんだったと後悔しても仕方無く、一応キャンセル待ちを希望しておいた。

そしたら予約確認でもしてくれたのか、結構すぐに今晩乗れますという連絡が来たのだ。本来キャンセル待ちの客に電話してくれることはないのだそうだが、特に繁忙期でもないのでちょっと手を回してくれた様子。担当者の計らいに感謝しておいた。

博多港を夜中に出る便なので、阿蘇から間に合わないことはまずない。
今後の予定がはっきりしたので、スッキリとした気分で温泉を楽しめそう。
・・・だったのだが、この土砂降りは明らかに余計だった。

   

黒川温泉 いこい旅館

訪れた温泉は黒川温泉である。
やまなみハイウェイから国道442号に入って西に行くと、人気の温泉街がある。

以前訪れた時と同様、観光旅館組合「風の舎」の観光駐車場にエスを停めた。

湯巡り手形を片手に、数ある温泉旅館を巡るのが黒川スタイルだが、既に時刻は夕方で、ゆっくり湯巡りなぞしている時間ではなかった。

   

そこで一軒のみの入浴にとどめることにした。
であれば、前々から行きたいと思っていた新明館を選択したいところだったが、運悪くこの日は工事中で入れないとのこと。

その代替として訪れることにしたのが「いこい旅館」。
まぁ黒川ならハズレはなかろうということで、写真の印象だけで決めたのだが、実際かなり良かった。
源泉の質は言うまでもなく、やはり黒川温泉の雰囲気づくりは長けている。
日本人が心安らぐツボを心得ているというか、それを温泉街全体が創り出しているのだから。

言い方を変えると、黒川の旅館はどこも同じようで個性が薄いと言えなくもないが、何も知らない温泉客にしてみたら、ハズレがないことだって重要である。
お気に入りの温泉宿が満杯でも、代わりになる旅館が存在するという安心感は親切であるに違いない。

帰り道、温泉街を軽く散策する。平日なのにエラい人である。関東でこれに立ち向かえるのは草津くらいではないだろうか。この集客力、さすがと言うしかない。

     

黒川温泉を出る頃には既に18時に近付いていたが、今宵はキャンプをする必要がなく、かと言って宿代も必要ない(フェリーの中で寝る)ので気楽なものである。
この期に及んでワインディング探し。ファームロードで日田に向かうことにした。

予想通り2車線の快速ワインディングロード、ではあったが、、入って間もなく深い霧が立ちこめてきた。
霧は勢力を強めてあっという間に濃霧、視界を奪われる。それでも明るうちはまだ何とかなった。しかし周囲が暗くなり出すと、ヘッドライトの光が目と鼻の先を覆っている濃霧に乱反射して余計に真っ白に見えてしまう。

ライトを点けていると却って視界が奪われるので、ディスチャージを消して車幅灯だけを点灯して走った。
車幅灯では前方を照らすことは全くできなかったが、 暗闇になりかける前の霧に覆われた高原の道は、こうしないと走行不可能だった。(ブラインドアタック!?)

暗闇の濃霧という困難な状況を走り切り、やがて国道210号日田バイパスに出た。
国道212号から日田IC、大分自動車道に乗る。これで一気に福岡まで行ってしまうつもり。

 

大分自動車道はやや雨がぱらついていたが、鳥栖で九州自動車道に入った後は雨が降ることはなかった。
それにしても九州自動車道の上り線のクルマの量は凄かった。3車線でギッシリだったので、まるで東名走ってるみたいだった。

基山PAで休憩がてら、フェリーの作戦を練った。

対馬に向かうフェリーは運良く予約できたが、予約が取りづらいということは、帰りのフェリーは行く前に予約しておかないとマズいかな、という気がした。

そこで問題になったのは、対馬から戻る途中に壱岐に寄るかどうかということ。

対馬に比べて島の大きさと道の面白さ(地図上での想像による)で劣る壱岐は、優先順位が低かったが、フェリーの時間が合えば寄ってみたい。

で、いろいろ調べてみたが、東京に帰る日と走行時間等を考慮すると、壱岐は今回はパス、というのが結論になった。
博多と対馬・壱岐を結ぶカーフェリーは、意外と便数が少ないのである。選択肢が限られていて、壱岐にいくと対馬滞在時間が短くなり過ぎるか、帰途の時間が厳しくならざるを得なかった。

まぁ仕方無い。今回は対馬を思う存分楽しんで、壱岐はいつか機会があったら、壱岐単独で行こうじゃないか。(対馬往復で割引適用というのも金銭的に大きい)

     

九州自動車道は福岡ICで降り(やっぱり通勤割引(笑)、そのまま福岡高速で博多港へと向かった。

午前中は九州随一の「酷道」を走っていたのに、今は九州最大の都市の夜景を高速の高架上から眺めている。この両極端な走行ステージに、自分自身の感覚神経もちょっとマヒ気味!?

21時頃には博多港に着いてしまった。出航まで3時間余り。その間帰りのフェリーを予約したり、ガソリンを入れに行ったり、間食を摂ったり。(そう言えば今日、食事らしい食事一回もしてない・・)

眠いんだけど眠るところまで落ちることができなくて、ターミナルのロビーでグデッとしてるうちに出航時間が近付いてきた。

 
               
 
                   
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九州郵船の対馬行きカーフェリー「ニューつしま」
途中、壱岐の港に寄港する

エスを車両甲板に滑り込ませる。全然余裕でまだまだ乗れそうな感じだった。とりあえず乗船を予約している法人が多いだけなんだろうか。

そんな感じなので、2等船室も空いていた。難なく端っこのスペースを陣取り、毛布を借りて就寝体制に入る。
4時には対馬に着いてしまうが、そんな時間に走り出してもまだ暗いので、7時まで船内で寝ていられるシステムを利用することにした。

 
5日目 / 7日目