6日目 sixth day 霧島高原国民休養地キャンプ場の朝。はっきりとしない陽光に黒く浮かぶ霧島連山を見上げる。 心配された降雨は無く、テントの撤収もスムーズに済み、早朝のキャンプ場を後にした。 えびの高原のレストハウス前では、昨日と同じ場所で、シカの親子が道路脇から顔を出していた。 賽の河原を通過すると、えびの高原市営露天風呂。 |
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露天風呂を通過すると、そこはえびのスカイライン。山の上は昨晩は雨だったようで、路面は完全にウェットだった。 停車せずにそのままえびのスカイラインを走り切り、小林市街へと入っていく。ここで継ぎ足し給油。 |
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国道265号 小林〜西米良 最初はいい。長閑な風景に心が和む。 →の写真の奥に小さく見える白い道路標示に書いてあるのは・・・「国道265号〜この道路は山岳部で未改良のため幅員が狭くカーブが多いので注意して運転して下さい」・・・・・ |
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程なくして狭路が現れた。 しかし今日の僕とエスは、その「好き好んで走ろう」とする方なのである。 自然に還ってしまいそうなほど濃度の高い山深いワインディングロードをじっくり楽しむ心の準備はできているのである。 |
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急斜面をえぐり、のたうちまわるように続いていくR265。両脇を閉めてくる山肌とガードレールが、走行ラインの選択肢を一層狭くする。 そのうち山側の斜面がコンクリートで固められている光景が連続するようになる。 コンクリートの施工時には全く想定されていなかったであろう光景が、今はこの走行困難な区間において、少なからず目を奪われてしまうほどの色彩美を放っている意外性が面白い。 |
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コケ壁画に見とれて走っていても、いつ対向車が飛び出してくるかわからないリスクに対向し続けなければならないことに変わりはない。対向車が現れれば、まずその場ですれ違うことは不可能な狭路R265をひたすら走り続ける。 登っているということがほとんど感じられないまま、ひとつ目の峠である輝嶺峠を通過。 |
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下りもいつ終わるかわからないほど延々とした狭路が続く。 こういう道にはある程度免疫があるつもりだが、正直、長いなぁと感じざるを得なかった。 ようやく分岐の青看が現れた時には、その先がどうなっているかも知らないのに、安堵してしまった。 |
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この分岐を過ぎると一気に急降下して、いきなり広い2車線路に道路は変化した。 道路脇のガードレール下には湖。それがダム湖であり、ダムがあるから道が広くなってることに気付くまでには時間はかからなかった。 久しぶりに道路以外の人工物に出会ったのも束の間、突如として元の景色に戻ってしまった。 |
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結論から言うと、ここから先がこのR265アドベンチャードライブ最狂区間、もといハイライトだった(笑 道路が狭いのはもはや当たり前。それよりとにかく路面の汚れっぷりが酷い。落ち葉、枯れ枝、砂利に落石と、よくS2000で通行できるもんだと他人事のように感心してしまうほど、恐ろしく荒れまくった道なのである。 もうここまでくると、ほとんど舗装された獣道。ラフな操作をすると、タイヤのグリップすら怪しい。そのうち道路が舗装されているのかすら判別できないくらいエスカレートしてくる。 |
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尾股峠という2つ目の峠は、1つ目に越えた輝嶺峠と比べるも無く困難で、そして長く感じられた。 このテの酷道で真っ先に思い付くのは、紀伊半島の国道425号である。 走っておいて言うのもなんだが、エスで走るのは自殺行為に近いかも(爆 |
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この尾股峠を越えてる区間では、後から見るとほとんど写真を撮っていない。それだけコースに集中していた、イヤ、せざるを得なかったと見える。 峠を越えた後、下りの区間で追い付いた、切り出した原木を満載したトラックが前走する写真が残っていた。 |
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小林市街を出て走り続けること約2時間。。 九州まで来てまさに冒険的なドライブをやってのけた満足感と、永遠に続くかと思われた山道から無事抜け出ることができた安堵感に満ちていた。 が、まだこのR265アドベンチャードライブは終わってはいない。これでもまだ折り返し地点。てゆーか、距離的にはまだ半分以上残っているのである(爆 |
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R219を走っていると西米良村という村の中心部に入っていった。とんでもない道路を走って辿り着いたもんだから、恐ろしく秘境の村のように思えた。 この村の「川の駅」なる道の駅みたいな所で一休みすることにした。 |
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国道265号 西米良〜椎葉 川の駅から少し戻って、西米良村の中心部から再びR265に入った。 |
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挑戦された割には、しばらく快適な道が続いた。 山をいくつも越えたこの先には、九州の秘境と呼ばれる椎葉村がある。西米良でも(ここまで来るのに苦労したので)秘境感満載だったが、更に秘境だというのか。 |
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と興奮していたら、イキナリ椎葉村に入ってしまった(核爆 ・・・まぁ行政界を越えただけで、人が住んでる所はまだずーっと先なのだが。。 |
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道はいつの間にか狭くなっているが、さっきの小林〜西米良区間に比べたら、赤子の手を捻るようなもんである。 路面は乾いてたりハーフウェットだったりで、忙しく変化する。 |
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椎葉村に入って間もなく、道路沿いに由緒正しそうな(?)滝が一筋流れ落ちているのが目に入った。 R265に入ってずっと山深くの中を走り続けている割には、こんな景色に巡り会うのは初めてに近い。 |
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「野地の大滝」とある。地図にも載っていない程度の規模だが、しっとりとした景色を背景に流れ落ちる様はなかなか気持ちが良く、しばらくの間佇んでいた。 その先もR265を進んでいくが、やはり狭いことは狭いけど、割と路面はしっかりしていて凄く走りにくいってことはなかった。 |
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やがてR388と合流。重複区間になる。 その交差点直後には多少建物があったが、再び谷沿いの道を行くことになる。 ここで1台の軽四に追い付く。R265の狭路区間で初めて現れた前走車。慣れたカンジで(軽の割に)結構なペースで飛ばしていく。 |
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よく見ると、ナンバーが「418」、つまり「しいば」。やるねぇ。 |
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R388との重複区間はすぐに終わってしまった。さっきの分岐よりももっと寂しい林道の枝分かれのようなY字の分岐を右に逸れて、R265単独区間に再び入る。 椎葉ナンバーの軽は、左のR388に走り去っていった。 |
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ここから飯干峠への登り区間となるのだが、同じような景色ばかりで写真を撮ることに飽きてしまったのか、この先の写真が1枚も残されていない(汗 あまりの酷道っぷりに感覚がマヒしてしまったのか、険しい峠道にも関わらず特にこれといった印象も残っていないのだ。 |
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そんなわけで、いきなり飯干峠である(^ ^; これまでの峠とは一味違って、とても展望のいい場所だった。ちょっとした駐車スペース(と言ってもただの空き地)もあって、何とかゆっくり景色を眺める気にさせてくれる(笑 ちょうど今向かっている椎葉村中心部の方に展望が開けているが、明確に村の存在が見て取れるわけではなかった。 |
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飯干峠の下りも写真があまり無い(爆 道路は相変わらずの狭路で、舗装の状態も悪い。ただ、小林〜西米良ほど酷いわけでもなく、荒れを経験してきた身からすればイージーにすら思えるほど。 ターマックラリー的な気分で気持ち良くアクセル、ブレーキ、ステアリングをシンクロさせて、緩やかなダウンヒルステージを攻略していく。 |
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途中、国道をショートカットできる林道との分岐があったが、敢えて遠回りなR265を選択。ここまで来たら、しっかりR265で秘境の村まで行ってみたいのだ。 谷底まで下りてくると、集落が現れる。お、遂に秘境の村に進入か!?、と心躍らせてみるも、町の中心というわけではなく、また山の狭路区間に入っていく。それを幾度と繰り返すことになる。 ダム湖沿岸に入った辺りで、携帯が鳴る。こんなとこで電波入るのか(驚 |
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東京からだった(仕事関係じゃなくてよかった〜)が、よもや椎葉村にいると言っても絶対通じないし、その辺はうやむやにしておくことにした(笑 | ||||||||||||||||||
そして遂に、九州の秘境、椎葉村の中枢へと足を踏み入れた。
R265はバイパス状になっているらしく、町のメインストリートは1本山側。とりあえずエスに乗ったまま、そのメインストリートを走ってみる。 インターロッキング舗装の←の道が、椎葉村で一番「街」な通り。道は細くて賑やかさとは程遠いけど、旅館や商店が建ち並び、秘境という割には結構フツーだった(^ ^; |
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村役場もご覧の感じ。このテの規模の村の役場の建物としてはこれもフツーである。 山肌に沿った長細い路に沿って、村のあらゆる機能が集約してる感じだ。 ただ椎葉村もいわゆる「酷道」を延々走らなければ辿り着くことができないという意味では、村の繁栄具合がどうあれ、外部の者からすれば立派に秘境なのである。 |
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その椎葉村の中心街(?)に、「鶴富屋敷」なる観光資源があることを、いくつかの案内板で知った。 メインストリート沿いではあるが、道路よりかなり高い位置に鎮座しているその民家は、豪雪地帯の茅葺き民家のように特段大きいわけでもなく、今でも普通に農家の人が暮らしていてもおかしくないような佇まいだった。 |
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入口の小屋で、入場料200円を払う。それだけかと思ったら、小屋番をしていたおばさんが屋敷を説明を直々に始めた。アドリブもなくすらすらと教科書的に話すので、一日何人来るのかわからない拝観者に対していちいち行っているのだろう。 それだけでなく、説明後はカセットテープを場内に流して、より詳細な説明を加えるという念の入れようだった。 |
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その民家の中身と言えば、居室が縁を向いて一直線に並んでいるという奇妙なプランを描いている。 一般的に日本の伝統的民家と言えば、いわゆる「田」の字型プラン(広い畳の間が襖で仕切られている間取りの家)であるが、椎葉村には平地が少なく、山の斜面に沿って家を建てざるを得なかったことから、長細い居室並列型の家が一般的だったらしい。 |
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元々は板の間だったと伝えられる各室には、現在は畳が敷かれている。 伝説的には、平家の落人(そもそも椎葉村は平家残党の隠れ家らしい)を追った那須与一の弟が、村の娘である鶴富姫と恋に落ち、その子孫が代々住んでいたのがこの屋敷(とは言っても、今あるのは300年程前に建てられたと言われるもの)らしい。 |
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椎葉村を堪能して出発するとすぐに、国道327号との分岐が現れた。 一部狭くなる区間もあった気がするが、ほぼ快走状態を保ったまま、国見トンネルという長大なトンネルを抜けて五ヶ瀬町に入った。 |
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結構最近まで、この国見トンネルというトンネルは存在せず、R265は国見峠を越える難関区間だったらしい。 今やこのトンネルが開通し、椎葉村は少なくとも北側の五ヶ瀬からは、いわゆる「酷道」を通らずともアプローチできるようになったらしいのだ。 それまでは本当に、走ること自体躊躇う強烈な狭路を通らなければ、椎葉村には辿り着けなかった。だから椎葉村は「秘境」なのだ。 それはここまでの道筋を実際走ってみた身としては、痛いほどわかる気がする。 |
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快走路R265を走り続ける。国道218号に一瞬合流した後、またすぐにR265単独区間を北上し続ける。 雰囲気は完全に高原を行く爽快路。椎葉村までの困難な道のりが、まるで遠い夢のことだったかのような変わりよう。この先阿蘇へと続くR265の二面性がはっきりと現れている。 緑と青が支配する夏真っ直中のような緩やかなワインディングを走り続けると、やがて阿蘇の外輪山を越える。その峠の高森峠はトンネルで越えるが、そのあとカルデラに下りていくダウンヒルは急勾配な上に景色も楽しめる。 |
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カルデラ内の阿蘇の勇姿が目の前にはっきりと拝めるようになったところで、R265とお別れすることにした。 R265はこの後、阿蘇の東側を通って国道57号に出会ったところで終点となり、完走まであとほんの少しだったが、別に国道を完走制覇する旅をしているわけではないので、その辺のコダワリは今んとこあんまり無い。 それよりも久しぶりに阿蘇の登山道路を走ってみたくなったのだ。2日目に阿蘇は通過しているが、ミルクロード走ってそのまま熊本側へ下りていったので、阿蘇山に訪れていたわけではなかった。 |
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阿蘇登山道路 登山道路を走るのは、実は初めての九州ツーリングだった2004年以来なのである。つまりおよそ4年ぶり。年中行事になりつつあった九州ツーリングにあって、一度しか訪れていないというのは自分でも意外な気がした。 南側の吉田線から北に抜ける坊中線をルートに定める。 |
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登山道路はあるところまで登ると、劇的に眺望が変化し、走る者の心を奪う。 ただ残念なのは、麓まではあんなに晴れていた空が、阿蘇に登り始めると同時に分厚い雲に覆われたことだ。 |
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こんな暗闇では、草千里で雄大な草原風景を眺める気にもならなかった。同じく米塚も通過。 |
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雨雲が覆っているのは山だけのようで、下界は晴れているように見える。雨が本格的にならないうちに下りてしまいたかった。ただ運悪いことに前を走るオデッセイがかなりのスローペース。譲ってくれる素振りもなく、結局下まで付き合わされることに。 | ||||||||||||||||||
案の定、下界は雲ってはいるものの幾分明るかった。R57に出てコンビニで小休憩。登山道路は結局一度も停まらず走り抜けただけだったが、この天気では仕方無い。 ここで数ある候補の中から今日の温泉を決めて、やまなみハイウェイへと進路を取った。 |
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外輪山を登り切る辺りで、携帯が鳴った。フェリー会社からだった。 実は登山道路を登る直前に、今日のタイムスケジュールのメドがついたことから、今晩博多港を出るフェリーを予約しようと試みていたのだ。 そしたら予約確認でもしてくれたのか、結構すぐに今晩乗れますという連絡が来たのだ。本来キャンセル待ちの客に電話してくれることはないのだそうだが、特に繁忙期でもないのでちょっと手を回してくれた様子。担当者の計らいに感謝しておいた。 博多港を夜中に出る便なので、阿蘇から間に合わないことはまずない。 |
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黒川温泉 いこい旅館 訪れた温泉は黒川温泉である。 以前訪れた時と同様、観光旅館組合「風の舎」の観光駐車場にエスを停めた。 湯巡り手形を片手に、数ある温泉旅館を巡るのが黒川スタイルだが、既に時刻は夕方で、ゆっくり湯巡りなぞしている時間ではなかった。 |
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そこで一軒のみの入浴にとどめることにした。 その代替として訪れることにしたのが「いこい旅館」。 |
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言い方を変えると、黒川の旅館はどこも同じようで個性が薄いと言えなくもないが、何も知らない温泉客にしてみたら、ハズレがないことだって重要である。 帰り道、温泉街を軽く散策する。平日なのにエラい人である。関東でこれに立ち向かえるのは草津くらいではないだろうか。この集客力、さすがと言うしかない。 |
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黒川温泉を出る頃には既に18時に近付いていたが、今宵はキャンプをする必要がなく、かと言って宿代も必要ない(フェリーの中で寝る)ので気楽なものである。 予想通り2車線の快速ワインディングロード、ではあったが、、入って間もなく深い霧が立ちこめてきた。 |
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ライトを点けていると却って視界が奪われるので、ディスチャージを消して車幅灯だけを点灯して走った。 暗闇の濃霧という困難な状況を走り切り、やがて国道210号日田バイパスに出た。 |
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大分自動車道はやや雨がぱらついていたが、鳥栖で九州自動車道に入った後は雨が降ることはなかった。 基山PAで休憩がてら、フェリーの作戦を練った。 対馬に向かうフェリーは運良く予約できたが、予約が取りづらいということは、帰りのフェリーは行く前に予約しておかないとマズいかな、という気がした。 |
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そこで問題になったのは、対馬から戻る途中に壱岐に寄るかどうかということ。 対馬に比べて島の大きさと道の面白さ(地図上での想像による)で劣る壱岐は、優先順位が低かったが、フェリーの時間が合えば寄ってみたい。 で、いろいろ調べてみたが、東京に帰る日と走行時間等を考慮すると、壱岐は今回はパス、というのが結論になった。 まぁ仕方無い。今回は対馬を思う存分楽しんで、壱岐はいつか機会があったら、壱岐単独で行こうじゃないか。(対馬往復で割引適用というのも金銭的に大きい) |
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九州自動車道は福岡ICで降り(やっぱり通勤割引(笑)、そのまま福岡高速で博多港へと向かった。 午前中は九州随一の「酷道」を走っていたのに、今は九州最大の都市の夜景を高速の高架上から眺めている。この両極端な走行ステージに、自分自身の感覚神経もちょっとマヒ気味!? 21時頃には博多港に着いてしまった。出航まで3時間余り。その間帰りのフェリーを予約したり、ガソリンを入れに行ったり、間食を摂ったり。(そう言えば今日、食事らしい食事一回もしてない・・) 眠いんだけど眠るところまで落ちることができなくて、ターミナルのロビーでグデッとしてるうちに出航時間が近付いてきた。 |
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九州郵船の対馬行きカーフェリー「ニューつしま」 途中、壱岐の港に寄港する |
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エスを車両甲板に滑り込ませる。全然余裕でまだまだ乗れそうな感じだった。とりあえず乗船を予約している法人が多いだけなんだろうか。 そんな感じなので、2等船室も空いていた。難なく端っこのスペースを陣取り、毛布を借りて就寝体制に入る。 |
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