7日目 seventh day 「フェリーつしま」は午前4時には対馬の海の玄関口、厳原港に到着していたが、夜が明けるまで停泊中の船内にそのまま居座ることが許される仕組みになっていた。 厳原港から県道24号に出る。そのT字路には、この先の島内の距離表示があったが、「比田勝91km」にはビックリ。南北に長い島ではあるが、北端の町まで100km近くもあるとは・・・ |
||||||||||||||||||||||||||
対馬は想像以上に大きな島らしい。かつての奄美大島もその険しさから大きな島だと実感したものだが、対馬はそれに次ぐ大きさ(面積)なのである。(ちなみに佐渡島よりは小さく、淡路島よりも大きい) 計画では、まずは島の南側をぐるりと周遊することから始めることにしていた。 |
||||||||||||||||||||||||||
ついさっきまで雨が降っていたようで路面は完全に濡れていた。しかし今のところ空から雨粒は落ちてきていない。 内陸の道を走っていると、内山峠という峠に出た。 ここは渡り鳥の飛来ルートとして有名な所らしい。ただ、設定した自分のドライブルートからはどこかから外れていたみたいで、少し戻って県道24号に復帰する必要があった。 |
||||||||||||||||||||||||||
県道に戻って島の南端を目指す。 その豆酘までのワインディングは、狭いとはいってもたかだか知れてるくらいの程度で、しかも走ってるクルマも皆無なことから快走できた。 豆酘の集落に入ったら、岬を目指して細い小路を進んでいく。 |
||||||||||||||||||||||||||
豆酘崎 公園の中のような道をずんずん進んで行くとキャンプ場のような広場が現れたが、更にその先にもクルマのまま進めそうだった。 エスから降りて徒歩の準備。ここまで来れば、岬の先端は間近なはず。 |
||||||||||||||||||||||||||
薄暗い空に灰色に染められた灯台が佇んでいた。その麓には岬の遊歩道が。 | ||||||||||||||||||||||||||
遊歩道の先は、灯台のある岬の先端にありがちな断崖絶壁の上に位置していた。 海上にも古めかしい灯台が立っており、その先をゆっくりと大きな船が航行していく。 同じ岬の風景でも、天草の四季咲岬で体感したようなコントラストの高い景色とは正反対の、くすんだ岬の風景である。 |
||||||||||||||||||||||||||
豆酘崎で昨日コンビニで買ったおにぎりを食べたりして、景色悪いながら割とゆっくりした後、豆酘の集落から再び県道24号をトレースする。 豆酘から先は、ルート的には島の西側海岸に沿う周遊道となるが、相変わらず海沿いを走ることはなく、地形の谷間を縫いながら、内陸をウネウネと走ることになる。 |
||||||||||||||||||||||||||
時折見通しの良い道になるものの、基本的には山間を行く寂しげな道路で、道行くクルマも皆無。アグレッシブなワインディングというほどではないが、やや濡れた路面はスリッピーで、リアタイヤが多少流れることも。 とかしてるうちに、何とか耐えていた空から遂に雨が落ちてきてしまった。 |
||||||||||||||||||||||||||
石屋根 対馬下島の西側を北上し続けていると、やがて椎根という集落が現れる。 ここには「石屋根」と呼ばれる屋根瓦の代わりに板状の板を載せた伝統建築が残っている。 |
||||||||||||||||||||||||||
対馬のこの地域独特の建築様式なのだろう。石なんて重くて建物が潰れてしまわないかと心配になるが、瓦だってそう大して変わるもんじゃない。むしろ加工しやすい石が周囲で採取できたから、これがスタンダードとなっただけ。 本土から見れば奇異な建物だが、ここら一帯では当然の様式であり、それが今日失われつつある「地域性」なのだ。大切にしたい固有の文化遺産の典型例である。 |
||||||||||||||||||||||||||
椎根からは県道44号が分岐している。 そっちには行かずに、あくまで県道24号。 |
||||||||||||||||||||||||||
県道を走る方角が東に向いてきた頃から、道はマトモになってくる。 対馬唯一の国道にして、南北を縦断している島随一の幹線道路がR382。下島の中心部である厳原から、北端の町比田勝までを結んでいるので、今朝見た青看からすれば、全長約90kmの道のりである。(ちなみにR382は壱岐にも通っている) そのR382に、厳原北部の美津島で合流。ここからはR382を基本に島北部を目指して進んでいく予定にしている。 |
||||||||||||||||||||||||||
R382に入ってすぐに、空の玄関口、対馬空港があった。周辺のロードサイドには店が建ち並び、ここまでの寂しい裏通りとはかけ離れた、ごく普通の幹線道路の様相を呈している。 そして万関橋を渡る。 |
||||||||||||||||||||||||||
上島に入った後は、見通しの良い広い道をスムーズに北上し続ける。 さっきの万関橋からは眺めることはできなかったが、上島と下島の間にはたくさんの島と入り組んだ入り江の地形が広がっており、風光明媚な風景を楽しめそうだから、この先にある烏帽子岳展望台という所へ行こうと、国道から脇道に入った。 それでも適当に進んでいると、展望台のごく近くにあって、展望台の後に訪れようと思い描いていた神社の前に、なぜか先に出てきてしまった。 |
||||||||||||||||||||||||||
和多都美神社 歴史と神話の色濃い対馬ならではのスポットである。 |
||||||||||||||||||||||||||
非常に入り組んだ浅茅湾の奥深くに、海に向かって社を構えている和多都美(わたつみ)神社。彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀っている。 古くは平安時代の格式である「延喜式」に既に記載があるらしいが、創祀年代は不明で、伝説に満ちた神秘的な社である。 |
||||||||||||||||||||||||||
本殿から一直線の軸上に並ぶ鳥居は、道路を跨いだ後そのまま海の中へと続いている。 どこか厳島神社を彷彿とさせるが、和多都美神社の歴史は更に古い。この神社が海と深い関わりがあるということが、このロケーションからも明白だ。 |
||||||||||||||||||||||||||
潮の満ち引きにより、海上にあるはずの2本の鳥居は時折陸続きになる。ちょうど潮が引いている時間だったため、真ん中の鳥居には歩いていくことができた。一番先の鳥居は、波ひとつ立たない静かな湾に鎮座している。 |
||||||||||||||||||||||||||
白木造りの拝殿はこぢんまりとしていたが、華美な装飾もなく、がっしりとした瓦屋根によって護られ、腰の据わった印象が残る。 |
||||||||||||||||||||||||||
この裏側に山の斜面と拝殿に挟まれるようにして本殿がある。 伊勢あるいは当時の朝廷から遠く離れたこの離島に、日本独特の信仰と社が古くから伝えられているという点に神秘とロマンを感じる。 |
||||||||||||||||||||||||||
古代の空気が静かに流れる和多都美神社は居心地が良く、じっくり堪能できた。 到着した展望台からは、低く垂れ込めた雲に灰色に染められた景色が見えただけだった。せっかくのリアス式海岸の展望も、これではちっとも美しくない。 展望台は大きく外したので、そそくさと退散。再度R382に戻る。 |
||||||||||||||||||||||||||
R382に出た所は旧豊玉町(対馬は6つあった町が合併して、現在は対馬市1市のみ)の中心部だったが、この町で見付けたサイキバリューというスーパーで昼飯の買い出し。 ただの地方の小さなスーパーだと思って入ったら、その充実度に圧倒されてしまった。 |
||||||||||||||||||||||||||
お惣菜コーナーなんて全部その場で手作りは当然として、その種類が凄まじく、選ぶのに困ってしまうほどだ。 結局昼飯だけでなく、今晩の食料の買い出しもしてしまった。これまでになく満足のいく買い物だった。(家の近くにも一軒欲しい) |
||||||||||||||||||||||||||
旧豊玉町からR382を北へとエスを走らせる。 峰からは県道48号に入って、湾口沿いの道を走っていく。 |
||||||||||||||||||||||||||
藻小屋 湾から抜け出して海原に面する所まで来ると、道沿いに気になる建物が。 石屋根といいこの藻小屋といい、地域の風土に根差した建築が生み出されていた反面、和多都美神社のような古来の建築様式が残されているという対照性が混在しているのが面白い。 |
||||||||||||||||||||||||||
この藻小屋には公園が隣接していた。 芝生の広場程度しかないちょっと広めの公園だったが、トイレだけでなく東屋や炊事用の水場があり、キャンプ場として難なく使えそうな雰囲気。 この後メボしいキャンプ場が見つからなかったら利用できる場所として、目星をつけておいた。 |
||||||||||||||||||||||||||
海神神社 その藻小屋と目と鼻の先にあったのが海神(かいじん)神社。何とも勇ましそうなお名前(^ ^; 対馬国の一之宮という由緒正しいお宮で歴史も古い。やはり延喜式に記載されていて、いつ創祀されたかは定かではないそうな。 |
||||||||||||||||||||||||||
最初の鳥居を潜っても、拝殿は視界に入ってこない。奥にある石段を上っていかなければならないようだ。 その石段は、結構延々と続く。朝鮮海峡を見下ろす山の中腹に社殿があるようで、辿り着くまで少々時間がかかる。 |
||||||||||||||||||||||||||
石段を上り詰めた先に現れる拝殿は、原生林の中に厳かに佇んでいた。 ちょっとしたお寺の如き精神的な佇まいだったが、和多都美神社同様、離島とは思えないほどの歴史と信仰の積層を感じた。 |
||||||||||||||||||||||||||
海神神社から先は、入江に密集する青海の集落を眺めつつ、名も無き道を進んでいった。 やがてR382に出ることができた。 |
||||||||||||||||||||||||||
峰から先のR382は、島の北半分にあたることもあって、さすがに交通量は少なかった。 旧上県町の中心に出る前に、案内板に従って左折。 |
||||||||||||||||||||||||||
棹崎 ワインディングでも何でもない道を走ってわざわざ目指したのは、ここが「日本最北西端の地」であるとの表示があったからだ。 |
||||||||||||||||||||||||||
公園の駐車場からは、岬まで結構歩かなければならないような感じだった。 ちょっと歩いてみたら、遊歩道には幅があり、どうもクルマでも入っていけそうな感じだった。 |
||||||||||||||||||||||||||
その先にあったのが、上↑の写真の碑。 地理的に岬が面するのは朝鮮海峡で、対岸には韓国が見える!ハズなのだが、煙っていて陸地があるのかどうかも判別できず。。 |
||||||||||||||||||||||||||
R382に戻って上県、大浦を通過し、旧上対馬町の中心、比田勝へと辿り着いた。 R382は比田勝の港を通り過ぎた所で終点。厳原から約90km先はこの地点。数字上の距離感はたっぷりだが、感覚としてはそんなにあったかな?と感じるし、確かに遠かったかも、とも思う。 ちなみに写真→の比田勝港には、博多からの便がある他に、釜山からの定期便もあるらしい。(韓国の対馬観光?ブームの玄関口) |
||||||||||||||||||||||||||
R382が途切れた所から県道182号に入ってすぐ、案内板に従って、三宇田浜という海岸へとやってきた。 訪れた浜は、キャンプ場ではなく海水浴場のようだったが、シーズンオフなので管理小屋も閉鎖されて閑散としている。 |
||||||||||||||||||||||||||
上対馬温泉 渚の湯 寝床が決まったら、安心してその後の時間を計算することができる。何はともあれ入浴だ。 さてこの渚の湯だが、温泉は温泉だが、雰囲気はスポーツジムの浴場のようだった。 |
||||||||||||||||||||||||||
ところでこの施設、館内は日本語の表示より韓国語が目立つ。立地的に異国の来客が多いのだろうか。 |
||||||||||||||||||||||||||
入浴を済ませて三宇田浜に戻ると、さっき棹崎でも見かけた軽自動車が停まっていた。 こういうドライブ的にメジャーではない離島では、業務車以外の県外ナンバーは滅多に見ないだけに、わざわざクルマで渡ってくる旅行者には親近感を覚える。 |
||||||||||||||||||||||||||
しかもこの軽四に乗って遥々やってきてたのは、そのまま街歩いてそうな20歳そこそこの女の子2人!! しかしもう暗くなり始めているのだが、一体この先どこでどう夜を明かすのだろうか?(余計なお世話だ) |
||||||||||||||||||||||||||
離島では明らかに異質な黒いオープンカーを怪しんだのか、女の子たちは砂浜での散策も程々に立ち去ってしまった。(そりゃそうだろう) 夕食の用意をしてると、ちょっとだけ雨がぱらついたが、直ぐに止んだ。 |
||||||||||||||||||||||||||
遂には白黒のクラウンが駐車場に現れ、久しぶりに職務質問か!?(野宿中に何度も経験有り(爆)と緊張が走ったが(笑)、明らかに野宿してるのを目の前で確認しつつも、そのまま立ち去ってしまった。(密入国っぽくなければいいのだろうか) この日の夕食は、豊玉のサイキバリューで購入した食材を使用したトマトベースの夏野菜スープと、対馬の郷土料理であるいり焼き用の地鶏を使用した地鶏のオリーブオイル焼き。 異国に一番近い(と思われる)キャンプ地で、サイキバリューに惜しみない賛辞を送らずにはいられなかった(笑 |
||||||||||||||||||||||||||