8日目 eighth day 三宇田浜に陽が昇る。 三宇田浜でのキャンプは、このロケーションといいかなり気持ちのいいものだった。 |
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三宇田浜から県道182号に戻って北上する。 この辺りは近年バイパスでもできたのか、道がすこぶる良かった。 |
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途中、泉、豊といった集落を通過する。 それ以外は走りやすい2車線路が続いた。 |
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ツーリングマップルによると、県道から枝分かれした所にある「韓国展望所」というスポットがあるみたいなのでそこに向かうも、地図の通りに向かうと自衛隊の施設に出てしまった。 ツーリングマップルの注釈は非常に便利なのだが、レポーターが実走で拾っているだけに、肝心のプロット位置が間違っていることがままある。 |
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韓国展望台の実際の位置は、記載の位置の隣の半島という大間違い。また、対馬では昨日の烏帽子岳展望台の位置も間違っている。 こういうのって出版社に指摘した方がいいのかな。でも指摘したところで、対馬にわざわざ確認しには行かなさそうなのでムダだろうなぁ。 |
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韓国展望所 地図に惑わされて迷った末に、ようやく辿り着いた韓国展望所。入口のゲートからして凝った設えだと思ったが、駐車スペースの便所も何気に雰囲気出している。 |
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展望台本体は何かがモチーフになってるのか知らないが、ベッタベタに韓国風だった。 内部は解放されていて、対馬と韓国の関係や歴史的背景なんかが紹介されている。 |
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展望台からの眺めはこんな感じ。真下に鰐浦の漁港、沖には海栗島。(全島自衛隊の基地かなんかになって睨みを利かしている) そしてそのずっと向こうに朝鮮半島、韓国の釜山市街が・・・・・よーーく見ると陸地があるような無いような・・・微妙。夜だったら、夜景で結構はっきり見えたかも。 |
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島国日本で韓国、というか大陸に一番近いのが、おそらく対馬のこの辺りだろう。大陸の光が最も至近距離で見える場所までやってきたのだ。 |
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県道を大浦に出て、R382で比田勝、そこから県道39号にスイッチする。 昨日から対馬のある程度外周を走っているつもりなのだが、この島にはシーサイドロードというものがほとんど無いことに気付く。そこが奄美大島との決定的な違い。ワインディングの風景という面では、そこそこ険しい離島の割にはかなり特徴が無いと言わざるを得ないかも。 |
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オメガ塔跡 県道39号を走っていると、怪しげな名称の地に導く案内板があった。その名も「オメガ塔」。 で、行き着いたその先で見たものは、船舶関係の何か?を思わせる大きな鉄の塊が不安定に立っている姿だった。何だコレ? 鉄の塊の麓には説明書きの案内板があった。 ・・・・って何が何だかワケわかんないじゃん(笑 ・・・のだが、帰ってから調べてみると、オメガ塔は本当に存在したらしい。(しかも結構最近まで) ・・・ていうことをちゃんと書いておいてくれれば疑わなくて済んだのに。(怪しさを助長させるのが狙いなのかもしれない) 何となくファンタジックなスポットだった。 |
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県道に戻って南下を再開する。 道路は深い林の中へと入っていく。 ここら一帯は、対馬の紅葉スポットらしかった。 |
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琴の大銀杏 林間の紅葉ロードを抜けると、琴(きん)という集落に出る。ここには樹齢1500年という巨大なイチョウの老木があった。 大銀杏の名に相応しい巨大さだったが、さすがに傷みが激しいようで、何本もの支柱で枝幹が支えられている。 |
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主幹がこんなになっても葉を茂らせ続ける。恐るべき生命力。 しかし1500年前っていつの頃? |
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県道56号との分岐を過ぎると、道は劇的に良くなり、バイパス的なハイスピードレンジのワインディングに様変わりした。 結局それが豊玉周辺まで続き、R382へと合流。後半はあっという間だった。 豊玉の町中では、再びサイキバリューで朝兼用昼飯の買い出し(笑 |
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県道39号が思いのほか早く走り抜けることができてしまったので、時間にかなり余裕ができてしまった。 その余裕を利用して、昨日の和多都美神社に再び訪れる。 和多都美神社の神秘的な空気感を再び堪能した後、R382に戻って厳原方面へと走り出した。 |
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この日の夕方の便(厳原港15:30発)で福岡に戻る切符を買ってあったので、その1時間前には厳原に着いておきたいところを、なぜか3時間も前に着いてしまった。 石垣の町並みや漁火公園等、厳原のスポットと思われる場所を巡ってみる。その他、未だ購入していなかった会社へのお土産を、厳原中心部で見付けた対馬物産館で調達する。 厳原は、全島が対馬市に統一される前から対馬の玄関口であり実質の中心地であったことから、非常に賑やかな町である。いろんな施設や店がこの町に揃っている。 |
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万松院 厳原が中心である所以は、かつてこの島を治めてきた対馬藩主宗氏のお膝元だったからだ。 その宗氏の菩提寺が、対馬市役所の奥の山側にあった万松院である。 なんでも日本三大墓地という聞き慣れない場所に選ばれているというが・・・ |
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拝観料を払って本堂へ。 なぜここに将軍の位牌が? 江戸時代、朝鮮から使節が送られてきたが、対馬は近いけど江戸は遥か遠い。そこで対馬で将軍の位牌を前に、朝鮮貿易を一任されていた宗氏と交渉することで、わざわざ江戸に赴くことを省略していたらしい。 |
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本堂から先には墓地へと向かう石段が。 登り始めに用意してあった木の杖を拝借して一段一段登っていく。 全部で132段なのでそう大したことは無いが、汗ばむくらいの丁度良い運動にはなった。 |
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墓地には宗家10代〜32代までの墓が整然と並んでいる。墓石の立派さはまちまちだけど。 | |||||||||||||||||
この墓所の手前に、対馬で一番と言われる大杉が3本立っている。樹齢にして約1200年とか。 墓地に関しては、大名という位の高い家系とはいえ、まぁ墓場であることには変わりはないのでそんなもんか、という程度だったが、そこまで行く石段の雰囲気がなかなかよかった。 ところで、日本三大墓地って他はどこなの?って思ってたら、流れていた案内放送によれば、あとの2ヶ所は、萩の毛利家墓所、金沢の前田家墓所らしい。 |
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←万松院の観光案内板。 ここにきて初めて紹介するが、今回訪れた対馬のスポットのそのほとんどに、これと同様の豪華な案内板が設置されていた。ボタンを押すと、音声での案内が3カ国語でそれぞれ流れる。日本語、英語と、あとはもちろん韓国語だ。 |
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それでも多少時間が余ったので、スーパーで買い物したりうどん食べたりして時間を潰した。 頃合い良くなった頃にフェリーターミナルに行って乗船手続き。更にこの日の宿として、福岡のビジネスホテルを予約する。 |
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フェリー乗船の準備をしていると、突然大粒の雨が振り出し、あっという間に土砂降りになってしまった。さっきまであんなにイイ天気だったのに。あぶないあぶない。 ちょっとした通り雨(ゲリラ豪雨)だったようで、船が動き出す頃には止んでいた。 |
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15:30対馬厳原港出港。さらば対馬。また会う日まで。 ちょっと中途半端な時間だったこともあり、2等船室で横になっていてもイマイチ寝付けない。 |
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博多港に降り立った後は、そのまま祇園のビジホへ。 チェックインの後、近くの居酒屋で九州最後の夕食を摂り、最終日である明日の大移動に備え、久しぶりのベッドで身体を休めた。 |
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