■雨降る島の大冒険


翌朝は4時頃には起床。前日Aコープで購入しておいた、いなり寿司を朝飯に頬張り、すぐに出発の準備に取りかかる。シュラフをたたんでザックにパッキング。テントは張ったままとし、山登りに必要な装備だけをエスのトランクに積む。

必要な装備だけとは言っても、今回の宮之浦岳登山は1泊2日の縦走プランである。途中山小屋があり宿泊が可能、ということにはなっているが、そこは無人の文字通り「山小屋」だ(屋久島には多数山小屋があるが、基本的にどこも無人小屋である)。寝具はもちろん調理器具も持参しなければならない。しかも人気の登山ルートでもあるゆえ、狭い山小屋で窮屈な思いをするハメになることを懸念し、アタック用のテントを背負っていくことにしていた。50リッターのザックはパンパン。今回は相方も一緒なので、2人分の荷物でエスのトラングは常にお祭り状態なのである(^_^;;

まだ周囲が真っ暗な時間にキャンプ場を発つ。
昨日このキャンプ場まで走ってきた道を逆戻りするように、安房の町の手前まで走り切る。早朝、というかまだ夜な島の道路には、全く走る車はいない。街の光に慣れていると、こういう離島の夜闇は、本当に漆黒の闇に感じるものだ。
普段ハイビームに切り替えることはほとんどないのだが、コーナーの続く屋久島の夜道は、ハイビーム無しではペースが上がらないほどだった。

安房から山側に折れる県道に入っていく。昨日松峰大橋に向かう時に途中まで走った道なのだが、その先はずっと島の奥まで入り込んでいる。屋久島の深淵部にクルマでアプローチが可能な唯一の道と言ってもいいかもしれない。それくらいに島の山間部にはクルマが入り込めるような道が無いのが屋久島だ。
入り込んでしばらくは、2車線のしっかりした道が続いた。でもかなりの急勾配。周囲はまだ暗かったが、どんどん山が近付いてきているのがわかった。

やがて軽自動車に追い付き、さらに路線バスに追い付いた頃、道路は極端に狭くなり、すれ違い困難な様相を呈してくる。
こんな時間に、こんな山道に、路線バスが走っているのも屋久島ならではかも。この道は、かの有名な観光地(!?)である縄文杉へとアプローチする最短路なのだ。縄文杉へは登山口から往復10時間の道のり。なので、日帰りで目指す大多数の観光客のために、まだ辺りもまっ暗なこの時間に、バスが山を登っているのである。

そのバスも目の前の軽自動車も手慣れたもので、細い道をかなりのペースで登っていく。
途中、何台かのタクシーとすれ違った。すでに登山口に登山者を送り届けた後の帰路なのだろう。海沿いの幹線路より、こっちの山道の方がよっぽど賑やかである。

縄文杉への登山口である荒川登山口と、ヤクスギランドへと向かう林道との分岐で、前の2台は荒川へと向かった。

それに対して、エスのノーズをヤクスギランド方面へと向ける。ヤクスギランドのさらに先には淀川という登山口があり、宮之浦岳から近いその登山口から登ることにしていた。

 
淀川登山口には既に先客がいた。狭い駐車スペースにはすでに4台ほどのクルマが(そのうち1台はフェリーを同乗したヴァンガード)
支度中の年配グループを横目にエスを停車。既に屋久島の中枢部に入り込んでいるこの場所に、いかにも不釣り合いなオープンカー(^ ^;)
明日無事に下山してくるまで、しばしのお別れである。
 

淀川登山口に着いた時には、既に周囲は明るくなっていた。
しかし、空は雲に覆われており、雨粒が容赦無く落ちてくる。

天気予報でわかってはいたが、完全な雨天である。
まぁそれも屋久島の魅力のうち。最初にそう心に決めて来ていたので、大して気落ちすることも無かった。

雨支度を整えて出発したのは、7:00頃だった。

 

今回の宮之浦岳登山の予定コース図(いつもお世話になってる昭文社の登山地図を拝借)
淀川をスタートして、宮之浦岳、縄文杉を経由して荒川に下りる時計回りのルート

淀川(ちなみにコレ、「よどがわ」ではなく「よどごう」と読む)の登山口からしばらくは、アップダウンを繰り返す登山路が続いた。本日の長丁場に備え、かなり意識してゆっくりと歩を進めた。登山道の真ん中に、ヘリで落とされたと思われる資材(石)がそこかしこにあって歩きにくいが、朝の森の雨音を楽しみながら、ゆっくりゆっくり歩く。

それでも淀川小屋までは標準的なタイムで辿り着いた。
小屋はやはり無人小屋だが、前夜宿泊したと思われるグループが準備中だった。小屋には向かう必要が無かったので、代わりに近くを流れる川の畔まで下りていき、豊富に流れる水流から飲料用に水を汲み取った。

山の中とはいえ、そこらの川の水をそのまま飲料水にするってことは、本州では考えられないことである(それがアルプスであったとしても)

それが屋久島では、基本的に山の水はどこでも飲むことができるのだ。山中に人が住んでいないこと、水流が豊かで、それが森に守られていること、いろんな条件があって、それが可能になっているのだろう。

昔は屋久島に限らず、どこの川の水だって飲めたはずなのだ。ここ屋久島でいまだにそれができることは、今は確かに特別なことではあるけれど、それ以外の場所は何かが変化し失われた環境である、ということを逆に実感させられる。

淀川小屋を出発すると、いよいよ本番という感じになってくる。
次の中継ポイントである「花江之河(はなのえごう)」までは、約1時間50分の道のり。緩やかだが、しかし確実に高度を上げていく道だ。
雨は相変わらず強く降りしきっている。登山道は水溜まりとなり、足元に注視しなければならない状況から、周囲の景色を十分に楽しみながらの山行というわけにはいかなくなっていた。

森の木々の隙間から見える山肌は、徐々に白い雲へと移り変わり、高度が上がってきていることを直感させていたが、斜面の向こうを見渡すことを許さない流れ行く雲の存在によって、余計に景色を楽しむことを忘れかけてしまう。そんな状態で、胸元のカメラを取り出すのも億劫になり、長い道のりを淡々と歩き続けることになった。

   
                           

花江之河に到着。
その名称からは何があるのか想像がつかなかったが、登山道を登ってきて突如現れる平坦な湿原地帯の発見には、十分な驚きがあった。

高層湿原の麗しき風景は望むべくも無い悪天候だったので、減った分の水を汲んで再出発。どこでも水が流れ出ているので、行く先々で汲み続けていれば、最低限の水を担いでいるだけでいいような気がしてきた。登山中の荷物で最も重いのはやっぱり水なので、それを減らせるというのは大きい。

 
                                   

花江之河から先は、更に登山らしい道が待ち受けていた。
備え付けられたロープに捕まりながら、急斜面を登ったり降りたり。それだけなら一般の登山道でも遭遇することはままあるので特に珍しいことではない。
しかし、ここ屋久島には他とは明らかに違う点がある。
それは、登坂する路面が、岩そのものなのだ。もっと極端に言ってしまうと、標高が高くなるほど、土の上を歩いているというより、岩の上を歩いている、という感じになってくるのだ。

茶色く柔らかい登山道ではなく、白く固い登山道。道そのものが岩肌にできている。白い岩は墓石のような御影石。ざらざらした表面に、降り落ちた雨が水流となって流れている。
屋久島は花崗岩が隆起してできた島だ。昨日、千尋の滝でその証拠を垣間見たが、今歩いているこの登山道には、遠目にしか見ることのできなかった千尋の滝よりも全然説得力があった。

ごろつく巨岩の上、というより花崗岩でできた山の道をひたすら登っていく。斜面では足元の石の上を雨が流れ、まるで川の中を歩いているかのよう。
2週間前の剱岳登山の際に殉職した愛用のトレッキングシューズに代わる新たな登山靴は、今回、この日がデビューだが、歩きはじめからすこぶる調子がいい。これほどの雨の中、流れる水の中に派手に足を突っ込んでいても、まるで滲みてくる気配もなく、しっかりと岩肌にグリップしてくれる。
とかく暗くなりがちな雨の日の山行が、新しいシューズによって楽しく歩けたのは、嬉しい誤算だった

                                   
   

投石平の辺りから、完全に視界が開けた。と言っても、雲に覆われてほとんど景色は見えない状態だが。。

植生が明らかに変化し、それまでの森は姿を消した。森林限界を超え、低木が生い茂る高山地帯へと進んでいく。

それは、とても南の島とは思えない風景だった。一見、本州の高山地帯とほとんど変わらない景色が広がっている。

しかし、足元は年中降りまくる雨に洗われ露出した花崗岩の道、周囲の山肌にゴロゴロと転がる巨岩の数々。そして休むことなく降りしきる雨とそれが形成する清流の数々は、ここが非常に特殊な場所であるという意識を繋ぎ止めるには十分だった。

投石平から森林限界上に出て、ダラダラと登っていったが、なかなか宮之浦岳に近付いているという気配がない。雲によって眺めが良くないので、どこがピークなのか目指すところもわからないまま、長時間歩き続けている感覚に陥る。目標無く歩き続けるというのは、気分的にはかなりキツい。

 
 
南側の斜面に取り付き、木道の階段が連続することに気付くと、かなりの急登でピークに向かって迫っていくことを予感させた。

宮之浦岳の手前では、扇岳と栗生岳の蔵部に立つ、というのが後で地図を確認したらわかった。あまり先を確認しないで進んだので、登ってはまだ、登ってはまだという状態が続いてしまった。

そして遂に、というかようやくピークへ。
最後は意外とあっけなく(よくあることだが)、岩場の頂部に辿り着いた。

12:20、宮之浦岳登頂。標高1935m。

一般的に見れば、そんなに高くはない山の高さだが、ここが屋久島という離島であることを考えると、奇跡に近いような地形の事実である。

そしてここが島内部だけでなく、九州全域に範囲を広げたとしても、最も標高の高い場所であるということも驚きに値する。

頂上は意外と視界が利いた。雨が降っていない。すべては雲の下、という感じで一面真っ白ではあったが。
・・・・と思いながら荷物を降ろして、カメラの用意をしていると・・・・、なんと、北側の雲がみるみるうちに晴れていくではないか!
あっという間に眼下の山々が露になり、その向こうには青い海原までもが姿を現した。
まるで昨年の立山登山時のスペクタクルが再来したかのよう。北の方角だけではない、様々な方角で、雲が晴れ、島の様々な陸地と山並みが、すべてが眼下に、次々と表出したのだ。
 

それまでの天候を考えたら、まさに奇跡としか言いようのない偶然さ。
ピークに立ったこの瞬間に、一瞬かもしれないが、雲が退き、島の地形が露出し、ここにしかないダイナミックな風景をこの目で確かめることになった。 なんてラッキーなんだろv(^0^)/

 

じっくりと景色を楽しみ、エネルギー補給をし、後から登ってきた2人のシャッターを切ってあげ、出発準備をした後に、また雨が落ちてきた。

結局、頂上にいた間だけが晴れていた。後から考えてもウソみたいな不思議な時間だった。

 
 
下山は、登ってきた道を引き返すピストンではない。今回は珍しく縦走(基本的にいつもクルマで登山口に入るので、ピストンにならざるをえない)なので、南斜面から上がってきたのとは反対側、北側の斜面を登山道に沿って降りていく。

永田岳への分岐である焼野三叉路までは、これまでせっかく稼いできた高度を一気に落としていく。生い茂る低木で道が細く歩きづらい。

三叉路の後はしばらく登ったり下ったり。
途中、登山道上でヤクシカに遭遇。こんな高いところにもいるんだな。

 

野生のシカってヤクシカに限らず、こっちに気付くとどういうわけか、とにかくこちらをじっっと見つめる。
距離を詰めていくといきなり走り出し逃げていく。
北海道にいるエゾシカもそうだが、あっちはクルマで遭遇すると、なぜかクルマに向かって飛び出してきたりする危険な存在だ(ぶつかったらクルマもタダじゃ済まない)

       
話が逸れたけど、ばったり遭ったこのヤクシカ、じっと見つめるその顔は、かなりマヌケだった(笑
   

その後は斜面を急降下していく。淀川から宮之浦岳を登って北側に抜けていく登山路はよく歩かれているメジャールートらしく、踏みしめられて路面が痩せていかないよう木道がよく整備されていた。

特に森林限界から下の森に戻ってくると、それは顕著になる。原始の森には老木が密集していて、それらの根が踏みしめられることによるダメージを少しでも減らそうということなのか。
周囲は野性味溢れる森でも、足元は人為的に造られた道というのが、屋久島メジャールートの現実のようだ。


宮之浦岳からどれくらい歩いただろうか。淀川登山口でエスと別れて出発してから約8時間半。今回の縦走登山の中継地点(宿泊地)となる新高塚小屋に到着した。

1日に歩く時間としては長く、加えて頂上以外の一部始終が雨だったことで、到着1時間ほど前から疲労を感じていた。ようやく腰を下ろし、ゆっくりと休むことができるのだ。

   
 

当初、小屋前の木板が敷かれた広場にテントを張ろうとわざわざアタック用テント(クローカー2)をザックに詰め込んできたのだが、雨脚は強く、とてもテントを張ろうという気になどなれない状態だった。

せっかくここまで担いできたテントだったが早々に諦め、小屋の中で宿泊することに。

小屋には既に数組の先客がいたが、混雑には程遠く、それほど広くない小屋内(それでもここは屋久島では最大級の小屋)でも周りの目を気にする必要がないくらいに余裕があった。
電気など通っているはずもない小屋内は既に薄暗かった。広々と空いていた一角にテントシートを広げ、マットを敷いて居住スペースを確保。そして濡れたものを極力乾燥させようと試みる。

レインウェアにザックカバーで雨支度は万全だったはずだが、屋久島の雨は侮れなかった。ザックを開け閉めしたりする際に少なからず浸水していたようだ。そして、こともあろうに、シュラフを濡らしてしまっていたことに気付いた。
幸い化繊のシュラフなので致命的ではないものの、絞っても拭いても水気は切れない。シュラフの襟元だけが濡れている状態だったので、胸元は開け放ったまま寝るしかなかった。


昼間は行動食で済ませていたので、腹ぺこだった。
とりあえず濡れモノを干したら、すぐに食事の用意。とは言っても、荷物の軽量化のために、フリーズドライと呼ばれる非常食のような乾燥食材である。ジェットボイルで湯を沸かし、フリーズドライの袋に直接注いで十数分。その間に暖かいスープを飲んで体を温めつつ、食事にありつく。フリーズドライの山菜ご飯は意外と美味な上に腹持ちも良さそうで、パワーが戻ってくる感じがした。

17時を回ると、もう小屋の中はほとんど真っ暗に近くなっていた。何もすることもないしできないので、早々と就寝する。その日の疲れからすぐに眠りに落ちてしまうが、濡れたシュラフやパンツが不快で、なかなか快眠というわけにはいかなかった。

更に完全に夜になると、今度はネズミの奇襲だ。
小屋の床板をカサカサカサと走り回り、無防備に食材が置いてあるのを目ざとく見付け袋を噛み切ろうとする耳障りな音で、幾度となく目を覚ます。
耐えかねてヘッドランプで撃退し、食料はスタッフバッグに包んでシュラフの中に入れ込んだ。それでもネズミの運動会は一晩続いた。その音に敏感に反応し、周囲に来る度に反撃を繰り返していたのは自分一人だった気がする。。(なんでみんな気付かないんだろうか)
ちなみにネズミは、他の小屋でもよく出るらしい。屋久島小屋泊まりの際は、食料の保管に注意が必要だ。
結局、非常食として余分に持参していたフリーズドライに穴を開けられてしまった。。

ネズミ以外にも、小屋の周囲に感じる動物の気配は濃い。森から聞こえる悲鳴のようなヤクザルの鳴き声は、ホラー映画のスクリームのようなリアルさで、周囲の状況的にも相当ビックリする。
いつもより何倍も濃い自然の中で過ごす夜は十分刺激的で、疲れで朦朧とした意識と本能的な警戒心のせめぎ合いを続けたまま、長い夜を明かした。

 
2日目 / 4日目