■雨降る島の大冒険
必要な装備だけとは言っても、今回の宮之浦岳登山は1泊2日の縦走プランである。途中山小屋があり宿泊が可能、ということにはなっているが、そこは無人の文字通り「山小屋」だ(屋久島には多数山小屋があるが、基本的にどこも無人小屋である)。寝具はもちろん調理器具も持参しなければならない。しかも人気の登山ルートでもあるゆえ、狭い山小屋で窮屈な思いをするハメになることを懸念し、アタック用のテントを背負っていくことにしていた。50リッターのザックはパンパン。今回は相方も一緒なので、2人分の荷物でエスのトラングは常にお祭り状態なのである(^_^;; まだ周囲が真っ暗な時間にキャンプ場を発つ。 安房から山側に折れる県道に入っていく。昨日松峰大橋に向かう時に途中まで走った道なのだが、その先はずっと島の奥まで入り込んでいる。屋久島の深淵部にクルマでアプローチが可能な唯一の道と言ってもいいかもしれない。それくらいに島の山間部にはクルマが入り込めるような道が無いのが屋久島だ。 やがて軽自動車に追い付き、さらに路線バスに追い付いた頃、道路は極端に狭くなり、すれ違い困難な様相を呈してくる。 そのバスも目の前の軽自動車も手慣れたもので、細い道をかなりのペースで登っていく。 |
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縄文杉への登山口である荒川登山口と、ヤクスギランドへと向かう林道との分岐で、前の2台は荒川へと向かった。 それに対して、エスのノーズをヤクスギランド方面へと向ける。ヤクスギランドのさらに先には淀川という登山口があり、宮之浦岳から近いその登山口から登ることにしていた。 |
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淀川登山口には既に先客がいた。狭い駐車スペースにはすでに4台ほどのクルマが(そのうち1台はフェリーを同乗したヴァンガード)。 支度中の年配グループを横目にエスを停車。既に屋久島の中枢部に入り込んでいるこの場所に、いかにも不釣り合いなオープンカー(^ ^;) 明日無事に下山してくるまで、しばしのお別れである。 |
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淀川登山口に着いた時には、既に周囲は明るくなっていた。 天気予報でわかってはいたが、完全な雨天である。 雨支度を整えて出発したのは、7:00頃だった。 |
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今回の宮之浦岳登山の予定コース図(いつもお世話になってる昭文社の登山地図を拝借) |
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淀川(ちなみにコレ、「よどがわ」ではなく「よどごう」と読む)の登山口からしばらくは、アップダウンを繰り返す登山路が続いた。本日の長丁場に備え、かなり意識してゆっくりと歩を進めた。登山道の真ん中に、ヘリで落とされたと思われる資材(石)がそこかしこにあって歩きにくいが、朝の森の雨音を楽しみながら、ゆっくりゆっくり歩く。 それでも淀川小屋までは標準的なタイムで辿り着いた。 |
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山の中とはいえ、そこらの川の水をそのまま飲料水にするってことは、本州では考えられないことである(それがアルプスであったとしても)。 それが屋久島では、基本的に山の水はどこでも飲むことができるのだ。山中に人が住んでいないこと、水流が豊かで、それが森に守られていること、いろんな条件があって、それが可能になっているのだろう。 |
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昔は屋久島に限らず、どこの川の水だって飲めたはずなのだ。ここ屋久島でいまだにそれができることは、今は確かに特別なことではあるけれど、それ以外の場所は何かが変化し失われた環境である、ということを逆に実感させられる。 | |||||||||||||||||||
淀川小屋を出発すると、いよいよ本番という感じになってくる。 森の木々の隙間から見える山肌は、徐々に白い雲へと移り変わり、高度が上がってきていることを直感させていたが、斜面の向こうを見渡すことを許さない流れ行く雲の存在によって、余計に景色を楽しむことを忘れかけてしまう。そんな状態で、胸元のカメラを取り出すのも億劫になり、長い道のりを淡々と歩き続けることになった。 |
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花江之河に到着。 高層湿原の麗しき風景は望むべくも無い悪天候だったので、減った分の水を汲んで再出発。どこでも水が流れ出ているので、行く先々で汲み続けていれば、最低限の水を担いでいるだけでいいような気がしてきた。登山中の荷物で最も重いのはやっぱり水なので、それを減らせるというのは大きい。 |
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花江之河から先は、更に登山らしい道が待ち受けていた。 茶色く柔らかい登山道ではなく、白く固い登山道。道そのものが岩肌にできている。白い岩は墓石のような御影石。ざらざらした表面に、降り落ちた雨が水流となって流れている。 ごろつく巨岩の上、というより花崗岩でできた山の道をひたすら登っていく。斜面では足元の石の上を雨が流れ、まるで川の中を歩いているかのよう。 |
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投石平の辺りから、完全に視界が開けた。と言っても、雲に覆われてほとんど景色は見えない状態だが。。 植生が明らかに変化し、それまでの森は姿を消した。森林限界を超え、低木が生い茂る高山地帯へと進んでいく。 |
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それは、とても南の島とは思えない風景だった。一見、本州の高山地帯とほとんど変わらない景色が広がっている。 しかし、足元は年中降りまくる雨に洗われ露出した花崗岩の道、周囲の山肌にゴロゴロと転がる巨岩の数々。そして休むことなく降りしきる雨とそれが形成する清流の数々は、ここが非常に特殊な場所であるという意識を繋ぎ止めるには十分だった。 投石平から森林限界上に出て、ダラダラと登っていったが、なかなか宮之浦岳に近付いているという気配がない。雲によって眺めが良くないので、どこがピークなのか目指すところもわからないまま、長時間歩き続けている感覚に陥る。目標無く歩き続けるというのは、気分的にはかなりキツい。 |
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南側の斜面に取り付き、木道の階段が連続することに気付くと、かなりの急登でピークに向かって迫っていくことを予感させた。 | |||||||||||||||||||
宮之浦岳の手前では、扇岳と栗生岳の蔵部に立つ、というのが後で地図を確認したらわかった。あまり先を確認しないで進んだので、登ってはまだ、登ってはまだという状態が続いてしまった。 そして遂に、というかようやくピークへ。 |
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12:20、宮之浦岳登頂。標高1935m。 一般的に見れば、そんなに高くはない山の高さだが、ここが屋久島という離島であることを考えると、奇跡に近いような地形の事実である。 そしてここが島内部だけでなく、九州全域に範囲を広げたとしても、最も標高の高い場所であるということも驚きに値する。 |
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頂上は意外と視界が利いた。雨が降っていない。すべては雲の下、という感じで一面真っ白ではあったが。 ・・・・と思いながら荷物を降ろして、カメラの用意をしていると・・・・、なんと、北側の雲がみるみるうちに晴れていくではないか! |
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あっという間に眼下の山々が露になり、その向こうには青い海原までもが姿を現した。 まるで昨年の立山登山時のスペクタクルが再来したかのよう。北の方角だけではない、様々な方角で、雲が晴れ、島の様々な陸地と山並みが、すべてが眼下に、次々と表出したのだ。 |
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それまでの天候を考えたら、まさに奇跡としか言いようのない偶然さ。 |
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じっくりと景色を楽しみ、エネルギー補給をし、後から登ってきた2人のシャッターを切ってあげ、出発準備をした後に、また雨が落ちてきた。 結局、頂上にいた間だけが晴れていた。後から考えてもウソみたいな不思議な時間だった。 |
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下山は、登ってきた道を引き返すピストンではない。今回は珍しく縦走(基本的にいつもクルマで登山口に入るので、ピストンにならざるをえない)なので、南斜面から上がってきたのとは反対側、北側の斜面を登山道に沿って降りていく。 | |||||||||||||||||||
永田岳への分岐である焼野三叉路までは、これまでせっかく稼いできた高度を一気に落としていく。生い茂る低木で道が細く歩きづらい。 三叉路の後はしばらく登ったり下ったり。 |
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野生のシカってヤクシカに限らず、こっちに気付くとどういうわけか、とにかくこちらをじっっと見つめる。 |
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話が逸れたけど、ばったり遭ったこのヤクシカ、じっと見つめるその顔は、かなりマヌケだった(笑 | |||||||||||||||||||
その後は斜面を急降下していく。淀川から宮之浦岳を登って北側に抜けていく登山路はよく歩かれているメジャールートらしく、踏みしめられて路面が痩せていかないよう木道がよく整備されていた。 特に森林限界から下の森に戻ってくると、それは顕著になる。原始の森には老木が密集していて、それらの根が踏みしめられることによるダメージを少しでも減らそうということなのか。
1日に歩く時間としては長く、加えて頂上以外の一部始終が雨だったことで、到着1時間ほど前から疲労を感じていた。ようやく腰を下ろし、ゆっくりと休むことができるのだ。 |
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当初、小屋前の木板が敷かれた広場にテントを張ろうとわざわざアタック用テント(クローカー2)をザックに詰め込んできたのだが、雨脚は強く、とてもテントを張ろうという気になどなれない状態だった。 せっかくここまで担いできたテントだったが早々に諦め、小屋の中で宿泊することに。 |
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小屋には既に数組の先客がいたが、混雑には程遠く、それほど広くない小屋内(それでもここは屋久島では最大級の小屋)でも周りの目を気にする必要がないくらいに余裕があった。 レインウェアにザックカバーで雨支度は万全だったはずだが、屋久島の雨は侮れなかった。ザックを開け閉めしたりする際に少なからず浸水していたようだ。そして、こともあろうに、シュラフを濡らしてしまっていたことに気付いた。
17時を回ると、もう小屋の中はほとんど真っ暗に近くなっていた。何もすることもないしできないので、早々と就寝する。その日の疲れからすぐに眠りに落ちてしまうが、濡れたシュラフやパンツが不快で、なかなか快眠というわけにはいかなかった。 更に完全に夜になると、今度はネズミの奇襲だ。 ネズミ以外にも、小屋の周囲に感じる動物の気配は濃い。森から聞こえる悲鳴のようなヤクザルの鳴き声は、ホラー映画のスクリームのようなリアルさで、周囲の状況的にも相当ビックリする。 |
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