■謎多き太古の森をゆく
それより悲惨なのがズボン。レインウェアのボトムスは、山登りを始めた頃からずっと使い続けている古参の装備で、すでに内側の防水層は所々ちぎれてしまっている代物。そんなウェアじゃ屋久島の雨に耐えきれるはずも無く、ほとんど履いてないに等しいくらいにズボンもパンツもびしょ濡れになってしまった。 これ以上シュラフを濡らさないために(結局シュラフも乾いていない)、パッキングの仕方も少々変更して、すべての用意が整い出発の準備が整った頃には、周囲は明るくなり出していた。 |
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新高塚小屋を出発し、昨日歩いてきたコースの続きを辿っていく。 ただ、退屈そうかと言うとそんなことは無く、屋久島で一番歩かれている(人気のある)森の中枢を横断するルートには歩く価値が見出せる。かの縄文杉も、道の途中にあるのだ。 |
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大多数の訪問客は、荒川登山口から日帰りを前提に往復10時間程度かけて、大株歩道とトロッコ道を歩き通して縄文杉を見に行くという。今回の宮之浦岳縦走の2日目の行程は、その縄文杉往復コースの復路とほぼ重なっている。 | |||||||||||||||||||||||||
まずは高塚小屋までの約1時間の道のりを、準備運動がてら歩いていく。 雨は相変わらず止むことが無いが、濡れる原始の森はある意味神々しく、神聖な雰囲気に包まれているようにすら感じてくる。 |
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人の手の入った形跡の無い森には、様々な樹木が入り乱れ、絡み付き合いながら共生しているかのよう。 名も無き杉の大木が眼前に現れる度に立ち止まり、その生命力に圧倒されること幾度となく。 鬱蒼とした森には、生命力が満ち溢れている。そんな森のエネルギーを吸い込みながら歩き続ける。雨に濡れた森に底知れぬパワーを感じながら。
高塚小屋を通過し急坂を下りていくと、立派なあずまやがあった。 そのデッキの前に、まるで舞台に飾られているかのように、縄文杉がそこに在った。 |
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それまで杉の巨木は森の中にいくらでもあったが、確かに縄文杉と呼ばれるこの大木は、ちょっと格が違う感じだった。 |
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ただ、それは縄文杉と呼ばれるこの杉そのものに対しての印象だ。 縄文杉というブランドが一人歩きをし、屋久島と言えば縄文杉!という固定概念が大多数の人に植え付けられてしまった弊害だろう。 |
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そのために対処せざるをえなかった結果ということで、仕方の無いことなのだろう。 かく言う自分も以前は、屋久島なら縄文杉、という偏った知識しか無かった一人である。 それが悪いと言うことはできないが、偏った情報で縄文杉の魅力が削がれ、存続すら危ういとしたら、屋久島の魅力は縄文杉だけじゃないんだよ!ともっと声高に主張する傾向があってもいいような気がする。
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だがしかし、縄文杉そのものにはただならぬ存在感があるのは確かだ。 実際の樹齢はそんなにもならないらしいが、今の科学をもってしても、正確な樹齢はわからないようだ。(いまだにいろんな説があるみたいなので) 何千年か前、近くの海峡で大噴火が起こった際、島中が火砕流によって焼き尽くされた、と言われている。
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縄文杉のデッキを降り、雨に濡れた登山道を進んでいく。 ここから終点の荒川登山口までは、日帰り縄文杉ツアーのメインルートなので、屋久島で一番多くの人に歩かれている繁華街級(!?)の道、ということになる。 |
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登山に慣れている人も、そうでない普通の観光客も歩く山道なので、それなりに整備されていると思ったら、これが結構険しい普通の登山道である。 地面に這いつくばる木々の根を越え、岩を越え、沢に下りて渡り、また登る。 所々木道も現れ足元を助けてくれるが、雨に濡れた木の道は極端に滑りやすく、結局気が抜けない。 |
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いくらかも歩かないうちに、登山道脇に「夫婦杉」と名付けられた杉と出会う。 並んだ2本の杉から分かれた枝が繋がり、まるで手を取り合っているような、微笑ましい佇まいの古木だ。 |
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そこからすぐ先で、今度は「大王杉」に出会う。縄文杉ほど大きくはないが、しかし負けず劣らぬ迫力がある。 名付けられたメジャーなスギを辿るだけでは、屋久島の魅力を十分に味わったことにはならないのではないかと思った。森を歩き、その道すがら自分の目に止まった巨木との会話を楽しむ。決められたルートに沿って決められたものを見るだけの縄文杉トレッキングより、森を彷徨い、自分だけの「屋久杉」を見つけるトレッキングの方がきっと幸せな気分になれる。 |
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大王杉と別れた先からは、急激に登山者とすれ違うことが多くなった。そのほとんどが、ガイドを連れた少人数のグループ。今朝荒川登山口を出発した日帰り縄文杉トレッキングツアーが、そろそろこの地点まで差し掛かってくる時間になっているようだ。 登山道もこの辺からずいぶん急勾配になる。こっちからだと下りていくだけだから楽だけど、上がってくる往路の登山者は例外無く皆ツラそう(ガイドさんは除く)。 |
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その巨大な切り株の前は、格好の休憩スペースとなる森の中の小空間で、ここまでようやく登ってきた感じのいくつものグループが休憩中だった。 ウィルソン株は、神社の本殿か神棚のような面持ちで、こちらを見下ろしていた。株の前で記念撮影を、という人が列をなしている。その気持ちわからなくもなく、自分も人がいなくなった僅かな瞬間に、人のいないウィルソン株をカメラに収めた。撮影だけに拘ると、さっきの縄文杉や大王杉でのようなちょっと突っ込んだ思考になれない恐れがあるから、あんまり気を取られたくないのだが。。(でも撮らないとこのレポも作れないので・・) |
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ウィルソン株は、その内部に入ることができる。つまりこの株は空洞となっていて、切り株の断面である天井には穴が空き、中から見上げると、切り株の中から森を見上げる絵になる。 この内部のどこかから見上げると穴がハート形になって見えるらしく、ガイドの案内に従って一生懸命そのポジションを探している団体さんがいたが、そんなことよりも、人が何十人も入れそうなこの巨大な株が何故ここで切り株となっているのか、そして何故空洞なのか、ということに思いを馳せる。 |
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屋久島は江戸時代、島津藩の領土だったが、耕作が難しいため米で年貢を納められず、その代わりにスギの木を森から切り出して上納していたらしい。それ以来、豊富な森林資源を切り出し、人々が生計を立てていた時代が続いた。(現在は伐採が禁止されている) いつの時代かは知らないが、ウィルソン株はそんな時に人の手によって切り倒されたスギの木の名残のようだ。 そのウィルソン株が空洞なのはたぶん、ヤクスギという樹木の特性によるものではないだろうか。 内部の芯に当たる部分がなくなったとしても、うねるように根を伸ばし枝を伸ばし、時には近くの木と融合してしまう神秘の木、屋久杉。底知れぬ自然のパワー。凄いなホント。
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ウィルソン株からは、さらに凄い数のツアー客とすれ違うことになった。 一応、本日は何でもないただの平日で、しかも新緑でも紅葉でもない非常に曖昧な季節(つまりオフシーズン)である。そんな日にこんな所を歩いている自分も自分だが、こんなにも大勢の人が世間が忙しなく働いているこの時間に、縄文杉目指して歩いているのには正直驚く。これが世界遺産のネームバリューということか。 歩いている人は、大方自分と同じくらいかそれより若い人、世間一般には若者に分類される人たちである(^ ^; 迷う道ではないので、道案内的なガイドは必要ないと思うが、せっかくの原始の森、それに対するいろんな知識を歩きながら披露してくれるネイチャーガイドが一緒なら、往復10時間の道のりも、幾分楽しめるのではないだろうか。 |
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ウィルソン株からは結構ペースを上げて歩いた。意識的にペースを上げたのだ。 荒川に何時に着くかということは、登山地図の標準コースタイムから想定するしかなかった。それを元に、荒川登山口に正午にタクシーを呼んでいた。 |
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そう慌てなくても、多少遅れたって予約したタクシーが逃げるわけではない、とはわかっていても、心情としては遅れたくなかったわけで。。 | |||||||||||||||||||||||||
登山道は、ごうごうと流れる沢の縁に出た所で姿を消した。 沢には鉄橋が架かり、線路が渡されている。そう、ここからが屋久島名物(?)トロッコ道。正確には森林軌道跡と呼ばれるこの線路は、過去に森の木々を伐採し運び出すのに使われた産業遺産だ。 |
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その距離がまた気が遠くなるほどに長い。歩き始めこそ線路上を歩く物珍しさからテンションも上がり気味になるが、単調なトロ道は景色にもほとんど変化がなく、それほど歩かないうちにもう飽きが来てしまった。 そうなったら、ただひたすらシャキシャキと歩くしかなくなってしまった。 |
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トロッコ道はどこまでも平坦で、まったく勾配が無い。枕木と枕木の間に板が敷いてあるので歩幅のリズムは取りやすく、ストックでリズムを刻みながら意識的に早足で歩いていく。 何も考えてないと余計に長さが強調される。それは苦痛なので、いろいろ考え事をしながら歩くことにした。 |
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トロッコ道は、途中2度ほど沢を鉄橋で渡り、楠川分かれという登山道の分岐点を通過する。 そこから更に鉄橋を渡りつつ30分ほど歩くと、小杉谷の集落跡に辿り着く。 |
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集落跡、というのは以前は人が住んでいたということで、かつて森林伐採が可能だった時代を思わせる遺構が残っている。 | |||||||||||||||||||||||||
遺構と言っても目立った建物は無く、かつて人々の生活がここにあった、ということを今に知らせる面影が残るのみなのだが。 それでも、小学校の校門と校庭の名残は、かつての賑やかな集落の記憶を今に伝える風景だった。 |
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小杉谷の集落の先は、長い鉄橋で大きな谷を渡る鉄橋になっていた。これがなかなかの迫力! 登山道からトロッコ道に出た時の小さな沢が、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。鉄橋上から眺めるその景色の迫力たるや、それまでの退屈なトロッコ道の印象が吹っ飛んでしまうくらいのインパクトがあった。 |
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谷間にゴロゴロと転がる岩のひとつひとつが巨大。スケールが違う。渓流というには生易し過ぎるほどのパワーを感じる。 そこにはずっと降り続いている雨で水量を増した山の水が、滑り落ちるように流れている。 |
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そこからは枕木と枕木の間の板が無くなってしまったので、途端に歩きにくくなってしまった。どうもこの先の軌道は現在もトロッコが通ることがあるらしい。歩いてる時にトロッコが向かってきたらどうすんの!?、という心配をヨソに、線路脇に待避所はそこかしこに設けられている。 | |||||||||||||||||||||||||
支流に架かる鉄橋を何本も渡る。中には欄干の無い、線路だけの鉄橋も。一応枕木に細長い板が渡してあったが、そこを歩くのはなかなかの迫力である。 | |||||||||||||||||||||||||
小杉谷から30分ほど歩いただろうか。トロッコの車庫のような朽ちそうな小屋を過ぎると、真っ暗なトンネルが目の前に現れる。 トンネルを抜けるとすぐに川を鉄橋で渡り、荒川登山口へと導かれた。 |
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長いトロッコ道だった。日帰りだとこれを1日で往復するのである。縄文杉はいいけど、この単調な長さは余分だな。それを考えると、縄文杉日帰り往復トレッキングって、決してオススメできたもんではないなぁ、というのが正直なとこである。 タクシーは2台待っていた。運転手同士が小屋の軒下で談笑している。こちらが近付いていくと、2種類の名前を呼びかけられた。後ろに停まっていたタクシーが、予約していたタクシーだった。先着の運転手が悔しがっていた。 どちらのタクシーも正午にここで乗車を予約されたらしい。 濡れたレインウェアを脱ぎ、タクシーに乗り込む。雨具を脱いでも下のウェアは相変わらず雨と汗で濡れている(我ながらよく風邪引かないもんだ(汗)からシートを汚さないかと心配だったが、そこは屋久島の観光タクシー、客は登山者がほとんどだろうから、座席はビニールに覆われ心配無用だった。
クルマでのツーリングが旅の基本なので、観光地でタクシーに乗るなど当然ながらあまり経験が無い。 人柄のいい運転手に連れられて、いつしか淀川に到着。 |
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約30時間ぶりの再会となったエスに、荷物を積んで淀川登山口を出発。 |
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川上杉と名付けられた背の高いスギは、その長大さに反して、帰り道からでないと見落としてしまいそう。 |
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その先にあるのが紀元杉。クルマで直接アプローチできる(道路沿いにある)スギとしては最大級で有名らしく、麓から出る淀川方面行きバスも、ここが終点になっている。(淀川登山口まではバスは通っていない) 縄文杉に劣ることのない太い幹には、無数の植物が着生していて、単なるスギの木(ここまでデカい時点で既に単なるスギじゃないが)とは一風異なる風貌だ。 |
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着生とは、樹木の上に樹木や植物が生えている状態のこと。 その着生している植物は多岐に渡っていて、看板にその種類がすべて書かれていたが、とても覚え切れる量ではなかった。 |
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紀元杉の周囲には木道があって、四方から見渡すことができた。 そうこうしているうちに観光バスがやってきて、ツアー客がどやどや降りてきた。 |
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もはや静かな森で屋久杉を愛でるのもこれまでということで、エスを駆り昨日早朝走ってきた道を引き返して、海沿いの周遊道へ向かった。 |
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周遊道路に出た所にある、初日にも訪れた商店「しいば」で、またしてもパンを買って昼食にする(ここのパンは手作りでなかなか美味い)。気分的には早いとこ風呂に入って着替えたい。悔やまれるのは、着替えをテントに置いてきてしまったことだ。 風呂は初日に利用した尾之間温泉がベストだ。しかしテントのあるキャンプ場は、そこからさらに20kmほど先にある。先に風呂に入ってスッキリするか、ちょっと我慢して着替えを取ってきてから温泉とするか。 尾之間からキャンプ場のある栗生まで片道約20km。その間はなかなか気持ちのいい離島の情緒溢れる道なので楽しんで走ることができる。
三たび尾之間~栗生間を走り、キャンプ場へ。
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