■謎多き太古の森をゆく


翌朝、まだ周囲が真っ暗なうちから出発の準備を始める。
登山する人の朝は早い。周囲の同宿者は、もっと早くから起き始めて準備に取りかかっていた。
周囲に干しまくっていた装備品を片付けながら、朝食をとり着替えをする。1泊だからと全く着替えを持参していなかったので、濡れたシャツが冷たい(ジメジメした無人小屋じゃ乾くはずなんて無かった)

それより悲惨なのがズボン。レインウェアのボトムスは、山登りを始めた頃からずっと使い続けている古参の装備で、すでに内側の防水層は所々ちぎれてしまっている代物。そんなウェアじゃ屋久島の雨に耐えきれるはずも無く、ほとんど履いてないに等しいくらいにズボンもパンツもびしょ濡れになってしまった。
今日半日は歩き続けるだけだから別にいいとして、下山後だな問題は。(- -;

これ以上シュラフを濡らさないために(結局シュラフも乾いていない)、パッキングの仕方も少々変更して、すべての用意が整い出発の準備が整った頃には、周囲は明るくなり出していた。

新高塚小屋を出発し、昨日歩いてきたコースの続きを辿っていく。
昨日、宮之浦岳には登ってしまったので、本日は下りるだけ、なのだが、ゴール地点の荒川登山口まで6時間程度はかかりそうな道のりである。

ただ、退屈そうかと言うとそんなことは無く、屋久島で一番歩かれている(人気のある)森の中枢を横断するルートには歩く価値が見出せる。かの縄文杉も、道の途中にあるのだ。

 
大多数の訪問客は、荒川登山口から日帰りを前提に往復10時間程度かけて、大株歩道とトロッコ道を歩き通して縄文杉を見に行くという。今回の宮之浦岳縦走の2日目の行程は、その縄文杉往復コースの復路とほぼ重なっている。
     
 

まずは高塚小屋までの約1時間の道のりを、準備運動がてら歩いていく。

雨は相変わらず止むことが無いが、濡れる原始の森はある意味神々しく、神聖な雰囲気に包まれているようにすら感じてくる。

   

人の手の入った形跡の無い森には、様々な樹木が入り乱れ、絡み付き合いながら共生しているかのよう。

名も無き杉の大木が眼前に現れる度に立ち止まり、その生命力に圧倒されること幾度となく。

鬱蒼とした森には、生命力が満ち溢れている。そんな森のエネルギーを吸い込みながら歩き続ける。雨に濡れた森に底知れぬパワーを感じながら。

 

高塚小屋を通過し急坂を下りていくと、立派なあずまやがあった。
それは縄文杉という観光スポットが近いことを示しているに違いないと思いつつ進んでいくと、森の中に突如広大な木製デッキが現れる。

そのデッキの前に、まるで舞台に飾られているかのように、縄文杉がそこに在った。

 
   

それまで杉の巨木は森の中にいくらでもあったが、確かに縄文杉と呼ばれるこの大木は、ちょっと格が違う感じだった。
白く禿げたコブだらけの樹皮は、老木のイメージそのままだし、何よりその幹の太さと言ったら、他の巨木を圧倒する迫力がある。屋久島の原始の森の主と呼ばれても異論は無い威厳に満ち溢れていた。

ただ、それは縄文杉と呼ばれるこの杉そのものに対しての印象だ。
というのも、縄文杉の周囲はあまりにも人の手が入り過ぎており、大木の威厳を少なからず削いでいるのである。
巨木の周囲は伐採され、地表には木屑が敷き詰められている。その10mくらい手前に、立派な木製デッキがステージの如く設置されているのだ。

縄文杉というブランドが一人歩きをし、屋久島と言えば縄文杉!という固定概念が大多数の人に植え付けられてしまった弊害だろう。
毎年、世界遺産のネームバリューに魅かれ、その中でも圧倒的な知名度を誇る縄文杉という存在に、観光客が殺到しているのは想像に難くない。その代償が木屑が撒かれた舞台であり、木製デッキのステージである。
あまりに多くの人がこの縄文杉を見に来るために、根元が踏みつけられて弱ってしまうのだそうだ。

 

そのために対処せざるをえなかった結果ということで、仕方の無いことなのだろう。
しかし、あまりに作られた見せ方で、縄文杉はその魅力を削がれてしまっている気がしてならなかった。

かく言う自分も以前は、屋久島なら縄文杉、という偏った知識しか無かった一人である。
その他にもいろいろ魅力があることを今では承知しているが、例えば2泊3日の強行軍のツアーに参加していたなら、とりあえず日帰りで縄文杉、となっていたかもしれない。

それが悪いと言うことはできないが、偏った情報で縄文杉の魅力が削がれ、存続すら危ういとしたら、屋久島の魅力は縄文杉だけじゃないんだよ!ともっと声高に主張する傾向があってもいいような気がする。

 

だがしかし、縄文杉そのものにはただならぬ存在感があるのは確かだ。
一見スギとは思えないほどに、その巨体はこの世のものならざる異様なオーラに包まれている。
なぜここまで大きくなったのか。宮之浦岳から下りてここまで来る間の森には、大きなヤクスギはいくらでもあってそのひとつひとつが雨に濡れて神々しい存在感を放っていたが、縄文杉の大きさは別格だ。一説によれば、何本かのヤクスギ同士が融合したとか、樹齢が7200年にもなるとか。。

実際の樹齢はそんなにもならないらしいが、今の科学をもってしても、正確な樹齢はわからないようだ。(いまだにいろんな説があるみたいなので)
不思議なのは樹齢ではなく、縄文杉と呼ばれるこの杉だけが何故かくも大きいかということ。
これは発想を逆転すれば、その答えが理解しやすい。つまり、周囲の樹木がなぜ縄文杉ほど大きくないのか?という視点で考えると・・・

何千年か前、近くの海峡で大噴火が起こった際、島中が火砕流によって焼き尽くされた、と言われている。
その時、偶然にも生き残ったのが、縄文杉やその他の現存する巨木というではないか、と言われているらしい。
だとしたら、その生い立ちも奇跡そのものだ。気の遠くなるような時間を、幾多の危機をかいくぐってこの場に存在し、今自分がその前に独り立っていることが嬉しいじゃないか。


ちなみに、「縄文杉」って呼び名は、幹がまるで縄文式土器の模様みたいだから、とか。

・・・・・縄文時代から生きてるからだと思っていた
(^ ^;


縄文杉との会話を楽しんでいる間は、他に観光客の姿も無く、屋久島一の観光地としては恵まれた状態での鑑賞となった。近くの新高塚小屋から朝一番で歩いてきたからで、あとでわかることになるのだが、これがあと数時間後だったら、こんなにゆっくりと楽しむことはできなかったはずだ。


・・・・・・・

 
縄文杉のデッキを降り、雨に濡れた登山道を進んでいく。
ここから終点の荒川登山口までは、日帰り縄文杉ツアーのメインルートなので、屋久島で一番多くの人に歩かれている繁華街級(!?)の道、ということになる。

登山に慣れている人も、そうでない普通の観光客も歩く山道なので、それなりに整備されていると思ったら、これが結構険しい普通の登山道である。 地面に這いつくばる木々の根を越え、岩を越え、沢に下りて渡り、また登る。

所々木道も現れ足元を助けてくれるが、雨に濡れた木の道は極端に滑りやすく、結局気が抜けない。

   
    いくらかも歩かないうちに、登山道脇に「夫婦杉」と名付けられた杉と出会う。
並んだ2本の杉から分かれた枝が繋がり、まるで手を取り合っているような、微笑ましい佇まいの古木だ。
                                 
     

そこからすぐ先で、今度は「大王杉」に出会う。縄文杉ほど大きくはないが、しかし負けず劣らぬ迫力がある。
たまたまこういった目立つヤクスギに名前が付けられて看板も立てられているが、ここまで歩いてきた道のりだけでも、それはごく一部であるということに気付くのは難しいことではない。
縄文杉や大王杉ほど巨大ではなくとも、森の中で一層の存在感を放つ大きなスギは、至る場所で目にすることができる。

名付けられたメジャーなスギを辿るだけでは、屋久島の魅力を十分に味わったことにはならないのではないかと思った。森を歩き、その道すがら自分の目に止まった巨木との会話を楽しむ。決められたルートに沿って決められたものを見るだけの縄文杉トレッキングより、森を彷徨い、自分だけの「屋久杉」を見つけるトレッキングの方がきっと幸せな気分になれる。
ありきたりの情報に流されないで、もっと自然に屋久島の森を楽しむということが、この島を本当に楽しむ秘訣かもしれない、と感じるのだった。

大王杉と別れた先からは、急激に登山者とすれ違うことが多くなった。そのほとんどが、ガイドを連れた少人数のグループ。今朝荒川登山口を出発した日帰り縄文杉トレッキングツアーが、そろそろこの地点まで差し掛かってくる時間になっているようだ。

登山道もこの辺からずいぶん急勾配になる。こっちからだと下りていくだけだから楽だけど、上がってくる往路の登山者は例外無く皆ツラそう(ガイドさんは除く)
大人数のグループまで現れ、常にすれ違いに気を使わなければならないほどになった頃、「ウィルソン株」の前に出た。

その巨大な切り株の前は、格好の休憩スペースとなる森の中の小空間で、ここまでようやく登ってきた感じのいくつものグループが休憩中だった。

ウィルソン株は、神社の本殿か神棚のような面持ちで、こちらを見下ろしていた。株の前で記念撮影を、という人が列をなしている。その気持ちわからなくもなく、自分も人がいなくなった僅かな瞬間に、人のいないウィルソン株をカメラに収めた。撮影だけに拘ると、さっきの縄文杉や大王杉でのようなちょっと突っ込んだ思考になれない恐れがあるから、あんまり気を取られたくないのだが。。(でも撮らないとこのレポも作れないので・・)

ウィルソン株は、その内部に入ることができる。つまりこの株は空洞となっていて、切り株の断面である天井には穴が空き、中から見上げると、切り株の中から森を見上げる絵になる。

この内部のどこかから見上げると穴がハート形になって見えるらしく、ガイドの案内に従って一生懸命そのポジションを探している団体さんがいたが、そんなことよりも、人が何十人も入れそうなこの巨大な株が何故ここで切り株となっているのか、そして何故空洞なのか、ということに思いを馳せる。

屋久島は江戸時代、島津藩の領土だったが、耕作が難しいため米で年貢を納められず、その代わりにスギの木を森から切り出して上納していたらしい。それ以来、豊富な森林資源を切り出し、人々が生計を立てていた時代が続いた。(現在は伐採が禁止されている)

いつの時代かは知らないが、ウィルソン株はそんな時に人の手によって切り倒されたスギの木の名残のようだ。
その切り株があまりに大きく不思議な存在感を放っていることから、固有の名称を名付けられたのだろう。
「ウィルソン」とは植物学者の名前で、「日本の照葉樹林」とかいう論文で、屋久島の自然を世界に紹介した人物だそうだ。彼の功績によって屋久島が自然の価値が世界に知られて今日に至ることから、その名前が拝借されたようだ。

そのウィルソン株が空洞なのはたぶん、ヤクスギという樹木の特性によるものではないだろうか。
ヤクスギは、たとえ幹の内部が腐ったり、雷で焼け焦げたりしても、幹の表面が残っていれば生きていけるのだそうだ。言われてみると、巨木に限って中が空洞になってることが多かったかもしれない。逆に何千年も生きているスギは、中が詰まったまま、というのはかえって珍しいのかも。

内部の芯に当たる部分がなくなったとしても、うねるように根を伸ばし枝を伸ばし、時には近くの木と融合してしまう神秘の木、屋久杉。底知れぬ自然のパワー。凄いなホント。


・・・・・・・

 

ウィルソン株からは、さらに凄い数のツアー客とすれ違うことになった。
ちょうどこの辺りで、早朝に荒川登山口を出発した人たちのピークと重なるようだった。

一応、本日は何でもないただの平日で、しかも新緑でも紅葉でもない非常に曖昧な季節(つまりオフシーズン)である。そんな日にこんな所を歩いている自分も自分だが、こんなにも大勢の人が世間が忙しなく働いているこの時間に、縄文杉目指して歩いているのには正直驚く。これが世界遺産のネームバリューということか。

歩いている人は、大方自分と同じくらいかそれより若い人、世間一般には若者に分類される人たちである(^ ^;
ほとんどがガイドを連れている(連れられている)。ガイドも様々で、こちらが足取り軽く下りてくると見るや、こちらが道をあける前に譲るよう指示する者もあれば、無機質にトランシーバーで下山者あり~ってなカンジで処理するだけのガイドもいる。

迷う道ではないので、道案内的なガイドは必要ないと思うが、せっかくの原始の森、それに対するいろんな知識を歩きながら披露してくれるネイチャーガイドが一緒なら、往復10時間の道のりも、幾分楽しめるのではないだろうか。

ウィルソン株からは結構ペースを上げて歩いた。意識的にペースを上げたのだ。
というのも、荒川登山口からエスを置きっぱなしにしている淀川登山口までタクシーを予約してあり(上陸初日の昼間に予約の電話を入れていた)、その時間が以後の行程の計算上厳しくなってきていたからだ。

荒川に何時に着くかということは、登山地図の標準コースタイムから想定するしかなかった。それを元に、荒川登山口に正午にタクシーを呼んでいた。

そう慌てなくても、多少遅れたって予約したタクシーが逃げるわけではない、とはわかっていても、心情としては遅れたくなかったわけで。。

登山道は、ごうごうと流れる沢の縁に出た所で姿を消した。

沢には鉄橋が架かり、線路が渡されている。そう、ここからが屋久島名物(?)トロッコ道。正確には森林軌道跡と呼ばれるこの線路は、過去に森の木々を伐採し運び出すのに使われた産業遺産だ。
ここから荒川登山口までは、ひたすらこのトロッコ道を辿って歩くことになる。

その距離がまた気が遠くなるほどに長い。歩き始めこそ線路上を歩く物珍しさからテンションも上がり気味になるが、単調なトロ道は景色にもほとんど変化がなく、それほど歩かないうちにもう飽きが来てしまった。
そうなったら、ただひたすらシャキシャキと歩くしかなくなってしまった。
   
 

トロッコ道はどこまでも平坦で、まったく勾配が無い。枕木と枕木の間に板が敷いてあるので歩幅のリズムは取りやすく、ストックでリズムを刻みながら意識的に早足で歩いていく。

何も考えてないと余計に長さが強調される。それは苦痛なので、いろいろ考え事をしながら歩くことにした。
周囲の景色を楽しみながら、というのが理想だが、それまで素晴らしい森の中を歩いてきた後の落差が大きい。何も眺める価値がないわけではない。ただ、いつまでたってもさほど変化の無い景色には飽きてしまうのだ。

トロッコ道は、途中2度ほど沢を鉄橋で渡り、楠川分かれという登山道の分岐点を通過する。
そこから更に鉄橋を渡りつつ30分ほど歩くと、小杉谷の集落跡に辿り着く。
                 
 
集落跡、というのは以前は人が住んでいたということで、かつて森林伐採が可能だった時代を思わせる遺構が残っている。
遺構と言っても目立った建物は無く、かつて人々の生活がここにあった、ということを今に知らせる面影が残るのみなのだが。
それでも、小学校の校門と校庭の名残は、かつての賑やかな集落の記憶を今に伝える風景だった。

小杉谷の集落の先は、長い鉄橋で大きな谷を渡る鉄橋になっていた。これがなかなかの迫力!

登山道からトロッコ道に出た時の小さな沢が、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。鉄橋上から眺めるその景色の迫力たるや、それまでの退屈なトロッコ道の印象が吹っ飛んでしまうくらいのインパクトがあった。

谷間にゴロゴロと転がる岩のひとつひとつが巨大。スケールが違う。渓流というには生易し過ぎるほどのパワーを感じる。

そこにはずっと降り続いている雨で水量を増した山の水が、滑り落ちるように流れている。
豊かな水の島の、厳しい自然の側面を見るような、そんな風景に変貌していた。

 
そこからは枕木と枕木の間の板が無くなってしまったので、途端に歩きにくくなってしまった。どうもこの先の軌道は現在もトロッコが通ることがあるらしい。歩いてる時にトロッコが向かってきたらどうすんの!?、という心配をヨソに、線路脇に待避所はそこかしこに設けられている。    
支流に架かる鉄橋を何本も渡る。中には欄干の無い、線路だけの鉄橋も。一応枕木に細長い板が渡してあったが、そこを歩くのはなかなかの迫力である。

小杉谷から30分ほど歩いただろうか。トロッコの車庫のような朽ちそうな小屋を過ぎると、真っ暗なトンネルが目の前に現れる。
暗闇の中を歩いて通過するのかと思ったら、トンネルに差し掛かった所で照明が自動で点いた。センサー式らしい。さすが日に相当数の観光客が入る道なだけある。

トンネルを抜けるとすぐに川を鉄橋で渡り、荒川登山口へと導かれた。
時間は11時50分。向こうにタクシーが待っているのが見える。

長いトロッコ道だった。日帰りだとこれを1日で往復するのである。縄文杉はいいけど、この単調な長さは余分だな。それを考えると、縄文杉日帰り往復トレッキングって、決してオススメできたもんではないなぁ、というのが正直なとこである。

タクシーは2台待っていた。運転手同士が小屋の軒下で談笑している。こちらが近付いていくと、2種類の名前を呼びかけられた。後ろに停まっていたタクシーが、予約していたタクシーだった。先着の運転手が悔しがっていた。

どちらのタクシーも正午にここで乗車を予約されたらしい。
先着の運転手に「ご夫婦2人組に会いませんでしたか~」と問われた。それなら確か、トロッコ道に出ていくらか歩いたところで追い越したはず。こちら向きにこの時間に下りてくる登山者なんてあまりいなかったので、すぐに思い出した(新高塚小屋での同宿人でもあったこともあり)

濡れたレインウェアを脱ぎ、タクシーに乗り込む。雨具を脱いでも下のウェアは相変わらず雨と汗で濡れている(我ながらよく風邪引かないもんだ(汗)からシートを汚さないかと心配だったが、そこは屋久島の観光タクシー、客は登山者がほとんどだろうから、座席はビニールに覆われ心配無用だった。


タクシーが出発すると、運転手が最初に料金を告げた。 回送料金がかかるが、運賃コミコミで7000円で行きます、よろしいですか?と。
相場がそのくらいと何かに書いてあったので、すぐに了解した。

クルマでのツーリングが旅の基本なので、観光地でタクシーに乗るなど当然ながらあまり経験が無い。
最近では年初に冬の上高地行きのタクシーに乗ったのが唯一で、あの時もそうだったけど観光地のタクシーの運転手って、話のネタが実に豊富。乗客のガイドもしなければならないので、観光知識に長けているのは当然と言えば当然。
荒川から乗ったこのタクシーの運転手も例外ではなく、楽しそうにいろんなことを話してくれた。淀川登山口まで1時間かからないくらいの道のりだが、あまり長くも感じずに楽しく話に聞き入ってしまった。

人柄のいい運転手に連れられて、いつしか淀川に到着。
運転手は「島で見かけたらまた声かけます。覚えてますから」と言い残して帰っていった。もう島でタクシーに乗る機会は無い。いくら海に囲まれた島でも、また偶然会うことなんてあるかな?と思った。
その意に反し、なんと数日後に本当に再会を果たすことになるのだが。(^ ^;;

   

約30時間ぶりの再会となったエスに、荷物を積んで淀川登山口を出発。
途中、来る時は通過した林道沿いの屋久杉の巨木の風景を楽しむ。

 

川上杉と名付けられた背の高いスギは、その長大さに反して、帰り道からでないと見落としてしまいそう。

その先にあるのが紀元杉。クルマで直接アプローチできる(道路沿いにある)スギとしては最大級で有名らしく、麓から出る淀川方面行きバスも、ここが終点になっている。(淀川登山口まではバスは通っていない)

縄文杉に劣ることのない太い幹には、無数の植物が着生していて、単なるスギの木(ここまでデカい時点で既に単なるスギじゃないが)とは一風異なる風貌だ。

 

着生とは、樹木の上に樹木や植物が生えている状態のこと。
ベースとなる親木から栄養分を吸い取る「寄生」とは異なり、ただ単に木の上に生えていて、栄養は自分で根を地面に這わせるか何かして確保しているのが「着生」。

その着生している植物は多岐に渡っていて、看板にその種類がすべて書かれていたが、とても覚え切れる量ではなかった。
それだけたくさんの着生直物を抱えた紀元杉は、あたかもオシャレに着飾っているかのようにも見える。着生植物に花が咲くと、本当にそんな感じに見えることだろう。

                   
紀元杉の周囲には木道があって、四方から見渡すことができた。
そうこうしているうちに観光バスがやってきて、ツアー客がどやどや降りてきた。

もはや静かな森で屋久杉を愛でるのもこれまでということで、エスを駆り昨日早朝走ってきた道を引き返して、海沿いの周遊道へ向かった。

周遊道路に出た所にある、初日にも訪れた商店「しいば」で、またしてもパンを買って昼食にする(ここのパンは手作りでなかなか美味い)。気分的には早いとこ風呂に入って着替えたい。悔やまれるのは、着替えをテントに置いてきてしまったことだ。

風呂は初日に利用した尾之間温泉がベストだ。しかしテントのあるキャンプ場は、そこからさらに20kmほど先にある。先に風呂に入ってスッキリするか、ちょっと我慢して着替えを取ってきてから温泉とするか。
尾之間に向かって走りながら考えた末、一度キャンプ場に戻ることを選択。風呂上がりに再度汗臭いウェアを着る気にはなれなかった。

尾之間からキャンプ場のある栗生まで片道約20km。その間はなかなか気持ちのいい離島の情緒溢れる道なので楽しんで走ることができる。
テントに戻って、着替えをピックアップし、また尾之間に戻る。山を歩くのは気持ちがいいが、それ同様、いやそれ以上に、エスをオープンで流すのは気持ちがいい。宮之浦岳の森林限界上はさすがにひんやりとしていたが、海沿いのこの道は南国そのものの空気だ。このギャップが屋久島の魅力でもある。


尾之間温泉で汗を流し、久しぶりにスッキリ。その後初日同様、Aコープで今晩の食材買い出し。
フリーズドライ中心の山行になると、無性に肉質の物が食べたくなる。この日も例外ではなく、厚切りのベーコンステーキを焼くことに決定。缶ビールも忘れずに。

三たび尾之間~栗生間を走り、キャンプ場へ。
キャンプ場を取り囲む海原の波は高く、打ち寄せ叩き付ける波の轟音が周囲に響き渡っている。


台風が近付いていた。

 
 
3日目 / 5日目