■さらば森と水の島


東京を出て一週間が経った土曜日の朝。
あっという間に滞在期間が過ぎ、遂に島を離れる日が来た。ツーリング中の一週間ってのはホント早い。
この日も島の空は雲に覆われていた。島の滞在期間中、晴れていた時間というのは本当に少なかった。

キャンプ場を引き払うこの日はまず、エスの小さなトランクにキャンプ道具一式をパッキングすることから始まる。ちゃんと考えて入れないと、収まり切らないほどギリギリの荷物量なのだ。
出発する時から、荷物の量にさほど変わりはない。だから、来る時と同様にパッキングすればいいということになる。今回は登山用のザックがあるので、その中に荷物を詰め込むことによって、トランク内が小物でトッ散らからないのが救いだ。

なかなか見事なパッキング(笑
テント(しかも2幕)はもちろん、2名分の寝具と着替、登山用ザックにトレッキングシューズ他もろもろが収まっている。

コックピット内には貴重品の荷物以外は置かないのは、R styleツーリングのポリシー(!?)だ。どんなにトランクがパンパンでも、運転席周りはまるで近所を流している時のようにスッキリ。
オープンカーなので、見た目で生活臭を漂わせないように気を使っているという側面も大きい(笑

 
                 
           

トランクを閉じれば、いつもの黒いエスの佇まい。エンジンに火を入れ、回転が下がるまで軽くアイドリング。

その間、1週間もの長い間滞在した(宮之浦岳と台風の時以外)屋久島青少年旅行村キャンプ場の美しい芝のサイトに別れを告げる。
またここで幕営することはあるのだろうか。。。

 
                                     
キャンプ場は栗生という集落にあるということは何度も書いたが、その栗生集落そのものにはまったく訪れていない。
そこで、本格的に帰路の付く前に、栗生の名所に立ち寄ることに。
 

ひとつめ。栗生川の河口付近に植生するメヒルギを見る。

マングローブの一種であるメヒルギが、自然植生する中では最北端に位置するという栗生のメヒルギ。奄美大島で見た、海面に生える背の低い樹木だが、栗生のそれは、コレと言って・・・・(見る場所を間違えたのか?)

                     
   
ふたつめ。栗生の海水浴場。
白い砂浜が美しい、屋久島でも有数の海水浴場である。キャンプ場のすぐ近くにあったタイドプール(干潮時に海辺の岩場にできる潮だまり)とともに、シュノーケルで手軽に南国の海中散歩が楽しめるエリアでもある、らしい。
ま、こうも薄暗く曇ってちゃ、あんまりその魅力も・・・(^ ^;
栗生の名所は不発に終わった(爆

あぁそういえば、海水浴場で海を眺めてると、散歩中らしきおじさんに「東京から来たの?練馬から?」と話しかけられた。(練馬ナンバーなので)

なんでも以前練馬に住んでたらしい。しかも結構近所だった。

 
島内にはレンタカーを含め、結構クルマはたくさん走っているが、「鹿児島」ナンバー以外はほとんど見かけない。県外ナンバーはとにかく目立つ。オマケにオープンカーである。
注目度は本州の比ではない。(まぁ屋久島に限らず、離島じゃどこでも目立ちますが(笑)

他に比べて一際静かで人の気配の薄い栗生の集落(なんでだろ)を出発。フェリーの出る宮之浦の町を目指すことにする。

栗生と宮之浦は、島の全く反対側に位置する。屋久島を地球と見立てれば、日本とブラジルみたいな位置関係である。屋久島一周が約100kmなので、単純計算で道のりで約50km近く離れていることになる。
島の玄関口からそんなにも遠い場所にベースキャンプを張るってのも我ながらモノ好きなもんだが(^ ^;)、よくこの間を面倒がらず毎日行ったり来たりしたもんである。

特に栗生から尾之間、安房と通って宮之浦に至る、島の南側から東側半分はよく走ったので、最後に宮之浦に行く道は、まだ一度しか走っていない西側から北側半分を通っていくことにした。
つまりそれは、2日前に走った西部林道を通過するルートである。あの原生林のただ中を抜けていく道を、最後にもう一度味わいたい。

 

その西部林道に入る前にある、大川の滝ももう一度鑑賞していくことにした。島には滝が多く、何本か観たが、この大川の滝が一番鮮烈に記憶に残っていた。

訪れてみると、あれ?滝の表情がずいぶんと違う。思い描いていた光景よりも、全然水量が少ないのである。

向かって左側の本流は相変わらず豪快に流れ落ちていたが、右側の支流は申し訳程度に落ちているに過ぎない感じになっていた。2日前のシャワーカーテンとなって落ちる姿とは全く異なっている。

2日前と言えば、台風18号が過ぎ去った翌日である。あの時は特別水量が多かったのかもしれない。大川の滝は、今のこの状態が普段着に近いのかも。
てことは、2日前の美しくも豪快な姿は、とても貴重な光景だったに違いない。

 

西部林道は、相変わらずヤクザルとヤクシカの楽園だった。

特にヤクザルさんの群れは大挙して道路に居座り、道行くクルマを無視し続けている。
林道が狭くなったところで運悪く、レンタカーのヴィッツに引っかかってしまった。しかも狭路に入ってすぐヤクザルが道を塞いでいて、立ち往生してしまう。

なんとか避けようとするが、ヤクザルさんたちは全く意に介せず路上でノミ取りに勤しんでいる。
通り抜けることができず、クラクションを鳴らしているが、その警戒音にすら慣れているのか全く動じず。
かといって降りて追い払うわけにもいかず・・

相当待ったがどうにもこうにも突破口が開かない様子なので、(ちょっと後ろめたい気もしたが)後方から必殺技(無限サウンド)を繰り出すことにした。(かなりレーシングな感じで(核爆)

 

2日前同様効果テキメンで、一発で道が開いた(笑
ヤクザルどころか、すぐ先でヴィッツにも道を譲られてしまった(滝汗(決して煽ったわけでは・・・(- ^;;

世界遺産屋久島の原生照葉樹林にコダマする、無限HONDAミュージック。その残り香を振りまきながら(笑)、西部林道のタイトなワインディングを一気に走り切った。

   
宮之浦

西部林道から永田、一湊、志戸子と通過し、宮之浦には9時頃に到着してしまった。
鹿児島に出るカーフェリー屋久島丸は1日1便で、宮之浦港は正午の出港である。まだ3時間程度も余裕があった。それまで宮之浦の町でゆっくり買い物なぞして過ごすつもりである。

まずは開店直後のスーパー「ヤクデン」で、揚げたてのトビウオのすり身の天ぷらを買って朝飯とする。
屋久島はトビウオの水揚げ日本一で、トビウオ関係の食べ物をよく見かける。天ぷらは愛媛のじゃこてんと非常に似ていて、とてもウマい。

ちなみに「ヤクデン」は、屋久島電工という電力会社の近くにあって、何か関係がありそう。
屋久島の電気は、この屋久島電工と九州電力がそれぞれ供給している、とタクシーの運転手氏が言っていた。(初日の停電は、このどっちかの発電所が故障したため、一部だけ送電が停まっていたらしい)

その後、昨日下見していた物産店を訪れ、お土産を購入する。一週間も休暇を取っているので、同僚に貢ぐ土産は欠かすことができない。
購入した土産品は、出勤する日の前夜に到着するよう直接自宅に送付した。これから乗るフェリーに、宅配便として一緒に乗船するそうな。

お土産を買った後も、時間はたっぷりあった。続けて宮之浦の町を散策することにした。

宮之浦は屋久島最大の町ということもあり、道路沿いには商店が建ち並び、人やクルマ通りも多く賑わっている。奄美大島の名瀬ほどの規模はないが、屋久島っていうと自然ばかりの島っていうイメージで行くと、かなり印象と異なることだろう。
そんな町なので、歩こうったてフツーの田舎町を歩くっぽい感じになってしまうが、そこはそれ、離島の旅情っぽい部分を予想しつつポイントを決めて訪れるのである。

まず向かったのは、町の中心を流れる宮之浦川に架かる宮之浦橋。クルマを停める場所がなかったので、少々上流の空いたスペースにエスを停めた。

宮之浦川の川端は、桟橋のようにデッキが整備されていて、散策を楽しめるようになっていた。咲く花々が南国情緒を演出している。

 
   
その桟橋を下流に向かって歩いていくと、歩行者専用の橋が川に架かっている。
元々はこの橋が、川の両岸の町を繋ぐ唯一の橋だったのだろう。現在は県道の広い橋がすぐ横に架かっているので、そう想像させてもらった。
 

その橋の佇まいは歴史を感じさせるものだった。海の近くになる河口の水面は、上流の急流がウソのように静かだ。そんな川の表情と、情緒ある橋の佇まいがマッチしている。

太古の森が占める屋久島らしい景色は昨日まで存分に堪能したが、こういった町の人工物の風景も、この島固有の風景として印象深いものがある。

橋の袂の民家で見かけたナンジャモンジャの木。
「元はボンサイ」だって(笑
 
橋と川の周辺をひとしきり散策した後、エスで次のポイントに移動。
県道を外れ、海側の集落の中にある神社にやってきた。
「益救」神社と書いて「やく」じんじゃと読むらしい。屋久島の字は昔はこうだったのだろうか?
どちらにしろ、その名前の響きからして由緒正しそうな島の社である。
鳥居と社殿の間の参道は長く、広々としたオープンスペースを兼ねている。参拝に訪れている人、猫と遊んでいる女の子がいた。

社殿に向かって歩いていくと、途中で向こうから歩いてきたおばあさんに話しかけられた(上の写真に、こちらに向かって歩いてきているのが小さく写ってた)。見たところ結構お年を召しているようだったが、矍鑠とした話しっぷりがまったく年齢を感じさせない。

なんでも、自分の孫と同じくらいの観光客(僕)が歩いてきたので、思わず声をかけたのだとか。お孫さんは、本田技研の狭山製作所に勤めておるそうな。昨今の自動車業界不況で、お孫さんの周辺にもリストラの嵐が吹き荒れているが、当人はしっかりと会社に留まっているそうである。

・・・などというコアな内容も含めて(笑)、結構長いこと立ち話をした。メチャメチャ元気でエネルギッシュなおばあさんだ。
屋久島がほとんど知られていなかった頃から民宿を経営している上、レンタカー業に目を付けて今も営業してるとか。。経営的センスも抜群らしい。
別れ際にBoys, be ambitiousとまで言われた。(なぜ知っている!?(爆)

その会話の様子を、猫と遊んでいた女の子が横で楽しそうに聞いていた。

屋久島の人たちは、明るくたくましく人なつっこく異邦人たる僕たち旅人を迎えてくれる。

親切だったキャンプ場の管理人、楽しそうに仕事をするタクシーの運転手氏、そして益救神社で会ったカリスマばあちゃん等、島人と接することで得られた思い出も多い旅になりそうだった。
走りっぱなしのツーリングではなかなか得られない経験である。クルマ旅という楽しみ方に、こういう付加価値が付くのも、離島ツーリングの醍醐味のひとつなのかもしれない。

 

神社の参道での素敵な出会いに恵まれた後は、フェリーの中での食事を買いに、スーパー「わいわいらんど」に赴く。充実した総菜コーナーで昼食を選ぶと同時に、酒コーナーで「三岳」のボトルを購入。

屋久島産のレア焼酎「三岳」は島内でも品薄だが、全く手に入らないということはなく、スーパーではここ「わいわいランド」の他に空港近くのスーパー、安房と宮之浦の物産店で購入が可能だった。
ただし一升瓶は本当にレアで、滞在中見かけたのは、尾之間のAコープで、たまたま入荷直後だった1ケースをたった一度見かけただけ。(あっという間に完売していた)

一升瓶と900ml瓶はレアでも、350mlボトルとワンカップ型「三岳」(ワンカップは島内限定品らしい)は上記のスーパーや物産館には売っているが、例外なく本数制限がある。そのため、訪れる度に1本ずつ購入し続け、トランクの荷物の隙間埋めよろしく詰め込み続けていた(笑

 

宮之浦港に向かうと、岸壁には既に屋久島丸が停泊していた。乗船手続きは往路で渡された証明書を渡すだけで、お手軽だった。

乗船するクルマは、来た時とは異なって、そこそこたくさん並んでいる。
しばらく荷下しのフォークリフトの作業を眺めながら過ごしていると乗船が始まり、屋久島丸の腹部へと収まった。

フェリーは来た時と全く同じ「屋久島丸」。来た時と全く同じ位置に陣取って、4時間近い航行に備える。
やはり乗客はまばらだ。

出港時にはデッキに出た。
一週間という長い時を過ごした島が、ゆっくりと離れていく。船と島の間の海がみるみるうちに大きな隔たりとなっていくが、島の中央部にそびえ立つ山塊は、いつまでたってもその圧倒的な存在感を失おうとはしなかった。

既に異邦の地とは思えないほどに一方的に親しんだ島を離れることに、明らかに寂しさを感じた。
たった一週間で屋久島を知り尽くしたとは到底思わないが、島の様々な事象と時間を共有することで、親しみを覚えるまでにこの地に入り込むことができたのは確かだった。通り過ぎるだけでは得られないであろう、深い感慨である。

島が徐々に遠ざかっていくのを、いつまでも、いつまでもデッキ上から追い続けた。

洋上に突き出た南国のアルプスは、初めて出会った時と同じように、その姿の大半が分厚い雲で覆われていた。

   
・・・・・・・
 

しばらく2等船室で横になっていた。いつの間にか寝てしまったようだ。
外に出てみると、久しぶりに見る澄んだ青空が頭上に広がっていた。

鹿児島港に向かう船は、既に錦江湾の入口にまで到達していたようだ。
佐多岬が右手に見え、開聞岳が左手に見える。見事に円錐形。まさに薩摩富士。

 

鮮やかな海と青空の色彩をぼんやり眺める。
穏やかな海風に吹かれつつ、しばらくデッキ上のベンチで景色を眺めていた。
                 
           

船は湾内をどんどん進んでいく。指宿の温泉街の沖を通過した後は、鹿児島市沿岸の工業地帯が見えてくる。

そして正面には威風堂々の桜島が・・・

 
爽快な青空に恵まれ、桜島の威容はますます引き立って見えた。 噴煙を上げる火山に、屋久島の山とは全く異なる個性を感じた。
 
鹿児島港に入港し、エスで九州の地に降り立つ。既に時間は夕方に近付いている。
屋久島発のフェリーは正午発。航行時間は約4時間で、鹿児島港には16時着だ。既に移動する時間は限られている。

鹿児島市内を通過し、九州道鹿児島北ICから高速に乗ることにした。

市内にわずかな区間が設定されている国道58号をドン突きまで走る。国道3号と国道10号終点であり、国道58号の始点である交差点の傍らでは、西郷どんがクルマの波を見下ろしていた。

市街地を貫く国道3号は混んでいた。久しぶりのラッシュに身を任せつつ、町外れのインターチェンジを目指し、予定通り高速に乗った。

       

九州道は鹿児島市を離れるにつれてクルマの数が少なくなり、加治木で隼人方面に行く東九州道と分かれると、一気に走るクルマの数が減った。

何だか変なトコから噴煙を上げていた桜島をミラー越しに見ながら、ひたすら走り続ける。
鹿児島県から宮崎県、えびのを通過して、来る時楽しんだ山岳区間を逆向きに走破する。時折ペースの合わないクルマが右車線を塞いでいるのを除けば、実に快適な高速ドライブだった。

 

山岳区間を抜け、熊本の平野部に出た頃には、辺りはかなり暗くなっていた。

熊本ICで一般道へ。国道57号を阿蘇方面に向かって走り、フェリーに乗ってすぐ確保しておいた熊本空港近くの国道沿いにあるビジネスホテルにチェックイン。
明日に控える屋久島ツーリング最終日の長距離ドライブに備えて(多少飲み過ぎて(爆)ぐっすりと眠った。

 
7日目 / 9日目