天気が下り坂の日曜日。早朝から一般道をドライブ。
自宅から下道で気軽に行ける温泉No.1、東鷲宮百観音温泉に朝風呂に言ってきました。
てっきりどんよりしてると思っていた空は、終始雲ひとつない快晴。久しぶりのオープンドライブは超キモチイイ!・・・んだけど花粉もスゴイ。。(見えるかな、写真のボンネットの花粉汚れ)
花粉症は軽度で去年なんか全く発症しなかったんだけど、今年はダメっぽいなぁ。
先に進むことを躊躇しつつも、唐招提寺金堂へと歩を進める。
近付くと、やはり大きな建物だ。列柱の存在感、庇の張り出し、どれも古代木造建築のスーパースケールを語るに相応しい。
金堂の中には、盧舎那仏、薬師如来、千手観音といった乾漆造による国宝仏像群が安置される。そのお姿も圧巻の一言だが、やはりここは金堂の建築にこそ目も心を奪われる。
お堂の正面の列柱群。巨大な縁側を思わせる庇下の開放的空間は、ありそうでないこの建築の特徴かも。
しかもこの列柱、よく見ると端に行くほど柱間が狭くなっている(ひとつ前のコラムの写真を見てもらうとよくわかる)。
この不均等さが視覚に与える影響は大きく、この建築をより大きく、奥行きの深い印象に仕立て上げているような気がするのだ。
美的なバランス感覚が、この時代から感覚的に実践されていたという文化と技術の奥深さに感動すら覚える。
金堂の軒の出は、法隆寺のように深い。しかし法隆寺のような材のゴツさ、構造的な危うさは無い。
ひとつひとつの材は、小さな部材に分けられて幾重にも折り重なって軒を支える構造を形成している。法隆寺の軒裏と比べれば一目瞭然だ。
これは法隆寺金堂の軒だが、軒を深く張り出させるために、大きな雲肘木でズバッと屋根を持ち出している。
それに対して唐招提寺金堂は、雲肘木ではなく、斗、肘木、尾垂木といった細かなパーツをいくつも重ね合わせて屋根を持ち出している。
法隆寺の時代は、国内でも大きな檜が調達できたけど、唐招提寺の時代には既にそれが難しくなっていた、ととこかで聞いたことがある。
その代替案としての三手先と呼ばれる形式だが、その知恵の輪・積木的な意匠であり構造形態が本当に面白い。
それでも庇の深さには飽き足らずに、地垂木のその更に先に、飛檐垂木を重ね伸ばしている。
庇の深さへの執着心は相当なものだ。庇の深さは日本建築の特徴だし、気候風土的にも理にかなった意匠形態だが、こんなにも執着しつつ結果的に美しいプロポーションを醸し出すのだから素晴らしい。
見所豊富な建築が法隆寺並みに揃っているのが唐招提寺。天平時代の素晴らしい文化遺産が揃っている。
奈良に行くなら、必見だ。
今回の奈良の旅で、法隆寺ともうひとつ、とても楽しみにしていたのが唐招提寺だった。
その唐招提寺において中心的な建造物である金堂が、約10年間という平成の大修理を終えて一昨年の秋に完成し、一刻も早く見に行きたいと思っていたのだ。
天平時代の金堂建築として、唯一現存する唐招提寺金堂。
一直線に伸びる参道の正面で、どっしりと構える幅広の面持ち。リズム良く並んだファサードの列柱と、軒を支える三手先の組み物。その上に乗っかる大きな寄せ棟の屋根は「天平の甍(いらか)」として名高い。屋根の頂部には、鴟尾(しび)と呼ばれる角状の巨大な屋根飾りが天を指す。
独特の安定感に加え、簡素ながら気高い美。特に屋根の存在感は圧倒的だ。
天平時代の金堂は、今よりももっと勾配の緩い屋根だった。慢性的な雨漏りに悩まされて、江戸時代の修理時に2.8m頂部を上げたという。そのせいでどこか頭でっかちな印象がある。天平時代のオリジナルのプロポーションは、今よりずっと美しかったに違いない。
だとしても、この存在感は何だ。
道路から南大門越しに既に金堂は見えていたのだが、門をくぐって間に遮るものがない状態で対峙すると、なぜだかそこから金堂に近付くのが躊躇われるのである。
天平の頃から変わりのない自然に囲まれた聖域。その先に鎮座する建築から発せられる見えないチカラが、先へ進むことを留まらせる。
どうしてもここから先に進むことができない。
いつまでも、いつまでもこの風景を前に、ただ立ち尽くしている他なかったのだ。
先週末は大雪の予報の中、奈良まで行ってきました。
金曜日の早朝に出て、愛知県に入った途端雪が本降りになり、東名、伊勢湾岸、東名阪、名阪国道と、ずーっと降り続いてました。
幸い道路が通行できなくなることはなかったけど、山の中を走る名阪国道は路面にも積雪がある状態。冬タイヤを履く2号車に切り替えたのは正解だったかと。どうせこの天気じゃオープンにできないわけだし。
奈良、それも奈良市近辺に赴くのは凄く久しぶりで、クルマを運転するようになってから行くのは意外にも初めて。山深いワインディングが揃う南部の紀伊半島の山中エリアには何度か訪れているものの、北部の盆地エリアは完全に空白地帯なのでした。
奈良って言えば、昨年平城遷都1300年祭なるイベントが行われていて盛況だったらしく、人が多過ぎて却って訪れにくい状態だったけど、そのお祭りも終わって静かになった今頃を狙ったのがいかにも僕らしい(^ ^;
目的はお寺巡りだったんでツーリング的なトピックは薄いですが、訪れた先々で鑑賞した建築や彫刻には感動しきりでした。いやホント。凄く良かった。もっと早く訪れておくべきだったなぁ。
写真は興福寺五重塔。巨木が枝を張り出してそそり立っているかのよう。
闇に浮かぶその姿は、とても幻想的でした。
明日から3連休なので、エスに乗ってWinter Touring、のつもりでしたが、、よりによって連休中は全国的に大雪とか。。
雪の心配が少ない関西方面を考えていたのに、完全に雪と予報に断言されてしまいました。
仕方なく諦める・・・ことはできずに、急遽マシンを2号車に切替え。
走る楽しみは失ってしまうけど、一度行こうと思った心の灯火は簡単には消せないのだ(^ ^;
てなわけで、明朝、雪の中出発予定ですv
5D MarkIIの修理が完了したとキャノンサービスセンター上野から連絡があり、早速迎えに行ってきました。
当初ミラー交換という診断結果を受けていたにもかかわらず、修理の結果は前板カムギアユニット(ミラー動作部品の一部)の交換で済んでました。
部品代700円。ミラー交換だと部品代だけで12,000円取られるとこだったのでラッキー。工賃は一律12,000円かかっちゃうけどね。
ミラーアップ動作不良の原因としては、ミラー動作中のデータ送信ミスや、動作中のバッテリー切れが考えられるらしいけど、単に振動が原因となることもあるそうです。
やさしく扱いましょうね(^ ^;
ここ最近カメラの話題がホットですが、、、更にこんなものが手元に。。
とってもマニアックで、きっと誰もが知ってるこのモデル。
僕は銀塩時代を知らないので、単純にそのマニアックさと画質に興味を覚えて、ずっと気になっていたカメラ。
発売当初はコンデジに投資できる価格から激しく逸脱してたのに、今はモデル末期なのか、エラくお求めやすくなってるではないか。(発売当初の半額以下・・・)
そんな折に5D MarkIIが入院。その寂しさも手伝ってか(!?)、思わず手に入れちゃいました(^ ^;;
はてさて、どうゆうふうに使っていこうかしらん。
日曜日に登ってきたのは、上州三山のひとつ、赤城山でした。
赤城はいくつかの山の総称で、今回登ったのは、長七郎山と地蔵岳という山。
赤城のてっぺんには大沼という自然の湖があって、この時期ワカサギ釣りで盛況ですが、写真で見下ろしてるのは小沼という大沼の南側にある湖になります。
その背後にあるのが長七郎山。大沼の近くから歩き始めて小沼経由で長七郎山に登り、小沼を一周する形で(途中、氷結した小沼上をショートカットして)歩き、八丁峠から地蔵岳を登り詰めて、頂上からこのアングル、ってな具合。
赤城って前橋から程近い関東の山、ってイメージがあって、この時期山頂付近にこんなに雪があるなんて思いもしませんでした。
特に谷川岳の方角を向いている北側斜面の雪の深さは相当なもので、スノーシュー履いていても、トレースが無い道はラッセル状態になるくらい。
雲の通り道があって、雪の振る斜面とそうでない斜面がハッキリしています。
今年は例年に比べて寒いので、大沼も小沼もしっかり氷結。家から2時間少々で行ける山とは思えない雪山っぷり。アプローチの赤城道路もツルツルです。
長七郎山の向こうに広がるのは関東平野ですが、このギャップが冬の赤城ならではの景色なのかもしれません。