愛人様とお忍び駿河路の旅、いつまで引っ張るんだと思われているでしょうが、、今回で最終回です。
その愛人様ですが、本日昼頃、大変不幸な目に遭いました。それはまた別の機会にするとして・・・
浜松の朝、前日の夜歩きもあってゆっくり目の出発。東名でトンボ帰りで焼津ICまで。
国道150号に出て、新日本坂トンネルの手前で側道に入ると、「花沢の里」の観光駐車場がある。
そんなに遅くはない時間なのに、駐車場はほぼ満車。観光バスまでいる。
どんな有名な観光地なんだ?「花沢の里」なんて、これまで気にしたこともなかったのに。
集落には住民以外クルマでは入ることができないため、かろうじて空いた駐車スペースにGTを停めて、徒歩で散策スタート。
早速離合が難しい細い坂道となるが、やがてその坂道に沿うように家並みが視界に入ってくる。
その家のひとつひとつが、やけに立派なのに驚かされる。
東海道とは遠く離れたこんな山の中の小道に、これほど立派な集落が存在しているとは。。
知る人ぞ知るこの里と道、東海道という街道が整備されるずーーっと前、それこそ今から千年以上前の律令国家時代に、都へと繋がる官道として整備された道という説があるらしい。
万葉集にこの辺りで「やきつべ(焼津辺)の小径」と詠まれた歌があるとのことで、遠い昔に街道が通っていたことを想起させる要因となっている。
律令制が廃れるに従って街道も廃れ、長い年月の間に草木と土に埋もれてしまった。
そのずっと後に、現在も面影を残す東海道が整備されるわけで、つまりは東海道の祖先にあたる古道が、この花沢の里に残っていると想像できるのである。
非常に興味深いのは、現代日本の大動脈である東海道新幹線と東名高速の至近に、この花沢の里と過去の街道が位置しているということである。
東名高速日本坂トンネルがすぐ下を走っているなんて、知っててもとても信じられないような環境である。地上と地中では、軽く数百年のギャップがあるのだ。。
古代の街道と目される道を登り切ると、そこから先は登山用の未舗装路へと繋がっていた。
古道は長い歳月を経て土に還り、現在では高草山への登山道としてその名残を残しているようだ。
満車の駐車車両は、この登山道を歩く人々のものらしく、静かな集落の小径を歩いている間も、引っ切り無しにトレッキング姿の人々と挨拶を交わすこととなった。
道の途中には雰囲気のいい寺院もあって、この街道の歴史を感じさせる。
焼津の町の片隅にひっそりと残る花沢の里は、過去の東海道とも現代の東海道とも離れた古代の街道の名残である。
クルマで楽しめないのは残念ではあるが、時空を越えて街道の趣を味わうには、優れた歴史遺産だと思う。
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花沢の里の後は、せっかく焼津に来たので、漁港直営の食事処でランチ・・・にしたのだが、思ってたより大したことがなかった。
有名な漁港は、それなりに期待度が高まるから、却って難しいのか。
直売所で土産を調達したら、早めに帰路へ。
この時期ならではのアルファGTでのツーリングは、過去の街道をキーワードとして楽しんでみたわけであるが、なかなかに趣が深かった。
街と道をテーマに、近場の地域や行ったことのある場所でも、再度訪れてみるのも悪くないなぁと感じた今回の旅でした。
歴史を感じ、味わいながらのツーリング、私も楽しませていただきました。
また、丁寧にまとめられたレポートに1059さんらしさを感じます。
当時の旅人達が何日もかけて移動した距離を、今は文明の利器でサッと行って帰ってくることが可能なんですよね。
橋・トンネルなど交通も充分整備されて・・・と、普段考えないようなことを改めて考えさせられました。
夜の繁華街(宿場町)での楽しみはいつの時代も変わらず、なのでしょうかね(笑)
不幸な目に遭われたという愛人様が気がかりです。。
普段は意識もしない、足元を見つめるようなショートツーリングでしたが、発見も多々あって意外と中身の濃い旅ができました。
旅慣れた場所も、少し視点をずらすことで、いろんな楽しみ方ができるということですね。
クルマに乗っていると、夜の繁華街で遊ぶ(笑)という発想にはなかなかならないと思いますが、これがなかなか^ ^;
先日不幸な目に遭った愛人様ですが、すこぶるご機嫌ナナメです(恐