6月 242019
 

2019 06 22 01

安脚場戦跡公園から、もと来た狭い道を戻る。
諸鈍、生間と戻ってK614。
対岸に古仁屋の街を望む大島海峡は、朝のぼんやりした風景から、陽光鋭い夏海のような風景に様変わりしている。

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朝、渡船が着岸した瀬相の港を通過し、島の西側へと向かう。
県道を走っている分には、道路の状態はまったく問題ない。
ほとんど走っているクルマもおらず、ドライブを楽しるのかといった心配は、どうやら杞憂に終わりそうだ。

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地図上では海沿いを走るルートのように見えるが、実際には海の見える区間は限られている。
それほど島の地形は、起伏に富んでいる。大島もそうだが、加計呂麻島もその例に漏れず、海に突き出した「山」でというのが実態なのだろう。

薩川の集落に分岐があり、県道をひたすら進んでも変化に乏しいので、少し寄り道をしてみる。
先には芝という集落があるだけだが、行って帰ってくるだけの道にこそ、印象的な風景が待っているかもしれない。

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小さな集落には、島唄を大音量で流す移動販売車が停車しており、住民が品定めをしている。
静かな生活の場を邪魔するわけにはいかないので、少し離れたポイントで降車。ガードレールの向こうに広がる海の青さに声を失う。

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加計呂麻島の海は、まさに手付かず。
入り組んだ地形が無数の浜を形成しているが、住んでいる人の数が、島の大きさと浜の数に対して圧倒的に少ないからか、ほぼ自然のままの姿で残っている印象がある。
大島でもそうなのだろうが、加計呂麻島は更にその印象が強い。

よく自然のままの海とその周辺環境が残る島として、沖縄よりも奄美、と言われるが、奄美大島より加計呂麻島、とも言われる。
それほど加計呂麻島の手付かず感は、特筆に値する。ここは無人島ではなく、ある程度の大きさをもった有人島であるから尚更だ。

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県道まで戻って、更にその先に向かうと、2車線の峠道が現れる。
全体的にワインディングテイスト高めの加計呂麻ロードだが、こういった本格的ワインディング・ロードはそれほど多くはない。
久しぶりにエスのポテンシャルを発揮できるステージ。僅かな区間ではあるが、ドライビングを楽しむ。

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峠を越えると、コーナーの先にはこれまでとは桁違いに明るく、青い海が視界に飛び込んでくる。
先には、特徴的な石垣と樹林帯に囲まれた民家が点在していた。島の西の端に位置する、実久の集落だ。

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実久

これまで通過した集落とは異なり、段違いに南国風情が漂っている。
石垣に見えた塀は、石ではなく珊瑚の化石の積層体。見たこともない形態に、思わずレンズを向ける。

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島唄を流す移動販売車「とらや」は、諸鈍、芝に続きここ実久でも見られ、空き地にはヤギが寝そべっていたりと、違和感の塊のような集落だ。
違和感ならば、この地に降り立ったS2000のある風景もそうだろう。
練馬ナンバーのオープンスポーツが、加計呂麻という都会から遠く離れた島の最果てに佇む光景には、多少なりともインパクトがあるはずだ。

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実久の集落はその他の集落とは異なり、観光と思わしきクルマと人で賑わっていた。
クルマは奄美ナンバーのレンタカーばかり。加計呂麻島には少数のレンタカーしかないので、大抵の場合、大島で借りたレンタカーをそのまま渡船に載せてここまで来るようだ。
そのため、大島と加計呂麻島を結ぶ船の車両搬送枠は、早々と埋まってしまう。そんな気がしたので、昨日予約しておいたわけだ。

実久に人が集まっているわけは、おそらくその海。
実久海岸と呼ばれる浜は、その色彩から「実久ブルー」という憧れの念を抱いた言葉によって知られている。

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白浜に降り立つと、実久ブルーが異邦人を迎え入れてくれた。
海は明るく鮮やかなブルーだが、浜の白さと輝度差があり過ぎて、相対的に暗く見えてしまう。
実のところは表現し難いほど明るく澄んだブルーであり、それが沖合へ進むほど深淵なブルーに変色していく様は、想像を絶する美しさだ。

対岸には大島の山並みが控える構図もまたいい。絶妙の箱庭感が、プライベートビーチ感を一層引き立たせる。
そんな絶景のビーチでランチタイムとすることに。今朝、古仁屋の惣菜店で調達しておいた弁当を広げ、コーヒーを淹れる。

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3日目に南阿蘇のモンベルで購入したSOTOのテーブルが、早速活躍する。
以前登山をやっていた頃の初期物のジェットボイルで湯を沸かす。
カップは昨年の九州ツーリングの際、鹿児島の雑貨店で購入した中古の軍モノだ。

眼前に広がるビーチを眺めつつ、のんびりとコーヒーを楽しんだら、海へ。
目の前にこれほど美しい海が広がっているのに、泳がない選択肢はない。
ボードショーツに履き替え、シュノーケルを手に、ここ加計呂麻島でも有数の美しさと言われる実久の海へ。

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前日の雨のせいか、残念ながら海中の透明感は今ひとつ。
沖合の潮の流れが早そうだったので、あまり深入りしない程度に海中散歩。

思えば14年前も、キャンプした屋鈍海岸にてシュノーケリングを楽しんだものだ。
あの時は鮮やかなサンゴ礁と熱帯の魚たちを楽しむことができたが、実久では残念ながら岩礁のみ。
海中の地形にもよるので一概には言えないが、大島の海だって捨てたものではない。

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海中の景色は今ひとつだったが、ツーリング中の海中散歩を14年ぶりに再現できた経験は、何事にも代えがたい満足感として記憶に残る。
のんびりと南国の海を楽しみながら過ごした時間が、この旅を一生忘れられない経験として、心の奥底にずっと残り続けるのだろう。

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・・・・・・・

 

実久海岸でのんびりと南の海を堪能した後、K614を瀬相の港に向かって引き返す。
加計呂麻島にはまだ多くの集落があり、世にも美しい浜辺が多数隠れている気がするのだが、残念ながら船の出航時間が迫っている。
往路だけでなく復路も予約しておかないと帰れなくなってしまう可能性が高いので、14時台の船を往路と同時に抑えていたのだ。

加計呂麻島の道がどれほど走りやすくて、どの程度時間を要するかが正確には読めず、今回の構成になったわけだが、くまなく楽しみたいのであればもう少し時間が欲しいところではあった。

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瀬相の港で、乗船券を購入。予約はスペースを確保しているだけなので、乗船券は乗る前に購入しなければならない。
港の目の前には、物産館のような店があったので覗いてみる。島で見かけた店は、後にも先にもここだけ。
島民向けに生活用品を売るような商店は探せばあるのだろうが、部外者向けの店は見かけない。

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船の発着に合わせて港に集結する加計呂麻バス。
島内には他に公共の交通手段が無いため、船の着岸後、来島者を乗せて各路線に出発。次の船が来るまでに帰ってくる。

実久で訪問客を満載した加計呂麻バスが先に出ていったが、船の到着間際になってようやく到着した。慌てて切符を買いに走る人々。

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島内では人の他に物資も運び、乗りたい場所で乗れ、降車したい場所で降りられるとか。
島には欠かせないライフラインであり、島の魅力を島外の人々に伝える伝道者でもある。 

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フェリーかけろまが、今朝と同様の定位置に着岸した。
岸に着くなり、人やバイク、クルマが入り乱れての乗下船が始まる。

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車両甲鈑は当然のごとく満車。びっしりと停められたスクーターで、助手席のドアが開けられない。
長距離フェリーほどの繊細な積み込みは期待できないので、多少の覚悟は必要だ。

加計呂麻島の滞在時間は、おおよそ7時間。
島の背骨である県道を端から端まで走ったわけだが、集落は半数も訪れていないかもしれない。
そういった意味では、本当に堪能できたかは微妙なところではある。

ただ、飾り気のない南の島の風情を味わうことができたことは確か。
それに加え、クルマで渡ってここまで走れる島もそうそうないわけだから。

 

東京からの陸路と海路による距離、時間を考えれば、最果てと言ってもよいであろう奄美の最端部。
この地までS2000というオープンスポーツカーで到達したという経験は、14年前の奄美大島ツーリングに続いて、決して忘れられない記憶として残り続けるだろう。

 

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 Posted by at 12:11 AM
6月 152019
 

2019 06 10 01

古仁屋の宿を6時にチェックアウト。
まだ眠る街の中で、既に営業開始していた弁当屋に立ち寄ってから、昨日も訪れた海の駅に向かう。

ここはフェリー乗り場を兼ねている。
昨日予約していたフェリーのチケットを購入。朝一番の便に乗船すべく桟橋へ。

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わずか30分程度の船旅。
早朝出航の第1便にもかかわらず、小さなカーフェリーは車両も乗客も満車&満員だ。

渡船は、島のまた先の島の港に着いた。
古仁屋の対岸、大島海峡の先にあるその島の名は、加計呂麻島。
見るからに複雑な地形。海岸線が入り組み、平らな場所などまったく見つけられないような、奇妙な形をしている。

決して小さくはない島だが、暮らしている人の数は1000人程度だという。
対岸の大島には6万人も住んでいることを考えると、島の大きさに対する人口の少なさには何か特別なものを感じる。

かつて奄美大島を走り、AMAMIの魅力を知って以来、地図上の奄美群島でずっと気になり続けていた島が、加計呂麻島だった。

憧れた島への初上陸。昨日の大島到着時では得られなかった、初上陸の高揚感を味わう。
早朝の港は、大島からやってくる人と物を待ちわびていたかのような賑わいに満ちていた。

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到着したのは、加計呂麻島の玄関口である瀬相港。細長い島の、ちょうど中間点あたりに位置する。
島の唯一の県道として敷かれるK614は、大島海峡側の海岸線を縫うように、島の端から端までをつないでいる。
それ以外に道がどれだけあるかは、地図では詳細を読み取ることはできない。噂によれば、県道以外の道は相当荒れているとのことだが。。

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K614を、島の東の方に向かって走り出す。
予想通り、島の海岸線を走っているとは到底思えないような、アップダウンを伴った道筋が続く。

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良くも悪くも、普通の島の道。とはいえ、昨日は一切拝むことのできなかった青空は眩しい。
昨日までの雨で濡れ切った路面と緑が、朝の陽光に照らされて光り輝いている。

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生間まで来たところで、県道は塞がっていた。
通行止とは書いていないので通り抜けられるのかもしれないが、島の道を無理できるほどの悪路走破力を持ち合わせてはいない。
無理をせず迂回路へとノーズを向ける。

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諸鈍

程なくして、海沿いの集落に出る。
海沿いの集落はここまでいくつも遭遇したが、ここは大島海峡とは反対側。
島の地形があまりにもくびれているので、あっという間に反対側の海に出てしまうという面白さがある。

諸鈍の集落には、立派なデイゴの並木があった。堤防に沿って自由奔放に枝を伸ばす姿は、触手を伸ばす怪物のようだ。

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島の玄関口から遠く離れた諸鈍の集落は、「男はつらいよ」の最後のロケ地として有名な場所だそうだ。
暖かな気候、穏やかな海、ゆったりと流れる時間。寅さんが最後に愛した地であるということにも納得がいく。

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朝の空気は陽が高く上るにつれ、南の島の蒸し暑さと爽やかさを同居させた、独特の空気に変わっていく。
諸鈍の海を離れ、さらに島の南東端に向かって、心細い道を行く。

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先の集落につながる町道は、まさに密林の中の道筋だが、舗装が途切れることはなかった。

この道にも、マイクロバスながら島バスが通る。
たった1000人と少しの島に、30の集落がある加計呂麻島。
その集落を結ぶ加計呂麻バスの運行が、道路をかろうじて正常に保たせているような気がする。

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徳浜

道は、海の手前で唐突に途切れる。
加計呂麻の最南東端に位置するであろう徳浜。
東シナ海に面した大海は、どこまでも光り輝く鮮やかなブルー。白浜には無数の白いサンゴの化石が堆積している。

突き出した小さな半島に守られるようにして、穏やかに輝く海辺。
時間的にも距離的にも、都会から遠く隔絶された地に身を置いていると、自分がふと何者かがわからなくなる。
エスの存在だけが、自分を現実に居場所のある存在として、思考をつなぎとめている。

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徳浜から諸鈍に戻る。生間まで戻ると、その先は土砂崩れで通ることができない。
よって諸鈍から安脚場までは、町道とも林道ともわからない迂回路を行くことになる。

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離島のこの手の道は、相当の理由が無いと入り込むことはない。迂回路指定があるから、進入したまでだ。
クルマ1台通れる幅しかない山中の路面は、当然ながら荒れている。

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低床のスポーツカー泣かせの路肩崩れ。
崖っぷちではないだけまだいいが、とても気を許せるものではない。
フル減速の後、右タイヤの内側の角を使って脱輪を防ぎつつクリア。

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さら進むと今度は、道路と沢が一体化。洗い越しどころか、川そのもの。
まったく気が抜けない。

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安脚場戦跡公園

大島海峡の東側の入口の岬の高台に到着。
ここは加計呂麻島でも有数の観光スポット。高台からは、大島海峡を挟んで大島の景色を一望できる。

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この地は大島海峡の入口という特性から、第二次世界大戦時は基地防衛の最前線として大きな役割を果たした。
東シナ海にあって地形的に穏やかな大島海峡は、格好の海の基地となったはずだ。
その進入口において、敵艦の侵入を防ぐべく最前線基地として機能したのが、この安脚場という場所。
いまでもその頃の建物や構造物が、ひっそりと残っているのだ。

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完全に廃墟と化しているものの、戦後70年以上経った今でも生々しさが感じられる。
穏やかな島の端部に忘れてはならぬ歴史の断片が残っていることに、世界を巻き込んだ戦争の史実と、関わった人々の悲壮感に感じ入る。

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ふと振り向けば、そこには絶景が広がっている。
煌々と未来を照らすかのように輝く海。戦争の時代も同じ景色だったはずだが、感じ方はまったく違ったに違いない。

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 Posted by at 4:10 PM
6月 072019
 

2019 06 07 01

令和の時代の最初の朝、船から降り立ったS2000。
南の島特有の湿度感。ここは本土ではない、遠く離れた離島であることを、早速身を持って知る。

その反面、港のある街中の道を走っている分には、異国感は薄い。
眼前の道の風景は、離島であると言われなければわからないほど、本土のそれと同化していた。
14年前に訪れた時もそうだったろうか。

 

・・・・・・・ 

 

2005年のGW、当時の愛機、シビックタイプR(EK9)で訪れた地、奄美大島。

14年の時を経て、現在の愛機S2000で初めて降り立つ南国の島は、いまだに記憶の中に深く刻み込まれている。
記憶を手繰り寄せ、港のある名瀬の街を通過し、島を走る唯一の国道、58号線を南下するルートを取る。

島というより、険しい山岳が海から突き出したかのような奄美大島。
その島を縦断するR58は、必然的に峠道の集合体となるが、島の主要な幹線道路の位置付けから、峠は長大なトンネルでバイパスされている。
そのトンネルひとつひとつが、離島のトンネルとは信じ難いほどに長い。

トンネルに入る度に、フロントガラスが急激に曇る。
湿度と温度が異様に高いトンネル内の空気が、エアコンの冷気によって急激に冷やされて、あっという間に視界を奪う。
じっとりとまとわりつくような湿った空気は、雨のせいもある。R58を南下するにつれて、雨脚は強くなっていく。

東シナ海に浮かぶ「山脈」である奄美の島は、隣島である屋久島同様、雨の非常に多い気候的特徴があるのは想像に難くない。
南の海からの湿った空気が山の壁にぶち当たり、雨雲となって多量の降雨をもたらすのだ。
それが豊かな自然を育む一つの要素となっていることは想像できるが、十数年ぶりに再訪する旅人にとっては無念と言わざるを得ない。

奄美の日照時間は、国内でも有数の短さだという。晴れた日に当たることの方がレアケースなのだ。
思えば14年前も、それほど天気が良かったわけではなかった。滞在時に晴れればラッキーというのが実情だろう。
せめて梅雨入り直前の、比較的晴れ間が多い時期であることだけが救いだったが、期待通りとはいかないのだろうか。

名瀬から南下して、南端の瀬戸内町古仁屋までは、思いのほか長く時間がかかる印象だ。
ほとんどの峠をトンネルで越えるにしても、かなりの距離がある上、かつ走っているクルマもそれなりに多いためだ。
これでも後半の網野子峠はトンネルが開通していて、14年前より所要時間は短縮されていたのだが。

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古仁屋の港にある海の駅に立ち寄り、情報収集。
その後、県道626号に入り、ショートワインディングを楽しむ。

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雨は小康状態だが、身の回りのすべてが海中に沈んだかのように、景色は暗く沈んでいる。
小さな展望台に降り立つと、南国らしい植生に異国感がようやく増してきた。

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K626はヤドリ浜まで。透き通った海も、どこか寒々しい。
14年前も訪れているが、やはり天気はいまひとつで、同じような印象だった気がする。

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古仁屋に戻って、県道79号へ。
K79の前半は、奄美海峡沿いのシーサイドワインディング。
再び強くなり出した雨の中、悪天候によって消沈した意識を吹っ切るように、アグレッシブ・ドライビング。

R58とは一転して、まったく走っているクルマもおらず、ペースは格段に速くなる。
ただそれも、海沿いの区間のみ。K79は半島先端まで向かわずに、途中から内陸に入って宇検村を目指すルートになる。
内陸部に入った途端、それまでの快走路は鳴りを潜め、山中の狭路へと変貌する。

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密林に覆われた道路は暗く、そして狭い。
その上、降り注いた大量の雨水が、路面上を川のように流れている。
滝のような川を遡上するように、ジャングルの峠道を行く低床のスポーツカー。

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特にこの島に限ったことではない、R styleではお馴染みの光景ではあるが、奄美でのそれは完全に探検隊の様相。
前回のEK9よりも遥かに違和感の大きい、オープンスポーツS2000での奄美探検を目撃することは、島にとってはちょっとした事件、とは言い過ぎだろうか。

宇検村に出たら、県道85号にスイッチ。K79はまだ先に続くのだが、この天候の中で走るのはもったいない気がした。
K85も、タイトコーナーが続く山中ワインディング。K79とセットで走れば、奄美の離島らしからぬ地形のバラエティと険しさを理解できるルートになる。

2019 06 07 11

R58に出たら、再び名瀬に戻る方向へとステアリングを切る。
途中の住用村で、国道上から広大なマングローブ原生林を見下ろすことができるポイントを発見した。

2019 06 07 09

このマングローブ林をガイド付きカヤックで巡ったのは、14年前の奄美ツーリングの印象深い思い出のひとつ。
この雨の中でも、色とりどりのカヤックが、マングローブの密生地を泳いでいる。

2019 06 07 10

R58で名瀬を通過して、今度は龍郷へ。
本日はもはや走って楽しめる状態ではないと感じ、ならば晴れた時なら行かないようなスポットに寄ってみようという心持ち。

 

2019 06 07 12

奄美の郷土料理と言って、まず挙がるのは「鶏飯」。
その鶏飯の名店と聞いて訪れたのが、龍郷にある「ひさ倉」という店。
国道沿いに目立たない佇まいであるのだが、既に昼時ということもあり満員だった。

多少の待ち時間の後、ありついた鶏飯は、濃厚な鶏スープのお茶漬けといった感じで、大変美味しい。
スープだけでも何杯もいけるような具合。たっぷり2杯程度の量にも満足し、次なるスポットへ。

 

2019 06 07 13

西郷南洲翁謫居跡

同じ龍郷村の竜郷集落にあるスポット。
南洲とは西郷隆盛のペンネームのようなものである。

西郷は当時の薩摩藩主、島津久光によって2度流刑に処されている。
1回目に奄美大島に流されたのは、幕府から身を隠すためという意味合いが強かった(2回目は本当に流刑)が、この時はこの地で島嫁と共に暮らしていた。
刑が解かれ薩摩に戻る際、妻である愛加那と、その間に生まれた2人の子供のために建てた家が、この場所にあったそうだ。

密林の中に埋もれるようにして、凛と立つ藁葺の民家は、西郷が建てた家をそのまま再建したものだ。
愛加那さんのご子孫が管理されているらしく、個人宅の敷地内にある。
ご厚意で内覧させてもらえるそうだがご不在だったので、周囲から雰囲気を感じ取るにとどめておいた。

 

2019 06 07 14

田中一村美術館

奄美パークという大きな公園施設の中にある。
田中一村は関東出身の画家だが、奄美大島に移住後、大島紬の染色の仕事をしながら絵を描き続け、この地で没した人物。
その画風から、日本のゴーギャンと称される一村。大胆な構図による原彩色の絵には、当然ながら奄美の自然を題材にしたものが多い。

と思って鑑賞したのだが、奄美の絵はあまり数多くなく、奄美に移住する前の絵が展示の大部分を占めていた。
思い描いていた絵にはあまり出会うことができず、少々不完全燃焼。
むしろ古代の建物を彷彿とさせる高床式連棟の建築が特徴的で、素材感も良く、印象に残る。

 

郷土料理を楽しみ、歴史スポットを訪問、そして美術鑑賞。あっという間に奄美の時間は過ぎていく。
龍郷のディスカウントストアでお土産を物色した後、再びR58で古仁屋へ。
到着した頃には既に夕刻で、早くも投宿の時間になっていた。

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2019 06 07 16

奄美の夜。
島人が集う素朴な居酒屋でゆったりと時間を過ごしてみたいというのは、今回の島旅で楽しみにしていたことのひとつ。
南国の色香漂う夕暮れの古仁屋の街の一角に、店の明かりは灯っていた。

2019 06 07 17

港で揚がった海の幸を中心に、ごく一般的な酒のアテが揃うメニュー。
まったく観光地然としておらず、地元の人々の日常使いの店というのが却っていい。その土地の普段着の食と酒こそ、旅先の贅沢。

2019 06 07 18

酒は黒糖焼酎。奄美群島でしか生産が許されていない、まさに島酒。
ありとあらゆる蔵元の黒糖酒が取り揃えられており、地元民によるお任せで嗜む。
14年前の訪問時には、正直その良さがまったくわからなかったものだが、加齢が進んだ舌と内臓には、黒糖の旨味が至上の贅沢とさえ思える。 

2019 06 07 19

店内は繁盛しており、席はいつの間にか地元の方々で満席。
明るい女将さんと、小気味よく働く給仕のお姉さん方の対応も非常に心地が良い。
すっかり奄美の夜に同化し、無数の黒糖焼酎を味わって、夢見心地の気分。
14年前の夜の楽しみ方とはまったく趣向が変わってしまったが、だからこそ新鮮に旅を続けられているのだ。

2019 06 07 20

雨はいつの間にか止み、ねっとりとした南国特有の湿気を含んだ空気が、夜の港町に漂っている。
雨雲は急速に奄美の空から流れ出て、宙の色が頭上を覆う。
海と空と緑がキラキラと輝く、14年の時を経てどうしても会いたかった南の島の素顔に出会える予感がした。

2019 06 07 21

 Posted by at 11:55 PM