1月 012025
 

2025 01 01_01.

2025年、新年のご挨拶。
本年も、より良いカーライフが送れますように。

・・・・・・・

21世紀になって早、四半世紀。S2000が発売されてからは、26年目の年になります。
すっかり一昔前のクルマになってしまった感がありますが、ツーリングの相棒としてはまだまだ現役です。

そしてR style S2000は今年、20周年のメモリアルイヤーに入ります。
2005年初年度登録の個体を、2006年5月より所有しているので、いよいよ20年目に突入、というわけです。
思えば遠くまで来たもんだ、と素直に感じるとともに、心酔できるクルマと出会い、多くの時間を共にしていることに、日々充足感を感じています。

クルマづくりとしては、自分好みの仕様に完成されていると思っているので、特に手を入れる必要性を感じません。
故障は皆無で、日常的なメンテナンスを欠かさず行っているだけで、好調を維持しています。
たまにアライメントがズレたり、誰も気が付かないような小さな異音の元を修理したりというのはありますが、
20年経とうとしているクルマが、その程度で済むなら御の字ですよね。

昨年末の時点で、走行距離は29万6千kmでしたので、何事もなければ今年中に30万kmの大台に乗ります。
発売から年数が経っているので、そのくらいの距離を走っているS2000はいくらでもいると思いますが、
単純に30万kmを超えるのではなく、できる限り調子の良い状態で、そこから更に同じ距離を紡いでもおかしくないコンディションを目指しています。

個人的には未知の世界ですので、30万kmを超えた先に一体どんな世界があるのか、もっと人馬一体になれるのか、興味が尽きることはありません。

近年は冬の間は、半ば冬眠状態にしています。
ここ最近の冬は、スタッドレスを履いた2号車(LUTECIA)でのスノーツーリングを楽しんでおり、
S2000は軽い運動がてら、秩父辺りに流しに行く程度になっています。

来たるべくシーズンに向けて、何もせずとも準備万端。というのは、贅沢な話なのかもしれせん。

そして、2025年のツーリングについてですが、既にカレンダーと睨めっこしながら、予定を練っているところです。
旅のスタイルに変化はありますが、基本は「走る」ことを主体に置いていることだけは、R styleを始めた頃から変わっていません。
車体の動かし方を楽しむとか、ライン取りを工夫するとか、考えながらドライビングする時間が、ツーリングの一番の楽しみです。
昔のようにキャンプや登山はやらなくなりましたが、その分、純度は高まっているのかもしれません。

・・・・・・・

正月にあれこれ計画したり、思いを巡らせるのも、毎年恒例ですね。

今年も一年、豊かな気持ちでクルマとの生活を楽しめますよう。
本年もよろしくお願いいたします。

2025 01 01_02.

 Posted by at 5:59 PM
6月 302024
 

2024 06 30_09.

サヨナラ、OKINAWA Blue

翌朝のフェリーに遅れず乗船するために早起き。8時までには本部港に行って受付を済ませておきたい。
そのための停泊地の選択で、本部港までは5分程。この心的余裕が、見知らぬ土地では大切なのである。

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7時には宿を出発できたので、港に向かう前に瀬底島に行ってみることにする。
昨日の夕方に行ったスーパーから眺めた瀬底大橋を渡る。

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島にはこれといって何があるわけではなかった。
ビーチが有名なので、そこまで行けば美しい景色もあったのだろうが。
県道が行き着くところまで走ってUターン。改めて本部港を目指す。

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本部港の駐車場には既に多くのクルマが停まっていたが、これらが全て船に乗るわけではないだろう。

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車検証を持って乗船受付に行くが、まだ窓口は閉まっていた。
1日1便しかない長距離フェリーで車両を搬送する際は事前予約が推奨されるが、予約していたとしても、窓口での乗船手続きは必須である。
書類に必要事項を記入し、車検証を持って窓口で手続きをする。どのフェリー会社でも、このプロセスは一緒。

料金の支払いには、最近は大抵、各種クレジットカードが使える。
車両を搬送する場合は、搬送料金が高額になるのでありがたい。
今回は往復料金を先に鹿児島新港の窓口で払っていたので、手続きのみ。

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駐車場から移動して、搬送車両の車列に並ぶ。
早めに来ていたにも関わらず、周辺をうろうろしていたら、最後尾近くになってしまった。

この後、神戸ナンバーの白いGRスープラがS2000の後ろに並んだ。

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港の風に身を任せていると、フェリーが岸壁に近付いてきた。
往路に乗船した船体と同じ、マルエーフェリーの「フェリー波之上」。
船内の状況は、往路の23時間ですっかりアタマに入っているので、話が早い。

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ギラギラのマリン塗装の船体が眩しい。
マイクロバスが何往復もしながら、徒歩乗船客を入口に運んでくる。
車両はコンテナの後らしく、いつまで経っても誘導されない。

船というのは重要バランスが重要なので、重量物を緻密に振り分けて船内に格納する。
貨物や車両は、重量バランスと荷下ろしの順序を総合的に加味して配置されるのだ。

そんなわけで、間もなく出港時間というところでようやく乗船。往路と同じ、ロフト形状の車両甲板に誘導される。
船体によっては、暗い船内で狭い隙間にバックで格納、みたいな初心者泣かせの状況が割と普通にある。
このフェリーもその類だったが、誘導員の指示に従って、慌てずゆっくりと駐車すればいい。

無事駐車したら、サイドブレーキを引き、ドアミラーをたたむ。
結構隙間なく詰め込まれるので、ドアミラーを格納していないと、隙間を歩く人や荷物が当たるリスクが大きい。
電動格納ミラーではないS2000は面倒ではあるが、フェリー内ではたたんでおくのがベターだ。

客室のある甲板に上がる際、忘れ物をしないように細心の注意を払った方がいい。出港したら、車両甲板には戻れなくなるからだ。
そのため、船内に持っていくものは事前にひとまとめにしておくといい。特に今回は個室ではないので、サンダルやタオルは必須である。
船内は冷房がガンガン効いているので、上着もあったほうがいい。今回は薄手のシーツ生地の寝袋も持参した。
船旅も慣れてくると、自然と装備品も固定されてくる。

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復路も二等船室。往路は指定席だったが、復路は部屋のみが指定。
下船する港ごとに部屋が分かれており、鹿児島新港下船組の部屋は思った以上に空いていてラッキーだった。

9:20に出港し、沖縄本島の北側の海を進んでいく。
沖縄との別れが惜しく、外の甲板に出て最後の沖縄の景色を楽しむ。

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進行方向右手に沖縄本島、左手に伊平屋島と伊是名島。後方には伊江島。
青い海と空に包まれた島々に見送られて船は進んでいく。

沖縄本島の北端、辺戸岬が見えてきた。やんばるドライブで訪れた思い出も、既に遠い昔のことのよう。

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舳先がかき分けることで生じる波の様子を見ていると、知らずに時が経っていく。

往路とは逆の順序で、与論島、沖永良部島、徳之島、奄美大島と寄港していく。
港につく度に、上下船する人の声で船内は賑わいを増す。

昨日のスーパーで買い込んだワインとアテで、洋上の時間をのんびりと過ごす。
何もすることがない、何もできないがゆえに、こんなに何も考えなくていい時間の使い方は、とても贅沢だ。

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翌朝、目覚めると洋上が黄金色に照らされていた。
遠くに見えるは、佐多岬。錦江湾に入っていく。
本土に帰還する時が来た。

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8:30、鹿児島新港着岸。
そのまま港の道を走り、今度は桜島フェリーのりばへ。

どれだけフェリーが好きなんだ?という声が聞こえてきそうだが、桜島フェリーは超有用な定期便なのだ。
錦江湾をショートカットして短時間で大隅半島に行くことができ、しかも24時間!運航。時間にもよるが、15分に1便という頻度で運航されている。
この日は休日の朝だったからか、出港便待ちの車列に参加することとなったが、普段は待つこともなく乗船できる。

航行時間はたったの15分。さっきまで23時間乗っていた身としては、瞬きの如く。
先ほど紹介したような長距離フェリーのような乗船手続きはなく、料金はかつての高速の料金所のような感じで支払うドライブスルー形式。
鹿児島の日常インフラの一部として、完全定着している桜島フェリー。ツーリングにも有用である。

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桜島に着岸した後は、国道224号&220号。県道479号にスイッチし、内陸部を目指す。
いったん国道504号に出た後に、県道516号&495号。
3桁県道ならではの、渋いカントリーロードをひた走る。

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旅も終盤にして今回初めてと言っていい、R styleお馴染みの狭路ワインディング。
大隅半島はジャングルのようなワインディングの宝庫だが、その片鱗をまたしても見たような気がする。

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とはいえ、大半がのどかな田舎道。どこが県道なのか、トレースすら難しいほどの道が延々と続く。

ツーリングマップルだけを頼りに、県道513号&523号と繋いで志布志市街へと入っていく。

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大隅半島の東の入り口である志布志。その市街地の中に、ちょっとした有名店がある。

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マルチョンラーメン。
志布志という、あらゆる大都市から遠く離れた地において、客足が絶えない人気店。
開店時間は7:00〜。いったいいつ仕込みをしているのだろうか。

鹿児島から足を伸ばし、ちょうど昼頃になったため、多くの客で溢れていたが、洗練され尽くしたオペレーションで恐ろしく回転が早く、まったく待った感じがしなかった。

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少し酸味の効いたあっさりスープがクセになる、シンプルなラーメンが美味い。

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このマルチョンラーメンに訪れるのは、今回が初めてではない。
昨年のGW、種子島ツーリングのやはり帰路において立ち寄っている。

上の写真はその際の写真であるが、1年前は店の前に下屋がなかった。
でも味は変わらず美味しい。混んではいるが、ベテラン店員のテキパキとしたオペレーションは清々しく、奇をてらわないシンプルな美味しさも相まって、すっかりファンの一人となってしまっている。

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志布志で目的を達成したら、県道65号と国道222号で都城へ。

都城と志布志を結ぶこの区間は、気持ちのいい快速ワインディング。荷重をコントロールしながら、ヒラヒラと舞うようなドライビングを楽しめる。
都城市街を抜けた後は、国道10号経由で都城ICから宮崎自動車道へ。

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本日の停泊地である福岡天神までは、一気に高速移動することとした。
ちょうどUターンラッシュのピークの日と重なっていたため、渋滞で時間を要することが予想されたためだ。

渋滞で体力と時間を消耗することほど、無駄なことはない。
どうしたって、少しは渋滞に巻き込まれるだろうが、最小限に抑えたい。

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熊本の手前と鳥栖の先で流れが悪くなったが、なんとか最小限、に近い形で切り抜けることができた。
天神のホテルに到着したのは17:00前。上出来。

天神近くにありながら、自走式立体駐車場が付くビジネスホテルがここ最近のお気に入り。
レジデンスを所有する方々の高級車に囲まれて駐車。写っていはいないが、S2000の前にはフェラーリやポルシェが何台もいる。

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とりあえず飲みに行く。
今晩が、この旅の最後の夜になる。
沖縄の余韻を噛み締めながら、盃という名のジョッキを傾ける。

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穴場的な既知の店だったが、連休中ということもあり、席には時間制限が付いていた。
それでも、ここまでの道のりを振り返るには十分な時間と酒と肴を堪能できた。

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翌朝は5:00にチェックアウト。静かな立体駐車場で、S2000のエンジンに火を入れる。
外に出ると、大粒の雨が降っていた。

天神北ランプから福岡高速、福岡ICから九州自動車道へ。

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最初の給油は、普段通りの中国道/七塚原SA。朝ご飯もついでに。
ここまでかなりの雨量で、今回の旅の直前に新調したPS5と、直進安定性に寄与するデフを駆動系に装着するS2000を持ってしても、轍だらけの路面には神経を使った。
中国道の復路は大雨のケースが非常に多い、のはナゼなのだろうか。

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2回目の給油は、新名神/土山SA。ここまで順調。雨も上がっている。

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土山SAからは無給油で東京に到達できるが、先の渋滞に備えて、新東名/清水PAで一息入れる。これも定番の行動パターン。

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東名高速ではUターンラッシュに巻き込まれたが、連休最終日ということもありピークは過ぎていたので、それほど傷口は大きくならずに済んだ。
自宅に到着したのは19:00前。総走行距離3,690kmの旅が、遂に終わった。

・・・・・・・

いつか、自分の愛車で沖縄に行ってみたい。
ずっと秘めていたその夢は、現実のものとなった。

47都道府県の中で唯一、足を踏み入れたことがなかった沖縄の地。
自走で行くハードルを超えるには、準備と経験、そして時間が必要だった。

満を持して南の海を渡ったR style S2000。
北海道から九州まで、様々な道を走ってきた愛機は、確かに沖縄の地に踏み入れ、そのエクゾーストノートを響き渡らせた。
この経験は、自分とS2000にとってかけがえのないものとなり、記憶に刻まれることだろう。

Last Pieceに足跡を残したわけだが、だからといって、何かが終わってしまうわけではない。
行ってみたいところ、再訪してみたい場所はまだまだたくさんある。
S2000のドライビングも、まだまだ進化の余地がある。

ひとつの達成を得たとき、次の高みが見えてくる。
そんな経験の積み重ねが、人生を豊かにする。

だから誓おう。
S2000と過ごす未来に向けて。

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沖縄 Touringの経験を糧として、これからも人生のアクセルを踏み込んでいく。

これから先、もっと素晴らしい旅の時間と出会うために。

2024 OKINAWA Touring

・・・END・・・

 Posted by at 9:55 PM
6月 162024
 

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ぐるぐる島を走る
ここに訪れた証を遺すように、路面にラバーを擦り付けながら

 

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次の日、部屋のカーテンを開けると、陽光に照らされた那覇の市街地が目に飛び込んできた。

実質の沖縄最終日。最高の空に恵まれる予感。
連日の泡盛祭りの余韻は吹っ飛び、朝からテンションはMAX。
いそいそと出発の準備を整え、ホテル専用の機械式駐車場に獲物を狙うような姿勢で収まるS2000を始動する。

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朝の那覇市街を抜けていく。

ホテルの窓からの眺めのように、那覇市は離島とは思えぬほど、立派な市街地を形成している。
それも中心部だけでなく、市内の大半が市街地で、それもかなりの高密度である。

それもそのはず、那覇市の人口は約30万人。沖縄本島全体でいうと、約130万人にものぼる。(つまり、那覇市以外に100万人も住んでいる)
比較的面積は広いとは言え、本土とは比べ物にならないくらい小さな島に、130万もの人が住んでいることに驚く。100万しか住んでいない知られざる県、富山県(故郷)よりはるかに多い。
しかも、市街地は本島南部に密集しているので、その人口密度たるや・・・

興味深かったので、昨晩泡盛飲みながら軽く調べた(笑)ところ、那覇市の人口密度は、本土有数の大都会である名古屋市や福岡市よりも高いそうな。
そりゃこんな市街地になるわな。本島南部はほぼ市街地で、海に出ない限り、離島感はほぼゼロなのである。
このギャップが離島好きには堪らないわけだが。。

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海岸道路に出ると、那覇港、那覇新港と港巡りの道となる。流通の要の道路といった感じで、終始、大型車に挟まれながらの走行となる。
港には巨大な客船が停留していた。

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海岸道路ではなく国道58号という選択肢もあるわけだが、小さな離島に130万の人口、渋滞は日常茶飯事。
特にR58の渋滞は有名なので、敢えて避けて北上することにした。R58走破も魅力的ではあったのだが、、わざわざ渋滞に参加するまでもない。

那覇から浦添、宜野湾と、海岸道路は片側2車線が続き、流れも至極スムーズで快適。
R58の本道に合流すると間もなく、北谷(ちゃたん)町に入る。

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北谷にアメリカンビレッジなる場所があるとのことで、興味を惹かれて国道から入り込んでみる。
海岸近くまで走ってくると、そこはまるで異世界。。テーマパークの中に迷い込んでしまったかのようだ。

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でも決して囲まれたテーマパークではない。これだって普通の道端の風景。
明らかに日本の風景からは逸脱している。駐車しているクルマの車種だけが、ここが日本の一部だということを思い出させてくれる。

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しかし、目が痛くなるほどのビビットな色彩は強烈。
旅の一時ならまだしも、日常では耐えられないだろうな。。

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シーサイドは散歩道になっている。
公共空間のつくりこみも、日本のそれとはまるで違う。
日本でも海外でもない風景。これぞOKINAWA、といったところか。

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シーサイドウォークに面したカフェで、遅めの朝食を摂ることにした。

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海を眺めながらカプチーノ。
朝食に選んだホットサンドは想定以上にアメリカンサイズで、満腹になってしまった。(でも美味しかった)
街並み同様、食文化も非日本的スタイルである。

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ボード・ウォークからの海岸の眺めはリゾートそのもの。
本島の西海岸には、ビーチリゾートが集中している。昨日までに走った東海岸と本島南部は、いわば沖縄本島のウラの顔。
沖縄のイメージを牽引している西海岸は、誰が見ても華やかだ。

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極彩色の街並みが良いか悪いかはさておき、エリア内をそぞろ歩く楽しみは十分にある。
入居している店も、一般的に国内で見られる内容とは一線を画している。これをテーマパークとしてなんと言おう。
那覇の雑多な市場の飲み歩きも非日常的で楽しめたが、まったく異なる沖縄のカオである北谷の街並みも、ここでしか体験することのできない空間。

その土地でしか味わうことのできない文化。それこそ、旅の醍醐味であり、価値なのだ。

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北谷でたっぷりと時間を費やした後、再びR58で北上する。
片側3車線の大動脈。行き交う車の種類も豊富。

沖縄には1990年代のジャパニーズ・スポーツカーが多く走っている。大抵、大口径のマフラーと車高短。年代的にストライクで大変懐かしい。
そんなイケイケのシルビアやスカイラインを駆っているのは、ほぼ米軍関係者。
必ずと言っていいほど2名乗車で、窓全開にして太い腕をドアにかけて、陽気に会話とドライブを楽しんでいる。

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そんなゴッパチを、澄んだ排気音を響かせフルオープンで疾走するS2000。ほんの短時間ではあるが、90’sとランデブーを楽しむ。
南国の青空の下の爽快R58ドライブは、忘れ難い記憶となった。

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嘉手納基地に隣接する道の駅「かでな」に寄った後、読谷(よみたん)村の道の駅「嘉納番所」に立ち寄る。
隣に停まっていたのはVWルポ(GTI?)。沖縄を走っているとあまり見かけない輸入車だが、なぜか4バンバー。

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伝統的な沖縄民家のような道の駅の建屋はごくシンプル。
案内所のおばちゃんが「沖縄県内の道の駅で唯一、売店も食堂もない道の駅」と真顔で自虐していたのが印象的だった。(沖縄県内というか、全国的にも珍しい)

これで沖縄県内10ヶ所の道の駅を制覇したことになる。
奄美大島も攻略済みなので、九州沖縄地方の全駅制覇が見えてきた。

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道の駅にて、読谷村内に気になったスポットがあったため、国道から逸れて立ち寄り。
沖縄で生産される焼き物「やちむん」の窯元が集まった「やちむんの里」。昨日訪れた那覇の壺屋から派生して形成された窯元集落だという。

集落の観光駐車場に停めると、隣にはやっぱり輸入車。ただし今度はレンタカーである。
沖縄では、輸入車のレンタカーもよく見かける。ミニやボルボも見かけた。輸入車ではないが、ロードスターも多い。
でもS2000については、レンタカーであるかどうかにかかわらず、1台も見かけなかった。それは沖縄に限ったことではないが。。

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やちむんの里は開放的な雰囲気。そこかしこに沖縄独特の屋根の建屋が立ち並んでいる。
傾斜を利用した登り窯もあって本格的。涼しい風が、草原の中に密集したかのような集落内を吹き抜け、大変心地良い。

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窯元の直売店も多く存在するが、読谷山焼北釜の売店を覗いたら、ググッとくる一品に出会ってしまった。
日常品の小皿たちとはまったく別物で、B級品として扱われていたにも関わらず、存在感抜群の器。
見た目は「ザ・やちむん」といった意匠ではなかったが、土着的な素材と形状に一目惚れしてしまったのだ。

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昨日は我慢したのに、思わぬ所でハートを射抜かれてしまった。
S2000のトランクに、厳重に忍ばせて持ち帰る。茶碗の形状だが、焼酎や泡盛を嗜むことを期待して。

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読谷村のもうひとつのスポット、残波(ざんぱ)岬。
昨日まで「残波」という名前の泡盛を好んで飲んでいたが、岬の名だったとは露知らず。

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溶岩が流れ出して形成された地形と植生が印象的。
日中の陽の高さ、日差しの強さは、まさに沖縄。岬を吹き抜ける風が無ければ、散策もままならないだろう。

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走行中にS2000のサイドコンソールに充電のため置いていたiPhoneが熱暴走してしまった。
南国の日差しは、気温以上に強烈だ。ドライバーのケアも必須である。

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残波岬の次は、恩納(おんな)村にある万座毛(まんざもう)に立ち寄ることにした。
半分はドライバーへの水分補給が目的だ。

残波岬とは別格クラスの観光地のようで、駐車場は満車。新築のレストハウスも多くの人で賑わっていた。
岬の散策も、協力金程度ではあるが有料。
海水によって侵食された絶壁の地形が眼前に迫る。

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澄んだ南国の海の向こうに、本部半島と伊江島を臨む。

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散策路の終盤では、万座ビーチが眼下に広がる。
本土でも、何かと耳のすることも多いリゾートビーチの代表格。
本島にあるのかどうかも知らないほど、地理には疎かった沖縄であるが、今回の旅である程度、全体感がアタマに入った、ような気がする。

万座毛を後にした後は、R58を海岸線沿いに走り続け、許田で名護東道路。県道71号経由で国道505号へ。

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R505で今帰仁村を東から西へ横断。
県道114号で、本部半島の北西端を目指した。

その北西端の集落でS2000をデポ。
備瀬という名の集落は、約2万本とも言われるフクギの木の防風林によって守られているという。

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集落内の細い路地は、背の高いフクギの並木で覆われており、独特の景観に包まれている。
集落に並木が配されたのか、雑木林の中に集落が形成されたのか、まるで見当がつかない。

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集落には縦横無尽に路地が巡らされており。そのほとんどすべてが並木に覆われている。
分岐の度に観光地っぽく順路を示す看板が現れるが、それに従っていると完全に方位を見失う。ゴールに辿り着くと、ココハドコ?となること請け合いだ。

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備瀬の集落を散策し、S2000に戻った頃には、日は相当傾いていた。
明日の朝は、遂に沖縄を発つ。沖縄の旅を最後に締めくくるのは、本部半島で最も有名なスポットであるこの場所だ。

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沖縄はもとより、日本で最も有名な水族館の一つであろう、この施設。
いわゆるテッパンの観光地ではあるが、少なからず時間の猶予があるのであれば、ということで立ち寄ってみることに。

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黒潮の海を模した大水槽は、この水族館の白眉。
ジンベイザメとマンタが悠々と回遊する姿は、確かに迫力満点だ。

この日最後のイルカショーも運良く鑑賞。最後の最後まで、沖縄本島を楽しみ尽くすことができた。

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夕暮れ時の水族館を後にして、本部町を目指す。
沖縄最後の宿は、本部町にあるコンドミニアムだ。

リゾート需要の多い沖縄には多数のコンドミニアムがある。
一日中走った後のホテルは寝るだけのツーリングでは、コンドミニアムを選択する理由はないのだが、明日の出港時刻を考慮して場所を選択した結果、選択されたのが今晩の宿で、それがたまたまコンドミニアムだっただけ。なのだが、最後くらい、ちょっと雰囲気が異なる宿で時を過ごしてみたかったというワケもあり。。

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コンドミニアムだけにキッチン付きなので、チェックイン後に瀬底大橋の展望抜群のスーパーで買い出しを実施する。
こういう合宿風味の宿泊も、たまには悪くない。キャンプツーリングが当たり前だった頃は、こういった行動パターンがむしろ普通だったものだが。

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海原に沈む夕日を眺めながら喉に流し込むビールは、格別以外の何モノでもない。

いよいよ明日は沖縄を離れる。
実質たった4日間の沖縄は、本当に瞬きが如きの一瞬の出来事だった。
その一瞬を惜しみ、感傷に耽りながら最後の夜を過ごす。

沖縄の夜は、東京の夜と変わらないはずなのに、ずっと深く、特別な時間に感じられた。

 Posted by at 9:55 PM
6月 022024
 

2024 06 01_27.

color of NAHA

今日は旅を始めてから何日目だろうか。
長期のツーリングで遠出をしていると、日数と曜日の感覚が無くなってしまう。
その感覚が、旅の非日常感を増幅してくれるわけだが。

2024 06 01_01.

この日も朝から雨天。昨日のような幸運が二度も訪れることは、いくらなんでも期待し過ぎだろう。
もともと南部を巡るつもりではいたのだが、晴れ間が期待できない限り、観光地巡りに徹しようと、遅めの出発。国道331号で本島南部に向かう。

最初に訪れたのは、南部の知念岬近くにある斎場御嶽。「せーふぁうたき」と読む。琉球王国において、最高位の聖地だという。
世界遺産にも登録されており、人気の観光地のようで、物産館前の駐車場は既に満車に近かった。

駐車場にS2000を停め、入場チケットを購入し、入口まで500mほど歩く。
エントランス代わりの建物で、短い紹介ビデオを見た後に聖地へと入っていく。

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鬱蒼とした密林の中を、濡れて滑りやすい石畳の道を歩いていく。
濡れた熱帯の森の空気はじっとりとしていて、重く絡みついてくるかのようだ。

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場内には、いくつかの祈りを捧げるポイントがある。
それぞれに意味があるのだろうけれど、琉球文化を知らない身では、詳細を知る由もない。
ただ、そうだったとしても、そこかしこの自然に神が宿っているかのような、そんな空気感を感じ取ることはできる。

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最後に到達するのが、巨大な岩が寄りかかったその先にある拝所「三庫理(さんぐーい)」。
入場が規制され、これ以上は行くことができなかったが、巨岩の隙間には不思議な重力がはたらいているように感じられ、とても近寄り難い。
仮にその先に行けたとしても、恐れ多くて足を踏み入れることはできなかっただろう。

・・・・・・・

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斎場御嶽を出発し、R331を南西の方角へ。相変わらず雨は降り続いている。
本島南部を巡るということは、S2000ツーリング史上、もっとも南を走っているということになる。

そんな南の端を走っているにも関わらず、道路の状態は日本のそれで、まったく違和感がない。
ただ、そうなったのは沖縄返還以降のことだろうから、昔からこういった景観だったわけではない。

走っているクルマも、大半が国産車で、その半分以上がレンタカー。
と思っていたら、前方にパールホワイトのフェラーリの後ろ姿が。。
右折していったので車種までは正確に判別できなかったが、リアのナンバープレートはしっかりと目に入った。

沖縄本島で唯一出会った同じ練馬ナンバーのクルマが、唯一見かけたフェラーリだった。

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R331を走り、国道507号との分岐でいったん北に進路を向ける。
このR507は現在のところ、日本の国道で一番大きな番号の国道である。(おにぎりの写真を撮るのは忘れた)

500番台自体が九州以南にしか存在せず、割と酷道揃いなので、本州在住ツーリストにとっては特別な存在。
その中でも最後番たる507号に、わずかながらでも足跡を残せたことは、ツーリスト冥利に尽きる。

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R507に入って割とすぐ、これと言って何の特徴もない集落を少し入ったところにある民家を目指す。
わずかな情報を頼りに、最後は嗅覚でたどり着いた先は。

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低層で軒が深い独特のプロポーション。白とピンクの鮮やかな瓦模様が、いかにも沖縄らしい琉球古民家。
相当古い建物のようだが、沖縄そばの店だ。店名は「屋宜家(やぎや)」という。
かなりの人気で、軒先で待っている人もいる。かと思ったら、すぐに屋内に案内された。

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沖縄に来て2回目の沖縄そばは、アーサそば。スープにも麺にもアオサが入っていて、海の風味たっぷり。
定食にするとジューシーも付いてきて、沖縄感満載。アオサの風味とあっさりスープが抜群の相性で、とても美味しかった。

沖縄の道を走っていると、本州でよく見かける「アレ」がないことに気付く。
沖縄そばの店は数あれど、ラーメン屋を見かけることがほとんどないのだ。
これも文化なのだろうか。単純に暑いからラーメンという気にならないからだろうか。(それはそばでも同じか)

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これだけ美味しい沖縄そばの名店が各地にあれば、ラーメンという文化が侵食してこないのはよく理解できる。
沖縄に来たら、沖縄そばとステーキ(と泡盛)と勝手に期待していたが、まったく裏切られることはなかった。

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R331に戻って糸満方面へ。
この先には、沖縄の歴史を語るうえで避けては通れない一帯がある。

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かつての大戦で、国内で唯一、凄惨な地上戦を余儀なくされた沖縄の地。
軍人だけでなく、多くの民間人が命を落としたという事実は、日本人であれば誰もが知ることだろう。

恥ずかしながら、その詳細については断片的な知識しか持ち合わせていなかった。
今回訪れた平和祈念資料館において、いかにして沖縄の地が戦争に巻き込まれたかを事細かに知ることができた。
終戦後の占領時代から祖国復帰へ、基地との共存問題の経緯など、知るべき事実を知ることはとても大切であると、改めて感じた。

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R331は、平和祈念公園あたりで最南端となり、やがて本島の西海岸に沿って北上していく。
糸満市街が近くなると、片側2車線の陸橋が連続する大きな道となる。
道の駅「いとまん」で久しぶりの道の駅散策。続けて道の駅「豊崎」にも立ち寄る。

本日は出発が遅く、途中のスポットでもかなり時間を費やしていたため、既に夕方が近付いてきている。
当初はこのまま昨日と同じ那覇市内のホテルに帰ろうと思っていたが、あれほど降っていた雨が小康状態となっていたことから、最後にもう一箇所、沖縄の象徴とも言える場所に向かうことにした。

地図を見ながら即席でショートカットルートを組み立て、那覇空港手前で右折し、那覇空港自動車道へ。
豊見城(とみぐすく)・名嘉地ICで入線し、南風原北(はえばるきた)ICで降りる。この区間、無料だった。ラッキー。
県道240号、241号、84号、29号、49号と繋ぐ。グネグネとしているうえにアップダウンも伴い、交差点も交通量も多い市街地を疾走するS2000。向かうは首里だ。

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琉球王国の中枢、首里城である。
のっけから、異文化建造物のオンパレード。日本っぽさは微塵も感じられない。
沖縄の文化が、本土とはまったく異なる成り立ちを背景としていることがよくわかる。

そんな首里城の建物群だが、実際のところはほとんどが復元。
沖縄戦の際、日本軍がここに沖縄本部を置いていたこともあり、激しい砲撃を受けて、城の建物のみならず周辺の町並みや文化財もろともほぼ消失した。
建物の再建が進んだのは、戦後この地にあった琉球大学移転後のごく近年のことである。

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まだ記憶に新しいが、2019年に正殿を含む多くの建物が火災で消失した。もっと最近のことかと思っていたが、既に5年も経っていたのは意外だった。
なので、いま首里城を訪れても、中核の建物は見ることができない。その代わり、建設中の正殿の工事を間近に見ることができる。
上の写真は仮設の資材倉庫だが、その裏手に建設用の仮上屋があり、その中を見ることができるよう、見学ルートが設定されている。

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GW中だったため、工事は行われていなかったが、復元工事の状況は事細かに知ることができた。
復元なので、現在手に入る建設資材を活用しながら、当時の建築に近い形で工事が進められている。
ほとんどが宮大工の手仕事。首里城の復元には、多くの若い宮大工が携わっているという。
建物が消失したのは残念だが、実際の工事の機会が技術を伝承させる。ぜひとも、以前の建物を上回る素晴らしい建築をつくって、後世にその技術を伝えてほしい。

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那覇市街中心部のやや東寄りの地に急峻に突き出した地形があり、その頂部に首里城はある。それゆえ、城郭から眺める那覇市街の眺望は抜群だ。
地形に沿って積み上げられた石垣の周囲の植生も、違和感たっぷり。
建物が無くとも、首里城の存在感は決して衰えていない。

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首里城からホテルに戻り、S2000を駐車場に預ける。
まだ少々明るい時間なので、少し市街地を散策しようと考えた。

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壺屋やちむん通りという、焼き物の店が並んだ通りを訪れる。
「やちむん」とは、沖縄の言葉で焼き物のことらしく、普段使いの日用品として、沖縄独特の地域性を反映した形状と色彩が特徴だ。

古くからの焼き物店の他にも、今どきのおしゃれな雑貨店風の店も多かった。
焼き物を手に取るとつい欲しくなり、買い溜めていったおかげで自宅の棚が溢れており、近年は意識的にあまり手を出さないようにしている。
幸いなことに?やちむん通りでは、運命の一品との出会いはなかったので助かった。(はずだったのだが・・・)

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やちむん通りの後は国際通り方面へ、昨日ステーキ屋の帰りに通った道を歩く。
気になった通り沿いの風景をスナップしたり、中を覗いたりしながら。。

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国際通りに出てきた。
人手が多くなるのは夜、暗くなった後なのだろうか。この時点ではまだ人では少ない。

GWだから、さぞかし混んでいるのだろうと思っていた那覇市街。確かに人は多いが、想像していたほどでもない。
やはり沖縄観光の王道は、リゾートなのだろうか。

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人気の沖縄料理の居酒屋は長蛇の列を成していたので、国際通りの裏通りで見つけた開放的なレストランに入った。
まだ客は一人もいなかったが、構わず泡(ただしワイン)を注文。オリオンと泡盛ばかりなので、ここらで変化球が必要だったのだ。

やたらと元気な若い店員の話を聞きながら、いくつかのアテとともに、那覇の宵時を楽しむ。

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周囲の席が埋まってきたタイミングで、一軒目を引き払う。
暗くなり始めた繁華街のネオンが、一層華々しく光を放っていた。

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二軒目は考えた末に、昨日の二軒目と同じ店に行くことにした。多くのメニューに目移りして、一日では楽しみ切れなかったからだ。
「さしみ」の幟も眩しい路地裏の店には、もはや迷うこともなく最短距離で到着。
昨日あんなに空いていた店内は、既に満席。かろうじて、外のテーブルにひとつだけ空きがあったので、早速陣取って泡盛タイム。

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こういうのがいいお年頃

市場の路地裏にもかかわらず、今日も大盛況。
今日は大音量で音楽まで響き渡っていると思ったら、なんとこんなシチュエーションにDJがいた。

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左側にいるファンキーなお兄さんがDJ

懐メロ(死語)を織り交ぜたプレイのせいなのか、泡盛が効き過ぎなのか、気持ち良さマシマシ。忘れ難き、那覇の夜。

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酒場のある街の旅は、本当に楽しい。酒が美味いから、だけではなく、その土地の色が見えて、何だったら溶け込む楽しみがあるから。
今日は一日中雨で、S2000の距離はほとんど伸びなかったけれど、そのぶん沖縄のことを深く知り、那覇の空気を胸(腹)いっぱい味わうことができた。

これぞ旅の醍醐味。

明日は沖縄最終日。どんな時間が待っているのだろうか。

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 Posted by at 6:07 PM
5月 272024
 

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幸せ岬
身も心も、しあわせになりたい

翌朝起きてみると、窓の外は嵐だった。
沖縄の暴風雨は尋常ではない。台風でもないのに、朝っぱらから横殴りの雨。予報レーダーによれば、小1時間ほどの悪天候らしいのだが。

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嵐が収まった後に、ホテルをチェックアウト。予報通り、確かに雨は上がっていた。
ただ、この日は遂にというか、予想していた通りというか、一日中雨天を覚悟しなければならない。
昨日、雨の予報にもかかわらず晴天に恵まれていたので、それだけでもヨシとしなければいけないのだが。。

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ホテルを出発し、いったん名護方面に向かって、道の駅「許田」を訪問する。
S2000の周囲を取り囲むはレンタカー。沖縄では、「わ」「れ」両方のナンバーのレンタカーが存在する。

沖縄の道を走っていると、特に郊外は走っているクルマの半分くらいレンタカー、という感じがした。
なので、観光地の駐車場は白いヤリスでいっぱい、なんてことも。
飛行機で訪れて、現地でレンタカーが常識的なスタイル。本土から船で訪れようという発想は、ドライブジャンキーな人種の特権である。

国道329号で宜野座村から金武(きん)町へ。
金武で沖縄初の給油。意外なことに、沖縄県のガソリンは安かった。たまたまなのか、乗船前に給油した鹿児島市内と比較して、@20円は安価だった。
鹿児島県は高いというイメージがあるので、たまたま比較するとそういう印象になるのかもしれない。
でも、全国有数のクルマ社会である沖縄県だから安価であることも納得できる。この日からその車社会の中枢に入り込んでいくわけだが。

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道の駅以降は再び雨が降り出し、金武以降は本降りの様相になってきた。
この日は本島中部を巡って南部に行き着く行程だが、この空模様では景色は望むべくもない。
フロントガラスと幌を激しく叩きつける大粒の雨を憎みながら、本日の行程に思いを巡らせる。

脳内会議の結果、本島中部のうるま市にある植物園を目的地に設定することになった。
植物園であれば、雨でものんびり散策して、沖縄の熱帯らしさに触れることができると思ったのだが・・・

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東南植物楽園

オーマイガー、植物園は露天仕様でした。

熱帯なのだから温室など必要ない。考えてみれば当たり前。
仕方ないので、傘を携えて園内を回る。GW中だが平日ということもあり、園内は閑散としていた。

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なぜか放牧?されている動物たちと戯れながら、園内を散策。
レストハウスで、これまたなぜか昆虫の企画展が催されているのをひと通り見て回った後に外に出てみると。

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なんと青空が。
なんだこの急変っぷりは。

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一瞬にして夏空に・・・

沖縄の空は、目まぐるしくその表情を変える。
天気予報で雨と言っていても、実のところは場所によって晴れていたり、そうではなかったり。
さっきまで晴れていたと思ったら、いきなり雲が広がって雨が降り出したり。。

やはり沖縄は、海洋に浮かぶ島なのである。気圧による気流の影響を受けやすいのだ。
図らずも、嵐の後の熱帯雨林の美しさを目の当たりにすることとなる。

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ハイライトは、ユスラヤシの並木道。高さ25mにもなるヤシの木に囲まれる道は、圧巻の光景。

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明るく照らされた並木道に身を置くと、身体の隅々まで浄化されていくような感覚に包まれる。
長い年月をたくましく生き抜いてきた生命力に触れることで、眠っていた生命力が覚醒し、純化されていくようだ。

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その道を何度も振り返り、立ち去るのを惜しんだ。

美しい光景を拝ませてくれた沖縄の空には感謝しかない。
島の天気はきまぐれ。諦める必要などないのである。

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植物園の散策終了。
すっかり好転した空模様。日焼け対策を施して、ルーフを開け放った。

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県道36号で海中道路を目指す。
悪天候の場合、訪れるかどうかさえも迷ったスポットだが、どうぞ来てくださいとばかりに極端に天候が好転したため、迷わずS2000のノーズを向けた。

海中道路とは、うるま市にある平安座島へと続く道。両側を海に挟まれた地形は、これぞ沖縄!な景観のひとつだ。
実際に訪れてみると、いつの間にか海中道路に入っていた、という感じ。
道幅も広くて、海の中を走っている感覚は乏しかったが、沖縄特有の真っ白な舗装面と透き通った海面の色彩のコントラストが素晴らしい。

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海中道路の途中には、広大な駐車場とあやはし館というレストハウスがある。
あやはし館の物産店舗を覗いた後、再び路上へ。

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平安座島に上陸すると、道は普通になってしまった。

平安座島から小さな橋で宮城島に渡る。宮城島内の本来メインルートなっている道路は工事通行止めとなっていて、迂回路へと案内された。
幹線から逸れ、生活路で迂回した後、先端の島、伊計島へ。

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ここまで来ると、走るクルマもおらず、道もかなり淋しくなった。
静寂が支配する島の風景、と言いたいところだが、軍用機が爆音を轟かせて頭上を飛び去っていく。

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伊計島の先端にタッチしたら、来た道を引き返す。
その途上、ぬちまーすという製塩メーカーの施設に立ち寄ることにした。

沖縄の海水を由来とした製塩関連の製品やグッズが充実したレストハウスがあるが、ここに来たのはそれがメインの目的ではない。
ぬちまーすの駐車場の脇道を登っていった先に目的地がある。
そこには絶景という言葉しか見つからないほどの絶景が。

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果報バンタ

沖縄の言葉で「バンタ」とは、「崖」や「岬」のことを指すという。
高さ70mの崖上からの景色は、ウワサ通りの絶景だった。海面の底まで見通せる透明度、その海面の色彩のグラデーション、手つかずの砂浜。
どの要素も、ドライブ中に滅多なことでは見ることなどできない。美しき光景だ。

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陽光に照らされた瑞々しい色彩の饗宴。
再び多くの雲に覆われつつあった空が、ここに来て吹き飛ぶように姿を消したのは、運が良かったとしか言いようがない。

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洋上に浮かぶ島を一望する絶景の岬。
こんな日本離れした場所にS2000で来られるとは、自分で来ておきながら、まったくもって信じ難い。

それでも、ここにいるのだ。
長い時を経て、S2000で訪れるチャンスを掴んだからこそ、ここにいる。
誰でも、いつでもできることではないからこそ、この機会が得られたことに感謝したい。

・・・・・・・

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本島からクルマでアイランドホッピング、最後は浜比嘉島。
琉球開祖の伝承があるアマミチューは車窓より。

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もう一箇所、シルミチューはS2000を降りて散策。
場の空気が張り詰めた神聖な場所。鳥居の奥には、巨岩と洞窟があるが、厳かな雰囲気に包まれている。
子宝祈願の聖地だからか、訪れる人は若い女性ばかりだった。

・・・・・・・

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勝連城跡

海中道路で本島に戻った後、半島の根元付近に遺跡を見つけたので立ち寄ってみることに。
世界遺産に登録されているだけに、駐車場もビジターセンターもしっかりと整備されていた。

14〜15世紀頃に築城された琉球王国統一以前の城で、今は石垣だけが残っている。

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その石垣が特徴的で、優美な曲線で形作られているのだ。
城なのでもちろん守備的な機能を持ち合わせていると想像されるが、石積の曲線が折り重なる様は、何とも美しい。
城ながら、流麗で女性的な建造物だと感じた。

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頂上まで登り詰めると、周囲の地形と町並みが一望できた。

地域の首長が統治していた時代の名残である城(グスク)は、琉球王国の成り立ちを知るうえで、とても重要な存在であると思われる。
今回の旅では旅程の都合上、多くを訪れることはできなかったが、琉球の歴史を紐解くきっかけになればと思った。

・・・・・・・

勝連城を散策し終わると、頃合いの時間となりつつあった。本日の宿泊地は、那覇。うるま市からは、まだ距離がある。
沖縄以外であれば時間が読めるのだが、渋滞の悪名高い沖縄本島都市部の交通状況は、距離感同様、まったく予測がつかない。
それなりに時間に余裕を持って移動したいところだ。

うるま市を県道85号で抜け、北中城(きたなかぐすく)村でR329に入り、ひたすら南下を試みる。
中城(なかぐすく)村の区間は片側2車線が確保されていて、クルマの流れは良かったが、なぜだか全くと言っていいほど右折車線が無い。
至るところで右側車線が塞がれているため、隊列を組んでジリジリと左車線を行くか、イチかバチか右側車線をヒャッホーとすっ飛ばすか、選択が難しい。

西原町でR329バイパスを那覇方面へ。
いよいよ交通量が多くなり、赤信号の度に長蛇の列に参加する。この辺りまで来ると、島にいるという雰囲気がほとんど感じられない。
走っているクルマの量は、本土のちょっとした都市部並み。クルマの種類も、ことさら軽自動車が多いわけでもなく、強いて言えば、輸入車の数が少ないくらい。
交通状況だけ見ていると、大都会にいるような錯覚さえ覚える。

時間はかかったものの、幸いなことに渋滞らしい渋滞には遭わず、那覇市街へと進入することができた。
国際通り裏手のホテルに到着したのは17:30頃。勝連城から約1時間の道のりだった。

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那覇の停泊地の選定基準は、比較的落ち着いたエリアで、それでいて繁華街に遠くなく、S2000を安心して停泊しておけるところ、だ。(別に那覇に限ったことではないが)
それは地図を見て判断するしかないのだが、今回の宿については絶妙な立地だった。歩いてすぐに、味のある市場のようなアーケード街がある。
その土地の空気感を知るために、こういったアーケード付き商店街を散策するのがいい。

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思い切りシャッター街じゃないか、と面食らうが、賑わいがメインストリートに露出していないだけ。
那覇の夜の顔は、メインストリートから入り込んだ路地にある。

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市営の公設市場周辺の路地裏には、所狭しと屋台街のような店が並んでいる。
テーブルや椅子とともに、飲み屋街の喧騒が路地に溢れ出している。

どこかで見たことのあるこの光景。
まるでアジア諸国の屋台街のような。言語は見慣れたそれだが、雰囲気というか空気感というか、日本国内とは思えない。

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人が溢れるほど入っている店と、まったくいない店で極端に差がある。なかなか新参者には難しい。
ひと通り見て回って雰囲気を掴んだ後に、適当な一軒を選んで入店。キンキンに冷えたオリオン生で喉を潤す。

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一軒目はそこそこで切り上げ。
調子も出てきたので、二軒目はこれまた雰囲気と勘だけで、コレと思った店に入店。

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ビールは済んでいたので、海ぶどうをつまみに1杯目から泡盛。
食事はメニュー豊富。しかも心配になってしまうほど安価だったが、出てくる食事はしっかり美味かった。
それなりに飲んで食べたが、心配を通り越してしまうほど安価。物価高の世とは隔絶された、まさに異世界の路地裏街だ。

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酔い覚ましと腹ごなしを目的に、国際通りを散策。言わずと知れた、那覇の中心街だ。
さっきの市場の路地裏街がウラの顔なら、こちらはオモテの顔。
煌々と輝くネオンと電飾に群がるかのように観光客が集まり、喧騒で歩道が埋め尽くされている。

国際通りは先程の路地裏街とは逆に、国内旅行客より外国人観光客の方が圧倒的に多い。
勝手な想像で、もっと大通りに商業ビルが立ち並んでいる光景を思い浮かべていたのだが、実際のスケールは思っていたよりずっと小さかった。
却ってそれが、アジアの一都市を強く感じさせる。それがゆえ、異世界感を醸し出しているのかも知れない。

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ザ・観光客向けという店ばかりで入ろうとは思わないが、立ち並ぶ店によって形成される綺羅びやかな空間には、観察の余地がある。

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入ろうとは思わない、と言っておきながら、シメのステーキは別ということで。。

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沖縄初日以来のステーキ。今回は飲んだ後に食べるシメのステーキということで、那覇文化の体現である。
さすがに空腹ではないので小さなサイズにしておいたが、それでも食べごたえ抜群。
ステーキだけ頼んでも、当たり前のようにご飯とサラダとスープが付いてくるのが沖縄スタイルのようだが、三軒目でコメはさすがに食べ切ることができなかった。

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ホテルまでそぞろ歩く道にも、風情のある明かりが灯っている。
整理整頓された感はまるでなく、どこもかしこも自然発生的なところがリアルな感じ。

楽しみにしていた那覇の夜。喧騒と食と酒をたっぷりと味わい、胃も心も満足して就寝と相成った。

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 Posted by at 12:30 AM