5月 302016
 

2016 05 29 01

松江で迎えた3日目の朝。
本日は「走る」ツーリングを一休みして、松江の街を散策しようという魂胆。
・・・ではあるのだが、ちょっと訪問したい所があって、松江近郊の玉造温泉へとエスを走らせる。

目的は温泉、ではなくて、とある窯元。
一昨年の隠岐ツーリングの際に訪れた松江のセレクトショップで見つけた器のデザインが忘れられず、その生産元への訪問を熱望していたのだ。

場所はJR玉造温泉駅の程近く。松江市街からわずか数十分。

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湯町窯

駅前にある、大きなガラスの窓がショーウィンドウ代わりの民家が、目指した「湯町窯」だった。
開店と同時に入店。作品が飾り立てられているというよりは、実用的な食器が雑然と積み上げられているという趣の店内。
ただ、素朴ながらも艶やかな色彩を湛える陶器たちが集まることで、独特の美しさを醸し出している。

お目当てのスリップウェアの皿を物色していると、陶主に建物の奥の部屋に誘われる。
そこでは、湯町窯と交流のあった柳宗悦、バーナード・リーチ、棟方志功、河井寛次郎といった、そうそうたる芸術家たちの手による作品を目にすることになった。
いわゆる「民藝」の流れを汲んだ湯町窯。芸術の潮流や形式めいたことには疎いけれど、内在する美に起因する魅力に強烈な引力を感じる。

器はあくまで実用品なのだが、実用性というよりは美しいもの、琴線に触れるものを優先して、いくつかの器たちを購入。
お年は召しているものの明るく気さくで元気な陶主の福士さんとの会話も弾み、想い出深い訪問となった。
ルーフをオープンするS2000に「かっこいいね~かっこいいね~」とお褒めの言葉(?)をいただき、感謝の意を伝えてお別れ。
バックミラーには、どれだけ離れても大きく手を振ってくれていた福士さんの姿が印象的で、器の印象と同じく温もり豊かな窯元の訪問となった。

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松江市街にとんぼ返りし、そのまま中心部の駐車場に駐めようと向かったものの、既にGWの観光客で溢れていて、長蛇の列が形成されていた。
離れた駐車場に入れるくらいなら、駅前のホテルに戻った方が賢明。ホテルの駐車場にエスをデポし、以降は徒歩での散策に。

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そう言えば、朝飯がまだだった。
お堀の傍にあった珈琲館という、レンガ造りの瀟洒な喫茶室でブランチをいただく。

松江の街に城下町風情が残っているのは、張り巡らされた堀が、現代の街と共存しているからだろう。
眼下の堀川には観光船が往来し、晴れた休日の街の賑わいに一役買っている。

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県庁などの庁舎が集まるエリアに歩を進めると、やがて視界の向こうに誇らしげに聳える天守が見えてくる。

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大きな城郭の周囲を回遊し、三の丸から城壁を上っていく。
石垣の上にはかつての建物跡を思わせるオープンスペースとなっていたが、城門をくぐるとそこには圧巻の天守が。

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松江城

城郭の主は、高さ約30mの威厳に満ちた荘厳な天守。
築造年は1611年。明治初期にほとんど取り壊された全国の城の中にあって、山陰では唯一残ったオリジナル。
歴史的価値が再評価され、遂に昨年、国宝の仲間入りを果たした。城としては全国5番目の国宝というレア物件なのである。(ちなみに残りの4城は、姫路、彦根、犬山、松本)

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その外観に圧倒されてひとしきり眺めた後に、天守に上ってみる。

オリジナルが残る城の常で、階段は非常に急で、手摺無しではなかなか昇降できない。
内部には様々な展示物があるが、松江城の注目はその建物そのものだと思う。
当時の建築なので、内部空間に露出する構造体そのものも、400年間耐え抜いてきた質感にあふれている。
全国に城は数あれど、年輪を重ねた重層城塞の内部空間を体感できる遺構は少ない。

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最上階から松江市街を眺める。
周囲を堀に囲まれた城の敷地の北側には、城下町を名残りを垣間見る低層の街並みが残っていた。

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国宝指定は話題としてはまだフレッシュなのか、それとも単なる城ブームなのか、思った以上に観光客で溢れていた。

つい先日の熊本地震では、熊本城が甚大な被害を受けてしまったが、そのことで、自然災害によって歴史的な遺産もいつ失われてしまうかわからないということを改めて思い知らされた。
熊本地震を契機に、文化財に興味を持ち、より大切にしようという機運が高まればと思う。
熊本城の復興に時間と労力を要することは現実として受け止めなければならないが、せめて世間の意識が今より更に高まるきっかけになることを願わずにいられない。

 Posted by at 1:03 AM
5月 282016
 

本日から遡ること、ちょうど10年前の2006年5月28日、S2000が自分の手元にやってきました。
港北ニュータウンにあったオートテラスで運命の出会いを果たしてから、僅か一週間。
お店でキーを受け取り、そのまま箱根に向かった時のことを、今でもよく覚えています。

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【2006年5月】ちょうど10年前の今日、S2000初ドライブ時の貴重な1枚

初めてのワインディングはターンパイク。
芦ノ湖スカイライン、乙女峠から御殿場に抜けて、山中湖から道志みちを走って厚木から帰ったのが、10年前の最初のドライブでした。

当時の写真を見返してみたら、もうびっくりするくらいピッカピカ。1年落ちで6,900kmの個体でしたから当たり前ですが。(今は見る影もない・・・)

あれから10年。人もクルマも等しくトシをとり、相応の貫禄が付いてきた(?)のかわかりませんが、多少の成長の跡は見られると言ってもいいでしょう。
自分の理想のドライビングマシンを追い求めていった結果、見た目こそそれほど変わってませんが、あらゆる箇所に手が入り、自分にとってオンリーワンのツーリングスペシャルな相棒へと成長しました。

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【2009年4月】納車から3年経過した頃、当時住んでいたアパートの駐車場にて

10年という年月の間に、オドメーターには約16万もの数字が加わっています。
いろんな所に行きました。2号車を導入してからは、ツーリング専用車として、ドライビングを楽しむためだけに乗ることがほとんどになりました。
そうこうしているうちに、前車EK9に乗っていた5年を越え、あっという間にその倍の10年という月日が経過。

乗り始めの頃、少なくとも心の中では、ずっと永遠に乗るぞという気持ちだったわけですが、正直10年という年月は具体的に想像してはいませんでした。
それがこれといった不満もなく、それどころかこれしかない!という気持ちのままここまで来れたというのは、「肌に合っている」という証なのかも。
実際、身体の一部であるかのような一体感を感じてドライブできるから、ずっと続いているんだと思ってます。
そういった意味では、合わない部分をアップデートしつつ、性能向上にも投資をしてきたのは間違いではなかったと言える。

良い付き合いができてるんだと思います。

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【2012年6月】AP1後期モデルに設定されていた赤黒レザー内装(オプション)装着車で、基本的にその雰囲気を維持している

10年の間に、様々なことがありました。
その10年について、いくつかの側面から振り返ってみます。

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10年の軌跡「モディファイ」

先に記したように、実は結構いろんな所に手が入っています。
サーキットは走らないし、速さを追求するわけでもないので、巷のS2000とはかなり方向性を異にしています。

・エンジン本体:ノーマル
・エアクリーナー:無限 AIR CLEANER & BOX
・インテークパイプ:ASM SAMCOインテークホースキット
・スロットル:ASM ビッグスロットル
・プラグ:NGK レーシングプラグ 8番
・エキマニ:ASM エキゾーストマニホールド07 Zircotec
・マフラー:ASM I.S.Design サイレンサーキット2
・エンジンオイル:MOTUL 300V 5W-30
・エンジンマウント:純正

・ECU:G.T WORKS GENROM /ASM SPL.データ ※AP1フラッシュROM ver.

・ラジエター:純正
・サーモスタット:純正
・サーモスイッチ:純正
・ラジエターキャップ:純正
・クーラント:純正

・ミッション:ノーマル
・クラッチディスク:純正
・クラッチカバー:純正
・フライホイール:純正
・クラッチホース:ASM ※クラッチ遅延機構解除済み
・ドライブシャフト:純正
・ミッションオイル:TOTAL BV 75W-80 ※変更予定

・デフ:純正
・デフオイル:TOTAL X4 80W-90

・ダンパー:ASM SREダンパーキット 1WAY IS-11
・スプリング(F/R):HYPERCO 700ポンド(12.5kg/mm)
・アーム類:純正
・ブッシュ:純正
・スタビライザー:純正
・車高アジャスト関連:ASM バンプステアキット

・タイヤ:GOODYEAR EAGLE RS SPORTS S-SPEC(F:215/45R17 R:245/40R17)
・ホイール:BBS RG-R(S2000専用サイズ)

・ブレーキパッド(F/R):ZONE 88B
・キャリパー(F/R):純正
・ローター(F):無限 ACTIVE GATE
・ローター(R):無限
・ブレーキホース:ASM
・ブレーキフルード:AP RACING R3

・タワーバー(F):ASM フロントタワーバーGT
・タワーバー(R):純正
・ロアアームバー(F):ASM フロントロアアームバーGT
・ロアアームバー(R):ASM リアロアアームバーGT
・フロア補強バー:ASM フロア補強バー&レダーバー
・サブフレーム:純正

・シート:RECARO RS-G ASM LIMITED(運転席・助手席共)
・シートベルト:純正
・ステアリング:純正
・シフトノブ:純正オプション チタン製
・シフトブーツ:ASM 本革シフトブーツ
・ハンドブレーキレバー:ASM 本革ハンドブレーキグリップ
・アームレスト:ASM 本革センターアームレスト
・メーター:純正
・オーディオ・スピーカー:純正

・幌:純正

コンセプトとしては、ツーリングスペシャル。(とカッコよく表現しているが、実のところはただの「旅人仕様」)
一気にこの仕様になったわけではなく、例えばマフラーなんかは既に3本目です(笑笑

こうしてみると、ASMが多いですね。コンセプトに共感できるから、ということでしょう。
特に、足回りとシートが効果絶大。決して安くはないモノですが、当初から妥協せず選んだことで、長く使えて却ってお得感が大きいです。

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【2010年7月】最果ての島、礼文島にて

10年の軌跡「ツーリング」

EK9の頃からいろいろな場所に出掛けていましたが、S2000に替わってからも、旅のコンセプトである「そこにしかない道、ワインディングで走りを楽しむ」という姿勢には変わりなくやってきました。
ただ、この10年はそれだけでなく、それまでのツーリングにいくつかの楽しめる要素を付加してきたというのが特徴かも。
登山、寺社巡り、街歩きが大きなところ。反対に、温泉ハンティングは衰退しましたが。

この10年、思い出に残る記念碑的なS2000ツーリングは以下のような感じでしょうか。

・屋久島(2009年10月)
一週間かけて、屋久島に滞在したツーリング。当時の1000円高速を十二分に有効活用。東京ー鹿児島間を一気に走破して、2,600円だったのは忘れられない。
島内を周遊するドライブはもちろん印象深いけれど、わざわざエスで宮之浦岳にアプローチして頂上を極めたり、白谷雲水峡に訪れたりしたのが更に印象深い。
ツーリングではないけれど、この旅の直前には北八ヶ岳、剱岳にも登っていた。今では信じられない体力(笑)。登山が自分の中で一番アツかった時代でもある。
台風の直撃をまともに食らった旅でもあり、今だから言えるが、その影響でキャンプ場の管理人には大変な迷惑をかけてしまった(汗)。それも今ではいい思い出。

・利尻・礼文(2010年7月)
やはり一週間かけて、今度は北の果ての島々に滞在。利尻富士に登り、礼文島を歩いて縦断した。
エスはキャンプ場までのアプローチ、だったが、そもそも両島に行くには稚内まで走らなければならない。
それほど日数はかけられなかったが、道北はいつ走っても印象が深い。この時は裏道的なルートばかり走っていたので尚更だ。
この旅、実はホテルに1泊もしていない。つまりは全部キャンプ。ロングツーリングではできそうでできなかった記録で、後にも先にもこの時1回だけ。
登山もしてキャンプもして1週間走り(歩き)続ける。体力もさることながら、S2000でそういう旅ができることを実証したという、意味ある旅だった。

・中国山地(2010年5月)
現在も島根ツーリングレポートまっただ中だけれど、自分の中国地方好きを決定的にしたツーリングがこれ。
特に目立ったスポットもなく地味なツーリング内容なのだが、走って楽しい道の連続で、それがまたマイナー路線のオンパレードなもんだから、貸切状態が続いて更に楽しいという。
今では定番となった、街並み散策を取り入れている初期のツーリングでもある。高梁、吹屋、津和野。どこも印象的で、以降の旅では、歴史ある街の空気を直接楽しむために散策することが多くなったのだ。

・ビーナスライン(2008年6月)
ビーナスラインはツーリングというより、いわゆる「定点観測」の場所。納車の次の週に、初めて本格的に走りに行ったのがビーナスラインだったということもあり、以来S2000と自分自身の方向性を立ち位置を確認する意味で、決まってこの時期に訪れている。
その中で、2年目の定点観測であった2008年は、ツーレポとして残っていることもあり、当初のS2000の感じ方が詳細に記録されていて、自分でも興味深い(笑
こういうのって記録しておかないとすぐに忘れてしまうので、あの時はこうだったけど今はどうなのかとか、いわゆる「初心」って何なのかを振り返るには貴重な資料なのだ。
ちなみに、同じような意味で「朝練」というスタイルのドライブがあるが、この舞台となっているのもビーナスライン。冬場は西伊豆スカイライン。似たような目的で継続中。

他にもたくさん振り返ってみたい記念碑的ツーリングはあるのですが、キリがないので、この辺で。

2016 05 28 07

【2013年9月】土門拳美術館(酒田市)

10年の軌跡「アクシデント」

10年も乗ってりゃいろいろ事件もあるわけで。
・・・と思うかもですが、案外平和な10年でしたよ。国産スポーツカーの面目躍如。ガンガン乗っても、グズるなんてことはほとんどないですから。

そんなわけですから、アクシデントは数限られていています。
記憶にあるものを、深刻度順に勝手にランキング(笑

・第3位:ツーリング先でパンク(in 三沢)
幸いなことにパンクというメジャーなアクシデントにはほとんど遭ったことがないのですが、唯一、青森にツーリング中という状況の中で降りかかってきました。
スペアタイヤを積んでいるモデルなので換えればいいのですが、ここで問題なのは「ツーリング中」だということ。換えた後のタイヤはトランクに入れなければならないのに、トランク内は既に満載なわけです。
幸い市街地が近かったので、閉店間際のタイヤ屋を見つけることができて、事なきを得ました。

・第2位:マフラー破損(in 熊本)
記憶に新しい昨年の悲劇。熊本城至近のコンビニの真っ暗な駐車場にて、誤って出入口でない所から路上へ。。
結果はサイレンサー凹み、リアバンパーステー変形。ステーは直しましたが、サイレンサーは今もそのまんまです。
同年夏には牡鹿スカイラインで落石を巻き込み、ここでも消音器とシャシーを凹ませている。嗚呼。

・第1位:断崖上のミステリー(in 鶴御崎)
ダントツの1位は何と言ってもこれ。何のことやらという方は、是非コチラを。
アクシデントが起こったのは大分県南部の九州最東端の岬というとてつもなく遠い場所でしたが、そこから17時間かけて徹夜で走ってとんぼ返りして、そのまま工場に持ち込みました。
それで終わればまだ良かったんですけど、「ミステリー」である所以はその後日談。修理完了後、工場から搬出の際に、なんとローダーから転落(!)
当たり前ですがここから先は無償修理で、せっかく板金したのに、リア周りは結局新品になって帰ってきました。

・番外:アイドリング時のポンポポン
アイドリングの不整脈は、ディーラーや専門店に診てもらっても原因不明のまま。
いろいろ試しましたが、一番効果があったのはO2センサーの交換。エンジンを回しまくった後はまだ咳き込みますが、通常状態での不整脈はほぼ収まりました。

・・・・・・・

2016 05 28 09

いよいよ11年目に入るわけですが、納車当時と変わらず、今もずっと乗っていたい気持ちに変わりはありません。
ただ、距離と相応の傷みが増えていく中で、思いっ切りエンジンぶん回して走ることがどこまで続けられるのか、という不安もあります。
やはりクルマというのは走らせてナンボだと思うので。思い切り走らせることができなくなったら、それはそのクルマの寿命を意味するのだと思っています。
そう考えると、無限に維持することは現実的ではないのかもしれません。

かと言って、過保護に取り扱うことは、乗る意味が薄れるので考えていはいません。
不安を感じながらもこの先、やっぱりガンガン乗っていくのだと思います。
エスにしてみたら、もう若くないんだから少しは労れよって感じでしょうけど(苦笑

2016 05 28 06

最後に。
S2000の次に乗るクルマという話題。
これについては、今まで触れたことがありません。だって無いんだもん。

今年の2月に雑誌に掲載されたのを読んだ方は、アルファロメオ4Cだってことを知っているかもですが、あれは敢えて選ぶならという前提でなので。。
そもそも4Cには、マニュアルトランスミッションの設定がありません。今はまだコンサバティブなMTに乗っていたい。これは好みの問題だから、仕方ありません。
逆に言うと、4CにMTがあったら本気で考えます。設定されることは絶対無いでしょうけど。

ちょっと新しめのビンテージに興味のあるクルマはありますが、エスのように走らせられないのであれば、後継車にはなり得ない。
手に入れるとしても、その時は増車です。経済的には非現実的ですが!(笑

増車といえば、実は昨年、増車一歩手前まで行ったんです。(気持ちの中では)
お気付きの方がいたかもしれませんが、S660ですね。あれは面白そうだし、増車してもそれほど負担がない。
けど、すぐには手に走らない(長蛇の納車待ち)ので踏みとどまり、その資金はアルファGT乗り換えに流れたので、幻の計画となりました。

そんな感じでエスの代わりとなるクルマは目下不在なので、11年目以降もずっと同じ付き合いをしていくことになります。

2016 05 28 08

初めて赤いスタートボタンを押し、ルーフを開け放って走り出してから10年。
今回こうやって10年間を振り返ってみると、それは得難い経験と大切な時間に満ち溢れていました。
S2000と共に過ごした軌跡は、「奇跡」の10年と言ってもいいかもしれません。

あの日の感動を胸に刻み、これからもずっと一緒に走り続けていたい。
今日からが新たなスタートであるという気持ちで、もっともっと深く付き合っていこうと思います。

2016 05 28 10

物語はつづく・・・S2000とともに。

 Posted by at 12:36 PM
5月 232016
 

2016 05 22 01

この週末も、いい天気だったのに棒に振ってしまった。
土曜日は久しぶりにバイクで出かけようと思ってたのに、体調思わしくなく中止。日曜の今日は出勤。 
スッキリしない週末が続いてます。。 

 

さて、島根ツーリングと言いながら、いっこうに島根県入りしない本レポート(汗
いい加減、前置きが長過ぎると言われそうなので、すっ飛ばしていきます。

相変わらずR429にから離れずにちょっと大き目の峠を越えたけれど、その次の高野峠には向かわず県道6号へ。
道の駅「播磨いちのみや」で小休止。ツーリングマップルに揚げたてのコロッケが美味しいという情報が載っていたので探すと、肉屋のコロッケが売っていた。
フツーのコロッケとメンチを食す。アツアツで美味い。

この道の駅の正面には、駅の名前の由来となった一の宮(伊和神社)があったので、ちょっと散策してみる。

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残念ながら、特段なんてことはなかった。
国道29号を北上し、再びR429へ。

2016 05 22 03

千種を過ぎると高所感ある峠道となり、志引峠へと到達する。ここが岡山県境。
この切通しっぽい風景、10年前のEK9ラストツーリングで通過した際のビジュアルが脳裏に蘇ってきた。
なぜか、この峠だけは記憶の中にしっかりと残っていた。なぜだかよくわかんないけど。

大原に下りてそのままR429を走り続けたが、美作ICに向かう県道7号と交わるところで広域農道にスイッチ。
R429が楽しいのは概ねこの辺りまでなので、この先の津山は広域農道で一直線にパスすることにする。

津山を通過する時って、だいたいこの津山広域農道を使っているような気がする。
一直線に津山市街をパスできるのはいいけれど、その分交通量も多く、何とも退屈な畑道なのだ。(いかんせん他に選択肢がない)
我慢して鏡野まで走り切り、国道179号へ。

奥津温泉へと向かうハイウェイを突き進み、ダム湖を過ぎたところで県道56号。
国道とは打って変わって、まったくクルマのいない爽快路。県道65号に切り替わると、一部狭い所も出てきたが、マイペースだけに気持ちがいい。

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国道482号に出ると津黒高原。
その先は意外とダイナミックな山岳路が出現。ここで人知れず(笑)鳥取県に入る。

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ワインディングの途中で見落としてしまいそうな県道38号にスイッチして、すぐさま県道308号。
関金温泉から今度は県道45号と、目まぐるしく異なるコースを渡り歩いていく。

K45は、大山に一気に登っていく高原道路。牧場の中を一直線に貫く。
西日を正面に受ける形になったのがイマイチだったけど、前走車も現れず、あっという間に大山の懐に飛び込んだ。

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大山環状道路に取り付いて、まずは地蔵峠。の展望台なのだが、肝心の展望はイマイチ。
ここから大山南山腹のワインディングロードを堪能!と思いきや、逆方向にノーズを向け、北側の山腹を目指すことにする。
これまで大山は散々走ってきたが、実は大山環状道路の北側半分を走ったことがなかった。今回は、その未走破区間を走るのだ。

県道44号で、いったん山を降りるようにして下っていくと、県道33号の分岐が現れる。
これがいかにも怪しく、大山環状道路の一部とは思えない様相を呈していた。

2016 05 22 07

杉林に挟まれた薄暗い一本道。
大山のワインディングは、一般的に蒜山高原から鍵掛峠を越えて大山寺に至る南側の区間を差すことがほとんど。
この北側区間に脚光が浴びることはまずない、と思う。

それもそのはず、この未整備っぷりである。一応、二桁県道。ツーリングマップルでは、長らくオススメ道路の着色付きだ。

2016 05 22 08

杉林は抜けたものの、路肩は草ボーボー。何だかますます怪しくなってきた。

2016 05 22 09

不安は的中。遂に道は途絶えてしまう。
怪しげなニオイが充満していたので、やっぱり・・・って感じだが、大山環状道路はいつの間に朽ち果てたのか。

まさかね。
単に道を間違っただけで。(途中の集落内で、曲がる方向をミスしたらしい)

2016 05 22 10

さすがにこれは突っ込めんでしょう?(笑

せっかくなので、エスを降りて小休止。ここから先のルートを再設定する。
既に陽はかなり傾いていて、山中に入ると完全に日没の様相だ。
もうあまり脇目もふらずに、本日の停泊地であり、今回の旅の主要な目的地のひとつである松江に向かったほうがいい。

2016 05 22 11

大山寺から県道24号で米子に抜けて、混み合う国道9号は避けて、山陰自動車道で一気に松江へ向かうことに決定。
その前に、大山環状道路をトレースし直さなければならない。ルートミスしたと思われる地点まで戻って県道復帰。

2016 05 22 12

道は所々狭いものの、そこそこ楽しめるワインディングが続き、牧場とスキー場を抜けると大山寺に到達した。
北側の未整備っぷりと日陰ゆえの暗さ(笑)から、南側がメジャーなのは非常にわかる気がする。全然走ってるクルマがいないのはいいんだけど。

K24で一気に大山の裾を下って、米子から山陰道へ。
夕刻の混雑は山陰道にも及んでいて、無料区間は渋滞していた。それでもR9をノロノロ行くよりはいい。
その代わり、山陰に来れば毎回必ず訪れている安来のカフェロッソは、今回はお預けとなってしまったが。。

松江市街に着いた頃には、既に薄暗くなりかけていた。
ホテルは駅前、2年前のツーリングで宿泊したところと一緒(選択肢がそんなにないので)なので、駐車場への入場もスムーズ。

さあ、松江!繰り出すぜ!と意気込んで向かった先は、どういうわけか行く店行く店が満席。
意気消沈。あまり歩き回る気力もなかった(てゆうか早く飲みたかった(笑)ので、これまた前回と一緒の店で済ませてしまう。

ようやく目的の島根に来て、夜の店(?)も無計画では何とも寂しい。
幸いにして、次の日は松江を1日探索する予定(明日も松江泊)なので、リベンジを誓って大人しく宿に戻って二次会、じゃなくて充電することにした。

 Posted by at 1:22 AM
5月 192016
 

2016 05 19 01

神子畑鋳鉄橋からR429をさらに進むと、何の前触れもなく、目を疑うような光景が眼前に現れた。

山肌に幾層にも折り重なって張り付くコンクリートの壁。
その手前には正体不明の舞台のような構造物が複数。
一見しただけではまったく正体不明のミステリースポット。

何なんだ、いったいコレは!?

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思わずブレーキを踏み、しばし呆然と頭上を見やる。
何かとんでもないものを発見してしまったような心持ちだ。

エスを正体不明構造物の前に引き込み、周囲を舐めるように観察してみる。 
何らかの鉱山施設であることは間違いないようだが、それにしても理解不能なのは手前の円形の舞台装置!?のような構造物。
無数の列柱が規則正しく配列される様は、ギリシャ世界の神殿を彷彿とさせるが、この場所にある理由がわからない。

しかも「円形」であることが謎を深くする。円形の神殿など聞いたことがない。
舞台装置というファーストインプレッションだったが、中にステージになるような空間があるわけでもない・・・

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内部を覗いてみると、鉄骨製の階段が残り、床面には何かの機械がゴロゴロと転がっている。
放置されたその機械たちは、ひとつひとつがかなり大きなものだ。何かの生産施設だったのだろうか。

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時代を感じさせるコンクリートは、機能性を考慮して幾何学的形態を与えられていることは直感的に理解できる。
その佇まいがまた美しいのだ。
朽ち始めたコンクリートに、そこはかとなさが加わり、何かを訴えかけてくるような美しさを湛えている。

想像力の限界で、結局何のために建てられ、ナゼここに在るのかということが最後までわからなかった。

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実はこれ、採掘された鉱石を成分ごとに仕分けるための「装置」らしいのだ。呼び名を「シックナー」というらしい。

この列柱が支えているのは巨大な「漏斗」で、円錐形をしている。
ここに成分仕分けが進んで液体となった鉱石を流し込み、「漏斗」の中でゆっくりと回転させることで液体と固体を分離させ、沈殿した個体を回収することができる装置ということだった。

あまりに幾何学的形態による美しさを感じる構築物だったので、鉱石分離(「選鉱」という)ための装置とはまったく気付くことができなかった。
内部空間としてまったく非効率な形態にも関わらず、鉱山で働く従業員の休憩施設や厚生施設か何かだと本気で想像してしまうほど、建築的魅力に溢れている。
よくよく理由を知れば、必然的に生まれた装置であり形態であって納得いくのだが、それにしたってそういう構造物が、ここに遺り出会えるなんて、どれだけの人が知っているだろうか。

この「シックナー」を含めた一帯の施設は、「神子畑選鉱場」と呼ばれた、かつての鉱山施設らしい。
この場所とは異なる近隣の鉱山で採掘された鉱石を、成分ごとに仕分けるための生産施設なのだという。
斜面による高低差を利用して、必要な金属を仕分けるという機能を担っていた。

しかし今では見ての通り、完全なる「廃墟」である。

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薄々気付いてはいたけれど、自分は「廃墟」というものにとても惹かれるらしい。
特に、反映していた当時が忍ばれる、「兵どもが夢の跡」的な風景や存在に強い魅力を感じるのだ。
想像力がかき立てられればかき立てられるほどいい。歴史的建造物を観るのと似た種類のロマンが、そこにはあると思う。 

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舐め回すように堪能し、後ろ髪を引かれる思いだったが離れることにする。

神子畑鋳鉄橋と連続する産業遺産、神子畑選鉱場。
近代日本の息吹を感じる産業遺跡だ。通り過ぎてはしまったが、生野銀山も含めて、産業遺産街道、認定である。

こういった、かつての産業や生業を見ながら旅することが楽しい。
まだ山陰地方にも到達していないが、こういった遺産が多く残るこの中国エリア(とその周辺)は、走る楽しみと産業の視点から歴史を想うことができる場所なのである。

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 Posted by at 2:15 AM
5月 162016
 

2016 05 16 02

島根ツーリング2日目。まだ島根のしの字も見えない(笑

福知山駅前のホテルからスタート。
一度国道9号に出て、すぐに国道429号へ。朝から400番台国道。
快走2車線区間は束の間。峠に近付くにつれ、「この先狭い」だの「迂回しろ」だのといった主旨の看板が増えてくるが、一切無視して峠区間に突入。

杉林の中を行く、切れ味抜群の一車線狭路。
離合は困難で、そろりそろりとコーナーを抜けていく。
まったくアクセルなど踏み込む気にならないこんな道を、相も変わらず選択して突入してしまうのはどうしてなんだろう(爆 

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峠が県境だった。京都府から晴れて兵庫県入り。島根は遠いぞ。

はて、この景色、どこかで見覚えがある。
よくよく考えてみたら、このR429という道は、今から遡ることちょうど10年前、2006年のGWに走っているのだ。
その時は、四日市から琵琶湖に抜けて、京都の裏側を通ってここに至ったような気がする。
そしてその時のマシンはEK9だった。その後、九州は五島列島を走り、帰りにしまなみ海道を走ったあの時のツーリングは、EK9最後のツーリングでもあった。

当時のツーレポを見返してみたら、同じ場所で撮った写真があった。標識には10年分の薄汚れがしっかりと見て取れる。
当時は整備されていると感じていた京都側の区間も、10年が経過した今回は、ほとんどそんな印象はなかった。

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荒れる林の中の酷道を下りていくと、突如としてこんな風景が。
北近畿豊岡自動車道なる自動車専用道が山を貫いている。10年前には存在していなかったに違いない。

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軽トラも走っていないような林道のような道でも、立派に国道である。
京都、兵庫、岡山の山中を走ると、どうもこのR429、あるいはR482という番号に惹かれてしまうようで、走行率が高い。

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狭路は田んぼの中を貫く2車線路に突然突き当たって終焉を迎える。
その終わり方も面白い。振り返って見ると、どう見ても農家の庭にでも入っていきそうな頼りない枝道の如く。
400番台らしい取扱いの一端である。

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一転して、視界の広がる爽快なドライビングビューに様変わり。
青垣の道の駅に立ち寄った後に、国道427号を西へ。しばらくこんな感じの道が続く。

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再びR429にスイッチ。さっきと同じような杉林の狭路。でも今度は直線的。割と簡単に峠越えした後は、生野ダム湖畔のワインディング。
生野市街に下りると国道312号に突き当たる。これを今度は北上して、更にしつこくR429を目指すことにする。

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播但線のローカル列車と並走。
R429に入ると、しばらくは渓流沿いの道になる。10年前も走っているはずだが、まったく記憶に無い。
そうやって走るうちに、とある場所で、渓流に架かる橋の風景にビビビときた。すかさずエスを停車。

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エスのノーズの先には、国指定重要文化財と書かれた石碑が立っていた。「神子畑鋳鉄橋」とある。つまりは鋳物でできた橋ってことか。

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なるほど、これは洒落ている。
何気なく渓流を跨ぐ橋のようだが、一連アーチの見慣れない構造体とそれが醸し出す意匠は、タダものではない。
架橋は1880年代、日本最古の全鋳鉄製の橋だそうだ。

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鉄が国家を支えていた時代の産物だが、どこか手作業の温もりを感じる。
パーツのひとつひとつに魂が宿っているようだ。素材に与えられた形態と機能に、ゾクゾクするような魅力を感じる。

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こういった産業遺産的な風景に、ますます強く惹かれる今日この頃。
当時その構築物や操業に関わった人たちの情熱や時代背景、栄枯盛衰を想うことが楽しい。
当時の面影を残した風景の一端を感じ、様々に想像を巡らせることが、旅の大きな楽しみのひとつになっているのだ。

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渓流の風景も素晴らしい。橋の袂、写真左下の石垣も、当時のものなのだろうか。

何の前知識もなく出会った産業遺産だが、すっかり魅了されてしまった。
10年前に通った際には気が付きもしなかった。10年の間にこういうものを嗅ぎ分ける嗅覚が鋭くなった、というより、こういうものにますます興味が湧いてきたということだろう。

しかも、これだけでは留まらなかったのだ。
この直後、またもや想定外の風景に、度肝を抜かれることになるのだ。

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