日田から国道212号で山国方面へ。途中で国道496号に乗り換えて、英彦山方面を目指す。
素朴な田舎道から、狭路の山道へ。既に陽は傾いている時間帯であり、山中の路面は薄暗い。
R496は完全な単独行だったが、尾根伝いを走る国道500号に出ると、急に賑やかになった。
薄暗い道には変わりないが、クルマもバイクも多いため、R496とは走り方も変わる。
コースのラインを自在に選択しながら、R500を攻略。
県道52号にスイッチすると、それまで山道からは一変、突如、農村風景の中の道になる。
添田の道の駅で小休憩。揚げたてのかまぼこで小腹を満たして再スタート。
徐々に交通量が増え、大任町を過ぎて国道322号に出る手前で、信号待ちの渋滞の列に捕まる。
R322を直進し、バイパスで一気に北九州へ。
今回のツーリング最後の街は、小倉である。
これまで門司港に停滞したことはあったが、北九州で停滞したことはなかった。
九州の玄関口である北九州は、九州を訪れる際は必ず通過する場所。
必ず「通過」するだけで、特にこれといって訪れたことがない。せいぜい九州道の小倉の名の付くICで下道に降りて、他の町にまっしぐらというのがいつものパターン。
そんな不遇の都市、それも中心部である小倉の街で今宵は過ごし、ここまで9日間に渡る旅路に思いを馳せよう。
小倉の中心部に接近すると、道路の車線は増え、頭上にはモノレールに都市高速。
北九州市は、古くからの100万人都市。九州では福岡市に次ぐ規模であることを、まざまざと見せつけてくる。
小倉の駅前から少し離れたホテルに到着。敷地内に駐車場があることを優先した。
市街地からは少し離れているが、そこまで散歩がてら歩くのも楽しみの一つだ。
既に薄暗くなりつつある街に繰り出す。
まず向かったのは、ホテルの部屋の窓から見えた小倉城。
派手なビルに囲まれた立地がとてもシュール。景観って何ですか?と言わんばかりの扱いが、却って印象的だ。
城内に入ってみたが、あちこちでスマホ片手に立ち尽くしている人、人、人。ポケモンだろうか。
毎度思うが、一言も発さず、一心不乱にスマホを見つめる大人たちが集うのは、異様な光景である。
何かにつけて不思議な小倉城を後にし、川を渡って旦過市場へ。
小倉でもっとも訪れたかったのが、古くからの台所である旦過市場。
古さと賑わいが同居し、独特の空気感を醸し出す。
残念ながら、時間帯と曜日が市場が賑わうそれではなかったので、ほとんどの店が閉まっていた。
かろうじて、通りの電灯は点いていたので、色鮮やかな看板が折り重なりつつも、どことなくレトロな情感を醸す雰囲気は楽しめた。
市街地の中心にありながら、これだけ歴史ある市場が今も残っているのは奇跡的。
都市防災の理由で、いずれは無くなっていく運命にあるのだろうが、それまでに再訪は叶うだろうか。
旦過市場の散策を終えたら、近代的なアーケード街を通り、小倉駅方面へ。
さすがは小倉で、人の数が多い。どの居酒屋も盛況。軽く下見をしながら、駅へと向かう。
旦過市場の次に見たかった小倉名物。それは小倉駅の駅ビル。
何の変哲もなさそうな、新幹線も停車するJRの近代的なビルの何が見たいのか。
その理由はこれ。
発射(発車)! と言わんばかりに、ビルの腹から放たれるモノレール。
駅ビルのど真ん中に垂直に突き刺さるように、モノレールの駅が設置されているのが何ともユニークなのだ。
実際、モノレールが発車(発射)していく駅前広場の光景を、真下のペデストリアンデッキで眺めていると、ベタな近未来都市を見るようでとても楽しい。
短時間で小倉城、旦過市場、小倉駅ビルを観光し満足した後は、今宵の晩餐。
しかし、目をつけた酒場が連休で休みだったことで彷徨う羽目に。
昨日から疲れも出ていて、細かく調べる気も失ったので、安酒で済ましてしまうことに。
最後の夜にしては、情緒もへったくれもない。奄美に渡るまでの夜はいずれもいい思いばかりしていたので、ここらでバランスを取ってしまったことになる。
早々に退店した後、締めにうどん屋へ。
北九州は知る人ぞ知るうどんの街である。数あるうどん屋から、小倉出身の子から聞いたことのあったオススメの店へ。
「資さんうどん魚町店」で食すは、ごぼ天うどん。
べちゃべちゃのうどんに薄い出汁。アツアツのごぼ天が、疲れた胃に優しい。
特にこのやたらコシのないうどんがいい。讃岐うどんの真逆。特に飲んだ後は。
旅の最後の夜にしては、寂しい内容だったが、これも成り行きの結果。
明日は一気に帰路につくのみ。いよいよラスト1日となった。
・・・・・・・・
翌日、大手町ランプから北九州都市高速に乗り、4号線で門司ICへ。関門橋を渡って、九州に別れを告げる。
以後は、いつものルート。中国道は往路と同様、七塚原SAにて給油。
神戸JCTから新名神経由で名神。往路は混雑で避けた新名神の東側区間に入り、土山SAで2度目の給油ピットイン。
亀山西JCTから新しく開通した三重県区間で、東名阪の渋滞を回避。素晴らしくスムーズな東西移動が可能になった。
伊勢湾岸から新東名へ。120km/h試行区間も幾度も走っているが、相変わらず、特に周囲のスピードが上がっているわけでもない。
難なくクリアするが、新富士IC手前で原因不明の渋滞。すぐ先で、単独事故を起こした乗用車が、走行車線を塞いでいた。
幸いドライバーに怪我はないようだが、この先も気を抜いたら何が起こるかわからない。気を引き締めて、ラストスパート。
東京ICには、16時台に到着。
明るい時間帯に、無事帰宅することができた。
・・・・・・・
平成の時代から令和の時代へ、時代を跨ぐツーリングが終わった。
1年を数えないうちに渡った九州の地だが、その目的が最終的には奄美群島に渡ることにあったことは、スタートしたその時には既に思い描いていたプランだった。
2001年から続けてきたツーリングレポートの中でも、燦然と輝く印象を残してきた2005年の奄美大島ツーリング。
以来、奄美の島にS2000で上陸することが夢であり、それを成し遂げることを思い描いてきた。
今回、時代が変わる瞬間に重ねる旅を実行する上で、それに相応しいテーマは何かと考えていた時、思いついたのが奄美だった。
レポートの最初の投稿で綴った「特別な旅」。
その結果は、天候に恵まれたとは言えなかったものの、加計呂間島という憧れの離島に渡ることも達成されたことで、新しい時代のはじまりの旅に相応しい内容となった。
ひたすら走って、その地でしか見られない風景と文化を味わい、夜は身を埋めて飲んで食べて、翌朝になればまた走って・・・
旅のスタイルが常に変わり続けていることで、過去に訪れた時とはまた異なった楽しみを味わうことができているのは、幸せなことだ。
次に訪れることができるのは、いつのことだろうか。
いつも思うことがある。
いま、この時の旅、このチャンスを楽しまないと、次はいつその機会が来るか、わからない。
時間は容赦なく進み、周囲の環境変化も待ってはくれない。
いまの愛車との蜜月。それは揺るぎない信頼と愛情で成り立っているが、様々な要因で継続することが難しくなることだってあるかもしれない。
だから、いまこの時を楽しむことが大切なのだ。
いつかできる、そのうちできるという発想は、この際かなぐり捨てて、今すぐ行動を起こすのだ。
時は待ってはくれない。
新しい令和の時代は、自らアクションを起こし、この時を楽しむことを追求する時代にしよう。
クルマであれ、仕事であれ、人生であれ。すべてが一つの線で繋がっている。
2019年、九州・奄美の旅。
この先、果てしなく続くストーリーの1ページとして。
さあ、新しい旅に出かけよう。
・・・ END ・・・
九州・奄美に訪れて9日目を数える朝、ミルクロードをひた走り、大観峰へ。
阿蘇山を中心に、切り立った外輪山が取り囲むカルデラ地形の特異な光景が、もっともよく見て取れるスポットのひとつ。
訪れる時間帯は、決まって朝。
白い陽光が、阿蘇の山並みを照らしている。
今回のツーリング前半でも訪れた阿蘇ではあるが、前半は悪天候で思うように楽しめなかった。
申し分のない空となった終盤のこの日、阿蘇をもう一度楽しみたい。
結果的に今回の旅は、奄美と阿蘇にフォーカスするという、いつもとは異なった色合いの九州ツーリングとなった。
国道212号でカルデラに下り、阿蘇登山道路へ。
詳細は3日目にレポートした通りの道。しかしこの日は、空と山の色彩がまるで違う。
メジャーな観光道路ゆえ、自由に走りを楽しむという類のコースではない。
ただ、それを補って余りあるほどの絶景が次々に展開するのが、登山道路の真骨頂。
ハイライトは一般的には草千里ヶ浜や米塚だが、個人的には外輪山とカルデラ内の風景を一望する北山麓を走るゾーンと、荒涼たる火山地形の風景を楽しむことができる古坊中がお気に入りだ。
いずれのスポットも、足を止める人はほとんどおらず、広大な大地の風景を独り占めできてしまう。
ただひたすらに走ることに徹した昨日からは一転、じっくりと景色を堪能。阿蘇の雄大な景色を、この目に焼き付けるように。
登山道路を南側に下り、阿蘇南部広域農道経由で、国道265号箱石峠。県道11号で一の宮に向かう。
阿蘇神社
本来であれば真っ先に訪れて、阿蘇の神々に感謝と旅の安全を祈願しなければならないところだったが、後回しになってしまった。
肥後国の一の宮であり、農耕の神様を祀る由緒ある神社。
先の熊本地震により、重文の楼門、拝殿が倒壊してしまったのは記憶に新しい。
境内の中心的な建造物が両方とも無くなってしまったことによる痛手は計り知れない。
倒壊した建物は、既に基礎石を残して撤去されており、再建の時を待っている。
ここまでの旅路に感謝し、残りの旅の安全を祈願しつつ、早期の再建を願って神社を後にする。
阿蘇神社には、通常正面にある参道が、横向きに形成している。
この参道が、等身大の佇まいの中に、自然な賑わいを見せていて印象的だ。
ひとしきり参道の散策を楽しんだ後、ゆっくりコーヒーでもいただこうとエスに戻り、カルデラの農村内の道を行く。
カルデラ内の広大な農地の中に。ぽつんと佇む農家の家屋。
その農家の敷地内に、レストランやカフェが点在する謎のスポット。
・・・・・・・
ヒバリガレージ&ヒバリカフェ
一面に広がる田畑の中に、まさに異世界と言っても差し支えないほど、センスフルな空間がそこにあった。
元は加工食品の工房から始まったというが、今はその敷地内に、カフェ、レストラン、ガレージが建ち並ぶ。
そのひとつひとつがセンスの塊のような建物。オーナーの優れた才能を垣間見る。
特に楽しいのは、敷地内で中心的位置に配置されるガレージ。
農家の納屋を改造したと思われる建物だが、ブラックのサイディングと木板を基調とした、シンプルなリフォーム手法にグッと心を掴まれる。
ガレージの内部も、実に魅力的。オーナーの遊び心があちこちに散りばめれられていて、見ていて飽きさせない。
懸命に仕事して、真面目に遊ぶ。そんなスピリットを感じると、居ても立ってもいられなくなる。
自分はいま、自由な発想で、毎日楽しんで生きているだろうか。
運良く、ちょうどカフェの開店時間となった。
窓際の席に陣取ると、目の前の窓から阿蘇五岳。 これは絵画か!?素晴らしい眺望だ。
ヒバリカフェの名物は、工房で作る少量手作り生産のソーセージを挟んだホットドッグ。となれば、それを頼まない手はない。
ボリュームたっぷりの「ヒバリドッグ」を頬張りながら眺める阿蘇の絶景。どんなに有名なグルメやレストランよりずっと贅沢で心に残る、極上の体験となった。
遮るものがない阿蘇山の勇姿を眺めているうちに、そろそろこの地を離れなければならないことに寂しさを感じ始めた。
今回ほど阿蘇を味わった旅は、これまでになかった。それほど走りの楽しみが詰まったエリアだということと共に、非常にスケールの大きいエリアということもあって、常に新しい発見があるというのも大きい。
名残惜しさに後ろ髪を引かれつつ、旅人を包み込むように愛してくれるこの地を後にすることとなった。
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県道11号、通称「やまなみハイウェイ」を行く。
九州で一、二を争う観光道路ということもあり、特に晴れたこの日は交通量が多い。
県道40号に逃れると、周囲から一瞬クルマはいなくなる。ただそれも束の間、すぐに観光中の軽自動車に追いついてしまう。
このルートは温泉の宝庫であり、数々の温泉地をつないで蛇行していく。
高原風景となったところで、「四季彩ロード」にスイッチ。高速コースを一気に走り切り、国道210号を経由して、水分峠から再び「やまなみハイウェイ」へ。
水分峠から南、九重に向かうコースは、中速コーナーが連続する快走区間。
しかも、奇跡的なクリアラップ!次から次へと迫りくる大きなコーナーに、S2000は水を得た魚のようにコーナーをクリアしていく。
ドライバーの身体には心地よいGが加わり、ステアリングとシートから得られる路面とマシンからのインフォメーションが、次へのアクションへといざなってくれる。
クルマからのフィードバックが確かなものとして感じ取れる瞬間、それこそがドライビングの快楽。
インフォメーションが多く、それに対して自然とアクションできるクルマこそが、真にドライビングを楽しむことができるクルマであると思うことがある。
パワーがあるとか速いとか遅いとかは関係なく、ドライバーとマシンの感性がシンクロできる関係性こそ、重要なのではないか。
長者原から牧ノ戸峠を越えて、瀬の本に戻ってきた。
飯田高原の周囲を、K40とK11で大きく周回したことになる。交通量は多いが、走って気持ちが良いことには変わりはないので、よく選択するルートである。
国道442号で小国方面に向かい、黒川温泉を過ぎたところで、広域農道「ファームロードわいた」にスイッチ。
この広域農道、確か2008年のツーリングで走行しているのだが、その時は夕暮れ時にも関わらずとんでもない濃霧で、ほとんど走った気がしなかったのを覚えている。
その時の霧は自分の経験上でも最悪の視界で、一寸先も見えず、以後は大抵の霧でもビビることなく走れるようになった。
今回も同じように夕刻が近づく時間帯だったが、空が雲に覆われつつあったものの、天候は悪くない。
視界を奪われる心配はまったくなく、安心して走りを楽しむことができそうだ。
広域農道らしく、地形を無視したストレートとアップダウンの連続。谷間は大きな橋が架かり、完全無欠の快走路線。これが日田までずっと続くのだから末恐ろしい。
途中、国道387号を跨ぐところが、行き先表示がないので迷いやすい。今回は勘が外れて、鄙びた温泉集落に迷い込んでしまった。
すぐさまリカバリーして、再スタート。
コースは相変わらず、高速走行を許容する。しかし、対向車などいないわけではないので、あまり調子に乗ると痛い目を見そうだ。
実際にこのコース上で、対向車同士のアクシデントを目撃。先程、やまなみハイウェイの峠区間でも衝突事故を見たところだったので、いつも以上に安全性を考慮してドライビングを楽しむ。
非常にロングなコース。広域農道は日田市街を迂回するようにして続いて、国道212号へと至る。
飯田高原からここまで、一気走りに近い形で走り切った。トイレ休憩に立ち寄った日田市郊外のコンビニで、じっとりと汗をかいた身体をクールダウン。
さて、そろそろ再スタートとコックピットに収まった時、頭上から声をかけられた。
プリウスで買い物に来ていた年配の男性だったが、S2000に乗っているという。少し前までバイクに乗っていたが、エスに乗り換えて走りを楽しんでいるそうだ。
様々な年代の人が、様々な楽しみ方をしている。
S2000は量産車ではあるが、極めて趣味性の高いクルマだから、所有できること自体が一般的には難しい。
それを13年以上も継続していられることに感謝しなければならないし、その素晴らしさを広く伝えて、後世にS2000が1台でも多く残り、多くの人が楽しめるように貢献していきたい。
エスを走らせることができる、喜びと幸せ。
永く付き合って、多くの人と共有したいと思う。
改めてそう感じた旅も、フィナーレは近い。