2月 192017
 

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宇津ノ谷峠を越えたら、国道1号藤枝バイパスで島田まで。ここでまたも寄り道。
大井川に架かる「蓬萊橋」へと来てみた。

世界最長の木造歩道橋との触れ込みのこの橋。堤防沿いの道を走ってきても、近寄るまでその存在に気が付かないほど”小さな”橋だ。
ただ、最長というだけあって全長は900m近くあるらしい。明治時代に架橋されたが、幅2.7mの木製橋ということで、歩行者専用となっている。
法律上は「農道」に分類されるらしいが、実態はそんな使われ方は全くされていない。通行料まで徴収している、見事な観光道路である。

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何しろ片道900mである。ただでさえ広い大井川、果てしなく続く1本道は、向こうが見えないほどとにかく長い。
しかも吹きっ晒しで、強風に煽られて転落する人もいるんじゃないかという過酷さ。
欄干の高さが現代の基準ではないので、妙な不安感があり、ちょっとしたアトラクションみたいな感覚だ。

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相当歩いたと思ったら、こんな落書き表示が。
ひたすら真っすぐ歩いて渡るだけで、特に何があるわけでもない。

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しかも途中で工事通行止。橋の機能を果たしていないじゃないか(笑
(料金所で「向こうまで行けませんがいいですか?」と言われてはいたけれど)
当然ここからは折り返しとなる。どちらにしろクルマの所まで戻らなければならないので、往復することにはなるわけだけど。

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木造橋ということで、流されないのか?という率直な疑問が湧いてくるところだが、昔は流されたら架け直すのが唯一の手立てだったはず。
実際にこの橋も大井川の氾濫によって何度も被害を受けてきたが、その度に復旧して現存しているらしい。
昭和時代に橋脚がコンクリート化され(そういった意味では、純粋な木造橋ではないのだが)た後も、台風で増水する度に被害を受けているようだ。
それでも地元がこの橋を諦めないのは、歴史遺産であると共に、ギネス認定を受けているほどの重要な観光資源だからだろう。

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歌川広重「東海道五十三次/島田宿」

蓬萊橋の架橋は明治12年であり、それまで大井川には橋どころか、渡し船すらなかった。
江戸時代、幕府は江戸を防衛するために、橋も船も許可しなかったという。
広重の絵にあるように、江戸時代は庶民だろうが大名だろうが、川越(かわごし)と呼ばれる人足を雇って、街道を旅していたのである。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という東海道屈指の難所を詠んだ名文句は、この蓬萊橋によってようやく解消されたのだ(と思う)

 Posted by at 4:11 PM

  2 Responses to “お忍び駿河路 〜大井川の木造橋”

  1. 歴史を重ねてみるのはイイですね。今回も楽しませてもらっています(笑)
    橋が無い頃、大井川の水かさが増したら旅人達は対岸に渡れないこともあったのだろうな・・と思うと、大変偉大な橋に見えてきます。

    それにしても、欄干の高さが膝のあたりまでしかないように見えます(汗)
    私は高い場所があまり得意でないので、ちょっと怖いですね。。

    • 楽しんでいただけて光栄です。
      いつもの走るだけのツーリングに、ちょっとしたバリエーションを加えてやってみるのもいいものです。

      橋がない時代、大雨で増水したりしたら人力では渡れなくなるので、旅人はその両岸の宿場(大井川の場合は島田と金谷)で足止めを食らうわけです。
      川の水が引くまでそこに滞在することになるので、両岸の宿場はそれはそれは栄えたとか。あんまりにやることがなくて、こんな途中なのに旅費を使い果たす輩も出たらしく。。今も昔も変わらんですね(謎笑

      そんなに高所感はないですが、欄干は今だったらありえないほど低く、この日みたいに強風が吹いてるとスリルがあります。
      まぁ一種のアトラクションですね。

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