古仁屋の宿を6時にチェックアウト。
まだ眠る街の中で、既に営業開始していた弁当屋に立ち寄ってから、昨日も訪れた海の駅に向かう。
ここはフェリー乗り場を兼ねている。
昨日予約していたフェリーのチケットを購入。朝一番の便に乗船すべく桟橋へ。
わずか30分程度の船旅。
早朝出航の第1便にもかかわらず、小さなカーフェリーは車両も乗客も満車&満員だ。
渡船は、島のまた先の島の港に着いた。
古仁屋の対岸、大島海峡の先にあるその島の名は、加計呂麻島。
見るからに複雑な地形。海岸線が入り組み、平らな場所などまったく見つけられないような、奇妙な形をしている。
決して小さくはない島だが、暮らしている人の数は1000人程度だという。
対岸の大島には6万人も住んでいることを考えると、島の大きさに対する人口の少なさには何か特別なものを感じる。
かつて奄美大島を走り、AMAMIの魅力を知って以来、地図上の奄美群島でずっと気になり続けていた島が、加計呂麻島だった。
憧れた島への初上陸。昨日の大島到着時では得られなかった、初上陸の高揚感を味わう。
早朝の港は、大島からやってくる人と物を待ちわびていたかのような賑わいに満ちていた。
到着したのは、加計呂麻島の玄関口である瀬相港。細長い島の、ちょうど中間点あたりに位置する。
島の唯一の県道として敷かれるK614は、大島海峡側の海岸線を縫うように、島の端から端までをつないでいる。
それ以外に道がどれだけあるかは、地図では詳細を読み取ることはできない。噂によれば、県道以外の道は相当荒れているとのことだが。。
K614を、島の東の方に向かって走り出す。
予想通り、島の海岸線を走っているとは到底思えないような、アップダウンを伴った道筋が続く。
良くも悪くも、普通の島の道。とはいえ、昨日は一切拝むことのできなかった青空は眩しい。
昨日までの雨で濡れ切った路面と緑が、朝の陽光に照らされて光り輝いている。
生間まで来たところで、県道は塞がっていた。
通行止とは書いていないので通り抜けられるのかもしれないが、島の道を無理できるほどの悪路走破力を持ち合わせてはいない。
無理をせず迂回路へとノーズを向ける。
諸鈍
程なくして、海沿いの集落に出る。
海沿いの集落はここまでいくつも遭遇したが、ここは大島海峡とは反対側。
島の地形があまりにもくびれているので、あっという間に反対側の海に出てしまうという面白さがある。
諸鈍の集落には、立派なデイゴの並木があった。堤防に沿って自由奔放に枝を伸ばす姿は、触手を伸ばす怪物のようだ。
島の玄関口から遠く離れた諸鈍の集落は、「男はつらいよ」の最後のロケ地として有名な場所だそうだ。
暖かな気候、穏やかな海、ゆったりと流れる時間。寅さんが最後に愛した地であるということにも納得がいく。
朝の空気は陽が高く上るにつれ、南の島の蒸し暑さと爽やかさを同居させた、独特の空気に変わっていく。
諸鈍の海を離れ、さらに島の南東端に向かって、心細い道を行く。
先の集落につながる町道は、まさに密林の中の道筋だが、舗装が途切れることはなかった。
この道にも、マイクロバスながら島バスが通る。
たった1000人と少しの島に、30の集落がある加計呂麻島。
その集落を結ぶ加計呂麻バスの運行が、道路をかろうじて正常に保たせているような気がする。
徳浜
道は、海の手前で唐突に途切れる。
加計呂麻の最南東端に位置するであろう徳浜。
東シナ海に面した大海は、どこまでも光り輝く鮮やかなブルー。白浜には無数の白いサンゴの化石が堆積している。
突き出した小さな半島に守られるようにして、穏やかに輝く海辺。
時間的にも距離的にも、都会から遠く隔絶された地に身を置いていると、自分がふと何者かがわからなくなる。
エスの存在だけが、自分を現実に居場所のある存在として、思考をつなぎとめている。
徳浜から諸鈍に戻る。生間まで戻ると、その先は土砂崩れで通ることができない。
よって諸鈍から安脚場までは、町道とも林道ともわからない迂回路を行くことになる。
離島のこの手の道は、相当の理由が無いと入り込むことはない。迂回路指定があるから、進入したまでだ。
クルマ1台通れる幅しかない山中の路面は、当然ながら荒れている。
低床のスポーツカー泣かせの路肩崩れ。
崖っぷちではないだけまだいいが、とても気を許せるものではない。
フル減速の後、右タイヤの内側の角を使って脱輪を防ぎつつクリア。
さら進むと今度は、道路と沢が一体化。洗い越しどころか、川そのもの。
まったく気が抜けない。
安脚場戦跡公園
大島海峡の東側の入口の岬の高台に到着。
ここは加計呂麻島でも有数の観光スポット。高台からは、大島海峡を挟んで大島の景色を一望できる。
この地は大島海峡の入口という特性から、第二次世界大戦時は基地防衛の最前線として大きな役割を果たした。
東シナ海にあって地形的に穏やかな大島海峡は、格好の海の基地となったはずだ。
その進入口において、敵艦の侵入を防ぐべく最前線基地として機能したのが、この安脚場という場所。
いまでもその頃の建物や構造物が、ひっそりと残っているのだ。
完全に廃墟と化しているものの、戦後70年以上経った今でも生々しさが感じられる。
穏やかな島の端部に忘れてはならぬ歴史の断片が残っていることに、世界を巻き込んだ戦争の史実と、関わった人々の悲壮感に感じ入る。
ふと振り向けば、そこには絶景が広がっている。
煌々と未来を照らすかのように輝く海。戦争の時代も同じ景色だったはずだが、感じ方はまったく違ったに違いない。