令和の時代の最初の朝、船から降り立ったS2000。
南の島特有の湿度感。ここは本土ではない、遠く離れた離島であることを、早速身を持って知る。
その反面、港のある街中の道を走っている分には、異国感は薄い。
眼前の道の風景は、離島であると言われなければわからないほど、本土のそれと同化していた。
14年前に訪れた時もそうだったろうか。
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2005年のGW、当時の愛機、シビックタイプR(EK9)で訪れた地、奄美大島。
14年の時を経て、現在の愛機S2000で初めて降り立つ南国の島は、いまだに記憶の中に深く刻み込まれている。
記憶を手繰り寄せ、港のある名瀬の街を通過し、島を走る唯一の国道、58号線を南下するルートを取る。
島というより、険しい山岳が海から突き出したかのような奄美大島。
その島を縦断するR58は、必然的に峠道の集合体となるが、島の主要な幹線道路の位置付けから、峠は長大なトンネルでバイパスされている。
そのトンネルひとつひとつが、離島のトンネルとは信じ難いほどに長い。
トンネルに入る度に、フロントガラスが急激に曇る。
湿度と温度が異様に高いトンネル内の空気が、エアコンの冷気によって急激に冷やされて、あっという間に視界を奪う。
じっとりとまとわりつくような湿った空気は、雨のせいもある。R58を南下するにつれて、雨脚は強くなっていく。
東シナ海に浮かぶ「山脈」である奄美の島は、隣島である屋久島同様、雨の非常に多い気候的特徴があるのは想像に難くない。
南の海からの湿った空気が山の壁にぶち当たり、雨雲となって多量の降雨をもたらすのだ。
それが豊かな自然を育む一つの要素となっていることは想像できるが、十数年ぶりに再訪する旅人にとっては無念と言わざるを得ない。
奄美の日照時間は、国内でも有数の短さだという。晴れた日に当たることの方がレアケースなのだ。
思えば14年前も、それほど天気が良かったわけではなかった。滞在時に晴れればラッキーというのが実情だろう。
せめて梅雨入り直前の、比較的晴れ間が多い時期であることだけが救いだったが、期待通りとはいかないのだろうか。
名瀬から南下して、南端の瀬戸内町古仁屋までは、思いのほか長く時間がかかる印象だ。
ほとんどの峠をトンネルで越えるにしても、かなりの距離がある上、かつ走っているクルマもそれなりに多いためだ。
これでも後半の網野子峠はトンネルが開通していて、14年前より所要時間は短縮されていたのだが。
古仁屋の港にある海の駅に立ち寄り、情報収集。
その後、県道626号に入り、ショートワインディングを楽しむ。
雨は小康状態だが、身の回りのすべてが海中に沈んだかのように、景色は暗く沈んでいる。
小さな展望台に降り立つと、南国らしい植生に異国感がようやく増してきた。
K626はヤドリ浜まで。透き通った海も、どこか寒々しい。
14年前も訪れているが、やはり天気はいまひとつで、同じような印象だった気がする。
古仁屋に戻って、県道79号へ。
K79の前半は、奄美海峡沿いのシーサイドワインディング。
再び強くなり出した雨の中、悪天候によって消沈した意識を吹っ切るように、アグレッシブ・ドライビング。
R58とは一転して、まったく走っているクルマもおらず、ペースは格段に速くなる。
ただそれも、海沿いの区間のみ。K79は半島先端まで向かわずに、途中から内陸に入って宇検村を目指すルートになる。
内陸部に入った途端、それまでの快走路は鳴りを潜め、山中の狭路へと変貌する。
密林に覆われた道路は暗く、そして狭い。
その上、降り注いた大量の雨水が、路面上を川のように流れている。
滝のような川を遡上するように、ジャングルの峠道を行く低床のスポーツカー。
特にこの島に限ったことではない、R styleではお馴染みの光景ではあるが、奄美でのそれは完全に探検隊の様相。
前回のEK9よりも遥かに違和感の大きい、オープンスポーツS2000での奄美探検を目撃することは、島にとってはちょっとした事件、とは言い過ぎだろうか。
宇検村に出たら、県道85号にスイッチ。K79はまだ先に続くのだが、この天候の中で走るのはもったいない気がした。
K85も、タイトコーナーが続く山中ワインディング。K79とセットで走れば、奄美の離島らしからぬ地形のバラエティと険しさを理解できるルートになる。
R58に出たら、再び名瀬に戻る方向へとステアリングを切る。
途中の住用村で、国道上から広大なマングローブ原生林を見下ろすことができるポイントを発見した。
このマングローブ林をガイド付きカヤックで巡ったのは、14年前の奄美ツーリングの印象深い思い出のひとつ。
この雨の中でも、色とりどりのカヤックが、マングローブの密生地を泳いでいる。
R58で名瀬を通過して、今度は龍郷へ。
本日はもはや走って楽しめる状態ではないと感じ、ならば晴れた時なら行かないようなスポットに寄ってみようという心持ち。
奄美の郷土料理と言って、まず挙がるのは「鶏飯」。
その鶏飯の名店と聞いて訪れたのが、龍郷にある「ひさ倉」という店。
国道沿いに目立たない佇まいであるのだが、既に昼時ということもあり満員だった。
多少の待ち時間の後、ありついた鶏飯は、濃厚な鶏スープのお茶漬けといった感じで、大変美味しい。
スープだけでも何杯もいけるような具合。たっぷり2杯程度の量にも満足し、次なるスポットへ。
西郷南洲翁謫居跡
同じ龍郷村の竜郷集落にあるスポット。
南洲とは西郷隆盛のペンネームのようなものである。
西郷は当時の薩摩藩主、島津久光によって2度流刑に処されている。
1回目に奄美大島に流されたのは、幕府から身を隠すためという意味合いが強かった(2回目は本当に流刑)が、この時はこの地で島嫁と共に暮らしていた。
刑が解かれ薩摩に戻る際、妻である愛加那と、その間に生まれた2人の子供のために建てた家が、この場所にあったそうだ。
密林の中に埋もれるようにして、凛と立つ藁葺の民家は、西郷が建てた家をそのまま再建したものだ。
愛加那さんのご子孫が管理されているらしく、個人宅の敷地内にある。
ご厚意で内覧させてもらえるそうだがご不在だったので、周囲から雰囲気を感じ取るにとどめておいた。
田中一村美術館
奄美パークという大きな公園施設の中にある。
田中一村は関東出身の画家だが、奄美大島に移住後、大島紬の染色の仕事をしながら絵を描き続け、この地で没した人物。
その画風から、日本のゴーギャンと称される一村。大胆な構図による原彩色の絵には、当然ながら奄美の自然を題材にしたものが多い。
と思って鑑賞したのだが、奄美の絵はあまり数多くなく、奄美に移住する前の絵が展示の大部分を占めていた。
思い描いていた絵にはあまり出会うことができず、少々不完全燃焼。
むしろ古代の建物を彷彿とさせる高床式連棟の建築が特徴的で、素材感も良く、印象に残る。
郷土料理を楽しみ、歴史スポットを訪問、そして美術鑑賞。あっという間に奄美の時間は過ぎていく。
龍郷のディスカウントストアでお土産を物色した後、再びR58で古仁屋へ。
到着した頃には既に夕刻で、早くも投宿の時間になっていた。
奄美の夜。
島人が集う素朴な居酒屋でゆったりと時間を過ごしてみたいというのは、今回の島旅で楽しみにしていたことのひとつ。
南国の色香漂う夕暮れの古仁屋の街の一角に、店の明かりは灯っていた。
港で揚がった海の幸を中心に、ごく一般的な酒のアテが揃うメニュー。
まったく観光地然としておらず、地元の人々の日常使いの店というのが却っていい。その土地の普段着の食と酒こそ、旅先の贅沢。
酒は黒糖焼酎。奄美群島でしか生産が許されていない、まさに島酒。
ありとあらゆる蔵元の黒糖酒が取り揃えられており、地元民によるお任せで嗜む。
14年前の訪問時には、正直その良さがまったくわからなかったものだが、加齢が進んだ舌と内臓には、黒糖の旨味が至上の贅沢とさえ思える。
店内は繁盛しており、席はいつの間にか地元の方々で満席。
明るい女将さんと、小気味よく働く給仕のお姉さん方の対応も非常に心地が良い。
すっかり奄美の夜に同化し、無数の黒糖焼酎を味わって、夢見心地の気分。
14年前の夜の楽しみ方とはまったく趣向が変わってしまったが、だからこそ新鮮に旅を続けられているのだ。
雨はいつの間にか止み、ねっとりとした南国特有の湿気を含んだ空気が、夜の港町に漂っている。
雨雲は急速に奄美の空から流れ出て、宙の色が頭上を覆う。
海と空と緑がキラキラと輝く、14年の時を経てどうしても会いたかった南の島の素顔に出会える予感がした。
黒糖焼酎を頂いてケイハンでお腹を満たす。
最高ですね。
それにしても4輪車での島旅とはスゴイです。
奄美大島は遥か昔にモーターサイクル旅で沖縄に向かうフェリーの途中での寄港でしか経験がないので、いつかのんびり旅してみたいな。
黒糖焼酎も鶏飯も、探せば本土でも味わえるかもしれないのですが、その地の空気を身体で感じながら味わうこと以上の贅沢はありません。
単なる食堂&居酒屋での一場面でしたが、とても良い想い出となりました。
前回も今回も、奄美ではオートバイツーリストをほとんど見かけないのが不思議です。渡航料金は圧倒的に安価にもかかわらず。
レンタカーで周遊するのが通常の感覚でしょうから、それ以上に奄美ナンバー以外の4輪を見かけることもほぼ無いわけで。。
それだけに貴重な体験なのだと思います。令和の幕開けに相応しい旅路となりました。