9月 042016
 

2016 09 04 01

【道道305号/紋別市上藻別】

鴻之舞のかつての繁栄と、数十年で廃墟から元の山林へと姿を変えてしまった風景に、重層する近代産業史を垣間見た。
いまのこの国の存在が、過去の人々の営みに支えられていることを忘れていならない。
北海道の奥地とも言えるこの場所で、改めてそれを認識するとは思わなかった。鴻之舞鉱山、実に来てよかったと思う。

道道305号を戻る。たったいま上藻別の駅逓所で歴史を学んだ鴻之舞を再び通過する。
やはり、かつてこの場所に1万人以上の人が密集して住んだ街があったなんて信じられない。
僅かに小学校跡を示す石碑なんかがあるくらいで、何も知らなければほとんど気付かずに通過してしまいそうな森の道。
過去に鉄筋コンクリート造の病院や映画館(!)が建っていたなんて、とても信じられなかった。

2016 09 04 02

道道137号に戻り、再び西の方角を目指す。
相変わらずの交通量皆無なワインディング。美味し過ぎる。
遠軽から滝上を経由して西興部まで続く山中の短絡路的なルートだが、そんなルートを利用しようなどというのは、よほどマニアックなツアラーか物好きしかいないのかもしれない。

滝上の道の駅にて、ソフトクリームでクールダウン。既に昼メシの時間だが、走る時間が勿体無い。
何しろ2日目の日高地方以来の青空だ。とにかく走らにゃソンソン。

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D137で札久留峠を越えると、やや風景が変わる。
牧草地が少しづつ増えて、ワイドなドライビングビューが主体になっていく。
気持ちいいなぁ。毎日これだったら最高なんだけど、、こればっかりは時の運だからね。

西興部村からは国道239号。
小さな小さな西興部の街を通過し、一度道の駅に寄ってから、海側の興部町に向かってルートを取った。
さすがに国道だけあって、周囲にクルマはいる状態だったけれど、さほどペースが乱れることはなかった。

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この区間が、今回の旅で一番の青空だったかもしれない。
眩しい青と緑に包まれて快走。ただ、少々暑い。同じオホーツク海側なのに、昨日の知床の海上とは、軽く20℃は違うという現実。
幸い体調はほぼ戻っていたので、この気温差でもへこたれることはなかったが。

興部からは国道238号で雄武。街中の道の駅で、この先のルートに悩む。
既に道東エリアから外れつつあり、ほとんど道北に足を踏み入れていた。というのも、道東の天気は相変わらずで、好転の兆しが見えない。
天気予報を見ると、道内は道東を除いてほぼ良い天気。もはや道東ツーリングは諦めろってことか(笑

どうせなら今のこの天気が続くエリアを狙って走りたい。
西側の方が好天の様子なので、道央経由で日本海側に出ようかとも思ったが、そうなると本当に今回のテーマから大外れしてしまう。
迷った末、いったん北上することにした。道北は天気が多少はマシな雰囲気だったからだ。
しばらく北の方を巡って、様子を見て道東に戻ればいいかな。そんな結論だった。

北に行くと行っても、オホーツク国道を真っ直ぐでは芸がない。しっかりワインディングを楽しみたい。
道北は隠れワインディングの宝庫だったりするので、密かに楽しみだったりする。
乙忠部(おちゅうべ)から道道1023号。途中から道道120号に入って、歌登に向かう方角に舵を切る。

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この道は、2010年の利尻礼文ツーリングの帰り道に通ったルートだ。骨のある長距離ワインディングロードでとても印象が良い。
当時とは反対向きなので、そのまま中頓別までD120を楽しもうと思ったが、歌登〜中頓別間はなぜか通行止めだった。
仕方なくルート再設定。道道12号でいったん国道275号に出る迂回ルートを設定する。

R275は交通量こそほとんど無きに等しいけれど、そこは国道で、造りが高規格で道道とは雰囲気がまるで違う。
今回の旅は、ひたすら道道な気分。すぐさま道道785号へとスイッチする。

このD785が素晴らしかった。走り始めからヒルクライムで、その勾配はどんどん増していく。深いコーナーが次々現れ、アウト側の荷重が大きくなっていく。
エンジンの回転を保ったまま、次々とコーナーをクリア。F20Cが発する精緻な金属音と、エキゾーストの咆哮が、道北の山々に鳴り響く。

北海道では大変珍しい、コンパクトで急勾配の峠道。
もう一度地図で確認すると、標高529mの知駒岳という山の、ほぼ頂上部をかすめて東西にレイアウトされる山道だ。

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頂上部では遥か彼方まで見渡すことができるほど高所感がある。
走りながらその様子を写真に収めようとすると、レンズの前を横切るハチが激写されるという珍現象のオマケ付き(笑

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峠を越えると、なんと日本海までが遠望できた。
その海上には端正な独立峰が。。
利尻富士。 2010年に登った、最北端の百名山との再会である。

残念ながらこの時間だと逆光で、せっかくの利尻富士もマトモな写真がまったく撮れなかった。
ならば停まって撮影に勤しもうと思ったが、何しろ楽しくて、一気に走り切ってしまうことに。
少々惜しかったが、ツーリングには流れもあるので、ワンチャンスを的確に走り切ることを優先したということにしよう。

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山を下りた後も、D785を行く。
途中、道道583号、645号と重複するのでわかりにくい。まったく重宝されていない道道で、青看が出ていない分岐もある。
そんな時には、野生の勘で対応(笑
1冊の地図だけで全国を走り回ることで鍛えられた感覚が生きるのを、こんな場面で実感するのだ。 

それよりこの区間、路面がとっても悪いのが印象的。
アスファルトが剥げてるとか、時々ダートになるとかじゃなくて、路面がゆがんで凸凹になっているのだ。
大きな路面の起伏では、ジャンプしちゃいそうになるほど。WRCじゃないんだから。

それでも。激しいアンジュレーションにも対応できる足回り。それがツーリングスペシャル、R style S2000の真骨頂。
楽しませていただきました。 

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既に陽は大きく傾き、山影に隠れる所では薄闇に近いほどの時間になってきた。
こういう時間帯は、動物の飛び出しが怖い。(特にシカ)
視界が制限され、多少判断が遅れることも加味して、注意深く駆け抜けていく。

道道84号に出て豊富温泉。こちらのふれあいセンターで、入浴タイム。
この豊富温泉は、石油臭の濃い超個性的な泉質にて、温泉好きの間ではとても有名。前回2010年のツーリング時にも立ち寄っている。
「油風呂」は健在で、相変わらずの濃厚さ。短時間の入浴でもクラクラしてくる。

石油臭でムラムラになった身体を、オープン走行でクールダウン。道道121号で幌延市街へ。
ここの街中にある、ふるさとの森森林公園というキャンプ場を、本日の寝床として設定したためだ。

訪れてみると、思いっ切り街中にあった。見た目ただの公園で、目の前に住宅地、裏手に中学校(笑
本当にここでキャンプしていいの?しかも誰も居ないよ?と思いつつ偵察。一応、列記としたキャンプ場のようだった。管理人などいない無料のキャンプ場である。

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実に寂しい。でも振り返れば、そこは住宅地(笑

テントを張るが、蚊の多さに辟易。蚊取り線香で結界を作ってガードする。
北海道の蚊は本州のそれとは違うらしく、刺されるとなかなか治らない。今回の旅でも、腕脚に多くの痕を残してしまうことになる。

昨晩に引き続き、そうまでしてキャンプするか!?というところだが、今晩は秘密兵器?があるのだ。

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極上ジンギスカン!
キャンプ場に向かう前に立ち寄った幌延のスーパーで、なぜか長沼の生ジンギスカンが売っていたのだ。
こういう出会いは、キャンプでなければ活かせない。北海道の名の付いた缶ビールを片手に、極上ラム肉をじゅうじゅうやるのは、北海道キャンプツーリングならではの楽しみだ。

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いやぁ、こんなに美味いラム肉は久しぶりでした。たっぶりのタレがまた最高。
今回の旅で、ザンタレと並んで最高の食事となった。安上がりな胃袋だなぁ。

そんな感じで、6日目が終了。残すところ実質あと3日。
道東ツーリングだったはずが、なぜか道北入りし、さらに以後のルートもまだ未決。
すべては明日の気分次第なのだ。

 Posted by at 1:35 PM
9月 012016
 

2016 08 28 01

陸空の戦闘機、夢の饗宴、揃い踏み!!

・・・などと興奮しつつ始まった6日目。
激走の幕開け?に相応しいこの絵は、美幌町の網走川沿い(道道217号)を走っていた時、偶然見つけた場所。
田園地帯の堤防の上に、突如現れた空のカリスマたち。

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まったくもってして普段の生活では関わることのない乗り物だが、同じ乗り物として、移動するための機械として、とっても興味深い。
オトコノコなら、こういうのに血肉沸き踊るのは当然だよね!?(立派な中年ですが)

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そんな早朝の一幕を経て、向かうは北見市。D217で峠越えをして、国道39号のGSにて給油。
んでもってセイコーマートで今日も筋子おにぎり・・・と思ったのだが品切れで、別の具にて意気消沈。
更にはメールチェックすると、仕事の微妙なトラブル発覚。いや、トラブルってこともないのだが、預けてきた仕事がざわついているような様子で、ひたすらメールを飛ばしまくって火消しするハメに。。

一気に現実に戻されて、ブルーな朝に。。
いや、まぁ、こう見えても普段は組織に属する人間なので、一週間もあけるといろいろ生じるわけで。
若いころならそれでも許されたけれど、さすがに最近はそうもいかない。悲しいかな、それが現実。

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モヤモヤしながら、R39を西へ。(給油前のR39でNSXと遭遇。おそらく網走のビジホで見た浜松ナンバーのNSX)
留辺蘂で国道242号。金華峠を越えるワインディングだが、途中の駐車帯で再びメールタイム。
iPhoneでどこでもメール受け取れるようになったのも、良し悪しだなぁ。こんな道東の辺鄙な峠でも、余裕で現実に引き戻してくれるんだもの。

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何となくカタがついて、俗世を振り切るかのようにリスタート。
R242の走り出しは、結構いいワインディングだった気がするが、気持ちは乗らずじまいだったので、あんまり覚えていない。
生田原、遠軽と繋いで、道道137号にスイッチする。

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ぬおおおお、これは素晴らしいです。久々に気合いの入るワインディングロード。
さっきまでのブルーな気分を思いっ切り振り払うがごとく、アクセルとブレーキを踏みしめて快走。

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上原峠を越えて、遠軽から紋別に入る。入っているクルマなど皆無。誰もいない。

・・・誰もいないってのは嘘だ。道端でひょっこり顔を出すキタキツネを、そこかしこで見かける。
頼むから、飛び出してきたりなんてしないでくれよ。

峠を越えると寂しいT字路。
このままD137を走り続けるつもりだったが、ちょっと気になるスポットがあったので、反対側に伸びる道道305号へ寄り道。 

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D305を駆け抜けていると、正面に謎のコンクリート製の煙突が見えてきた。
人里などまったくありそうにもないこんな所に、一体何が?

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旧上藻別駅逓所

山あいの道から視界が開けた先に、一軒の古い建物が目に入った。
手前に真新しいパーキングスペースがあったので、直感的に停車する。
すると中からオジサンが出てきて、(頼んでもいないのに)親しげに案内を始めた。

この建物は「駅逓(えきてい)」と言って、何てゆうか、郵便局兼宿泊所みたいな北海道開拓時代独特の施設である。
郵送配送の交通手段のベース基地、って言ったら理解しやすいだろうか。戦後すぐに駅逓システムの制度は廃止されてしまったので、必然的に戦前の建物ということになる。

そんな話を、オジサンが簡潔に説明してくれた。
どうぞどうぞとかつての駅逓所内に招かれる。古い建物は大好物なので、ここは遠慮無く。
中の案内は、想定外にバトンタッチ。 オジサンが台所から呼び寄せた、かなり高齢のご老人が、新たにガイドを始めたのだった。

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話し始めたのは、駅逓の話ではなかった。鉱山の話である。
建物の奥に案内されて進んでいくと、鉱山の街の生活道具や鉱石が所狭しと展示されているではないか。
その量たるやハンパない。完全に博物館である。圧巻は、鉱石を集めた部屋。おじいさんガイドが長年に渡って収集したものも多いとか。

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実は、この駅逓のあった場所から今通ってきた山間の一帯は、かつて東洋一と言われた金鉱山鴻之舞と呼ばれた場所なのである。
戦前の産金量は、国内ナンバーワン。財閥系の鉱山会社が運営し、鉱山で賑わった街には、1万人を軽く超える住民が住んでいたそうだ。

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そんな栄華を誇った鉱山も、1973年に閉山。それとともに街からは人がいなくなり、現在の人口はゼロ。
かつての建物が僅かに放置されているのみで、街は森に還って、かつての姿を想像することすら難しくなっている。
先程走りながら発見した森の中の煙突。ある程度の形で残っている鉱山施設はこのくらいだろうか。
この煙突は、鉱石から目的の金属を産出するために必要だった、かつての精錬所の遺構だったのだ。

たった今、目の前で情熱的に説明をしてくれているご老人も、この鴻之舞の住民だったという。
公害が世の中で問題になる以前だったこともあり、様々な病気を患い満身創痍ながらも、当時を知る貴重な人材として、語り部を買って出ているらしい。
鉱山で過ごした後遺症を抱えながらも、この鴻之舞を愛して止まない、懸命なガイドに胸を打たれてしまった。

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小一時間はガイドを受けていただろうか。
意外にももう一組見学客が来たので、丁寧にお礼を言って外に出る。いつのまにか、眩しいほどの青空が辺りを包んでいた。

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産業遺産としての鴻之舞金山。
ここに来るまでは、正直その存在すら知らなかったのだが、かつての巨大な鉱山街の資料を目の当たりにして、一瞬の栄華とその儚さに衝撃を受けた。
閉山から約40年余り。街という存在は、住むものが消えればこうもたやすく世の中から消え去ってしまうものだろうか。

人生を賭け、懸命に生きた数多くの人々の魂が、オホーツクの海にほど近いこの山間に、今もひっそりと眠っているかのようだった。

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 Posted by at 1:51 AM