9月 012016
 

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陸空の戦闘機、夢の饗宴、揃い踏み!!

・・・などと興奮しつつ始まった6日目。
激走の幕開け?に相応しいこの絵は、美幌町の網走川沿い(道道217号)を走っていた時、偶然見つけた場所。
田園地帯の堤防の上に、突如現れた空のカリスマたち。

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まったくもってして普段の生活では関わることのない乗り物だが、同じ乗り物として、移動するための機械として、とっても興味深い。
オトコノコなら、こういうのに血肉沸き踊るのは当然だよね!?(立派な中年ですが)

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そんな早朝の一幕を経て、向かうは北見市。D217で峠越えをして、国道39号のGSにて給油。
んでもってセイコーマートで今日も筋子おにぎり・・・と思ったのだが品切れで、別の具にて意気消沈。
更にはメールチェックすると、仕事の微妙なトラブル発覚。いや、トラブルってこともないのだが、預けてきた仕事がざわついているような様子で、ひたすらメールを飛ばしまくって火消しするハメに。。

一気に現実に戻されて、ブルーな朝に。。
いや、まぁ、こう見えても普段は組織に属する人間なので、一週間もあけるといろいろ生じるわけで。
若いころならそれでも許されたけれど、さすがに最近はそうもいかない。悲しいかな、それが現実。

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モヤモヤしながら、R39を西へ。(給油前のR39でNSXと遭遇。おそらく網走のビジホで見た浜松ナンバーのNSX)
留辺蘂で国道242号。金華峠を越えるワインディングだが、途中の駐車帯で再びメールタイム。
iPhoneでどこでもメール受け取れるようになったのも、良し悪しだなぁ。こんな道東の辺鄙な峠でも、余裕で現実に引き戻してくれるんだもの。

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何となくカタがついて、俗世を振り切るかのようにリスタート。
R242の走り出しは、結構いいワインディングだった気がするが、気持ちは乗らずじまいだったので、あんまり覚えていない。
生田原、遠軽と繋いで、道道137号にスイッチする。

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ぬおおおお、これは素晴らしいです。久々に気合いの入るワインディングロード。
さっきまでのブルーな気分を思いっ切り振り払うがごとく、アクセルとブレーキを踏みしめて快走。

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上原峠を越えて、遠軽から紋別に入る。入っているクルマなど皆無。誰もいない。

・・・誰もいないってのは嘘だ。道端でひょっこり顔を出すキタキツネを、そこかしこで見かける。
頼むから、飛び出してきたりなんてしないでくれよ。

峠を越えると寂しいT字路。
このままD137を走り続けるつもりだったが、ちょっと気になるスポットがあったので、反対側に伸びる道道305号へ寄り道。 

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D305を駆け抜けていると、正面に謎のコンクリート製の煙突が見えてきた。
人里などまったくありそうにもないこんな所に、一体何が?

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旧上藻別駅逓所

山あいの道から視界が開けた先に、一軒の古い建物が目に入った。
手前に真新しいパーキングスペースがあったので、直感的に停車する。
すると中からオジサンが出てきて、(頼んでもいないのに)親しげに案内を始めた。

この建物は「駅逓(えきてい)」と言って、何てゆうか、郵便局兼宿泊所みたいな北海道開拓時代独特の施設である。
郵送配送の交通手段のベース基地、って言ったら理解しやすいだろうか。戦後すぐに駅逓システムの制度は廃止されてしまったので、必然的に戦前の建物ということになる。

そんな話を、オジサンが簡潔に説明してくれた。
どうぞどうぞとかつての駅逓所内に招かれる。古い建物は大好物なので、ここは遠慮無く。
中の案内は、想定外にバトンタッチ。 オジサンが台所から呼び寄せた、かなり高齢のご老人が、新たにガイドを始めたのだった。

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話し始めたのは、駅逓の話ではなかった。鉱山の話である。
建物の奥に案内されて進んでいくと、鉱山の街の生活道具や鉱石が所狭しと展示されているではないか。
その量たるやハンパない。完全に博物館である。圧巻は、鉱石を集めた部屋。おじいさんガイドが長年に渡って収集したものも多いとか。

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実は、この駅逓のあった場所から今通ってきた山間の一帯は、かつて東洋一と言われた金鉱山鴻之舞と呼ばれた場所なのである。
戦前の産金量は、国内ナンバーワン。財閥系の鉱山会社が運営し、鉱山で賑わった街には、1万人を軽く超える住民が住んでいたそうだ。

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そんな栄華を誇った鉱山も、1973年に閉山。それとともに街からは人がいなくなり、現在の人口はゼロ。
かつての建物が僅かに放置されているのみで、街は森に還って、かつての姿を想像することすら難しくなっている。
先程走りながら発見した森の中の煙突。ある程度の形で残っている鉱山施設はこのくらいだろうか。
この煙突は、鉱石から目的の金属を産出するために必要だった、かつての精錬所の遺構だったのだ。

たった今、目の前で情熱的に説明をしてくれているご老人も、この鴻之舞の住民だったという。
公害が世の中で問題になる以前だったこともあり、様々な病気を患い満身創痍ながらも、当時を知る貴重な人材として、語り部を買って出ているらしい。
鉱山で過ごした後遺症を抱えながらも、この鴻之舞を愛して止まない、懸命なガイドに胸を打たれてしまった。

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小一時間はガイドを受けていただろうか。
意外にももう一組見学客が来たので、丁寧にお礼を言って外に出る。いつのまにか、眩しいほどの青空が辺りを包んでいた。

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産業遺産としての鴻之舞金山。
ここに来るまでは、正直その存在すら知らなかったのだが、かつての巨大な鉱山街の資料を目の当たりにして、一瞬の栄華とその儚さに衝撃を受けた。
閉山から約40年余り。街という存在は、住むものが消えればこうもたやすく世の中から消え去ってしまうものだろうか。

人生を賭け、懸命に生きた数多くの人々の魂が、オホーツクの海にほど近いこの山間に、今もひっそりと眠っているかのようだった。

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