2月 262017
 

2017 02 26 05

先週交換したブレーキパッドの慣らしも兼ねて、西伊豆で朝練をしてきました。

出発時は濃い雲が垂れ込んで、箱根峠ではごく少量ではあるけれど雪が舞うような天候でしたが、路面状況は前回よりかなりマシ。
毎年恒例、全区間200円均一キャンペーン中の伊豆スカイラインも概ねドライ。
特に復路は、路面温度が上がった状態の中でそこそこクリアラップが取れて、存分に楽しめました。

2017 02 26 01

いつもの西伊豆スカイラインは、山影の区間はスリッピーでしたが、尾根に出るとほぼドライ。
下見ラップを終えた後、ブレーキの様子を見ながら、徐々にペースを上げます。

パッド交換したばかりで多少フィーリングは改善されていましたが、やはりキャリパーの動作が完璧でないようで、さらなる改善が必須であると認識せざるを得ませんでした。
ブレーキというのは普通に運転していても操作する機会が極めて多く、ドライブフィールに大きく関係する部分なので、時間を置かず近日中に対処する予定としています。

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パッドに関しては、朝練のようなステージでは、正直もう少し安定した効きが欲しいところですね。
ZONEで言えば、以前使用していた03Cがbetterのような気がします。まだ残してあるので、いつでも交換はできますが(笑
トータルバランスでは88B、少し頑張るステージでは03Cあたりが良さげな感じです。

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ブレーキ評価の他、ダンパー減衰の微調整でより楽しめる領域を探ってみたり。
車体の調整の他に、操作やラインを試行錯誤したりして、わりと大忙しな朝練。
これだけ乗ってきても、こんな楽しみ方が今だにできるなんて、エスは奥が深くて楽しいマシンです。(単にドライバーの素質が悪いとも言うが(笑)

この日は前回とは異なり、路面に凍結防止剤が盛大にばら撒かれていて、ベルリナブラックのボディはあっという間に白いグラデーションカラーに。
ホイールもマフラーエンドも白い粒まみれ。帰宅後に洗車が必須になったのは、言うまでもありません。

2017 02 26 02

ブレーキだけでなく、複数の箇所にちょっとした異音や不具合を抱えていて、完調とは程遠いのが実情ではあります。
ただ、これだけ距離を重ねて完璧というのもなかなかあり得ないと思うので、そこそこの状態でいいから、いつでも楽しめる状態であってくれたらなぁと。

マシンがヘタるのが先か、ドライバーがヘタるのが先か(笑
マジメにそんなことを思う今日この頃であります。 

 Posted by at 10:49 AM
2月 252017
 

2017 02 25 01

知らぬ間にもう2週間も過去のことになってしまった駿河路の旅。はよ終わらせねば。

蓬萊橋を訪れた後、県道381号でさらに西へ。
ちょっとしたワインディングだったけれど、愛人様でどうこうするつもりはなく、ヘラヘラと走って国道1号に合流。掛川の道の駅を覗いてみる。 

2017 02 25 02

何気なく写した写真にS2000がいた。
同じベルリナブラック。数は少なくないはずなのに、滅多に出会わない。幻ならぬ、不思議な色だ。

掛川の西郷ICで市街地へ。既にいい時間になりつつあったけど、もひとつ寄り道してみよう。

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掛川城天守閣

掛川には城がある。
正確には、城があった所に街がある、ということになる。

新幹線も停まる(「こだま」だけだけど)JR掛川駅の北側正面に、威風堂々と立つ姿はこの街のシンボルとなっているが、実のところは再建である。
他とちょっと違うのは、木造で復元された天守閣であること。
築20年少々と新しいのだが、各地の再建城が軒並み鉄筋コンクリート造であるのに対し、木造復元は唯一の事例だとか。
昨年、名古屋城が今のを壊して木造で再建というニュースがあったが、掛川城は一歩先を行っている。

入館料を払うと中に入れるが、3層のこじんまりとした内容だった。まぁデカければいいってもんではないのだが。
建物自体に特徴的なところがあるわけではなく、山内一豊が治めていた時代の天守閣をできるだけ忠実に復元した、その事実に価値があるのだろう。

掛川城は「雲霧城」という別名があるが、戦国時代に徳川家康がこの城を攻めた際に、井戸から立ち込めた霧が城を守ったという伝説からその名がついたとか。
ご丁寧にその井戸まで復元されている。

2017 02 25 04

天守からの眺め。こじんまりとした掛川の街と、天守閣の影。
街の向こうに広がるのは、掛川茶のお茶畑かな。高圧線の鉄塔だらけだけど。

2017 02 25 05

天守閣の後は、麓にある掛川城御殿にも立ち寄った。
床下修理中だったけれど、却って普段は見られない構造を見られてラッキー。

こちらは江戸時代の再建。
天守閣は安政の東海大地震で倒壊して以来、平成の再建まで再建されることはなかったのだが、御殿は地震後に再建されている。
内戦のなかった江戸時代、城郭の存在価値はなかったわけで再建されず、藩主が通常の執務を行う御殿だけが再建されたというわけだ。

2017 02 25 06

歌川広重「東海道五十三次/掛川宿」

掛川城のある場所からやや西に行った大池橋という所が描かれている掛川宿の絵。
江戸時代の掛川城は、東海道随一の美しさ讃えられたという。

広重が浮世絵を世に出したのは、天守閣が倒壊した安政の東海大地震の約20年前。
広重が東海道の風景をスケッチしながら旅した時には、掛川城の姿があったにもかかわらず、城どころか城下町すら描かれていないのは興味深い。

・・・・・・・

掛川城を後にして、国1を袋井バイパス、磐田バイパスと繋ぐ。
東名もビックリの幅広バイパス群を疾走して浜松入り。本日は浜松泊。事前に予約しておいた繁華街至近のビジネスホテルにチェックイン。

ホテルには機械式立体駐車場が完備されていたが、車高が低過ぎるとのことでNG。近くの自走式駐車場へと回送となった。
エスならわかるけど、アルファGTでダメとは。。聞けば最低地上高13cm以上だとか。それって輸入車は軒並みNGじゃない?
事実、自走式駐車場はさながら高級輸入車の展示場と化していた。(ここビジネスホテルですが?)

2017 02 25 07

浜松の夜!

最近、都市型ツーリング?のもうひとつの楽しみは、夜の街徘徊である。
昨年のGWに、松江の夜を楽しんで以来「全国県庁所在地の旅」と称し、ツーリストがまさか好んでは行かないであろう都市に敢えて宿泊して、その街の夜を楽しんでしまうという不埒なコンセプトが自分の中で幅を利かせている(何箇所か実行済みだがレポになっていない。残念!)のだが、浜松は残念ながら県庁所在地ではない。
だが、いいことを思い付いたのだ。「全国都道府県第2の都市の旅」を、別途企画すればいいではないか。これはかなりマニアックな旅になるに違いない。(ただ出掛ける口実を作っているだけです(汗)

2017 02 25 08

浜松といえば、通常ウナギであろうけれども、何かにつけてB級な自分的には、まず餃子である。
円状になって焼かれてるのが本来の浜松餃子かもしれないけれど、居酒屋なのでそこは大目に見ることにする。
大目に見たけれど、これは実に美味かった。思わずオカワリしちゃおうかと思ったが、まだ先は長いのでここは我慢。

2017 02 25 09

2軒目。今度は地魚海鮮系居酒屋。ここは何頼んでも美味かった。
浜松は港のイメージがないけれど、御前崎辺りで上がった新鮮魚介類はなかなかのもの。もちろん焼津や清水という飛び道具もある。
そして地酒も充実。藤枝の初亀に舌鼓。もうたまらん。
さすがに人気があるようで、かろうじてカウンターを確保できたが、それなりの時間だと予約なしでは難しいと見える。

トドメに、今流行りのバル形態の居酒屋のワインで仕上げ。
ただこれは蛇足だったかな。ボトルワインが軒並み安かったのはgoodだったけど。

2017 02 25 10

歌川広重「東海道五十三次/浜松宿」

浜松は、東海道のちょうど中間に位置する場所である。
今でこそ政令指定都市で、バイクの生産だったら日本一どころか世界一なんじゃないかという大都市だが、浮世絵には何とも寂しい風景が描かれている。
遠くに城下町っぽい風景はあるものの、1本松の袂で焚き火にあたって暖を取る旅人の姿がメインに描かれていて、今の大都市浜松の賑わいはこれっぽっちも感じられない。

ただ、当時の宿場町はそれなりの規模があったらしく、それは現在の繁華街辺りにあったとかなかったとか。
あったとすれば、当時東海道を歩いた旅人たちと、時代を越えて酒を飲み交わしたと思えば感慨深くもなるってもんである。(なんじゃそりゃ)

 Posted by at 6:46 PM
2月 192017
 

2017 02 19 03

宇津ノ谷峠を越えたら、国道1号藤枝バイパスで島田まで。ここでまたも寄り道。
大井川に架かる「蓬萊橋」へと来てみた。

世界最長の木造歩道橋との触れ込みのこの橋。堤防沿いの道を走ってきても、近寄るまでその存在に気が付かないほど”小さな”橋だ。
ただ、最長というだけあって全長は900m近くあるらしい。明治時代に架橋されたが、幅2.7mの木製橋ということで、歩行者専用となっている。
法律上は「農道」に分類されるらしいが、実態はそんな使われ方は全くされていない。通行料まで徴収している、見事な観光道路である。

2017 02 19 04

何しろ片道900mである。ただでさえ広い大井川、果てしなく続く1本道は、向こうが見えないほどとにかく長い。
しかも吹きっ晒しで、強風に煽られて転落する人もいるんじゃないかという過酷さ。
欄干の高さが現代の基準ではないので、妙な不安感があり、ちょっとしたアトラクションみたいな感覚だ。

2017 02 19 05

相当歩いたと思ったら、こんな落書き表示が。
ひたすら真っすぐ歩いて渡るだけで、特に何があるわけでもない。

2017 02 19 06

しかも途中で工事通行止。橋の機能を果たしていないじゃないか(笑
(料金所で「向こうまで行けませんがいいですか?」と言われてはいたけれど)
当然ここからは折り返しとなる。どちらにしろクルマの所まで戻らなければならないので、往復することにはなるわけだけど。

2017 02 19 07

木造橋ということで、流されないのか?という率直な疑問が湧いてくるところだが、昔は流されたら架け直すのが唯一の手立てだったはず。
実際にこの橋も大井川の氾濫によって何度も被害を受けてきたが、その度に復旧して現存しているらしい。
昭和時代に橋脚がコンクリート化され(そういった意味では、純粋な木造橋ではないのだが)た後も、台風で増水する度に被害を受けているようだ。
それでも地元がこの橋を諦めないのは、歴史遺産であると共に、ギネス認定を受けているほどの重要な観光資源だからだろう。

2017 02 19 08

歌川広重「東海道五十三次/島田宿」

蓬萊橋の架橋は明治12年であり、それまで大井川には橋どころか、渡し船すらなかった。
江戸時代、幕府は江戸を防衛するために、橋も船も許可しなかったという。
広重の絵にあるように、江戸時代は庶民だろうが大名だろうが、川越(かわごし)と呼ばれる人足を雇って、街道を旅していたのである。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という東海道屈指の難所を詠んだ名文句は、この蓬萊橋によってようやく解消されたのだ(と思う)

 Posted by at 4:11 PM
2月 152017
 

薩埵峠の眺望を堪能した後、峠を越えて清水側へ。
清水側の道は何てことない、普通のなだらかな道だった。大きなクルマで登る場合は、コッチ側から登る方がオススメである。すっごくわかりにくいけど。

静清バイパスで清水、静岡の市街地をパス。とても有用なバイパスだが、部分的には慢性的に渋滞する箇所が残っている。
丸子ICを過ぎると、にわかに峠道の様相が濃くなる。道の駅「宇津ノ谷峠」の駐車場に滑り込み、早めの昼食休憩。名物のとろろ定食を食す。

宇津ノ谷峠は、南アルプスから駿河湾に伸びた尾根を越える峠のうちのひとつで、現代の国道1号はトンネルであっさりと抜けていく。
普通に走っていたら、峠であることを意識しないまま越えてしまうような感じ。ここはひとつ、時代を遡って再び旧街道を歩いてみよう。

2017 02 14 01

道の駅の駐車場にGTを置いたまま、旧道を歩いていくと、民家が軒を連ねる石畳の道がある。
旧東海道と思われる街道で、各民家の軒先には屋号の看板が掛けられ、往時の雰囲気を醸し出している。

2017 02 14 02

坂を登っていくと、旧街道に沿って民家が立ち並ぶ様子を遠望できた。
かつての家屋はもう残っていないとは思うが、それでも何となく、人々が街道を往来した当時の雰囲気が滲み出しているのが感じられる。
いまはひっそりとした山間の集落でしかないが、かつて日本の大動脈として多くの人が行き交った情景に、思いを馳せてみる。

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さらに坂を登っていくと、旧東海道の峠道へと続く山道が姿を現した。
旧街道をトレースするなら、これを登って宇津ノ谷峠を極めるところだが、今回は別の目的がある。
峠へと続く道を横目にさらに歩を進めていくと・・・

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おおっ、これは・・・ 

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素晴らしく鄙びた、年代物のトンネル。いや、これはまさしく「隧道」だな。
入口のアーチ部分のみならず、内部の壁面も全てレンガによるアーチ構造。こんな手の込んだ隧道、見たことがない。

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消え入りそうな宇津ノ谷隧道の文字。
江戸時代まで街道は峠道を越えていたが、交通量が増加した明治時代初期に掘削されたのがこのトンネル(隧道)。日本で最初の「有料」トンネルだったそうな。

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特筆すべきは、何と言ってもこの歴史を経たレンガの質感である。
何せここは東海道、当時は最先端のトンネル技術だったと思うが、それがレンガ造によるものとは。。西洋文化と技術が急速に国内に広まっていった過程を垣間見ることができる。
歴史的な建造物は大抵そうであることが多いが、このトンネル(隧道)に関しても、周囲の時間を強制的にストップさせ、異質な空間を創り出している。

2017 02 14 09

さらにはこのトンネル(隧道)、普通に通行することが可能である。
いまは通行料を要することもない。通行ができるのは歩行者のみだが、これが明治初期の建造物であるということを考えると、それは驚きに値する。

トンネル内は風の通り道になっているようで、正面から肌を刺すような冷たい風が常に吹き続けている。
それに加え、古い空間でこんな照明なもんだから、立ち止まると背筋がゾクッとする。さすがにちーとコワい。

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反対側に到達。明治時代の街道がその先も続いている。
これ以上進むと、駐車場に戻るのがキツくなってしまうので、ここで引き返す。
ということはもう一回、肝試しをすることになる(笑

2017 02 14 11

全然、人が通らないんだよなぁ。
土木遺産としては、現在も利用されているという点もあって、なかなかのもんだと思うのだが。

宇津ノ谷峠には、この「明治のトンネル」の他、旧国道1号の県道にある「大正のトンネル」、現国道1号上り線の「昭和のトンネル」に、下り線の「平成のトンネル」と、各時代4本のトンネルがある。そして、これらがどれも通行可能な状態で並んでいるという、ちょっと変わったスポットなのだ。
それだけ東海道という道はどの時代でも重要な交通路であり、時代の要請に従ってルートを更新してきた歴史があるということを、肌で感じることができる。

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歌川広重「東海道五十三次/岡部宿」

宇津ノ谷峠は、東海道の宿場町のうち、丸子宿と岡部宿の間に位置する峠。
広重の「岡部宿」は、宇津ノ谷峠の西側の入口付近を描いているという。
今回はそっち側は歩かなかったわけであるが、当時の宇津ノ谷峠の雰囲気を重ね合わせてみるのも一興だ。

 Posted by at 12:29 AM
2月 122017
 

2017 02 12 01

連日の寒波襲来で、行動範囲が著しく制限される中、寒さに負けじと「旅」をしてきました。
今回の主役はお久しぶりねの「愛人様」こと、アルファGT。ただし、ほとんど表舞台には出てきません。
やはりそこは愛人様なので、旅はお忍びであり、人目に触れると困るから・・・っていうのはウソで、いつもの「走る」ツーリングとはちょっと違うからってだけです(笑

出発前夜までエスで出かける気満々だったけど、折しも大寒波で関東の低山ですら危険な香りがしたので、密かに愛人様との逢引を決断。
この選択が結果的には功を奏しました。土曜日の明け方から、東名&新東名の御殿場付近は積雪+凍結で通行止め。箱根の山も路肩に雪が残る状況で、ノーマルタイヤのエスで無理を通すのも微妙だったので、冬靴を履いたアルファGTの出動はナイスな選択でした。

今回は元々、厚木から小田厚で箱根は下道で越える予定だったので、想定外の東名不通による影響は無し。
箱根峠を越えてしまえば、冬を感じさせないポカポカとした陽気で、国道1号を気持ち良く西進。

今回の旅のテーマは、東海道を味わうこと。
その中でも、いつもは高速で通過するだけになっている静岡県内の東海道、すなわち「駿河路」をちょこちょこと訪ねてみようという算段。
ただ通過するだけならかったるいR1バイパス群ですが、それ自体テーマにすれば、そうでもない!?という淡い期待を胸に走ることにします。

R1で三島、沼津を通過し、富士を過ぎた辺りで旧道へ。由比宿を通過して薩埵峠(さったとうげ)へと向かう。
直下の東名高速で通過する度に、一度は越えてみたいと思っていた薩埵峠。まさに過去の街道が越えていた、歴史ある山越えの道です。

由比駅付近から、これ入っていいの!?と思わず思ってしまうような、集落内の狭い道を上がっていくのが峠への道。
急勾配を臆せず登っていくと、やがてみかん畑の斜面を縫う極狭路に様相が変わっていく。

2017 02 12 02

引き返そうにも引き返せない、ガードレールのない細い坂道が続く。
道ってゆうか、完全にみかん畑の作業路。これでも旧東海道・・・エスだとちょっと来たくない類の道だなぁ。アルファでもヤダけど。

2017 02 12 03

斜面を見下ろせば、こんな風景が。。由比の岸辺に、国道1号と東海道本線、それに東名高速が絡み合うように走っている。
峠を登り詰めて振り返れば、もう一人の主役が加わって、唯一無二の風景が眼前に広がるのだ。 

2017 02 12 04

薩埵峠

峠を詰めて、展望ポイントまで歩くこと少々。
そこには、広重の東海道五十三次シリーズで有名な風景が待っていた。

駿河湾越しの富士に加えて、国内交通の大動脈である2本の道路と1本の線路が絡み合って眼下を通過するのが加わって大迫力、となるわけだが、そもそも東海道五十三次の浮世絵と同じ画角の風景が現代でも見られるというのが珍しいらしい。

2017 02 12 05

歌川広重「東海道五十三次/由比宿」

それはともかく、東名を走ってても気持ちの良い由比付近のルートを眼下に見下ろす薩埵峠からの風景は、噂に違わぬ絶景だった。
海と山が織り成す絶景に、図ったようなバランスで人工物が配され、それが古き街道筋から眺めることができるというは、ただの偶然には思えない。

富士山の頂に雲がかかっていたのは少々残念だったが、それでも十分。
冬のこの時期だからこその澄んだ空気の下に拝む迫力の風景には大満足だった。

 Posted by at 9:47 PM