5月 012014
 

今日から5月。
毎年5月の最初の日は、決まって思い出すことがあるわけですが、今年の5月1日はちょっと特別。

そう、アイルトン・セナの20回目の命日なのです。

2014 05 01 01

日本中がF1に熱狂していた時代に、自分は聖地・鈴鹿に住んでいました。
子供ながらにも当然ハマったわけですが、中でもセナは孤高の存在として記憶に刻み込まれています。
正直言うと当時は気難しい感じがあんまり好きではなく、あっけらかんタイプ(特にベルガー)を好んで応援していたクチでしたが、走りに鮮烈な印象が残っているのは、やっぱりセナだったりします。
セナが存命だった時代に2度サーキットに(自転車こいで)応援に行きました。そのどちらの年もセナは鈴鹿で勝てなかったけれど、あの黄色いヘルメットは熱かった時代のF1の象徴として記憶に残ってます。

20年前の今日。
ホンダがF1を去ってから中継を見なくなっていたんですが、たまたまその日はなぜかF1を見ようと思い、深夜にテレビをつけていました。
中継が始まる時間にいつものオープニングが流れず、三宅アナの神妙な声が。。
ひとまず赤旗中断後のレースを放映していましたが、突然レース中継が途絶え、セナが天に召されたことを、三宅アナ、今宮さん、川井ちゃんが号泣しながら伝え始めました。
次の日の朝になっても、とても信じられず呆然としたまま予備校に行った(当時浪人生)ことを、昨日のことのように覚えています。

以来、琢磨が出てくるまで、ほとんどF1は見なくなってしまいました。
超人的なテクニックで荒れ狂うマシンをねじ伏せ、サーキット上で熱いバトルが繰り広げられるF1が見られなくなったからかもしれません。
でも、今思うに、セナという人間がいたからこそ、全てが活性化されて面白かったからF1を見てたのかも。
F1が単なるレースではなく、大きなドラマとして、それを取り巻く全てが刺激的で熱中できた時代が、セナを中心に流れていたような気がします。 

人付き合いがヘタな割に人情的で、憂いを湛えた表情は何を考えてるのかわからないけど、ミステリアスで人を惹きつける。
想像もできないスキルで、ギリギリ紙一重のところで破綻するかしないかの超限界ドライビング。
これは亡くなってから知ったことですが、とても頭の良いドライバーで、組織や人に対する深い思慮の持ち主でもありました。

当時のF1を体感した世代の多くがそう思うように、自分にとってもセナは特別なヒーローです。
F1という枠を超えて、20年たった今でもいろんなことを教えてくれているような気がします。
今年もそんなようなことを思い出し、ちょっとだけ涙腺が緩んだ、そんな日でした。

 Posted by at 7:10 PM