金沢で見るべきものとしては、ここまで紹介してきた古い街並みがオススメだし、実際それを目的に訪れる人も多いはず。
正反対に、現代の街や建物も楽しめてしまうのが、金沢の奥深さです。
保守的な古都だった金沢は、少し前まで見るべき現代建築はほとんどありませんでした。
隣県の富山県はそこんとこには熱心で、正統派からアバンギャルドまでいろんなのが揃っているんですが、京都みたいに新しいものを受け入れる土壌のない金沢は、いつまでたっても古いまま。繁華街だけが街の移り変わりを語る、みたいな都市でした。
そんな保守的な空気の中で、突如宇宙船でも降り立ったかのようなインパクトで生まれた建物があります。
金沢21世紀美術館
その存在感たるや圧倒的で、開館以来、国内有数の知名度と来館者数を誇るハコモノならぬバケモノ施設。
美術館に対する既成概念を打ち破って、金沢の中心部に現れたのが、21世紀美術館です。
正円の平面計画に美術館の機能をとにかく押し込んで成立させた強引さに度肝を抜かれますが、実は建築的に目新しいのはそのくらい。
建物として美しいかと問われても、プロポーションという概念が無いので評価すらできない。
ディテールなんてあってないようなもので、考えることすら放棄しているかのようにも見えてしまう。
じゃあ一体どこが素晴らしいのか。
21世紀美術館は、いつ行っても常に活気に満ちている。そして、思い思いに芸術を楽しめる雰囲気がある。
老若男女、様々な人がカフェにでも行くような感じで、ちょっと立ち寄ってみたという風情で鑑賞したり、ただ何をすることもなくのんびりと時間を過ごしてたり。
この美術館とは到底思えない独特の空気に、この美術館の新しさがあります。
計画当初から、地域の中でどう位置付けていくか、どう使われていくのかを徹底的に議論した末に生まれた美術館。
金沢市内の小学生は全員、この美術館で鑑賞授業を受けるようなことも聞いたことがあります。
また、立地的にも、兼六園と繁華街のちょうど間に位置することで、都市構造の中でハブ的な役割を担っているっていうのも面白い。
正円の形を活かして、あらゆる方向から敷地と建物にアプローチができるので、そこにあるだけで人の流れに変化が生まれる。
都市構造上重要な結節点の役割を担いつつ、地域にグッサリと根差したプログラムがあらかじめ練られた美術館。
ここにこの美術館の今までにない新しさと、大いなる価値があると考えています。
企画展の質とか、維持管理とか、もう少し頑張ってほしい面はありますが、そこで起こっているコトを見るのが楽しくて、幾度となく訪れてしまう場所です。
・・・・・・・
金沢で見てみたい現代建築のトップは押しも押されぬ人気の21世紀美術館ですが、もう一ヶ所オススメの建築があります。
こちらは美術館とは正反対に、静寂の中でゆっくりその空間を楽しむことができる。まだあまり知られていないというのもありますが。
鈴木大拙館
21世紀美術館から少し南に歩いた所、県立図書館や博物館の裏手の目立たない場所に、鈴木大拙館はあります。
ホントに目立たない所にあり、駐車場もないので、クルマは金沢歌劇座に停めます。そこから数分ほど。
鈴木大拙というこの地に生まれた仏教哲学者の名を冠したこの建物、訪れてみるとかなり不思議な施設です。
というのも、一般的な「◯◯記念館」同様、鈴木大拙という人物の紹介はあるものの、大半は「何もない」空間。
何もない、でも意味ありげな空間に身を置いて、訪問者自ら思索を巡らす。
知り学び考える。そのための空間を意図し、コンセプトとしてデザインされてるんです。
回廊で繋がる展示空間。その回廊を歩くこともこの建築の楽しみ。
それとなく配置される、しっとりとした庭園にも癒やされます。
「水鏡の庭」を眺める回廊は、この建築のハイライト。
周囲の森と建築と空のコントラストに、いつまでも身を委ねてしまう。
池に浮かぶ立方体の箱の中にも、これといって何もありません。
ただひとつ、頭上に穿たれた丸い穴を除いては。
ここで何を感じようと、何を考えようと自由。
静寂の中で、ただ時の流れに身を委ねるのも悪くない。
走り続けるだけの日常の中で、立ち止まって考える事で気付くことがあるかもしれません。
そんな気にさせる「場」を生み出せるのが、建築の面白いところです。
21世紀美術館のように、都市の中で様々な役割を担わせることができるのも建築の魅力ですが、空間によって人の心に作用することができるのも、建築の力のひとつ。
そんな2つの現代建築が揃って味わうことができるのも、金沢の魅力だと思います。
(オマケ)
鈴木大拙館から図書館裏までの小径もオススメ。
真夏の写真ですが、暑いけど気持ち良かったです^ ^;