5月 192016
 

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神子畑鋳鉄橋からR429をさらに進むと、何の前触れもなく、目を疑うような光景が眼前に現れた。

山肌に幾層にも折り重なって張り付くコンクリートの壁。
その手前には正体不明の舞台のような構造物が複数。
一見しただけではまったく正体不明のミステリースポット。

何なんだ、いったいコレは!?

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思わずブレーキを踏み、しばし呆然と頭上を見やる。
何かとんでもないものを発見してしまったような心持ちだ。

エスを正体不明構造物の前に引き込み、周囲を舐めるように観察してみる。 
何らかの鉱山施設であることは間違いないようだが、それにしても理解不能なのは手前の円形の舞台装置!?のような構造物。
無数の列柱が規則正しく配列される様は、ギリシャ世界の神殿を彷彿とさせるが、この場所にある理由がわからない。

しかも「円形」であることが謎を深くする。円形の神殿など聞いたことがない。
舞台装置というファーストインプレッションだったが、中にステージになるような空間があるわけでもない・・・

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内部を覗いてみると、鉄骨製の階段が残り、床面には何かの機械がゴロゴロと転がっている。
放置されたその機械たちは、ひとつひとつがかなり大きなものだ。何かの生産施設だったのだろうか。

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時代を感じさせるコンクリートは、機能性を考慮して幾何学的形態を与えられていることは直感的に理解できる。
その佇まいがまた美しいのだ。
朽ち始めたコンクリートに、そこはかとなさが加わり、何かを訴えかけてくるような美しさを湛えている。

想像力の限界で、結局何のために建てられ、ナゼここに在るのかということが最後までわからなかった。

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実はこれ、採掘された鉱石を成分ごとに仕分けるための「装置」らしいのだ。呼び名を「シックナー」というらしい。

この列柱が支えているのは巨大な「漏斗」で、円錐形をしている。
ここに成分仕分けが進んで液体となった鉱石を流し込み、「漏斗」の中でゆっくりと回転させることで液体と固体を分離させ、沈殿した個体を回収することができる装置ということだった。

あまりに幾何学的形態による美しさを感じる構築物だったので、鉱石分離(「選鉱」という)ための装置とはまったく気付くことができなかった。
内部空間としてまったく非効率な形態にも関わらず、鉱山で働く従業員の休憩施設や厚生施設か何かだと本気で想像してしまうほど、建築的魅力に溢れている。
よくよく理由を知れば、必然的に生まれた装置であり形態であって納得いくのだが、それにしたってそういう構造物が、ここに遺り出会えるなんて、どれだけの人が知っているだろうか。

この「シックナー」を含めた一帯の施設は、「神子畑選鉱場」と呼ばれた、かつての鉱山施設らしい。
この場所とは異なる近隣の鉱山で採掘された鉱石を、成分ごとに仕分けるための生産施設なのだという。
斜面による高低差を利用して、必要な金属を仕分けるという機能を担っていた。

しかし今では見ての通り、完全なる「廃墟」である。

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薄々気付いてはいたけれど、自分は「廃墟」というものにとても惹かれるらしい。
特に、反映していた当時が忍ばれる、「兵どもが夢の跡」的な風景や存在に強い魅力を感じるのだ。
想像力がかき立てられればかき立てられるほどいい。歴史的建造物を観るのと似た種類のロマンが、そこにはあると思う。 

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舐め回すように堪能し、後ろ髪を引かれる思いだったが離れることにする。

神子畑鋳鉄橋と連続する産業遺産、神子畑選鉱場。
近代日本の息吹を感じる産業遺跡だ。通り過ぎてはしまったが、生野銀山も含めて、産業遺産街道、認定である。

こういった、かつての産業や生業を見ながら旅することが楽しい。
まだ山陰地方にも到達していないが、こういった遺産が多く残るこの中国エリア(とその周辺)は、走る楽しみと産業の視点から歴史を想うことができる場所なのである。

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