7月 222015
 

今年の7月の3連休は、昨年同様、東北ツーリングを敢行しました。
昨年は日本海側を中心に攻めたので、今回は太平洋沿岸。つまり、三陸を訪れることにしました。

三陸はツーリングステージとして毎回が非常に印象深く、その度にレポに残しているような気がします。
ただ、あの震災の後は積極的に訪れてみようという気にはならなかった。
4年が経過したこの夏になってようやく、震災以来初めて三陸を走る決意をしました。

これまで訪れなかったのは、津波の被害に対して、ツーリストとしてどう向き合っていいのかわからなかったというのが正直なところかもしれません。
そこにある事象に対し、今なら冷静に向き合えるかもしれない。
そう思い、数年ぶりに足を踏み入れたわけですが・・・

その実態は、今だに想像を絶するものでした。
そこにあったものがまるごと押し流され、何も無くなった原野に夏草が茂る光景。
かつて町だった場所は、都市基盤もろとも完全に消失している現状。
粉々に砕かれた港湾施設。奇跡的に流されず残ったはいいが、どうすることもできず孤立したままの被災した建物の躯体。 

瓦礫の山はほぼ全てが取り除かれていて、今はおびただしい数の重機によって、嵩上げの造成が進められています。
復興のために真っ先に復旧された国道45号線によって、三陸縦断は可能ですが、所々は迂回を余儀なくされます。 
また、土砂を運ぶ無数のダンプが行き交い、舞い上がる土埃で路面は汚れ、あっという間にボディはドロッドロに。。

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まるで発展途上国の開発地帯のような光景が、この日本国内で繰り広げられていたのです。

かつて仙台在住時代に訪れた町並みは、まるで面影は残っていませんでした。
南から鮎川(石巻)、女川、南三陸(志津川)、陸前高田、大槌、山田、田老、田野畑・・・・・
特に志津川と陸前高田の壊滅的な被害を伝える復興の光景は、4年たった今でも衝撃的の一言。
これが日本国内の光景とは到底信じられない。でもこれが、4年経った今の現実なのです。

今回の旅は、石巻から久慈まで北上しましたが、写真はほとんど撮りませんでした。というか、撮れませんでした。
だから、ここでいつものようにレポートすることは、これ以上は不可能です。
でも、だから、可能な方は自分の足で訪れ、その目で見に行ってほしい。
現状を確認することが、考えることの一歩になると思うから。

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仮設の生活基盤の一角には、なんとか地域を蘇らせようとする取り組みがあります。
この中で、南三陸の仮設商店街は特に大規模。もう既に、立派な観光地といえるほど賑わっていました。

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商店街の食堂でいただいた、今が旬のホヤの刺し身300円。とても美味。

今の三陸に観光気分で訪れることにはまだ抵抗を感じざるをえないですが、地域経済と生活基盤の復興のためには、積極的に関与するために直接訪れたほうが良いと感じます。

元の線形を失った、ダンプが行き交う国道45号は、震災前の感覚よりかなり時間を要しますが、三陸道の部分開通も進んでいるので、上手に活用しながらのツーリングは可能です。
我々旅人の想いが、復興に少しでもつながればと思って止みません。 

 Posted by at 12:16 AM