2月 182017
 

2017 02 18 01

駿河路ツーレポの途中ですが、エスの話題。
ブレーキパッドを交換したので、その記録です。

サーキットでタイムアタックをしている巷のS2000と異なって、公道を流すのがほとんどの我がエスは、ブレーキに極度の負担がかかっているわけではありません。
ただ、乗っていれば消耗するのがブレーキパッド&ローターで、特にパッドはブレーキを踏む度に摩材をすり減らして運動エネルギーを吸収しているので、それなりの頻度でメンテナンスが必要です。
今回は、そんなにパッドが磨り減ってたわけではなかったのですが、以下の理由によって交換することにしました。 

・ローターにパッドが均一に接していない。(偏摩耗)
・摩材の厚みが減ったことで断熱性能が落ち、走り込んだ際の耐久性の減少を感じるようになった。

つまりはフィーリングがイマイチになってきた、というのが交換の動機。
バラしてみてもまだ摩材は残っている状況(5mm程度)でしたが、それでも変化はあるんですよね。

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実際、ピストン側と反対側のパッドの減り方には明確な差がありましたし、パッドによっては均一に減っているわけではなく、傾斜して減っているものもありました。
絶対的にストッピングパワーが減退するというものではないですが、五感を研ぎすませてドライビングを楽しもうとすると、こういう事象によるフィーリングの変化が気になってくるわけで。 

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パッドは結構前からZONEを使っています。
エスに乗り始めた当初はFERODOでしたが、いまはコッチに落ち着いてます。
摩材の選択肢が恐ろしく多く、それでいて安価なのがいい。所詮、消耗品ですから、ぱっと換えられて、合わなかったら即次を試せる気軽さは重要。
もちろん、求める性能に対して高レベルで応えてくれる機能性も気に入っています。

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パッド交換はもう大昔から自分でやっています。
部位が部位なのでオススメはしませんが、やってみると単純な作業なので、手順を覚えておくことに越したことはないと思います。
作業を効率化する専用工具のアップグレードを進めてきたおかげで、最大の難関であるピストン戻しもスムーズにクリアできるようになりました。

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ま、せっかくタイヤを外しての整備なので、いろんな箇所を点検しつつってやってたら、結構時間がかかりましたが。
でも、こういう機会をつくることで、愛車の状態を観察・把握できるというのは、非常に大きな副次的メリットです。
洗車する際にも同じことが言えますが、いつもは見えない部分を点検できるという機会は非常に重要です。何より、好きなクルマを触っていられる時間が楽しい、っいうのはありますが(笑

ブレーキを自ら触る触らないは別にして、こういう機会を多く持ち続けることも、長生きの秘訣なのかもしれませんね。 

 Posted by at 6:35 PM
2月 152017
 

薩埵峠の眺望を堪能した後、峠を越えて清水側へ。
清水側の道は何てことない、普通のなだらかな道だった。大きなクルマで登る場合は、コッチ側から登る方がオススメである。すっごくわかりにくいけど。

静清バイパスで清水、静岡の市街地をパス。とても有用なバイパスだが、部分的には慢性的に渋滞する箇所が残っている。
丸子ICを過ぎると、にわかに峠道の様相が濃くなる。道の駅「宇津ノ谷峠」の駐車場に滑り込み、早めの昼食休憩。名物のとろろ定食を食す。

宇津ノ谷峠は、南アルプスから駿河湾に伸びた尾根を越える峠のうちのひとつで、現代の国道1号はトンネルであっさりと抜けていく。
普通に走っていたら、峠であることを意識しないまま越えてしまうような感じ。ここはひとつ、時代を遡って再び旧街道を歩いてみよう。

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道の駅の駐車場にGTを置いたまま、旧道を歩いていくと、民家が軒を連ねる石畳の道がある。
旧東海道と思われる街道で、各民家の軒先には屋号の看板が掛けられ、往時の雰囲気を醸し出している。

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坂を登っていくと、旧街道に沿って民家が立ち並ぶ様子を遠望できた。
かつての家屋はもう残っていないとは思うが、それでも何となく、人々が街道を往来した当時の雰囲気が滲み出しているのが感じられる。
いまはひっそりとした山間の集落でしかないが、かつて日本の大動脈として多くの人が行き交った情景に、思いを馳せてみる。

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さらに坂を登っていくと、旧東海道の峠道へと続く山道が姿を現した。
旧街道をトレースするなら、これを登って宇津ノ谷峠を極めるところだが、今回は別の目的がある。
峠へと続く道を横目にさらに歩を進めていくと・・・

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おおっ、これは・・・ 

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素晴らしく鄙びた、年代物のトンネル。いや、これはまさしく「隧道」だな。
入口のアーチ部分のみならず、内部の壁面も全てレンガによるアーチ構造。こんな手の込んだ隧道、見たことがない。

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消え入りそうな宇津ノ谷隧道の文字。
江戸時代まで街道は峠道を越えていたが、交通量が増加した明治時代初期に掘削されたのがこのトンネル(隧道)。日本で最初の「有料」トンネルだったそうな。

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特筆すべきは、何と言ってもこの歴史を経たレンガの質感である。
何せここは東海道、当時は最先端のトンネル技術だったと思うが、それがレンガ造によるものとは。。西洋文化と技術が急速に国内に広まっていった過程を垣間見ることができる。
歴史的な建造物は大抵そうであることが多いが、このトンネル(隧道)に関しても、周囲の時間を強制的にストップさせ、異質な空間を創り出している。

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さらにはこのトンネル(隧道)、普通に通行することが可能である。
いまは通行料を要することもない。通行ができるのは歩行者のみだが、これが明治初期の建造物であるということを考えると、それは驚きに値する。

トンネル内は風の通り道になっているようで、正面から肌を刺すような冷たい風が常に吹き続けている。
それに加え、古い空間でこんな照明なもんだから、立ち止まると背筋がゾクッとする。さすがにちーとコワい。

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反対側に到達。明治時代の街道がその先も続いている。
これ以上進むと、駐車場に戻るのがキツくなってしまうので、ここで引き返す。
ということはもう一回、肝試しをすることになる(笑

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全然、人が通らないんだよなぁ。
土木遺産としては、現在も利用されているという点もあって、なかなかのもんだと思うのだが。

宇津ノ谷峠には、この「明治のトンネル」の他、旧国道1号の県道にある「大正のトンネル」、現国道1号上り線の「昭和のトンネル」に、下り線の「平成のトンネル」と、各時代4本のトンネルがある。そして、これらがどれも通行可能な状態で並んでいるという、ちょっと変わったスポットなのだ。
それだけ東海道という道はどの時代でも重要な交通路であり、時代の要請に従ってルートを更新してきた歴史があるということを、肌で感じることができる。

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歌川広重「東海道五十三次/岡部宿」

宇津ノ谷峠は、東海道の宿場町のうち、丸子宿と岡部宿の間に位置する峠。
広重の「岡部宿」は、宇津ノ谷峠の西側の入口付近を描いているという。
今回はそっち側は歩かなかったわけであるが、当時の宇津ノ谷峠の雰囲気を重ね合わせてみるのも一興だ。

 Posted by at 12:29 AM
2月 122017
 

2017 02 12 01

連日の寒波襲来で、行動範囲が著しく制限される中、寒さに負けじと「旅」をしてきました。
今回の主役はお久しぶりねの「愛人様」こと、アルファGT。ただし、ほとんど表舞台には出てきません。
やはりそこは愛人様なので、旅はお忍びであり、人目に触れると困るから・・・っていうのはウソで、いつもの「走る」ツーリングとはちょっと違うからってだけです(笑

出発前夜までエスで出かける気満々だったけど、折しも大寒波で関東の低山ですら危険な香りがしたので、密かに愛人様との逢引を決断。
この選択が結果的には功を奏しました。土曜日の明け方から、東名&新東名の御殿場付近は積雪+凍結で通行止め。箱根の山も路肩に雪が残る状況で、ノーマルタイヤのエスで無理を通すのも微妙だったので、冬靴を履いたアルファGTの出動はナイスな選択でした。

今回は元々、厚木から小田厚で箱根は下道で越える予定だったので、想定外の東名不通による影響は無し。
箱根峠を越えてしまえば、冬を感じさせないポカポカとした陽気で、国道1号を気持ち良く西進。

今回の旅のテーマは、東海道を味わうこと。
その中でも、いつもは高速で通過するだけになっている静岡県内の東海道、すなわち「駿河路」をちょこちょこと訪ねてみようという算段。
ただ通過するだけならかったるいR1バイパス群ですが、それ自体テーマにすれば、そうでもない!?という淡い期待を胸に走ることにします。

R1で三島、沼津を通過し、富士を過ぎた辺りで旧道へ。由比宿を通過して薩埵峠(さったとうげ)へと向かう。
直下の東名高速で通過する度に、一度は越えてみたいと思っていた薩埵峠。まさに過去の街道が越えていた、歴史ある山越えの道です。

由比駅付近から、これ入っていいの!?と思わず思ってしまうような、集落内の狭い道を上がっていくのが峠への道。
急勾配を臆せず登っていくと、やがてみかん畑の斜面を縫う極狭路に様相が変わっていく。

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引き返そうにも引き返せない、ガードレールのない細い坂道が続く。
道ってゆうか、完全にみかん畑の作業路。これでも旧東海道・・・エスだとちょっと来たくない類の道だなぁ。アルファでもヤダけど。

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斜面を見下ろせば、こんな風景が。。由比の岸辺に、国道1号と東海道本線、それに東名高速が絡み合うように走っている。
峠を登り詰めて振り返れば、もう一人の主役が加わって、唯一無二の風景が眼前に広がるのだ。 

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薩埵峠

峠を詰めて、展望ポイントまで歩くこと少々。
そこには、広重の東海道五十三次シリーズで有名な風景が待っていた。

駿河湾越しの富士に加えて、国内交通の大動脈である2本の道路と1本の線路が絡み合って眼下を通過するのが加わって大迫力、となるわけだが、そもそも東海道五十三次の浮世絵と同じ画角の風景が現代でも見られるというのが珍しいらしい。

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歌川広重「東海道五十三次/由比宿」

それはともかく、東名を走ってても気持ちの良い由比付近のルートを眼下に見下ろす薩埵峠からの風景は、噂に違わぬ絶景だった。
海と山が織り成す絶景に、図ったようなバランスで人工物が配され、それが古き街道筋から眺めることができるというは、ただの偶然には思えない。

富士山の頂に雲がかかっていたのは少々残念だったが、それでも十分。
冬のこの時期だからこその澄んだ空気の下に拝む迫力の風景には大満足だった。

 Posted by at 9:47 PM
2月 042017
 

2017 02 04 01

金曜日は思いのほか早く帰れたので、急遽早起きして西伊豆に行ってきました。
久しぶりの朝練です。

天気が良いと言っても、季節は真冬。伊豆とは言え、高所ワインディングの路面状態は良いわけがありません。
箱根峠から伊豆スカで冷川まで行くいつものルートですが、コーナーによっては路面が真っ白。早朝は走れたもんじゃないですね。

大人しく巡行して、西伊豆スカイラインへ。
こちらも北側区間は路面状態が怪しく、ラフな操作をするとすぐにすっ飛んでいきそうな雰囲気。
ここも大人しくクリアしていつもの区間へ。

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尾根筋は路面も乾いていて、むしろ走りやすかった本日の西伊豆スカイライン。
陽が上がるにつれて、刻一刻と路面状態が変わり、アクセルを開ける量も増してくる、そんな状況でした。

路面も路面なので、程々のペースで周回、じゃない往復。
踏めない分は、ラインの取り方を集中的に練習することに充てることに。

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それなりに走ったところで、国道136号で土肥に下り、県道17号で戸田へ。
この土肥〜戸田間のK17は、伊豆のシーサイドルートと思いきや、その実態は気合の入る断崖ワインディング。地味ですが、大好物な区間なんですよね。

西伊豆は東に比べて静かだけど、土肥から北はさらに静かで、思い切り走れることが多いのも好印象の理由。
この日もほとんどペースを変えず、むしろ西伊豆スカよりしっかり踏んで、断崖のターマックステージをクリア。

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戸田からは県道18号を修善寺。そこから北上して国道1号で箱根。
国1三島側は改良が進んで、山中城付近では新しい区間が開通してました。
いつぞや同じ時期に、dukeですっ転んだ苦い思い出がある場所ですが、本日は快晴の上、マシンは1号機、S2000。
道行くライバルたちをパスしながら峠を登り詰める。その後は箱根新道、小田厚、東名で平和に帰ってきました。

帰宅後は今年初めての洗車。ガレージに仕舞って本日の練習は完了。あとは酒を飲むばかり。なんて幸せな休日だ(笑

 Posted by at 9:17 PM